たまたま、となりの自治体の図書館に寄った際、新着図書の棚で目についた本です。
この手の内容の本はいくつもありそうですが、編者の山田七絵さんが開発途上国の専門家(アジア経済研究所新領域研究センター環境・資源研究グループ研究員)だということで、よくある奇を衒ったものとはちょっと違った感じではないかと興味をもって読んでみました。
そういえば本書は、私がいつも聞いている大竹まことさんのpodcastの番組に以前山田さんがゲスト出演したとき紹介していましたね。
ともかく私にとっては初耳の情報が満載で、それらの中から特に印象に残ったものをいくつか書き留めておきます。
まずは、ラオスの「カブトムシ」。
(p66より引用) 首都ヴィエ チャン郊外には、野生動物や昆虫を豊富に取り揃えるドンマカーイ市場がある。そこで友人がカブトムシの雄の成虫を購入し、職場に持ってきた。カブトムシの羽はむしられ油で素揚げされており、塩コショウをつけて胴体部分のみを食べるという。さすがにカブトムシの成虫が出されたときには躊躇した。子どものころに捕まえていたカブトムシを食べ物とは思っていなかったからだ。
カブトムシのツノは、胴体を食べるときの「持ち手」としてちょうどいいのだそうです・・・。分かりますが、だからといって食欲が湧くものでもないですね。
次は、タイの食事の説明。
(p75より引用) 村での食事は、基本的にもち米と野草のような野菜、タンパク源として魚(淡水魚)とカエル、オタマジャクシ、トカゲなどの両生類・爬虫類、そして虫である。
とてもシンプルで分かりやすい表現ですが、「カエル」以下はちょっと勘弁ですね。
こういう感じで紹介されている珍しい“食文化”はその土地ならではのものですが、その国の食文化が外圧の強制により歪められた例もありました。キューバがそうです。
(p198より引用) 17%程度しかないキューバの食料自給率の低さは、社会主義革命のせいだけではなく、植民地時代のモノカルチャー経済からくる。砂糖やタバコをスペインや米国に輸出し、国民のための食料はこれらの国々から安く輸入されていた。・・・暑いキューバでは生産が難しい小麦を使ったパンが、コメに次ぐ主食になっているのはこのためである。
また、観点を変えた気づきとしてですが、いつもは研究に没頭している所員の方の思いがけない名文も面白いものですね。
「イギリス レストランに関する進化論的考察」とタイトルされた項で、ロンドン在住時に経験した「2000年代初頭のイギリス料理」について語ったくだりです。
(p149より引用) このとき、イギリス料理について発見したひとつの法則がある。それは、料理名が「調理法+素材」のものは大丈夫、というものだ。「ベイクド+ビーンズ」や「フライド+フィッシュ」などがそれにあたる。これはつまり、調理がワンステップを超えると途端に素材が不味くなるということを意味しており、イギリスにおける調理が、新鮮で豊かなイギリスの食材の味や食感を破壊するプロセスであるという悲しい現実に、心を痛めずにはいられなかった。
さて、本書を読んでの感想です。
基本的には「アジア経済研究所」の研究員の方々による「食」を切り口にした“異文化レポート”といったテイストのエッセイで、各人の現地愛がこもった文章には大いに感じ入るところがありました。
また、それぞれの料理の紹介にあたっては「カラー写真」も豊富に掲載されています。
こちらは直接視覚から脳ミソに刺激が飛んできて、小さいながらもインパクト十分なのですが、「昆虫食系」と「〇〇の丸焼き」の類はちょっとキツイですね。
養老孟司さんと伊集院光さんの対談本です。
いつも聞いているピーター・バラカンさんのpodcastの番組で伊集院さんがゲスト出演したとき紹介していたので、気になって手に取ってみました。
昨今の新型コロナ禍に対する日本人の行動様式を語る際、“同調圧力”とか“世間”といった言葉を目にすることが多くなりましたね。
そのわが国において隠然たる影響力を持つ“世間”との折り合いのつけ方を、まさに世間とのズレを自覚している養老さん伊集院さんのお二人が語り合った本です。
予想どおりなかなか面白いやりとりが交わされていましたが、その中から特に印象に残ったところは養老さんによる「あとがき」に書かれたくだりでした。
(p181より引用) 世間とのズレが仕事の動機にもなり、努力の源になる。私は長年そう感じてきたが、今度の対談で伊集院さんもそうだったかと、あらためて知った。なにも世間に受け入れられようとして全面的に努力するわけではない。世間とどう折り合うか、それを苦心惨憺して発見していくのである。
世間とは「社会の正統」だと養老さんは語っていますが、その世間と真っ向から戦ってもリソースの差で勝ち目はない、かといって完全に折り合ってしまうと“自分”というものがなくなってしまう。養老さんや伊集院さんは、その間で世間と折り合いをつけながら生きてきているということのようです。
そして、お二人は「ズレ」ている、すなわち世間と完全に迎合していない分 “真っ当な批判精神” を持ち続けることができるというわけです。
いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。
著者の武田砂鉄さんの本はちょっと前に「マチズモを削り取れ」を読んでいます。
なかなか面白い感性をお持ちのように感じたので、この本にもトライしてみました。こちらは、かなり“くだけた”エッセイ集です。
ビジネス雑誌に連載したものの再録とのことで、正直なところ、合う合わない、多種多様、玉石混交な内容です。とはいえ、ここで部分的であってもその内容を紹介してしまうと、これから手に取ってみようという読者のみなさんの楽しみを奪ってしまうことになりますから、私の感性と同期したくだりをひとつだけ書き留めておきます。
(p223より引用) 何かをするよりも、何かをしないほうが好きなのは、そっちのほうが頭の中が楽しくいられる、と信じ込んでいるからなのだろう。
街には、ぼーっとベンチに座っている老人がいる。何を考えているのだろう。その前に、仲間たちと歩く老人グループが通りかかる。ベンチに座っているほうが楽しそう、と自分は思うのだ。
で、本書を読み通しての感想です。
この手のテイストのエッセイもオリジナリティのある切り口でなかなか面白いのですが、正直なところ、私とは今ひとつ“波長”が合いませんでした。
武田さんには、やはり現代社会で横行している“なにか変、これはダメでしょう”といった事象を取り上げて、そこを切り裂いていくような鋭いメッセージの発信を期待したいですね。
すべての従来型メディアが批判精神を忘れて機能不全に陥っているなか、武田さんのような尖がった突進力を発揮できるキャラクタはとても貴重だと思うので。
いつも聴いている茂木健一郎さんのpodcast番組に著者のキリーロバ・ナージャさんがゲスト出演していて、本書の紹介をしていました。
ナージャさんは、現在クリエイティブ・ディレクターとして活躍中ですが、小学生になって以降、ご両親の仕事の関係で6ヵ国を巡る転校を経験しました。
その時の体験を中心に、各国の教育の実態を紹介した本書の内容は、知らなかったことも多くとても興味深いものでした。
それらの中から、特に私の関心を惹いたところをいくつか書き留めておきます。
まずは「教育システム」の違いから。
(p50より引用) 飛び級制度などがあり、個人の「能力」に応じて学びを変える欧米と、「能力」ではなく「年齢」で学びを区切る日本。実はスタートラインから教育に対する考え方は大きく異なっているのだ。
という実態の紹介にはじまり、
(p57より引用) 同じ「ランチ」をとっても国によってさまざまなやり方や考え方がある。みんなで同じ場所で同じものを食べることで一体感を生もうとするロシアや日本。クラスメートよりも家族との食事時間を大事にするフランス。多様性を大事にし、個人の宗教や主義や思想に柔軟に対応するイギリスやアメリカ。
というようにその他の点でも違いは様々。学校での座席の配置、体育授業での集まり方や服装、テストでの持ち込み等々、こう比べてみると、日本は“少数派”に属することが多いようですね。
ナージャさんは、転校した各国で「水泳教室」にも通ったのですが、そこでも面白い経験をしました。「スピード重視」のロシア、「カタチ」にこだわる日本、「持久力」を求めるアメリカ。
(p78より引用) スピード、カタチ、持続性。確かにどれも重要だ。でもどれに重点を置くか、その理由はどこにあるか。水泳を通して子どもたちに何を学んでほしいのか。そもそも何のために習わせるのか、何のために習いたいか。そのことを考え始めたら自分にとってもベストなやり方が自然と見えてくるのかもしれない。これは、もしかしたら、あらゆるスポーツや勉強に共通して言えることかもしれないと思うと、かなり興味深い。
また、「第2章 大人になったナージャの5つの発見」の章で示されたヒント、
・自分の「ふつう」は個性
・「苦手」は克服しないで活かす
・「人見知り」は能力
・「見方」を変えて、いいところを探す
もなるほどと首肯できるものでした。6か国での転校経験からの気づきですが、これらはナージャさんが自らの感性で結晶化した叡知です。
さて、本書を読んでの感想です。
よく言われる“均質性”や“正解信仰”といった日本人の「集団的」「受動的」特性は、“自らの頭で考える”ことを教えられた欧米的な「個人的」「能動的」主体のメンタリティとは異質なものです。
年少時からの教育により刷り込まれた素地が異なるわけですから、日本社会のさまざまな場に欧米流の仕掛けをそのまま導入しようとしても、なかなかスムーズに機能しないのは当然です。
たとえば、以前導入された「ゆとり教育」もそのひとつですし、昨今“働き方改革”の文脈で登場している「ジョブ型雇用」もそうでしょう。
一部経営者の立場では推し進めたいところでしょうが、多くの企業の現場実態としては正直なところかなり無理筋で強引なシステム変更だと思います。日本の労働法制や雇用慣行自体がまだ雇用の流動化に十分対応したものではありませんし、いわゆる「メンバーシップ型雇用」形態がより相応しい職場や職種もあるでしょう。「ジョブ型雇用」を全否定するものではありませんが、“0 or 1の議論” はあまりに安易で短絡的です。
「違い」に“正誤”“良否”“優劣”といった価値観を添えるのではなく、“違っていること自体を当たり前”だと思い、素直に“違いを受け入れ”“違いを認める”、そして違いを尊重し、双方に活かそうとする、そういった多様性容認社会を目指したいものですね。
(p162より引用)
子どもが変われば、ベストは変わる。
時代が変われば、ベストは変わる。
目的が変われば、ベストは変わる。
正解はない。 違いがあるだけ。
あなたにとってのベストはなんですか?
ナージャさんも本書の「おわりに」でこう締めくくっています。
かなり以前によく読んでいた内田康夫さんの“浅見光彦シリーズ”ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
今回も “広島” を選んでみました。
広島関係では、先に「後鳥羽伝説殺人事件」を読んだのですが、作品の舞台はピンポイントで私が出張で訪れた所ではありませんでした。なので、直接訪れたところが登場している作品を探し出してリベンジしたというわけです。
ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、この作品の舞台となったは江田島は広島市内から瀬戸内海沿いに東に向かったあたり。最近では話題になった映画「ドライブ・マイ・カー」の中でもその風景が登場しています。
作品のモチーフになった戦時下の「海軍兵学校」は、現在では海上自衛隊幹部候補生学校となっています。また、潜水艦訓練拠点でもあるそうで、私が訪れたのはそういった作品の舞台の近く、呉市側の海上自衛隊第1潜水隊群司令部のあたりだったのですが、海には何隻もの潜水艦が浮かんでいてなかなかに壮観でしたね。
まさに、作中にこういった描写もありました。
(p27より引用) 広島湾を行き交う船の数は驚くほど多い。高速船やフェリーなど、宇品港を起点にする近距離旅客船も多いが、それに劣らず、貨物船の出入りが忙しい。・・・
さらに、湾口の音戸ノ瀬戸を入ったところには呉の「軍港」もあって、潜水艦を含む艦船が常時十数隻も配備されている。
さて、本書ですが、このシリーズには珍しく、内田さんの筆はかなり意欲的に政治的なメッセージを伝えています。中盤以降の陽一郎と光彦との会話や、
(p187より引用) 検察は政治に力において屈し、もはや二度と立ち上がることはないだろう。政治家の犯罪は途絶するどころか、むしろ巧妙化し、構造化し、肥大化する一方だ。
この現実を前にしながら、庶民はなすすべがない。その無力感から、庶民自らが拝金主義に侵されてゆく。民主主義だから選挙によって改善すればいいなどという議論は、いかに虚しいものであるかを、庶民の多くが悟り、政治家の多くが悟った。政治家にとって、もはや怖いものはないかのごとく見える。彼らを罰するものは、「死の訪れ」のみであるかのように思える。
といったあたりもそうですし、エピローグの謎解きのパートでも、事件の背景となった主義主張を首謀者に滔々と語らせています。
さらに、これでもか追い打ちをかけるようなラストのエピソードも含めると、それだけ、この作品のモチーフは内田さんにとって格別に思い入れの深いものだったということなのでしょう。
ただ、このあたり、ちょっと“重いなぁ”と感じた「浅見光彦シリーズ」ファンもそこそこいたのではないかと思いますね。