いつも利用している図書館の新着本リストで目に付いた本です。
堤未果さんの著作は、かなり以前に「ルポ 貧困大国アメリカ」を読んだことがあります。
本書は、通勤途上の書店でも平積みされていて、テーマも今日的で身近なものだったので気になっていました。
予想どおり興味を惹いたところは数多くありましたが、その中から特に気になった部分をいくつか書き留めておきます。
まずは、遺伝子工学の現在の到達点「ゲノム編集食品」「細胞培養」「合成生物」の作成の実態です。肉・魚・野菜・・・、様々な実例が並んでいます。
(p84より引用) 2022年2月。「精密発酵」による乳タンパク質を使った、アイスクリームやケーキミックス、クリームチーズなどを販売する米パーフェクトデイ社が、前年11月にスターバックスが試験導入済みの「精密発酵牛乳」を、ついに一般市場に出すことを発表した。
ちなみにこれらの商品には、「遺伝子操作」「精密発酵」などの表示が一切ない。
「自然食」「非遺伝子組み換え」「アニマルフリー」「ヴィーガン」など、環境や動物への配慮を示すラベルで売られており、ヴィーガン、動物愛護派、環境保護意識の高い健康志向の消費者たちが、喜んで買っているのだ。
何ともショッキングな現実ですね。
「ゲノム編集」は「遺伝子組み換え」と異なり“自然界で起きる変異と同等”、すなわち「品種改良の一形態」とされて“規制緩和”の方向にあります。そして、これらのテクノロジー主義者たちが推進するビジネスモデルの根源は「特許」により一握りの企業に独占されているのです。
さらに「ここまでやり始めたのか!」と驚きを禁じ得ない事実。
(p156より引用) かつてカナダのゲルフ大学の研究チームが「環境に優しいうんちをする豚」を開発したというニュースが話題になったことを思い出す。豚のうんちが含むリンが、土の中で濃縮され地下に染み込んで川や湖を汚すからと、リンの量を減らすよう遺伝子を組み換える研究だ。研究班の微生物学者は、環境に優しくなるために、豚が必要とする遺伝子を我々が与えてやるのだ、と語っていた。
根本的に何かが間違っていないだろうか。・・・
環境に優しい豚を本気で育てたいならば、リンを含む穀物の代わりに牧草を与えれば、環境に優しいだけでなく豚の健康にも良いではないか、と。
そう、そのとおりだと思います。
「リンを含む穀物」は大量の化学肥料により育てられているのです。リンによる汚染は「牛や豚」が悪いのではなく「人」のせい、すなわち「管理方法・飼育方法」が悪いのですが、そういう「畜産の工業化サイクル」からの離脱は解決策のひとつとして掲げられません。
そして、さらに企業家や研究者たちは、“歪で非本質的な解決手段の探求” に踏み込んでいく・・・。
(p157より引用) テクノロジーの進化によって、私たち人間は、ついに生き物をDNAから都合よく作りかえる〈神の手〉を得てしまった。
効率化の名の下に商品となった〈いのち〉の選別は、もはや〈優生思想〉として問題視すらされず、やがて暗黙の了解になってゆく。
悲観的観測ですが、“自然の摂理”により“人知の限界”を知るときが近づいてきているように思います。
さて、本書を読み通しての感想です。
ともかくレポート全編を通じて痛感したことは、「一握りの投資家」「株主重視・効率化第一の資本家」の、“自らの富を得る”ことに最大の価値を見出す思考の狭隘さです。それは “愚かさ”でもあり “高慢さ” とも言えるでしょう。
その“愚考”と“愚行”が地球という生態系のエコシステムをバラバラに分断させている姿を、堤さんは、「食料」という切り口からヴィヴィッドに描き出しています。
まずは、本書を“基点”として、現在起こりつつある営みの意味付けを確かめていきたいと思います。次の世代への責任としての “食の持続可能性” の実現のために、私たちが支えるべき対象を誤らないように。
いくつかの対策は、人々にひと時の夢を抱かせるように見えて、結局のところ取り返しのつかない生態系破壊をもたらすかもしれませんから。
いつも聴いている大竹まことさんのpodcastの番組に著者の大沢在昌さんがゲスト出演していて、本書の紹介をしていました。
大沢さんの「新宿鮫シリーズ」は第一作目から読み続けています。
最初の頃のインパクトは強烈でしたね。主人公の個性的なキャラクタに加え、脇で登場する人々が魅力的で大いに楽しめました。ただ、やはり本シリーズも例外ではなく、ナンバーを重ねるごとにその作品としての迫力は急速に劣化していきました。
小説なのでネタバレにならないよう、感じたところを記してみると、本作では、そのマンネリ化も少し持ち直したようですね。主人公とそれを取り巻く人物たちとの会話がテンポよく、物語の展開をリードしていきます。肝心の物語もシンプルな軸が一本通っていて大きな振幅がないので、しっかりとストーリー展開に入り込んでいけるのです。
シリーズものとして成功する秘訣のひとつに、主人公のキャラクタ設定がありますが、本作中で大沢さんはこう描いています。
(p257より引用) 警察の出番は、常に何かが起きてからだ。被害にあう者がでて初めて、警察は動く理由を得る。
未然に犯罪を防止できれば、それに越したことはない。といって、密告や監視が横行する社会が健全だとは鮫島は思わない。
本シリーズの「鮫島警部」。
決して超人的な能力をもったスーパーヒーローではありません。極めてノーマルな考えから愚直に自らの信念の貫く真っ当な刑事、それが共感を生む彼の魅力の原点でしょう。
かなり以前に読んだ内田康夫さんの“浅見光彦シリーズ”ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら“浅見光彦シリーズ”の制覇にトライしてみようと思い始ました。
この作品は「第4作目」です。舞台は“津和野”。出張では行ったことはありませんが、30年以上前にプライベートの旅行で訪れたことがあります。
ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、この作品はシリーズの中でもかなりの力作の部類だと思います。
地方の旧家のスキャンダルというモチーフは在り来たりですが、多彩な登場人物と彼らの人間関係、そして、それらにまつわるエピソードの数々。さらに、津和野という舞台設定が地理的な要素のみならず、その土地の歴史をもプロットの伏線に取り込んだ構成は秀逸でした。
さて、本作を皮切りに取り掛かってみた“浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら”です。
次は「佐渡伝説殺人事件」ですね。