原作への忠実度でいえば、
いつも利用している図書館の新着本リストで目についた本です。
こういったタイトルに代表されるような「●●思考」をテーマにした本は、いままでもあれこれと読んでいます。
今の私の立場では、もう目の前の仕事に活用するといったシーンはほとんど考えられなくなっているのですが、やはりちょっと気になります。
実態を把握・整理し論理的アプローチにより事象や対策を評価・判断するには、一段階抽象化した「モデル」を設定することは有益です。
本書は、その「モデル分析」の具体的作法を紹介したもので、それそれの章ごとに興味深い気づきはありましたが、それらの中から特に印象に残ったところを1、2覚えとして書き留めておきます。
まずは著者の栗田治さんが本書で紹介している「モデル」の定義を端的に示しているくだり。
(p40より引用) モデルとは目前の現実を思考の枠組みに変換するための装置です。
この「思考の枠組み」にはいくつかのパターンがあり、栗田さんはそれらを “対概念” として分類しています。「定量的モデル/定性的モデル」「普遍的法則を追求するモデル/個性的な個体を把握するモデル」「マクロモデル/ミクロモデル」「静的モデル/動的モデル」ですが、これらの概念を組み合わせることにより2次元や3次元のマトリックスを作り、様々なエンティティの位置づけを整理していくのです。
こういった丁寧な「モデル分析の基本」の紹介に続いて、栗田さんは “モデル分析における重要な留意点” を示しています。
(p236より引用) 一言でいうと、「同じ現実を見ていても、見る人の立場・職位・知識・技術・思想・価値観…等々の相違によって、何を問題と思うかが異なる」ということです。何を 問題と思うかが異なるのですから、人によって「問題の定義」は異なるのです。問題の定義が異なれば、提案される解決策も異なって当然です。
この指摘はとても重要ですね。
栗田さんは “価値観によって異なるものの見方” の例として、ある社会的課題に対する対応策を決定するにあたって、3つの立ち位置(価値観)を挙げています。
(p286より引用)
価値観a 社会全体の利益を優先するのがよいことである [社会的最適性の重視]
価値観b 社会の中の弱者(割りを食っている人)の利益を優先するのがよいことである「弱者
救済の重視]
価値観c 社会の構成員の利益をできるだけ平準化するのがよいことである「平等主義]
「問題の所有者」が、この中のどの価値観に拠って立つかで、採用される対応策はまったく異なるものになります。
はるか以前に私が参加したセミナーで、妹尾堅一郎(現)特定非営利活動法人産学連携推進機構理事長が「刑務所新設プロジェクト」を例に “コンセプト” の重要性をお話しされていたところと同根のポイントですね。
この “価値観の明確化” が疎かで利害関係者の間で同床異夢の状態だと、いかにしっかりしたモデル分析のプロセスを経たところで、最後の結論に至るフェーズでその検討は空中分解してしまうでしょう。
いつも利用している図書館の新着本リストで目についたので手に取ってみました。
こういったタイトルの本は、ともかく気になります。本書は、“NHKスペシャル「人類誕生」” の書籍版、テレビ放送を観ていないのが残念です。
最新の研究成果が豊富なグラフィックとともに紹介されていてとても興味深い内容でしたが、その中から私の関心を惹いたくだりをいくつか覚えとして書き留めておきます。
まずは、「ネアンデルタール人」のイメージの変遷について。
(p112より引用) ネアンデルタール人ほど、そのイメージが二転三転した人類はいないだろう。1868年にフランスでクロマニョン人の化石が見つかったことで、ネアンデルタール人は祖先ではないと認識され、凶暴な原始人の代表と見なされるようになった。
しかし、その後、さまざまな人類種の発見によって、アウストラロピテクス(猿人)→ピテカントロブス (原人) →ネアンデルタール人(旧人)→サピエンス(新人) という人類進化の道筋が認識され、彼らに対する見方が変わってきた。さらに近年、彼らの文化的能力が確認されたことで、ようやく正当な評価を得ることができたのである。
こういった例に限らず、考古学の定説は、新たに発見される明白な物証(化石・遺物・史跡等)で塗り替わることが往々にしてありますね。まだまだ未発見の化石や遺跡は山のようにあるでしょうから、これからも大いに楽しみですね。
そして、もうひとつ。ホモ・サピエンスの地球規模の移動を可能にした要素。
アフリカを出て西アジア、そこから東進して、日本を含む東アジアや北米への進出。このコースの途中には「極寒のシベリア」がありました。
温暖な気候で暮らしていた彼らが寒い環境に適応できた要因は「縫い針」の発明でした。
(p144より引用) 寒さをしのぐために作られた服や住居、そしてそれらを作るための縫い針。こうした発想は、原人やネアンデルタール人にはなかったため、彼らは寒さに耐えることができず、シベリアに は進出できなかったと考えられている。
サピエンスは、彼らが持つ創造性によって、世界中に拡がることができたといえるだろう。
こういった “知恵” の蓄積とそれを活かした “実行力”。もちろん、それは「生きるため」という究極の目的に強いられてという側面もあるのでしょうが、私たちの祖先の “チャレンジ精神” には驚きと尊敬の念を抱かざるを得ませんね。
ちなみに、本書(番組)で紹介されたマックス・プランク進化人類学研究所スヴァンテ・ペーボ教授のゲノム解析による「ホモサピエンスの起源」についてですが、先に読んだ篠田謙一国立科学博物館館長による「人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」」に、教授の研究成果を含めより詳しく解説されています。
いつも利用している図書館の新書の棚で目についたので手に取ってみました。
少し前に同じ岩波新書の「玄奘三蔵」を読んだところだったので、彼の足跡と重なるインド国内の仏教遺跡を紹介した内容に関心を持ったというわけです。
本書は、多くの写真とともに本家本元のブッダの布教・伝道活動の旅程を辿ったものですが、巻末には解説として「ゴータマ・ブッダ ― その人と思想」をいうタイトルで、仏教学者で東京大学名誉教授前田專學氏による仏教誕生の概要が紹介されています。
そういう点では、初心者向けブッダ入門でもあり、私のような無学者にとっては有益な本であるはずなのですが、正直なところ、ブッダの生涯の旅路に沿って史跡や風景の写真を眺めるだけで終わってしまいました。
それでも私の無知故の気づきですが、今のインドにはブッダ所縁の仏教遺構はほとんど廃墟のような佇まいになってしまっているんですね。もちろんブッダガヤの大菩提寺やナーランダ僧院のように世界遺産として有名な史跡もありますが・・・
ともかく、せっかくの本書を有益なものにできなかったのは、私の基本的な知識不足によるものであり、何とも情けない限りです。
また、改めて、仏教やブッダに係る概説書を読んでみましょう。ただ、私の今の知識レベルだと、まずは子供向けの「仏教説話集」あたりから始めるのがいいかもしません・・・。
かなり以前に読んだ内田康夫さんの“浅見光彦シリーズ”ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “浅見光彦シリーズ” の制覇にトライしてみようと思い始ました。
この作品は「第15作目(13冊目:この前の作品「鏡の女」は3編の短編集でした)」です。
今回の主な舞台は “愛知県” と “岐阜県”。愛知県は名古屋があるので年に数回は顔を出しますが、岐阜県への仕事関係の出張はありません。新幹線では何度となく通過していますが、実際訪れたのは、40年以上前、高校時代の友人と飛騨高山に旅行したときぐらいです。
ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、本作は、シリーズの中では珍しくかなりストーリー展開がスピーディでしたね。
光彦が事件に関わる過程で、陽一郎の力を借りる場面が多かったのには “今ひとつ感” がありましたし、犯人の動機も短絡的でしたが、「明治村」や「美濃和紙」を織り込んだ旅情エンタメ作品としては、久しぶりに結構楽しめました。
さて、取り掛かってみている“浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら”です。
次は「長崎殺人事件」ですね。