OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

ボクは好奇心のかたまり (遠藤 周作)

2009-11-29 16:38:35 | 本と雑誌

 遠藤周作氏の著作は、実のところ小説もエッセイも読んだことがありませんでした。
 今回は、たまたま満員電車の中でも開けるようなかさばらない文庫本が切れていたので、手近なところから取り出してきたのです。

 確かにユーモアに富んだ楽しい内容です。評判どおり遠藤氏は、軽妙洒脱なエッセイの書き手ですね。氏の仲間内の話題もあるのですが、そこに登場する方々(佐藤愛子氏や北杜夫氏等々)のエピソードも面白く、それはそれで興味深く読みました。

 たとえば、一例を挙げるとこんな感じです。
 以前、遠藤氏はピーターさんと同じマンションに住んでいたそうです。そのマンションからピーターさんが引っ越した後、しばらくしてからのできごとです。

 
(p183より引用) そのピーターさんとその後、テレビ局でバッタリ顔をあわせた。なつかしい思いで、
「あたらしいお住まいはどうですか」
と私がたずねると、気に入っていますと答える。・・・だがそれから何を話しても通じない。我々のいたマンションのことはピーターさんはすっかり忘れたようである。
「家賃をまたあげると言っています」
「そうですか」
 それからピーターさんは私の顔をじっと見て、
「わたくし、研ナオコと言うんですけど」
 と恨めしそうに言った。

 
 若い頃のピーターさんや研ナオコさんのイメージが湧く方であれば、確かにありそうと合点がいくのではないでしょうか。もちろん、後で研さんとピーターさんとの間でも話題になったのは間違いありません。

 さて、こういったユーモアに富んだいくつもの話の中に、ちょっとシニカルなくだりやシリアスなフレーズも織り込ませています。

 
(p213より引用) 中学生の頃はヤジさん、キタさんの話をよみ、これはひどく感激した。岩波文庫の黄帯をわざわざ買ってきて、膝栗毛を何度も何度も読みかえし自らは将来、ヤジさん、キタさんのような人物になろうと大志を抱いたものである。この影響はいつまでも心に残っていて戦争中いやな目に会うたびに膝栗毛を読んだ。そして人間がまだ信じられるという気持になった。

 
 日本の精神風土におけるカトリック信仰の問題をテーマにした作品を残した「小説家」遠藤周作としての一面も、ほんの少し垣間見られたような気もします。
 
 

ボクは好奇心のかたまり (新潮文庫) ボクは好奇心のかたまり (新潮文庫)
価格:¥ 500(税込)
発売日:1979-07

 
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い
 
TREview
TREviewブログランキング
 
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だいじょうぶ (鎌田 實・水谷 修)

2009-11-25 22:42:59 | 本と雑誌

 現在社会の貧しさや哀しさを憂える二人の往復書簡と対談をまとめた本です。

 そのうちのお一人は鎌田實氏。長野県の諏訪中央病院にて、患者の心のケアも含めた地域一体医療に長年携わっています。
 もう一人は水谷修氏。「夜回り先生」として有名です。若者の非行防止や薬物汚染の拡大防止のためのパトロールやメール・電話での相談に献身的に取組んでいます。

 お二人が本書で語られている数々のエピソードは、日本および海外の社会的弱者の哀しい現状を披瀝しています。と同時に、そういった荒んだ社会の中でも、本当に温かな優しさをもって真っ当に生きている人々の姿も伝えています。

 水谷氏は、人としての優しさを追求していきます。
 たとえば、モノの背後にある「人の営み」を慮った水谷氏の言葉です。

 
(p29より引用) 私はかつて、高校の教壇で必ず生徒に教えていたことがあります。定価10万円のテレビを1万円で買って喜ぶこと、1本10円の大根を買って得したと思うことは、哀しいことだと。なぜなら、それをつくった人たちの汗と涙を、安く値切ったということですから。
 鎌田先生、今、日本から「当たり前のことを当たり前に感じ、当たり前に生きる」という、このこころが失われています。私は、そのこころを学生たちに伝えます。

 
 また、人を傷つける言葉が氾濫している現在を憂えて、こうも語っています。

 
(p36より引用) 古代日本では、ことばは「言霊」といって畏れ敬われました。ことばは、それを発した人に責任を負わせます。また、ことばはそれを使う人の人格を変えていきます。

 
 他方、鎌田氏の強い憤りは、小泉政権以降の社会システムにも向かいます。
 鎌田氏は、「一億総中流意識」だった中流の厚みのある資本主義社会を評価していました。

 
(p57より引用) 国の冷たい政策のため、ブアツイ中流が壊れ、たくさんの人たちが脱落していきました。一握りの超お金持ちをつくり出すために、かけがえのないたくさんの中流を崩壊させていきました。

 
 この点について、水谷氏も新自由主義的な思想には批判的です。

 
(p158より引用) 小泉さんたちの中に「やればできる」という発想がある。戦後の日本教育の一番の嘘、そして一番こどもを追い込んでいるのは「やればできる」だと思います。「できないのはお前が努力してないからだ」って。そうじゃない。人には個性があるんです。

 
 鎌田氏・水谷氏お二人とも、今の社会、特に子どもや若者を取り巻く社会の厳しさに大変な憂慮を抱いています。
 さらに、水谷氏は、子どもたちを追い込む大人たちもまた、社会の被害者なのだと思い始めたとのことです。

 しかし、お二人ともまだ今を見限ってはいません。
 鎌田氏はこう言います、「だいじょうぶ、まだ遅くない」。水谷氏もこう語ります、「だいじょうぶ、まだ優しさは残っている」。

 「だいじょうぶ」「いいんだよ」という言葉でどれだけの人々がホッと救われるのか・・・、自分自身の日頃の姿勢を省みるとてもよい機会となった本でした。 

 

だいじょうぶ だいじょうぶ
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2009-03-07

 
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い
 
TREview
TREviewブログランキング

人気ブログランキングへ

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨人、大鵬、卵焼き―私の履歴書 (大鵬 幸喜)

2009-11-20 23:39:28 | 本と雑誌

Taihou  祖父が相撲好きだったので、幼い頃一緒にテレビ観戦していました。
 その頃は正に「柏鵬時代」でした。確かに私も、横綱は優勝するのが当たり前、大鵬は勝つのが当たり前と思っていました。

 本書は、日本経済新聞の「私の履歴書」の欄で連載された戦後最強の横綱「大鵬」関の自伝です。
 今の時代とは隔絶の感がありますが、未だ変わらぬ大鵬氏の信念が語られています。

 
(p1より引用) 「巨人、大鵬、卵焼き」などと言われたときは「冗談じゃない」と思った。いい選手をそろえて強くなった巨人と、裸一貫、稽古、稽古で横綱になった私が何で一緒なのかと考えてしまう。

 
 大鵬氏の自負溢れる言葉です。
 この言葉にあるように、大鵬氏の修行時代の努力は凄まじいものがあったようです。
 幕下の時、大鵬氏は過酷な稽古が原因で手術・入院しました。先輩力士がつける当時の稽古は、それは酷いものでした。

 
(p86より引用) 入院の原因となったあのしごきともいうべき猛烈な稽古を考えた。自分のためになるとはいえ、あまりに度が過ぎてはいないだろうか。もっと合理的な稽古があっていいのではないのか。頭の中をこんな理念が渦巻いていた。しかし、退院するころは「何事も我慢だ。これくらいのことでへこたれていたら男と言えん」辛抱を貫く覚悟を決めた。

 
 正否ではない決心ですね。私なら別の結論を出したと思いますが、いかにも大鵬氏らしい姿です。

 大鵬氏の努力は常に「勝つため」のものでした。その大鵬氏についてまわった「勝つという宿命」は、やはり大きなジレンマでもあったのです。

 
(p103より引用) 私は師匠から、「お前はこうあらねば」と型にはめられる。「お前は勝つのが当たり前なんだ。負けるのがおかしい。お前は勝たなきゃいけないんだ」と徹底して言われ続けた。
 結局、冒険できず、自分の好きな相撲が取れないからそれが嫌で嫌でしょうがなかった。・・・
 柏戸関は性格もあっけらかんとして相撲も一直線。それに対して自分の場合はネチネチしたようなしぶとさが身上だ。
「絶対に負けられないんだ」
 そう思うと自然と勝つための慎重で防御型の相撲に向かわざるをえなかった。

 
 本書で、大鵬氏は、自らの地道な努力や苦労の数々も綴っていますが、同時に多くの人々のお蔭で成長し今の自分があるのだとも語っています。
 それは、母親であり、柏戸関であり、後援者の方々の支えでした。もちろん、その中でも師匠の影響は絶大でした。
 「大鵬の相撲には型がない」と批評されたとき、師匠の二所ノ関親方は大鵬氏に対してこう話しました。

 
 (p153より引用) 「お前には自然体という立派な型があるじゃないか。型にはまらないでどんな相撲でも取れる。それが大鵬の非凡なところだ。・・・型の上を行く、自然体で取れるのが大鵬の強みなんだ」

 
 この言葉を受けて、大鵬氏は、相手十分に対して自然体で応じ我慢を重ねて辛抱して勝つというスタイルを“大鵬の型”にしようと決心したといいます。

 本書と通して感じられるのは、まさにこの大鵬氏の「型」です。
 相撲界を大事に思いそれを通しての人格形成に価値を置いた考え方は、いろいろな評価を受けると思いますが、大鵬氏の信念は純粋です。
 本当に「純朴」な方なのだと思います。
 
 

巨人、大鵬、卵焼き―私の履歴書 巨人、大鵬、卵焼き―私の履歴書
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2001-02

 
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い
 
TREview
TREviewブログランキング
 
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知の構造化 (「課題先進国」日本(小宮山宏))

2009-11-16 23:16:55 | 本と雑誌

 小宮山氏は、20世紀に入っての「知の爆発」が生み出した「知の細分化」状況と、それと並走した「リアリティ喪失」状況に危機感を抱いています。
 そして、それに対する手立てとして「知の統合=全体像を把握する能力」の必要性を主張しています。

 
(p71より引用) 人類は、エネルギー問題、環境問題、高齢化、過疎化、巨大都市化といった基本的課題に直面している。しかし、それらはリアリティに欠ける。・・・全体像を把握する能力を回復することは、失ったリアリティを取り戻すために不可欠の条件なのである。

 
 小宮山氏は、細分化された知を統合化・構造化することにより、全く新しい価値を創造することを目指しています。こういう「細分化」から「統合化」へというプロセスは、最近流行の言い様では「創発」ということになるのでしょう。

 知の統合化・構造化を推進する主体のひとつに大学があります。
 小宮山氏が、東京大学で取組んでいる「学術俯瞰会議」や「学術統合化プロジェクト」はそれに向かった実際のアクションです。学者たちの姿勢が「専門分野への深化・収斂」と合わせて「他分野・学際への拡大・連携」に向かうことを期待したいものです。

 もう1点、小宮山氏が指摘している以下のような学者の議論の方法は、非常に参考になりました。

 
(p146より引用) エネルギー問題の議論は、理論値を計算する、現状を計算する、理論と現実の差を、技術として分析する。これが構造化された議論の方法である。・・・
 理論は、最も構造化の進んだ知である。

 
 理論は、事象の抽象化のためにあるのではなく、現実を技術で進化させる際の「目標(限界)」を指し示す「実践のための知」だということです。

 このような科学の進歩はもちろん望ましいものですが、同時に、小宮山氏はそういった時代に対する警句も発しています。

 
(p244より引用) 21世紀、科学技術の力は、さらに大きくなりつつある。人間は、文明の基盤たる地球そのものを、自らの活動の結果壊すことさえ可能である。・・・
 そうした意味で、21世紀は人類の意志が問われる時代に入ったといえる。人類の活動によって、よくもなるし、悪くもなるのだ。予測が重要なのではない。21世紀は意志の時代なのである。

 
 科学の驕りを諌め、人間の理性(意志)を重視する指摘です。
 
 

「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ 「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2007-09

 
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い
 
TREview
TREviewブログランキング
 
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フロントランナー (「課題先進国」日本(小宮山宏))

2009-11-14 20:17:30 | 本と雑誌

 小宮山宏氏の本は「地球持続の技術」に続いて2冊目です。

 先の本は、エネルギー・資源問題が主題でしたが、今回のスコープはもっとひろいものです。
 小宮山氏は、日本が、エネルギー・資源・環境・高齢化・少子化・教育等々・・・「課題山積」の国であることに積極的な意味づけを行います。

 
(p20より引用) それぞれ、その当時の先進国が、自国が直面した課題を解決することによって、結果として世界の課題を代表して解決し、歴史に残る偉業を成し遂げていったのである。
 日本がいま課題山積の先進国であるということは、日本がこの先の人類の地平を切り開く立場に立ったと捉えるべきなのである。それが、「課題先進国」日本ということの含意である。

 
 そういった「課題解決先進国」に日本がなるために必要な条件は、「自ら新たなモデルを創造するという気概」だと小宮山氏は説きます。

 
(p51より引用) 日本に欠けているのが、新しいことをゼロから始めるというメンタリティであり、それを促す社会の仕組みだと思う。アントレプレナーシップ(起業家精神)に富む人材が少ない。それを歓迎する世論に欠ける。また、失敗が許されないという風土では、ベンチャーはやりにくいことになる。・・・
 結局、日本社会全体が、課題解決の手段を外国に探すのではなく、自ら創造していくのだという気概を持っていない。日本全体がまだ途上国意識なのだと思う。まず、そこから変わっていかないと、日本は課題解決先進国になかなか向かうことができないだろう。

 
 フォロワーは、発生する課題も既知のものですし、その解決策もすでに示されています。
 他方、フロントランナーはそれとは全く異次元の環境に立ちます。アイデアの発想、ものごとに取組む姿勢、実行方法・・・すべてが未知のものです。従来の思考スキームを一変させなくてはなりません。

 
(p180より引用) 「薄い教科書がダメ、厚いのもダメ、中間に」ではなく、新しいものをつくるのだ。それがフロントランナーである。

 
 間をとった安易な妥協は通用しないと心得なくてはなりません。

 あと、もうひとつ、本書の中で興味を抱いたフレーズを覚えとして記しておきます。
 「教育」についての提言のなかでの小宮山氏のことばです。

 特に数年前、教育にも市場原理を導入すべきとの論が強く主張されたことがありました。
 この考え方に対して、小宮山氏は否定的です。

 
(p194より引用) 教育を受けるのは基本的権利であるし、それは個人の能力を精一杯引き出すためのものだから、社会もコストを負担するという考え方が前提にあるのだ。・・・
 例外はビジネススクールである。・・・これは、教育機関というより株式会社の延長として、例外と考えたほうが、教育問題の本質を理解しやすい。教育に市場原理を導入せよと主張している人々には、ビジネススクールの出身者が多いように思う。そうした方の経験は教育の主体を反映していない。教育機関として例外なのだと考えていただくほうがわかりやすい。

 
 ある一つの行動の結果が「遠い将来」に影響を及ぼすような場合、そういった類の課題解決には、「市場原理に基づく自律性」は有効に機能しません。市場原理はその性格上、短期的な結果や即効性のある行動を重視するよう動機づけられているのです。
 他方、まさに「教育」は「国家百年の計」です。

 近視眼的な教育機関の選別(淘汰)は、長い目で見た場合「教育基盤の弱体化」をもたらすものだとの考えです。

 http://jp.youtube.com/watch?v=jNdN3TObKtg

 

「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ 「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2007-09

 
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い
 
TREview
TREviewブログランキング
 
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教養としての大学受験国語 (石原 千秋)

2009-11-10 23:03:03 | 本と雑誌

 タイトルが気になったので手にとってみました。
 まさに、実際の入試問題を読み、回答を考えるというプロセスを辿るという変わった形式の新書です。
 現代国語の入試攻略本のようでもありますが、内容は、人文・思想関係の文章を解釈しその主張を理解することを目的にしているので、現代思想の入門書のようでもあります。したがって、想定されている読者は受験生に止まりません。大学生や社会人もターゲットです。

 まず、著者は、本書の目的をこう語っています。

 
(p13より引用) この本の読者には、批評意識を持ってもらいたいのである。
 では、それを実践するためにはどうすればよいのか。それは、現代文を信じすぎないことだ。・・・それは、現代文に対して自意識を持つことだ。自意識を持つということは、ある文章を読解しながら、もう一方でその文章を相対化することである。では、どうすればそのような自意識が持てるのか。思考のための座標軸を持つことだ。そして、その座標軸の中に文章を位置づけることだ。

 
 ここでの座標軸の立て方の基本はいたってシンプルです。
 「二項対立」を表した座標上に論者の主張をプロットするのです。

 
(p26より引用) その文章の主張が二項対立のどこに位置するのかを見極めることは、評論を主体的に読むためにはぜひ必要なことなのだ。そのことで、評論との距離が持てるからである。そして何よりも、こういう単純な見取り図が、評論の理解を早める。

 
 対象となる文章の著者の考えを二項対立の座標軸上にマークすれば、それを挟む両サイドからその思想を眺めることができます。そういった多面的な視点を意識して取り入れることにより、自分自身の考え方を組み上げていくことができるのです。

 別の言い方をすれば、多くの評論はこの「二項対立」の図式を基本形として立論を進めているということにもなります。
 たとえば、以下のような論旨の表明がそれにあたります。

 
(p245より引用) 〈日本の近代国家は、「公共性」が確立する以前に、国家という「共同性」を性急に作ってしまったから、いまだに「本音」と「建前」に引き裂かれた二重構造が解消されないのだ、というか、利益共同体内部でしか通用しないはずの「本音」が何よりも重要視されてしまう〉というのが加藤の結論である。

 
 以上のような「二項対立を利用した思考方法」の説明以外にも、本書では、さまざまな現代批評文が紹介されています。
 その中から興味深いものとして、「ポストモダン思想の特徴」についてのフレーズを書き留めておきます。

 
(p178より引用) 上野千鶴子が「真理」ではなく「妥当性」を現代社会(民主制)の政治思想を支える基本原理と見なしたように、岩井克人は「商品」ではなく「広告」を現代社会(資本主義)の経済思想を支える基本原理と見なしたのである。実体のあるものからふわふわした記号へという流れが、ポストモダン思想の特徴である。バブリーと言えば確かにバブリーな思想で、不況とともに去る運命にあった。世の中は、いま情報という新たなモノに活路を見いだそうとしている。人文科学も、カルチュラル・スタディーズという情報産業に参入したところだ。

 
 バブリーといえば、確かに一時期、糸井重里氏や川崎徹氏といったコピーライターが脚光を浴びた「広告ブーム」の時代がありましたね。

 さて、本書、(冒頭のコメントの繰り返しになりますが、)「現代国語」の大学入試問題を材料にした現代思想の概説書と捉える人もいれば、現代思想の基礎知識を活用した「現代国語」の入試対策本と考える人もいるでしょう。

 企画としては面白い趣向の本ですが、入試対策本としてはちょっと難解だと思います。
 本書を読解できる受験生であれば、現代国語はかなり得意な生徒でしょう。逆に、現代思想の入門書だとすると断片的で体系的整理に欠けると言わざるをえません。
 残念ながら私には、「二兎を追うもの・・・」という印象が残りました。
 
 

教養としての大学受験国語 (ちくま新書) 教養としての大学受験国語 (ちくま新書)
価格:¥ 903(税込)
発売日:2000-07

 
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い
 
TREview
TREviewブログランキング
 
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新忘れられた日本人 (佐野 眞一)

2009-11-07 13:38:55 | 本と雑誌

 本書は、同名のタイトルで2008年から2009年にかけて「サンデー毎日」に連載された文章を1冊にまとめたものです。
 宮本常一氏の名著「忘れられた日本人」に大いに触発されたノンフィクションライター佐野眞一氏が、現代の「忘れられた日本人」を辿ります。

 最初に登場するのは、無着成恭氏の「山びこ学校」にまつわる人々です。

 
(p31より引用) 野口の先鋭な問題意識によって編まれた『山びこ学校』は、永井のヒューマニスティックなルポにつつまれることによって、広範な読者を獲得していった。

 
 それに続いて、中内功(正しくは土へんに刀)氏・江副浩正氏といった経済人、小渕恵三氏・春日一幸氏・石原慎太郎氏ら政治家、その他興行関係や野球人・・・と様々が人物が採り上げられていきます。
 ただ、正直なところ、期待していたものに比べるとちょっと物足りない内容でした。週刊誌の連載ということで、それぞれのエピソードもほんの触りだけのダイジェスト程度です。

 もちろん、本書で紹介された何人かの方々については、佐野氏による単行本が出ています。私も以前、ダイエーの中内氏を描いた「カリスマ」を読んだことがあります。佐野氏のことですから、この「カリスマ」の執筆時と同じく、ほとんどの対象に対してはもっともっと詳細な取材がなされているのだと思います。そういった堆積した事実の厚みが十分に発揮されていないように感じられるのは、とても残念ですね。

 宮本常一氏が「忘れられた日本人」で描き出したのは、全国津々浦々を踏破する中で出会った山村・漁村・市井の人々でした。そこで掘り起こされ書き留められたのは、まさに「普通の人々」の暮しであり当時の世相そのものでした。

 それに対して、本書で佐野氏が紹介する人々は「特別な人々」です。特別な人が登場する背景には同じくそのときの時代があるのですが、主人公は宮本氏が大事にしたような生活者ではありません。

 一見コンセプトが似ている両書ですが、著者の立ち位置や視点は全く異なります。
 本書を宮本常一氏の「忘れられた日本人」と同じジャンルの著作として並べるのは、どうも相応しくないようです。
 
 

新忘れられた日本人 新忘れられた日本人
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2009-07-18

 
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い
 
TREview
TREviewブログランキング
 
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アガメムノーン (アイスキュロス)

2009-11-04 23:48:09 | 本と雑誌

Troia  アイスキュロス(Aischylos 前525?~前456)は、古代ギリシャの劇作家で、ソフォクレス、エウリピデスと並ぶアテネの生んだ三大悲劇詩人です。

 アイスキュロスは高校時代の世界史で必ず登場する名前ですが、今まで実際、彼の作品を手に取ったことはありませんでした。
 今回読んだ「アガメムノーン」は、彼の代表作のひとつです。

 ストーリーは、我が子を戦争の犠牲にされた王妃クリュタイメーストラーと、自分の父親が悲惨な仕打ち受けたアイギストスが共に計って実行したアガメムノーン王の暗殺事件を描いたものです。
 作品半ばでの、凱旋し意気揚々たるアガメムノーンと恨みを隠したクリュタイメーストラーとの心理的にすれ違った対話、また、終盤に至るにつれて緊迫感が増していく役者たちの台詞回しや歌唱の盛り上がりは、私のようなズブの素人が読んでも唸るところがあります。
 とても今から2500年近くも前の作品とは思えません。
 もうひとつ、合唱隊の長い台詞のなかにこういうくだりがあります。

 
(p43より引用) このように家のうちや、竈のへりの苦悩もさることながら、
それよりもさらに険しい苦しみが、いま目のまえに。
見わたせばギリシア全土、遠征軍の兵士らの故郷には、
胸をおさえて悲哀に堪える女の姿が
あの家にも、この家にも、はっきりと影をおとす。
ひっきりなしに訪れる、断腸の悲しみなのだ。
親しいものらを見送ったのに、
おのおのの家もとに帰ってくるのは、
骨壺と灰、人でなくて。

 
 この物語の舞台となったトロイアーとの戦争は、為政者の私恨から始まり、その私闘の中で生じた私怨がもとで、その為政者は無残な死に至りました。さらに、暗殺者たる王妃は自らの息子の手で復讐されるのです。皮肉な結果ではありますが、戦いの端緒を開いた王家にとっては、自業自得の結末ともいえます。

 しかし、私恨による戦争のために思いもよらない不幸を蒙ったのが、その国の、そして相手の国の罪なき市民でした。まさに理不尽な仕打ちそのものです。

 
(p44より引用) 雄雄しい人の、みるかげもない骨灰で
粗末な壺を、ふちまで満たして。
人びとは、声を呑み呻く、-
褒め言葉には、あれは戦の手だれ、
これはあっぱれ勇士の最期、とはいうが、
-もとをただせば、他人のものである女の奪い合い。
この思いはだれしもが、口をとざしたまま叫んでいる、・・・

 
 当時のギリシア市民たちの目には、この劇はどう映ったのでしょう。
 単なる王家を舞台にしたサスペンスドラマと観た人は少なかったはずです。多くの人々は戦争の愚かさ・悲惨さを感じ、作者の戦争批判のメッセージを感じとったことでしょう。

 解説によると、「アガメムノーン」は「コエーポロイ」「エウメニデス」と続く三部作の第一作目とのこと。アガメムノーン王の暗殺で終わっていて、その後、「コエーポロイ」で息子オレステースの仇討ち、「エウメニデス」でオレステースの裁判と物語りは進むそうです。

 紀元前5世紀にこういう重層的な演劇作品が作られ、多くの市民の前で上演されていた・・・、何とも素晴らしいことだと思います。
 
 

アガメムノーン (岩波文庫) アガメムノーン (岩波文庫)
価格:¥ 588(税込)
発売日:1998-10

 
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い
 
TREview
TREviewブログランキング
 
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする