OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

サラリーマンは、二度会社を辞める。 (楠木 新)

2013-10-30 23:17:59 | 本と雑誌

Businessman_2  タイトルに惹かれて読んでみた本です。私にとっての「今年」はひとつの節目の年でもあったので、なおさら気になりました。

 会社の中で、人事関係の業務に長年たずさわっていたという著者の実体験にもとづく示唆が記されているのですが、それらの中で、私がちょっと気になった部分を書き留めておきます。

 著者は、40歳を過ぎてメンタルが原因で休職したとのこと。その際の気持ちを以下のように語っています。

(p122より引用) 問題は会社の中にいれば不自由で、独立すれば自由になれるという思い違いである。私の場合、いきなり休職して1人になった時に、自由なんてないことを思い知らされた。・・・二者択一を推し進めれば、それこそ不自由になるリスクが生じる。

 会社内に限ったことではありませんが、人間が生きていく中では、日々何らかの判断・決断を下しています。究極の判断は「Yes or No」「Go or Stop」といった「二者択一」の形式をとります。そのいずれかを選ばざるを得ないのは、判断主体が「ひとつ」だからです。判断主体が「複数」であれば、複数の選択肢を併存させることができます。

(p195より引用) ドラッカーが、第2の人生に対する課題で提示した3つの解決方法、「文字どおり第二の人生を持つこと」「パラレルキャリア(第二の仕事を持つこと)」「ソーシャル・アントレプレナー(篤志家)」になることは、やはり複数の自分を作ると言っているのだと解釈できる。・・・
 2つの立場を持てば、無理して自分を変えようとしなくてもよい。二者択一に追い込まれるリスクも回避できる。

 著者が本書の読者として意識しているのは、いわゆる「勤め人」です。特に、中堅社員から退職近く、年齢的には40歳から50歳前半あたり。今の会社生活に慣れ、今後の会社人生を見通してある程度先が見えてくる年代です。
 (私もそのうちの一人だと思いますが、)この世代の多くの会社員は著者いわく「こころの定年」を迎えているのですが、こういった人たちへの著者のメッセージです。

(p200より引用) 世の中では、起業することをことさら強調したり、会社員は、自立するために武器を持たなければならないなどという主張が闊歩している。
 しかし働き方はあくまでも形、器に過ぎない。起業・独立やフリーランス、会社員といった働き方自体に優劣や意味があるのではなく、やっていることが楽しいかどうかがポイントである。何をしているかよりも、そのありようが重要なのである。

 さて、本書の感想ですが、世の中の多くの会社において、著者が指摘しているような実態がまだまだ存在していることは否定しません。しかしながら、取り上げられているシーンのいくつかには、かなり違和感を感じました。私が読んでも「一昔前」感が拭えませんでしたね。

 会社に入って数年程度の若手ビジネスパーソンは読まない方がいいと思います。まだまだ身近な問題ではありませんし、読んだからといって、明日から元気に会社で頑張ろうというモチベーションが沸くかといえば、そうでもないでしょうから。


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統計学が最強の学問である (西内 啓)

2013-10-27 09:03:27 | 本と雑誌

Normdist_regression   とても話題になっていますね。以前から統計学には興味をもっていたので、楽しみに読んでみた本です。

 タイトルづけも上手ですね。内容も、数式はほとんど登場せず、初心者に対する分かりやすさを意識した書きぶりなので、統計学の基礎レベルの予備知識があれば十分理解できると思います。

 そういった本書の中で、私が気になったところをいくつかご紹介します。

 まずは、「サンプリングが情報コストを激減させる」という章で、最近、大流行の“ビッグデータ”の統計学的意味に言及しているくだりです。

(p37より引用) しかしながら、彼らは果たしてデータがビッグであること、あるいはデータをビッグなまま解析することが、どれだけの価値を生むのかどうか、果たして投資するに見合うだけのベネフィットが得られるのかどうか、わかっているのだろうか。

 著者の考えは、目的を明確にすれば、統計学的手法によるサンプリングデータの分析により、ビッグデータ(全数)処理と同等の判断材料を極めて安価に得ることができるというものです。

 統計学的手法は稼動もコストも圧縮できます。
 著者からみると、施策の是非に関する机上議論をあれこれ延々と行っている状況は極めて非生産的なものに映ります。

(p120より引用) もしあなたの企業が過剰に失敗を恐れ、新しいアイディアを提案することよりも、それをもっともらしい理由で否定することのほうを賞賛するような体質になっていたとしたら、それはとてももったいないことである。ムダなリスクやコストを避けることはもちろん重要だが、統計学的な裏付けもないのにそれが絶対正しいと決めつけることと同じくらい、統計学的な裏付けもないのにそれが絶対誤りだと決めつけることも愚かである。

 統計的手法(ランダム化比較実験)により試してみて、その結果で判断すればいいのにとの考えです。

 ちょっと本筋がから逸れますが、この点で私が思うのは「『判断』は『決断』である」ということです。
 決断は、それが間違っているかもしれないというリスクを包含したものです。リスクテイキングが決断の一つの側面である以上、決断するための判断材料に完璧を求めることは無意味。100%の情報が得られれば誰でも正しい決断ができる、30%程度の情報から採るべき道を示すのがリーダーです。

 統計学的思考は、より正しい判断を下すために極めて重要な要素です。昨今のICTの急速な発展により、ビッグデータに象徴される大規模データの統計処理やデータマイニング・テキストマイニングといった分析も至極簡易にできるようになってきました。

(p254より引用) テキストマイニングの背後にある技術は高度なものだが、その利用自体はツールを使えば誰でも簡単にできるものである。そしてそこからどう価値を生むか、ということになると、テキストマイニング以外の統計リテラシーが重要になるのである。

 私たちの身の回りには、「数字」を用いた主張・説明が溢れています。政府が発表する各種統計数値、マスコミによる世論調査やTVの視聴率、携帯電波のつながりやすさ・・・、それらの数字をどう解釈するか、その「1%の差」には意味があるのか・・・。

 本書の大半は統計的手法の概説で占められていますが、本書で著者が伝えたかったことはそれに止まりません。
 日常の社会生活の中で、私たちが目にする様々な数字が発するメッセージを正当に「解釈」「評価」すること、そして、そのためには「統計リテラシー」の高まりが重要であるとの指摘が著者からのメッセージです。
 

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土門拳 腕白小僧がいた (土門 拳)

2013-10-23 22:07:50 | 本と雑誌

Domonken_2  私の場合、土門拳氏の作品といえば、「古寺巡礼」等で発表されている「寺院」「仏像」といった日本古来の伝統的文化財を対象とした重厚な写真を思い浮かべますが、土門氏は、有名人や一般庶民を写したポートレートやスナップ写真も数多く残しています。

 本書は、「人」とりわけ「こどもたち」のスナップを中心に土門氏のエッセイを併載したものです。

 この「こどもたち」にフォーカスした作品のコンセプトを、土門氏は「小市民的リアリズム」と呼んでいます。

(p48より引用) 小市民的リアリズムといっても、まだわかったようなわからないようなものだが、ぼく自身の気持においてわかっていることは、ぼくたちの仲間、つまりもろもろの貧乏と不安の中に生きている「神の子」をモチーフとするということだけははっきりしている。その神の子たちは鼻汁たらして焼き芋をかじっていたり、公園のベンチでシラミをつぶしていたり、臨月の腹をかかえて八百屋で葱を買っていたり、場外馬券売場で成績表をメモしていたりする。

 こういった貧しいけれど生きる力が漲っている昭和20年代後半から30年代初頭の人々の姿は、とても逞しく、改めて元気づけられるものです。

 本書の前半では、東京の江東区を中心にした下町の子供たちのスナップが数多く採録されています。結局は写真集としては出版されなかったのですが、土門氏は「私の履歴書」の中でこう振り返っています。

(p170より引用) 例の「江東のこども」にしても、今はもう撮ろうにも撮れないのである。・・・そんなものはいつでも撮れると思っていたのだが、実際には、そのとき、それを撮っておかなければ、今となっては、もう二度と撮れないのである。

 「江東のこども」では、土門氏は、貧しさを突き抜けたような天真爛漫さ溢れるこどもたちの瞬間を捉えていました。弾けるような明るい純朴な笑顔は、とても微笑ましいものです。

 他方、後半の「筑豊のこどもたち」には、廃坑となった炭鉱町の厳しい現実の中に生きる子供たちの姿が並んでいます。
 こちらの眼差しの中には、これ以上の貧困生活はないような状況のなかで何としてでも自分たちで生き抜いていくんだといった心の強さや健気さが、微かではありますが感じられるのです。

(p166より引用) 『筑豊のこどもたち』の一巻は、飢えに泣く何千のこどもたちを救うことにはならなかったが、『筑豊のこどもたち』の中に撮られた二人の姉妹が今は幸福であるということによって、ぼくは喜ばしいのである。

 本書の写真のモデルになっているこどもたちは、私より10歳程度年上、「筑豊のこどもたち」が撮影されたのは、私がちょうど生まれた頃です。
 私が、この本に登場するこどもたちの年ごろになった頃は、やはり家の前の道に「ろう石」で落書きをしたり、近所の同い年ぐらいの友だちと三角ベースをしたり・・・、ちょっとは豊かになっていたのでしょうが、まだまだ似たような世情の時代でした。
 

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炭素文明論 「元素の王者」が歴史を動かす (佐藤 健太郎)

2013-10-16 22:43:37 | 本と雑誌

Eight_allotropes_of_carbon  新聞の書評欄で紹介されていたので手に取ってみました。
 タイトルが表しているようにとてもユニークな視点の著作です。

 炭素を中心とした「化合物」はそれこそ山のように存在します。

(p17より引用) 炭素は、最も小さな部類の元素だ。しかしこのために、炭素は短く緊密な結合を作ることができる。四本の結合の腕をフルに使い、単結合・二重結合・三重結合などと呼ばれる、多彩な連結方法を採ることもできる。炭素は小さく平凡であるからこそ、元素の絶対王者の地位に就くことを得たのだ。

 炭素を基本とした「有機化合物」の多くは柔らかくしなやかな性質をもっています。
 これは、水素が炭素の骨格を包み込むように存在することによるものであり、この柔らかさが、生命の根源となり、また人間の生活に密接に関係する物質を生み出しているのです。

(p20より引用) 地球表面における炭素の存在比は0.08%に過ぎない。しかし、とうていそうは思われないほどに、我々の暮らしは炭素化合物で囲まれている。目に入る品のうち、炭素を含まないのは金属、ガラス、石などくらいで、その他の素材や食料の多くは炭素化合物だ。生命は数少ない炭素をかき集めて成り立っていると書いたが、文明社会もまた炭素を抜きにしては全く考えられない。

 本書に登場する炭素化合物は、「デンプン」「砂糖」「芳香族化合物」「グルタミン酸」「ニコチン」「カフェイン」「尿酸」「エタノール」「ニトロ」「石油」などですが、著者は、これらが人類の歴史・人間の生活に及ぼした大きな影響を興味深い実例を多数示しながら紹介していきます。

 これらの切り口や具体的なエピソードはとても面白いものです。特に、それぞれの炭素化合物がそのときの権力を持つ人物や国家と結びつき、それらのプレーヤーの行動に対する動機づけを行ったことがまさに新たな歴史を形作ったとの考察は、それ自体がひとつの“化学反応”ともいえるもので、私にとって新たな気づきを与えてくれました。

 そしてもうひとつ、著者は本書で重要な指摘を行なっています。それは、地球上の“資源問題”についてです。

(p206より引用) 枯渇に近づく資源はリンだけではない。各種金属、あるいは水にさえも、危機は迫りつつある。21世紀は、増え続ける人口と減り続ける資源の間で、人類が際どく綱渡りを続ける時代にならざるを得ない。

 この危機的状況を回避・打開するためには、もちろん革新的な研究開発の成果が必要不可欠です。
 ただ、今の現実社会には、それを目指す研究開発の優先順位・方向づけを、科学者の関心の行方のみに任せるほどの余裕はないのです。全世界的見地からのロードマップの提示が、全地球的観点からの喫緊の課題だということです。
 

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波のかたみ―清盛の妻 (永井 路子)

2013-10-11 22:18:27 | 本と雑誌

Tokiko  通勤電車の中で読む文庫本が切れたので、妻の書棚から取り出してきました。

 先年のNHK大河ドラマは「平清盛」ですが、本書の主人公はその妻時子。武家としての平氏というより、公家としての平氏の盛衰を清盛の妻の目線で辿る物語です。

 著者の語る「歴史の綾」の深遠さ、平治の乱の後、頼朝が許されて配流される日のことです。

(p98より引用) それにしても、誰もが経宗、惟方に心を奪われているうち、頼朝がそっと舞台をすりぬけてしまったとは何という皮肉さか。歴史という巨人は時折こうした皮肉をもてあそぶ。してやったりと、「歴史」が白い歯をむきだして嗤っているのに、時子は全く気づいていない。

 清盛を中心とした平家興隆も、以仁王の令旨を受けたこの罪人頼朝の挙兵を機に後退・転落の一途を辿ります。
 清盛亡き後、平家の棟梁は時子の息子宗盛でした。しかし、この宗盛、技量は父清盛に比べるべくもありません。

(p348より引用) -清盛どのはこうではなかった。
 またしても頭に浮かんでくる思いを、時子は、しいて払いのけようとした。もう、この運のなさ、要領の悪さをかれこれ言っている場合ではないのである。せめて最悪の道を逃れるべく、この息子を支えてやらねばならない。そして、その後は、息子の不運に、とことん付き添ってやるほかはない。
 なぜに? それはわが子だから・・・

 このあたりのくだりは、いかにも永井氏らしい感性の表現ですね。

 実は、著者の永井路子さんと初めて邂逅したのは、もう今から40年ほど前になります。私が中学校のとき、学校主催の講演会においでになったのです。
 何のお話をされたのか、残念ながら覚えてはいないのですが、穏やかさの中に何か凛々しさようなものを感じた記憶があります。
 

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ある老学徒の手記 (鳥居 龍蔵)

2013-10-06 08:39:27 | 本と雑誌

Torii  著者の鳥居龍蔵氏は明治期の考古学者・民族学者です。
 小学校を中退し、その後独学で必要な語学や専門の人類学を学んだとのこと、そういった厳しい環境下においても国際的な業績をあげた在野の研究者の自伝です。

 鳥居氏の最初の強烈なエピソードは、尋常小学校を止め独習を始めるときです。そのあたり、鳥居氏はこう述懐しています。

(p39より引用) ある教師は私に学校卒業証を所持しないものは、生活できないといわれたから、私はこれに反対し、むしろ家庭にあって静かに勉強して自己を研磨して学問をする方が勝っていると自己説を主張した。・・・それから独修することに決した。そしてその勉強法は、高等小学から中学校に至る順序で一年一年その道に進む方針を自ら定めたのである。

 10歳に満たない年齢でこういう決断を下し、しかも独学を完遂するというのは、今の時代に照らし合わせると驚愕ですね。
 確かにこのころは、江戸期の寺子屋の流れから幼いころからの教育は現在よりずっと厳しく進歩的でした。鳥居氏も6・7歳で「四書五経」を素読し、司馬遷の「史記」も学んでいるのです。

 これら多彩な読書は鳥居氏の教養の幅と深みをもたらしましたが、氏の自主自立的姿勢に大きな影響を与えた著作はサミュエル・スマイルズの「自助論」でした。

(p84より引用) 私はスマイルスの『自助論』を好んで読んだ。この書は中村正直先生が翻訳され『西国立志編』として公にされて一般によく読まれたもので、アングロサクソンの自修独立の成功を主義とし、一個人として偉大なる人になったのはすこぶる多く、ドクターなどの称号をもたない大家も尠くない。・・・ドイツの如くドクターの学位をもたなければ人でないように思うのとは、甚だしい相異である。私はこのころシュリーマンの伝を知り、この自助ということの自分に大切なるを益々信ずるに至った。

  「自助論」に感銘を受けた人はそれこそ数多いると思いますが、鳥居氏ほど、その主旨を実践した人は極めて稀でしょう。

 自らの学びを貫徹していく鳥居氏は、1895年、初めての海外フィールドワークとして遼東半島の調査を行いました。そして、その後、台湾・北千島等の調査を経て、1902年西南支那の調査に赴きました。その時の経験が氏の研究方法の幅を広げることとなりました。

(p199より引用) この中国行以後、私の研究方法は大分変化して来た。これは文献との関係である。台湾生蕃研究には古い文献はあまり必要はなかった。けれども西南種族に至っては、古来中国に多くの文献があり、古くは『書経』「史記』『漢書』『後漢書』以下から明清に至るまでの記述、続いて『府志』「県志』『庁志』等に至るまで読まねばならぬ。・・・そこで中国西南種族の調査には文献の伴っていることを覚り、従来自己の調査一点張りでは不可となったのである。これは私の頭脳の一変化した一エポックである。

 このように鳥居氏は、独立独歩の精神で地道な学究活動に勤しみ、国際的な業績をあげていきましたが、日本国内においては必ずしもその道は光の当たるものばかりではありませんでした。
 朝鮮総督府からの依頼による朝鮮全土に及ぶ7回の調査も後味のいいものではなかったようです。

(p325より引用) とにかくこの七回の調査によって、まず私の最初の目的たる朝鮮に確かに石器時代の存在することを知り、日本の縄文式石器時代と何らの関係なきことが確かめられ、かえって日本の弥生式系統のそれと大いに類似することを知り得たのである。私は以上を論文として発表しようと思ったが、その時すでにおそし、最終回の調査以後は、最早私を同府の嘱託はとかれ、黒板博士及び東西大学各位の仕事となり、私にはこれに関係させず、以上の人々で歴史、考古学の仕事をし、その他の人もこれに入れないで、官学者唯一となったから、私は遂に総結論をもすることができず、そのままになった。

 このあたりにも、学会の旧弊に苛立つ鳥居氏の姿を見ることができます。

 そして、本書の「結語」において、改めて鳥居氏の自主独往の生き方が、自らの言葉で語られています。

(p467より引用) 私は学校卒業証書や肩書で生活しない。私は私自身を作り出したので、私一個人は私のみである。私は自身を作り出さんとこれまで日夜苦心したのである。されば私は私自身で生き、私のシムボルは私である。のみならず私の学問も私の学問である。そして私の学問は妻と共にし子供たちとともにした。

 自分自身の生涯に対する見事なまでの自信の発露であり、家族に対する深い感謝の念の表明の言葉です。
 今の時代には決して見ることができないとても魅力的な人物ですね。
 

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