OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

仕事。 (川村 元気)

2016-11-20 20:11:00 | 本と雑誌

 通勤途上で聴いているpodcastのバックナンバーで著者とともに紹介されていた本です。ちょっと興味をもったので手に取ってみました。

 著者自身も有名な映画プロデューサーですが、その12人の対談相手のラインナップもすごいです。山田洋次、沢木耕太郎、杉本博司、倉本聰、秋元康、宮崎駿、糸井重里、篠山紀信、谷川俊太郎、 鈴木敏夫、横尾忠則、そして坂本龍一
 どの方との対談もとても興味深いものですが、その中から私の印象に残ったやりとりやフレーズを書き止めておきます。

 まずは、倉本聰さん。フリーの脚本家となってNHK大河ドラマの制作に関わりましたが関係者との意見の衝突により途中降板、それが契機となって北海道に移住したのだそうです。


(p86より引用) 倉本 でも、そんな暮らしの中で、東京でちやほやされていた時代は業界の人間としか付き合っていなかったなと気づいたんです。そのことに愕然とした。利害関係かある人とだけつるんで、何をインプットできていて、どうしてものが書けていたんだろうって、急にものすごく不思議に思ったんですよ・・・
川村 ・・・東京だけにいると、いわゆる同業の仲間と価値観が似てきてしまう。物事の正解、不正解が同一化してしまうことが気になっています。
倉本 そういう意味では僕は北海道に来てから、新聞を取ってないんです。新聞は字で出来事を解釈するから、記者の主観や論評が人るんですよ。事件が別の形でインプットされて、答えまで書かれちゃう感じがある。でも、テレビは画で見せてくれるから、正解を自分で考えて判断しなくちゃならない。


 私はほとんどテレビは見ないのですが、確かに「画面」だけを取り出すと、判断力の修養になるんですね。

 もうお一人、写真家の篠山紀信さん。篠山さんが語る創作の動機は予想外のものでした。


(p179より引用) 僕は褒められたくて写真を撮っているってことですよ。(笑)。このメディアの読者にどういうものを返したら喜ばれるのか、そこを考えるわけ。自分がやりたい作品をつくってるわけじゃないんだから。・・・
スランプになる人はオリジナルをつくってるからじゃないの?あと、スランプだろうがなんだろうが、撮り続けるとかやり続けるってことが重要なんだと思うね。


 オリジナリティに対する考え方は、いろいろなジャンルのクリエーターの方々によって様々です。

 音楽家坂本龍一さんは「クリエイティビティ」についてこう語っています。


(p262より引用) 川村 でも、白い紙に思いついたことを思うがままに塗りたくるのがクリエイティブだと言う人も・・・
坂本 それはだめだな。勉強するってことは過去を知ることで、過去の真似をしないため、自分の独自なものをつくりたいから勉強するんですよ。本当に誰もやっていないことをやれるかどうかという保証なんかなくても、少なくともそこを目指さないと。


 「クリエイティビティ」は、何もないところからいきなり現出するものではない、そこには過去を学ぶという努力が必要で、坂本さんにとって過去を学ぶ意義は「新たなものを創り出すためにある」のです。

 さて、12名の強烈な個性をもつ方々との対談は、同じような世界で仕事に取り組んでいる著者にとっても大きなインパクトを与えました。
 本書のあとがきには、著者の所感が縷々綴られていますが、その中で、対談相手のすべての方に発した共通の問いが紹介されています。


(p276より引用) 「仕事で悩んだとき、辛いとき、どうやって乗り越えましたか?」
真似ることで学ぶ、素人であり続ける、自分の原体験に向き合う、無理をしてでもやる、間違うことをよしとする、自分の目で物を見る、どう生きるかを面白くやる、世界を受容する、共通無意識にアクセスする、野次馬的にやる、崩落した先に道を見つける、オリジナルであるために学ぶ。
誰もが、自分なりの方法を見つけ、その壁を乗り越えていた。


 対談の対象として本書に登場している方々は、芸術家や作家といった(私たちからみて)特別な世界の人であることは否定できません。しかしながら、そういった方々にも不遇な時期がありました。この彼らの一つ一つの言葉には、普通のビジネスパーソンにも当てはまる“立ち上がるための思考・行動の基本型”が示されているように思います。
 謙虚な姿勢で外部性を受け入れ自らの原点に戻る、そこから改めて前に進み始めるということでしょうか。

 

仕事。
川村 元気
集英社
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大人の極意 (村松 友視)

2016-11-13 23:31:07 | 本と雑誌

 いつも行っている図書館の新着図書の棚で目に付いたので手に取ってみました。
 村松友視さんお得意のエッセイ集です。テーマは、歳を重ねた“大人”の魅力ですが、その中身は村松さんの多彩で豊かな交遊録でもあります。
 そいった中で、特に私の印象に残った方との絡みの場面を書き留めておきます。

 お一人目は作家吉行淳之介さん
 若いころ、村松さんが中央公論社の文芸誌で担当をしていた縁で吉行さんとのお付き合いが始まったそうです。そのころから吉行さんは、作家と編集者を上下関係で考える人ではなかったとのこと、村松さんが物書きとして活動をし始めたころのエピソードです。


(p40より引用) 会社を辞め同じ物書きの立場になってみれば、頂上近くにいる吉行さんに、まだ登山口でウロチョロする私が、それまでのように気楽に電話などかけられるはすもない。しかし、吉行さんとの縁が切れるのは寂しい・・・会社を辞めて二週間くらいたち、泣き別れる二つの気持が爆発寸前になろうとしたとき、不意に電話が鳴った。電話の向こうで、なつかしい吉行さんの野太い声がひびいた。
 「あのさ、吉行だけどさ、会社辞めても電話かけてきていいんだぜ」
 この野暮な仕切りにならぬ大人の粋な気遣いのセリフに、八丁掘のダンナはモテるはずだと、私は受話器を耳に当てたまま、しばし茫然としていたものだった。


 なるほど、これはちょっと痺れるアプローチですね。

 こういったちょっと気になる大人の振る舞いを書き連ねた本書ですが、村松さんが幼いころ大人の世界だと感じたのが“噺家”の姿でした。特に、高座への“出”、さげの後の“入り”に一流芸人の虚実の切り替えを見、そこに噺家の格を感じていたといいます。
 そこに登場するお二人目は、三代目古今亭志ん朝師匠です。


(p182より引用) 十五年近く前に亡くなった古今亭志ん朝さんからも、私はそんな“虚”と“実”が綯い交ぜとなった大人の魅力を感じていた。・・・“取り”をとったときの「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます」 と、太鼓にのって弾んだ調子ながらも実に熱くない表情のご挨拶をし、幕が下がる直前で立ち上がるとき、ちらりと垣間見えるニヒルな横顔も、私にとってはじっと見とどけたい、心惹かれる見せ場だった。


 「実に熱くない表情のご挨拶をし」という表現は至極的確ですね。こういったそれまで立てていた観客をいきなり突き放したような「冷めた瞬間」もなかなかいい味わいなのです。
 当時、志ん朝師匠と双璧と謳われた2代目桂枝雀師匠もまさに同じような感覚を抱かせる噺家でした。本編のハイテンションな話しぶりとの落差にはゾクッとするものがあります。寂しいことに、今、こういった風情の芸人さんにはとんとお目にかからなくなりましたね。

 

大人の極意
村松 友視
河出書房新社
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弱さの思想 : たそがれを抱きしめる (高橋 源一郎/辻 信一)

2016-11-06 21:55:20 | 本と雑誌

 ちょっと気になるタイトルの本ですね。
 内容は、「弱さ」をテーマに、作家の高橋源一郎氏と文化人類学者の辻信一氏が語り合った対談を採録したものです。
 現代社会の潮流へのアンチテーゼとして、とても興味深い指摘がお二人の会話の中から湧き出てきます。そのいくつかを覚えとして書き留めておきましょう。

 まずは、フィールドワークとしてお二人が訪れた「祝島」の話。
 祝島は瀬戸内海に浮かぶ小島で、島民は対岸の上関原に予定される原子力発電所建設に長年反対運動を繰り広げているのですが、辻さんは、その過疎と高齢化の島の暮らしが「持続可能な未来のひな型」なのだと語ります。


(p70より引用) 離島は、発展という面から見ると非常に不利だと見られてきた。なぜなら中央への依存度を増していくのが開発であり、発展であり、依存すればするほどいいみたいに考えられてきたから。・・・でもそうしていると、世の中に大きな変化が起こったときに真っ先にだめになっちゃうんです。・・・小さいからこそ、遠くて不便だからこそ、つまり「弱い」からこそ、逆にいろんなことが可能であるという例です。


 自給自足の生活はいざというとき強い、小さなコミュニティならではのセーフティネットが自然に機能している、お二人が指摘する「弱さの強さ」です。そして、さらに辻さんのコメントは続きます。


(p71より引用) ぼくは、3.11後に「シフト」という言葉が盛んに使われたとき、「絶望が足りない」って思ったんですよ。福島の絶望的な事態をしっかりと受け止めきれないからこそ、シフトすればなんとかなるっていう考え方が出てくるんじゃないかって。絶望を、敗北を抱きしめる前に、もうさっさと希望を語りはじめる。そういうふうに語られるシフトって、たいがい技術的なことなのね。ぼくたちはこれまで、いつでもシフトが可能であるかのように生きてきたから、原点までもどって見直すということがしにくいし、苦手なんです。


 本書でのお二人の仕事ぶりは、こういったフィールドワークに基づく指摘の明晰さに表れていますが、さらにそれを伝える言葉使いも見事だと思います。「絶望が足りない」「絶望を抱きしめる」という言い回し、こういった表現で語られる謙虚な心の在り様は今はまったく失い去られているようです。


(p78より引用) 人類とともに、分かち合いが始まったという考え方がある。・・・それが人間になって発達する理由はなんなのか。それはまあ、唯物論的に言うと、飢えをしのいでいく生存の方法だと言えるわけだけど、ぼくの好きな考え方は、「それが心地よいから」ということ。人間の快の感覚が刺激されて、分かち合うことによってつながったり仲良しになったり、いい雰囲気がパッと生まれてきたり、ということのほうに注目したいんです。これが人間がもともともっている「弱さ」をある意味逆手にとって、自分たちを人間的な存在へと押し上げた、「弱さの強さ」のひとつの例かもしれない。


 ホモ・エコノミクスが求める経済合理性とは全く異質で対極にある考え方ですね。
 お二人が話されているように、3.11の未曽有の大災害のあとの無心のボランティアのみなさんと被災した方々との間に生まれた心の交流は、まさにこういったものだったのでしょう。

 もうひとつ「弱さ」に関するトピックとして私が面白いと感じたのは「ゴリラ」の進化についての話でした。
 霊長類学者の山極寿一さん(現京都大学総長)によれば、ゴリラは「負けない」という特徴を進化によって身につけたのだそうです。「負けない」は「勝たない」であり「勝ち負けをつけない」ということです。決定的な対立や暴力的な衝突を避けるためのひとつの知恵です。


(p161より引用) 「弱さの思想」というのは、あえて勝たないという考え方。「勝たないし、負けない」。「勝ち負け」そのものを超えることではないかな、と。これは人類の最初からの根源的な知として、我々に備わっていたのではないかとも思うんです。


 さて、本書を読み通しての感想ですが、とても刺激的でしたね。お二人の語り口はいたって穏やかなのですが、その「視座の転換」を求める主張にはとても強烈なインパクトを感じました。高橋源一郎さんも辻信一さんも若いころは思想的にも行動的にも“過激”であっただけに、そのお話には迫力を内に秘めた説得力がありますね。

 

弱さの思想: たそがれを抱きしめる
高橋 源一郎,辻 信一
大月書店
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