「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」に続くシリーズ2作目です。
今回のストーリーでは主人公の職業は特に電車の運転手でなくてもいいので、「RAILWAYS」シリーズである必然性はないですね。映像としての風景を印象づけるのに地方鉄道を舞台にするのが有効だったという程度でしょう。
途中の仁科亜季子さんの絡み方も唐突感満載でしたし、ラストに向かう筋書きも「ミエミエ」のところがあって逆に興覚めしてしまいました。
極めつけは、主人公の最終的な結論。いかにも安易、だったらその数分前のシーンの数々は何だったの?というう感じでした。
正直、“出来がイマイチの日本映画”というのが私の感想です。
新型コロナウィルス禍の影響で長期間にわたっていつも行く図書館が休館になっているので、新しい本を借りることができません。
ということで、かなり以前にダウンロードしていた電子書籍の中から取り出してみました。「論語モノ」は久しぶりですね。
さて、本書ですが、論語の説く「性善説」、それに対し韓非子の「性悪説」。対極的なふたつの思想を並べて論じるコンセプトは面白いのですが、如何せん内容がとても残念なレベルです。
人間の本性が「悪」であるが故に生まれる非違の行いを「法」の厳格適用によって押さえ込むという“法家”の思想は功利的ではありますが、合理的で明快な思想でもあります。
その点、とても興味をそそられるのですが、本書では、無理やり規定のボリュームに押し込もうとするが故に、紹介しているフレーズの思想的な解釈やその背景説明等が捨象され、ともかく「何らかの教訓を示そう」とする意図が前面に出てしまっていると感じるのです。これでは、引き出してくる教訓めいたコメントがとても薄っぺらに映ってしまいますね。
守屋氏の著作はかなり以前にも読んだことがあるのですが、どうもビジネス書・啓蒙書的な色合いのコメントは浅薄ですね。
中国文学がご専門なのでやむを得ないところがあるのでしょうが、特に「会社でのシーン」を想定した忠告は、ビジネス社会での経験のなさが故に全くリアリティを感じなかった記憶があります。やはり、本書もその類でした。