かなり以前に読んだ内田康夫さんの“浅見光彦シリーズ”ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら“浅見光彦シリーズ”の制覇にトライしてみようと思い始ました。
最近、第1作目の「後鳥羽伝説殺人事件」、第2作目の「平家伝説殺人事件」と、内田さん単独での最後の完結作「遺譜」は読んだので、その間の作品を時系列に沿って埋めていくことになります。(ちなみに、内田さんのシリーズとしての絶筆は「孤道」のようですが、この作品は内田さんの筆としては完結していないので、私のチャレンジは「遺譜」までにします)
シリーズ3作目の本作「赤い雲伝説殺人事件」の舞台は山口県の“寿島”。その島自体は実在のものではなく、モデルとなったのは“祝島”とのことです。
ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、この作品はシリーズの中でもかなりの力作だと思います。モチーフ自体はありがちな地域利権にまつわる政治の世界ですが、犯行の動機に“特別なメッセージを含んだ絵画” を絡めた構成は秀逸でした。
さて、本作を皮切りに取り掛かってみた“浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら”です。
次は「津和野殺人事件」ですね。
2011年公開のアメリカ映画です。
出演者にビッグネームはひとりもいませんし、大きな話題性になるようなエピソードもない作品ですが、ストレートに観る人の優しい気持ちを呼び起こしてくれます。素直にいい映画だと思います。
作りも丁寧ですね。主人公と老紳士が歩く公園のシーンは穏やかでとても美しく、この作品のテイストを象徴しているようです。
“ほのぼの系”は邦画の得意なジャンルですが、こういった“良質の説教系”はやはり洋画の方が一枚も二枚も上手ですね。
いつも聴いているピーター・バラカンさんのpodcastの番組に著者の鴻上尚史さんがゲスト出演していて、本書の紹介をしていました。
20年以上にわたって鴻上さんが「週刊SPA!」に連載していたコラムから、これはという作品を選りすぐって書籍化したものとのこと、通底するテーマは「人間」です。
執筆当時ならではのエピソードもあれば今でも相変わらずといったネタも並んでいて、とても興味深いのですが、それらの中から私の関心を惹いたところを書き留めておきます。
まずは、演出家蜷川幸雄さんが主催する「ニナガワ・スタジオ」というグループに所属している若者たちを見て鴻上さんが感じ、考えたこと。
(p178より引用) この試練に耐えられない俳優志望者は当然、脱落していきます。そこでまず「才能とは夢を見続ける力のことですよ」という僕の言葉の事態が起こります。
俳優の才能なんてものがあるのかないのか分からない。でも、とにかく「夢を見続ける力」が問われる。それを才能と呼ぼうと。
「夢を見続ける」こと、そこには“強い意思と弛まぬ行動”があります。それをどこまで続けられるか。「才能がない」と悟るのは「続けられなくなったとき」ということでしょう。
鴻上説では、“才能の有無”は“(続けられたかどうかという)結果” であって、“あきらめない心を持ち続けられる”のが “才能” であり、その意味において “才能は成功の要因になる” ということのようです。
もうひとつ、鴻上さんが手掛けているオープンキャンパスでのエピソードです。
神戸で開いたオープンキャンパスの参加者に「進行性筋ジストロフィー」を患った車椅子の方がいました。二日間のプログラムが終わっての交流会の席上、車椅子の彼女も交えた参加者と鴻上さんとの会話です。
(p163より引用) 一人が、役者を続けていくことが不安だと語りました。「人生ってのは、そういうもんだよ」と僕は年寄りじみたことを言って、彼女を見ました。
彼女は、「生きていくことが、それだけで大変ですから」と返しました。
決して、深刻なトーンではありませんでした。軽いけど重く、修羅場の中で青空を見上げているような声でした。
「それぞれ、そういうセリフを僕は、君の一人芝居で聞きたいんだよ」と僕は言いました。「そうですね。分かります」と彼女は微笑みました。
彼女が参加してくれたことは、僕にとって、とても幸福なことでした。
心に染み入る素晴らしいやりとりですね。こういう瞬間を大切にしたいものです。
力いっぱい残念な作品です。
無医村の診療所で孤軍奮闘した医者であり歌人としても活躍したという主人公のモチーフはとてもインパクトがあるのですが、それが映画として描かれると全く響きませんでした。
プロット自体が貧弱なうえにシナリオも演出もどれも今ひとつでしたね。キャスティングについていえば、役者さんたちの技量というよりそもそも役柄と持ち味とのミスマッチです。
ともかく、こういった実話にもとづいた作品の場合、時代感や生活感といった最低限のリアリティが感じられないのは致命的です。
いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。
著者の鎌田浩毅さんの本は今までに「世界がわかる理系の名著」「一生モノの勉強法」を読んでいます。京都大学名誉教授というタイトルのわりにはちょっと規格外的な鎌田さんの雰囲気に惹かれて、この本にもトライしてみました。
私は、高校時代 “文系” だったので授業で習ったのは「化学Ⅰ」と「生物Ⅰ」だけ。「地学」は履修していません。もともと小さいろから「宇宙」には興味があったのですが「地球科学」は完全に門外漢で超素人です。
鎌田さん流の解説を正しく理解しているか大いに気になりつつも、新たな知識やエピソードの中から私の関心を惹いたところをいくつか書き留めておきます。
まずは、“地学”からみた「地球温暖化」の捉え方について。
“長尺の目”からのスコープでみると今日の危機的といわれている状況はまた別の評価になります。
(p122より引用) さらに、地球を数十万年という地質学的な時間軸で見れば、現在は氷期に向かっている。・・・すなわち、現在は寒冷化に向かう途上の短期的な地球温暖化かもしれないのである。
もちろん地球温暖化がこのまま急激に進行すれば、BISが警告するような対策が必要だ。一方、地球の歴史を長期的に見ると、自然界にはさまざまな周期の変動があり、現時点の予測が大きく外れることも考慮しなければならない。国際政治や経済に振り回されることなく、地学の目で捉えるからこそ見えてくるものもある。
確かに、気候変動(温暖化・寒冷化)に影響を与える要因は「二酸化炭素の増減」以外にも自然界には「火山」「太陽」「地球(自転・公転・地軸)」等々いろいろな要素があるんですね。
原因を極小化/限定化してしまって他の要因を捨象してしまうような議論は「科学的」とは言えませんね。確かに気をつけなくてはなりません。
こういった有益な指摘の他にも、さまざまな気づきがありました。
たとえば “月” について。「月の誕生」のプロセスは既知の学説でしたが、その「月が影響を与えた地球環境や動植物の生態」とかはとてもダイナミックで初めて知る面白い解説でした。
また、「地磁気が宇宙線(太陽風)から生物を守っている」という事実は私にとっては新たな知識でした。磁気圏が地球を覆ったことで、生物が深海から栄養分豊富な浅海へ、さらには地上にも進出できたというのです。
(p48より引用) もし地球上に地磁気がなければ、生物は現在のように高度に進化することはできなかっただろう。生命を育む貴重なバリアが地球深部の動きによって作られたように、地球上の現象ではたくさんの要因が相互に影響を及ぼし合っている。
生物の生存環境を理解するためには、地球内部を把握する視点が重要である。このように現代の生命科学は地球科学とも密接に結びついているのである。
なるほど、学問相互の関わりは、知れば知るほど拡がりと深まりが増していき興味が湧きますね。
さて、本書を読んでの感想です。
“地学”というジャンルで扱われるテーマや現象が、私たちの「日常生活」にとても身近なものとして影響を与えている実態がとてもよく分かりました。これは、おそらく “地学” に限らず、「化学」「物理」「生物」といった高校レベルの“理科系科目”には共通のことなのでしょう。
今の社会を鑑みるに、こういった「基礎的な理科系学問の知見」を「現代社会や生活における課題解決」に活かすという真っ当な姿勢が、あまりにも軽んじられているように感じてなりません。一言で言えば “「反知性主義」の蔓延” です。“無知な大声” にかき消されてしまう、それは恥ずべきことだと思うのですが、どうにもそれを指摘したり話題にしたりすることですら、まともに受け止められないところにまで “社会の劣化” が進んでいるようにも感じてしまいます。
それゆえに、本書のような啓蒙書の存在意義は大きいのです。鎌田さんの解説も素人分かりする丁寧なもので、私レベルですら多くの気づきが得られた有益な著作でしたね。