OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

将来(さき)への想い

2006-07-30 16:34:44 | 本と雑誌

(明治大正史(世相篇)(柳田 國男))

 柳田氏は、明治大正期においても、現代的な視点で女性の社会的立場に注目していました。
 女性も男性と同じく職業をもち、対等の立場で相協力して社会的生活をおくるべきと考えていました。

(下p131より引用) 若い女性の職業意識は一段と目覚めてきた。専門学校生徒や女学校上級生が夏休みを利用して、何か仕事をしてみようという気風もようやく盛んになってきた。学校が婚姻の便宜を与え、ただ女大学式の良妻賢母を目的とした時代から見ると、その間の移り変わりは少しずつではあったろうが、今に至れば大いなる変遷といわねばならぬ。かくて・・・男女は共に世の仕事に当たり、愉快なる成果を挙げうる日も近き将来にあるであろう。・・・自主と協力の喜びがわれわれを訪るる時、われわれは必ずや幸福になるであろうと信ずるのである。

 また、明治大正期の男性は、柳田氏の目から見ると甚だ心もとない様子だったようです。
 このような言い方で、女性への期待を表明しています。

(下p218より引用) 男は実際にみなあせっている。微細な人情の変化までに気づかぬほど情が荒び、もしくは、わざとそんなことは大まかに論じようとしている。政治の直接にわれわれの家庭と交渉する部分を、婦人の団体の考察に任せるはよいことである。

 こういった、旧態に拘らず先の進歩・改善を善しとする気概は、この著作のあちらこちらで認められます。

(下p88より引用) われわれの生活方法には必ずしも深思熟慮して、採択したということができぬものが多い。それに隠れたる疾があるとしても、すこしでも不思議なことはない。問題はいかにすればはやくこれに心付いて、少しでも早く健全のほうに向かいうるかである。これを人間の知術の外に見棄てることは、現在の程度ではまだあまりに性急である。

 本書は民俗学の名著のひとつとされているようです。
 この本には、明治大正期もしくはそれ以前の社会の実態・実情を民衆の情動との関わりの中で明らかにすることにより、それをもって将来への礎としようという柳田氏の強い想いがこめられているのだと思います。

(下p219より引用) 改革は期して待つべきである。一番大きな誤解は人間の痴愚軽慮、それに原因をもつ闘諍と窮苦とが、偶然であって防止できぬもののごとく、考えられていることではないかと思う。それは前代以来のまだ立証せられざる当て推量であった。われわれの考えてみた幾つかの世相は、人を不幸にする原因の社会にあることを教えた。すなわちわれわれは公民として病みかつ貧しいのであった。

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流行のからくり

2006-07-29 15:42:36 | 本と雑誌

Inko

(明治大正史(世相篇)(柳田 國男))

 よく言われていることですが、柳田氏流に、日本民族の特徴としての「集団志向性」を以下のように記しています。

(下p178より引用) 附和雷同は普通は生活の最も無害なる部分から始まっている。しかしいわゆるお附き合いはもうすでにかなりの不便を忍ばせ、次に、お義理となるとそこに時としては苦しいほどの曲従があるが、そういう程度の共同生活をしてでも、なお孤立の淋しさと不安とから免れたいというところに、島国の仲のよい民族の特徴もうかがわれるのである。

 明治大正期においても、この「集団志向」を活用した購買の動機付けが行われていたようです。非常に原始的な方法ですが、そのころの日本人マーケットには非常に有効だったようです。

(下p179より引用) 買い物の興味を普遍ならしめるがために、都市はあらゆる力を傾けて地方と個人との趣味を塗り潰した。その大きな武器はまた、他でも多数の人がこれを喜んでいるという風説であった。こういう点にかけてはもとはわれわれは気の毒なほど従順であった。

 こういう世間の趨勢を利用して「うまくやってやろう」と画策する輩は、いつの世にもいるものです。明治大正期の具体例として柳田氏があげたのは「ペット」の話でした。

(下p180より引用) 近年の西洋小鳥の流行などは、最初極めて目に立つ方法をもって、五度か七度法外な高値の取引をして見せるだけのことで、それから以上は世間で評判を作り、わずかな間にありうべからざる相場ができ、かねて用意している者を儲けさせてくれる。

 さて、日本人は、柳田氏がいうように、こういう「集団志向性」、別の言い方をすると「無主体性」を脱することができているでしょうか?

(下p181より引用) 無邪気で人の言うことをよく理解する幸福なる気質がわれわれを累わしている。人の多数の加担するような事業に、損を与えるような原因は潜んでおるまいという推測、もしくはいま一段と気軽に判断を他人に任せて、自分はこのいったんの群の快楽に、我を忘れて遊ぼうという念慮は、社会の今日までになる間に、ぜひ通って来なければならぬ必要な一過程であった。

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マーケティングの萌芽

2006-07-26 00:24:51 | 本と雑誌

(明治大正史(世相篇)(柳田 國男))

 本書の「生産と商業」という章に、現在でいえば「マーケティング」に相当する当時(明治大正期)の風潮の記述があります。

(下p109より引用) 輸入には本来註文を取るという仕来たりがなかった。見本を送ってまず相手方の希望を問うということすら、遠い貿易ではそう容易には行われなかったのである。そこで当然に重きを置かれたのは、第一には輸入国民の嗜好を察知する技術、その次には刺戟に富みたる趣向によって、新たに相手方の嗜好を作り出す方法であった。

 前者は「ニーズの感知」ですし、後者は「プロモーションによるニーズの喚起」に相当します。

 この「ニーズ」に関しては、さらに以下のような記述があります。
 ニーズのトレンドをつかまえて、競争業者(外国製品)に先んじたアクション(製品供給)をとるべきとの趣旨です。

(下p110より引用) 趣味は流行が今のように急激でなくとも、以前から次々に移って行くべきものであった。国内製造の一つの大きな力は、この趨勢を早くから見て取ることであって、これが外国品に売り勝つただ一つの武器でもあったが、その代わりにはいつでも尖端に立って見廻していなければならぬ。人のし遂げた事業をいち早く倣うという以上に、むしろ多くの者の共に向かう生産に、ただ一足だけでも先へ出る必要があった。

 しかし、実際社会は、そのようには進みませんでした。
 ニーズに即した製品開発ではなく、「ただ今までと同じことを」という従来からの行動を繰り返したのでした。

(下p110より引用) 何が国民に入用かというほうから、製造を企てるということは流行しなかった。それよりも踏み明けられた一つの途を、速やかに進むのを安全と考えていた。

 そうは言っても、新たな取り組みへのチャレンジはなされていたようです。
 ただ、その多くは、残念ながら従来の枠を超えるようなイノベーションには育ちませんでした。

(下p110より引用) 発明の労苦は尊重せられているが、それもたいていはこの既定圏内の、少しの模様替えに働くものばかり多かった。

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都市の容認

2006-07-25 00:28:27 | 本と雑誌

(明治大正史(世相篇)(柳田 國男))

 民俗学者は、庶民の正直な姿を記します。

(上p136より引用)  いわゆる、鉄の文化の宏大なる業績を、ただ無差別に殺風景と評し去ることは、多数民衆の感覚を無視した話である。

 「鉄の文化」を賛美するというのは、ちょっと意外な感じもしますが、柳田氏の眼は、鉄道にも感歎の声をあげる多くの人びとを捉えています。このあたりが当時の事実としての正直な庶民感情であったのでしょう。

 同じような視点で、「都市景観」についてもこう記しています。

(上p136より引用) 都市は永遠にここに住み付こうという意気込みの者が、多くなっていくとともに活き活きとしてきた。一つ一つとしては失敗であった建築でも、それが集まった所はまた別に一種の情景をなしている。あるいは片隅に倦み疲れたような古家が残り、もしくは歯の抜けたような空き地に入り交じり、それから見苦しいものをしいて押し隠して、表ばかりを白々と塗り立てた偽善ぶりを、憎もうとする者もあるだろうが、同情ある者の眼にはこれも成長力の現れであり、かつこのうえにもなお上品なる趣向を、働かせうべき余裕である。

 これも実生活の正直な心持ちを感じさせる一節です。

 柳田氏は、こういった現実社会の「実感としての生活」をいろいろな視点から描き出していきます。

 その筆力も素晴らしいものがあります。
 たとえば、以下のような一節はいかがでしょう。

(上p168より引用) 彼らが愛読していた雑誌国民之友は、夏休みで故郷に帰りゆく若い人に向かって、秋風に乗じて再び上京せよ、田舎を東京化するがために帰るなかれ、東京を田舎化するために帰れよ、と言ったことがある。しかもこういう気風も結局は無益であったのは、故郷は時として広い世間よりも早く変わっていたからである。町に寂しい日を暮らす人たちに、何の断りもなく田舎は進んだ。それが東京化ではなかったまでも、少なくとも心の故郷は荒れたのである。それを知らずに帰去来の辞は口ずさまれていたのである。

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明治大正史(世相篇) (柳田 國男)

2006-07-24 00:10:19 | 本と雑誌

Yanagida  先に宮本常一氏の本を読んだので、その流れで民俗学の関係の本に興味を持ちました。

 日本の民俗学といえば、やはり柳田國男氏の著作に触れないわけにはいきません。
 以前、氏の著作は読んだような漠然とした記憶があったのですが、どうも思い出せませんでした。
 この5月、何年かぶりに実家に寄った際、学生時代に買った本が並んだ本棚を眺めていると、この本が目に付きました。全く覚えていませんでしたが、やはり学生時代に読んでいたようです。あのころ、こういった本にも興味をもっていたのですね、私が・・・。わが事ながら意外な感じです。(ひょっとすると弟の本かもしれません・・・)

 柳田國男氏(1875~1962)は、日本民俗学の創始者とされています。
 貴族院書記官長、朝日新聞社論説委員をつとめた後、民間信仰や伝承等の民俗学の研究に専念、更には、民間伝承の会や民俗学研究所などを開設して、民俗学の普及・研究者の育成にも尽くしました。

 さて、この本ですが、「毎日われわれの眼前に出ては消える事実のみによって、立派に歴史は書けるものだという著者が、明治大正の60年間のあらゆる新聞を渉猟して、日本人の暮し方、生き方を、民俗学的方法によって描き出した画期的な世相史」と紹介されています。
 新聞をベースにしているのですが、その際の気づきを冒頭、以下のように記しています。

(上p5より引用) 生活の最も尋常平凡なるものは、新たなる事実として記述せられるような機会が少なく、しかもわれわれの世相は常にこのありふれたる大道の上を推移したのであった。そうしてその変更のいわゆる尖端的なもののみが採録せられ、他のとして碌々としてこれと対峙する部分に至っては、むしろ反射的にこういう例外のほうから、推察しなければならぬような不便があったのである。

 したがって、その思索の材料は、結局は「新聞から」というよりも、柳田氏の探求眼によって、まったく普段の営みである庶民の実生活の中から掘り出されたものでした。

(上p7よりより引用) 国に遍満する常人という人々が、眼を開き耳を傾ければ視聴しうるもののかぎり、そうしてただ少しく心を潜めるならば、必ず思い至るであろうところの意見だけを述べたのである。

 採り上げているテーマを目次から抜粋してみましょう。その多彩な視点が俯瞰できます。

  • 第1章 眼に映ずる世相
  • 第2章 食物の個人自由
  • 第3章 家と住心地
  • 第4章 風光推移
  • 第5章 故郷異郷
  • 第6章 新交通と文化輸送者
  • 第7章 酒
  • 第8章 恋愛技術の消長
  • 第9章 家永続の願い
  • 第10章 生産と商業
  • 第11章 労力の配賦
  • 第12章 貧と病
  • 第13章 伴を慕う心
  • 第14章 群を抜く力
  • 第15章 生活改善の目標
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破壊的技術の活かし方

2006-07-23 00:13:49 | 本と雑誌

(イノベーションのジレンマ(クリステンセン))

 製品のライフサイクルについては、従来からいろいろなモデルが提唱されています。たとえば、

(p228より引用) ウィンダミア・アソシエーツは、「購買階層」という製品進化モデルを作成した。このモデルは、機能、信頼性、利便性、価格の四段階を一般的なサイクルとしている。・・・購買階層のある段階から別の段階への移行を促す要因は、性能の供給過剰である。・・・
 このような機能から信頼性、利便性、価格へと至る、競争地盤の進化のパターンは、これまでにとりあげた市場の多くにもみられる。実際、破壊的技術の重要な性質は、競争地盤の変化の先触れであることだ。

 破壊的技術は、この競争地盤内のポジションや競争地盤間の移行の要因のひとつだと言えます。

 競争地盤内の影響という点では、

(p230より引用) まず、主流市場で破壊的製品に価値がない原因である特性が、新しい市場で強力なセールス・ポイントになることが多い。

 また、競争地盤間の移行への影響という点では、

(p230より引用) つぎに、破壊的製品は、確立された製品に比べ、単純、低価格、信頼性が高い、便利などの特徴を備えていることが多い。

 破壊的技術は、競争地盤内でのポジションを高め、それを踏み台に上位市場に参入し、その市場の「購買階層」を変化させるのです。

 さて、このような破壊的技術の特性の理解を前提にして、本書の第9章で破壊的技術の活かし方に触れています。
 ここでは、電気自動車を潜在的に破壊的技術だと想定し、電気自動車普及に向けた具体的マーケティング戦略を策定する際の3つのポイントを記しています。

(p251より引用) 第一に、電気自動車は主流市場の基本的な性能要求を満たしていないため、当然ながら、電気自動車は最初は主流の用途には使えないことを認める。

 ということは、破壊的技術の適応先としては(逆に)主流以外の用途を探せばいいのです。

(p252より引用) 第二のポイントは、電気自動車の初期の市場がどのようなものになるかは市場調査ではわからないことだ。

 この点は、本田宗一郎氏が「アンケートをとるのは無意味だ」と話されていた姿勢に通じるものがあります。破壊的技術は、顧客も理解していないわけですから、マーケットに聞いても無駄です。
 開発側で知恵を絞るか、ともかく、何か市場に出してみてその反応を見るとかの方法しかありません。
 そういう意味で、破壊的技術を扱う場合は、次のような試行錯誤のプロセスを当初から意識して取り組む必要があるのです。

(p253より引用) 第三のポイントは、この事業は既知の戦略を実行するためではなく、学習のための計画である必要があることだ。・・・過ちをおかしたら、できるだけ早くなにが正しいのかを学ぶように計画する必要がある。・・・二回目、三回目の挑戦のために資源を残しておく必要がある。

 ただ、そもそも、ある技術が「持続的技術」か「破壊的技術」か、その見定めが肝になります。
 どうも「破壊的技術」というのは、「結果」のような感じもします。既存市場に新技術を搭載した製品が参入した際、それが、従来の当該市場の許容機能を満たしていて、かつ、従来の製品にない「新たな価値」を有していた場合、それが(結果的に)「破壊的」になるということです。

 だとすると、顧客が「新たな価値」を評価するかどうかの読みが決め手になります。
 結局は、やはり「顧客」に立ち戻るのです。

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顧客の声の妄信

2006-07-22 00:20:00 | 本と雑誌

(イノベーションのジレンマ(クリステンセン))

 クリステンセン氏の立論においては、「顧客の声への対応」がひとつのポイントとなっています。

(p80より引用) 「顧客の意見に耳を傾けよ」というスローガンがよく使われるが、このアドバイスはいつも正しいとはかぎらないようだ。むしろ顧客は、メーカーを持続的イノベーションに向かわせ、破壊的イノベーションのリーダーシップを失わせ、率直に言えば誤った方向に導くことがある。

 成功企業の失敗は、破壊的技術を現在の主流顧客のニーズに合わせようとすることが根本原因です。

(p24より引用) すぐれたマネージャーは顧客と密接な関係を保つという原則に盲目的に従っていると、致命的な誤りをおかすことがある。

 成功している優良企業、その中の優秀なマーケティングスタッフは、当然のごとく顧客志向で判断しますから、必ずこの落とし穴に嵌ってしまうのです。

(p19より引用) 主流顧客がどのように製品を使うのかといった動向を注意深く判断する企業だけが、市場で競争の地盤が変化するポイントをとらえることができる。

 ここでのポイントは「顧客がどのように『使う』のか」を把握することです。
 買われ方だけでなく、使われ方まで理解しないと、現在の提供機能が、不足しているのか or 適切なのか or 過剰なのかは分かりません。

 過剰スペックの製品を提供しつづけていると、いつか、許容最低限の機能をもち、信頼性や利便性、さらには価格といった面で強みをもつ破壊的技術を抱えた新規参入企業に主役の座を奪われることになるのです。

 顧客を「購買者」としてのみ見てはならないということです。
 「利用者」として見るという別の視点が「ジレンマ」脱出のカギになります。

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ジレンマのメカニズム

2006-07-21 00:19:22 | 本と雑誌

(イノベーションのジレンマ(クリステンセン))

 クリステンセン氏の説く「イノベーションのジレンマ」のメカニズムは、簡単に示すと以下のようなものです。

(p18より引用) 製品の性能が市場の需要を追い抜く現象が、製品のライフサイクルの段階を移行させる最大のメカニズムであると考える。
 企業は、競争力の高い製品を開発し優位に立とうとするために、急速に上位市場へと移行しており、高性能、高利益率の市場をめざして競争するうちに、当初の顧客の需要を満たしすぎてしまったことに気づかないことが多い。そのため、低価格の分野に空白が生じ、破壊的技術を採用した競争相手が入り込む余地ができる。

 破壊的イノベーションは、自分が所属しているマーケット(バリュー・ネットワーク)において0「ゼロ」から生まれてくるものではないようです。別のバリュー・ネットワーク(通常は、よりベーシックなマーケット)で生まれ育ちます。

 優良企業たるもの、そのイノベーションの動向は、きちんと感知しているのです。そして、それに対応する(同様の技術を習得する)準備も怠り無く実施します。そして、顧客の声も聞きます。

 が、ここが重要なポイントになるのです。

 顧客は現状の技術トレンド上の製品に満足しています。当然、現時点ではまだ何のメリットもない新技術を活用した新たな製品を評価しません。
 そのため、顧客の声に忠実な既存主要企業では、新たな技術への投資よりも、既存技術の充実にリソースを集中するのです。
 そのうち、別のバリュー・ネットワークでの技術が、上位のバリュー・ネットワークのマーケット(すなわち、自社が拠って立っている市場)の顧客が許容する水準の機能及び価格で参入してきます。
 この過程で、この別のバリュー・ネットワーク内の技術が「破壊的イノベーション」に変身するのです。破壊的イノベーションといっても、それは画期的な新発明といったとびきりピカピカのものとは限りません。
 当該技術が適応する別のマーケットでじわじわと力を蓄え、そこで磨かれたものが、満を持して上位マーケットに攻め込んでくるのです。

(p108より引用) 実績ある企業は、いつも新しい技術を確立された市場に押し込もうとするが、成功する新規参入企業は、新しい技術が評価される新しい市場を見つける。・・・
 新規参入企業は、まず、当時の新技術の能力に見合った市場を見つけ、その市場で設計と製造の経験を積み、その商業的基盤を利用して上位のバリュー・ネットワークを攻撃した。この競争で、実績ある企業は負けた。

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イノベーションのジレンマ (クリステンセン)

2006-07-20 01:10:03 | 本と雑誌

 かなり旬はすぎているのでしょうが、やはり通しで読んでおこうと思って手に取りました。

(p7より引用) 企業の成功のために重要な、論理的で正当な経営判断が、企業がリーダーシップを失う原因にもなる。

 とあるように、オッと思うようなセンセーショナルな指摘です。
 その論旨は最終章にまとめとしてコンパクトに整理されています。

 まずは、市場(ニーズ)と技術の進歩のテンポのズレを議論の前提とします。

(p267より引用) 第一に、市場が求める、あるいは市場が吸収できる進歩のペースは、技術によって供給される進歩のペースとは異なる場合がある。

 そのため、既存技術を前提とした市場に、新たな技術(による製品)が、その市場の許容する最低水準の機能レベルを満たした形で参入してくることがあります。
 ここから、優良企業の論理的かつ正当な経営判断が動き始めます。

(p268より引用) 第二に、イノベーションのマネジメントには、資源配分プロセスが反映される。

(p268より引用) 第三に、あらゆるイノベーションの問題には、資源配分の問題と同様、市場と技術の組み合わせの問題もともなう。成功している企業は、持続的技術を商品化し、顧客が求めるものを絶えず改良して提供する能力に長けている。この能力は、持続的技術に取り組むには貴重だが、破壊的技術に取り組む際には、目的をはたすことができない。

 成功している企業は、現在の顧客のニーズを、従来技術の改良により充足させようとします。その論理的な判断は、現在の顧客に受け入れられないような技術に対して、企業の限られた資源を分配しようとはしません。

(p269より引用) 第四に、たいていの組織の能力は、経営者が考えるよりはるかに専門化されており、特定の状況にのみ対応できるものである。

 論理的な判断のベースには、通常「情報」があります。この点も、破壊的技術を扱う場合はだいぶ勝手が違います。成功している企業は、そもそも破壊的技術に関する情報を持ち合わせていないのです。

(p270より引用) 第五に、破壊的技術に直面したとき、目標を定めて大規模な投資を行うために必要な情報は存在しないことが多い。コストをかけず、すばやく柔軟に市場と製品に進出することによって、情報を生み出す必要がある。

 破壊的技術と持続的技術は、基本的なコンセプトが全く異なります。
 したがって、分割損とかを気にすることなく、それぞれに対して全く別の取り組みをしなくてはならないと言います。

(p270より引用) 第六に、つねに先駆者となる、つねに追随者となるといった一面的な技術戦略をとるのは賢明なことではない。企業は、破壊的技術と持続的技術のどちらに取り組むかによって、明確に異なる姿勢をとる必要がある。

 持続的技術にもとづく市場戦略は従来からのオーソドックスな王道があります。
 クリステンセン氏は、その王道が、破壊的技術による市場参入を阻む最大の障壁だと指摘します。

(p270より引用) 第七に、・・・新規参入や市場の移動に対しては、経済学者が定義し、重視してきたような障壁とはまったく別の、強力な障壁がある。・・・破壊的技術は、投資することが最も重要な時期にはほとんど意味を持たないため、実績ある企業の慣習的な経営知識が参入や市場移動の障壁になることはまちがいないと思ってよい。この障壁は、それほど強力に浸透している。

 そしてその障壁を越える方策を次のように示します。

(p271より引用) 実績ある企業でも、この障壁を超えることは可能である。・・・持続的イノベーションと破壊的イノベーションというまったく異なる仕事を、顧客に邪魔されることなく、支援できる環境をつくる必要がある。

 本書で論じているジレンマは、「顧客によるミスリード」が根源とも言えます。
 それゆえ、従来型の顧客重視の優良企業はすべて、「破壊的技術」に直面すると打ち手を誤り、市場から去っていくことになるというのです。

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ワレ惟ウ、故ニワレ在リ (方法序説(デカルト))

2006-07-17 16:38:25 | 本と雑誌

 いよいよ、「cogito ergo sum.:コギト・エルゴ・スム」です。

 ここに至る以前から、デカルトは、自分で明晰に「真」と判明できないものは「偽」とする姿勢を貫いていました。

(p45より引用) 当時わたしは、ただ真理の探究にのみ携わりたいと望んでいたので、これと正反対のことをしなければならないと考えた。ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうか見きわめねばならない、と考えた。・・・

 デカルトは、さらに思索を進めていきます。
 そして、ついに第一原理に達します。すべての思索の原点となる唯一の確実な事実です。

(p46より引用) このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない・・・。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟ウ、故ニワレ在リ〕」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。

 さて、この第一原理から、デカルトは、

(p48より引用) 「(考えるために存在するわたしたちが)きわめて明晰かつ判明に捉えることはすべて真である」

と判断しました。
 この思索の流れがいわゆる「方法的懐疑」であり、デカルトが科学、とりわけ数学の合理主義的帰納法を哲学に用いようとしたと言われる所以です。

 さらに、論はデカルトの「心身二元論」に進みます。

(p46より引用) それから、わたしとは何かを注意ぶかく検討し、次のことを認めた。・・・わたしは一つの実体であり、その本質ないし本性は考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない、と。したがって、このわたし、すなわち、わたしをいま存在するものにしている魂は、身体〔物体〕からまったく区別され、しかも身体〔物体〕より認識しやすく、たとえ身体〔物体〕が無かったとしても、完全に今あるままのものであることに変わりはない、と。

 この(「方法序説」の)第4部が「方法序説」中、最も有名な論証の節ですが、引き続き第5部にて、公刊されなかった「世界論」のエッセンスが示され、第6部では、ガリレイ事件後のデカルトの学究の姿勢が語られます。

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当座の道徳 (方法序説(デカルト))

2006-07-16 13:21:56 | 本と雑誌

  さて、デカルトが一から思想の再構築に取り掛かっている最中、そうはいっても、世の中は動いています。その中で暮らしている以上、世の中の様々な事柄との何らかの関わりは避けられません。

 そういう時、実生活の中では、「『真』であるか否かが明晰に判明していない以上は何も決定しない(動かない)」とばかり言っても始まりません。

 デカルトは、そういう場合を想定して、基本的行動メルクマールを規定していました。

(p34より引用) 理性がわたしに判断の非決定を命じている間も、行為においては非決定のままでとどまることのないよう、そしてその時からもやはりできるかぎり幸福に生きられるように、当座に備えて、一つの道徳を定めた。それは三つ四つの格率から成るだけだが、ぜひ伝えておきたい。

 このいくつかの「格率」は、現実的でオーソドックスなものです。

(p34より引用) 第一の格率は、わたしの国の法律と慣習に従うことだった。・・・さらにわたしは、等しく受け入れられているいくつもの意見のうち、いちばん穏健なものだけを選んだ。・・・

 この基準は、「保守的」というよりも「中庸」という立場に近く、その点では、極端に振れないリスクヘッジの効いたメルクマールだと言えます。

(p36より引用) わたしの第二の格率は、自分の行動において、できるかぎり確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うことだった。

 この第二の格率も不透明な条件下での鉄則です。
 いったん「これで行く」という蓋然性の高い選択肢を選んだ以上は、徹底してその道を進むべしと言うのです。
 実行にあたって不安になり心が揺れるようであれば、そもそもその選択肢を選ぶべきではなかったのですから、当然といえば当然です。が、現実的には徹底は難しいものです。心しなくてはなりません。

(p37より引用) わたしの第三の格率は、運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることだった。そして一般に、完全にわれわれの力の範囲内にあるものはわれわれの思想しかないと信じるように自分を習慣づけることだった。したがって、われわれの外にあるものについては、最善を尽くしたのち成功しないものはすべて、われわれにとっては絶対的に不可能ということになる。そして、わたしの手に入らないものを未来にいっさい望まず、そうして自分を満足させるにはこの格率だけで十分だと思えた。

 こういった自力で最善を尽くしたあとのある種「割り切り」の哲学は、マルクス・アウレリウスの「自省録」にも見られます。

(p39より引用) 最後にこの道徳の結論として、この世で人びとが携わっているさまざまな仕事をひととおり見直して、最善のものを選び出そう、と思い至った。他の人の仕事については何も言うつもりはないが、わたし自身はいまやっているこの仕事をつづけていくのがいちばん良いと考えた。すなわち、全生涯をかけて自分の理性を培い、自ら課した方法に従って、できうるかぎり真理の認識に前進していくことである。

 ここにおいてデカルトは、自分の人生の道を明晰に確信したのです。

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4つの規則 (方法序説(デカルト))

2006-07-15 16:25:52 | 本と雑誌

 事物の認識に至るための真の方法として、デカルトは「4つの規則」を示します。
 「明証」「分析」「総合」「枚挙」です。

(p28より引用) 論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという堅い不変の決心をするなら、次の四つの規則で十分だと信じた。
 第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。・・・
 第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。
 第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。・・・
 そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。

 この「方法」の代表的な適応例が「解析幾何学」であり「代数学」です。

Zahyo_1  デカルトが数学にもたらした最大の貢献は、解析幾何学の体系化だと言われています。また、方程式論にも貢献しました。
 未知数や既知数を示すために、xやaといったアルファベットを初めて使ったのは彼でした。数の累乗を表わすための指数表記も考案しました。

 これらの「方法」の確立により、論理的・演繹的思考が広く一般にも流布されたと同時に、代数学の問題において、ある種機械的な数式処理による解法の定着が図られたとのことです。

(p32より引用) この方法でわたしがいちばん満足したのは、この方法によって、自分の理性をどんなことにおいても、完全ではないまでも、少なくとも自分の力の及ぶかぎり最もよく用いているという確信を得たことだ。さらに、この方法を実践することによって、自分の精神が対象をいっそう明瞭かつ判明に把握する習慣をだんだんとつけてゆくのを感じたことだ。

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方法的懐疑の萌芽 (方法序説(デカルト))

2006-07-14 22:09:45 | 本と雑誌

 デカルトは、年少のころから当時としては一流の教育環境にあり、人文学・スコラ学・医学・法学等を学びました。その後、彼は書物を捨て、旅にでて外部世界でさまざまな経験を積みました。

 そういった中でデカルトが抱いていた問題意識は以下のようなものでした。

(p18より引用) わたしは、自分の行為をはっきりと見、確信をもってこの人生を歩むために、真と偽を区別することを学びたいという、何よりも強い願望をたえず抱いていた。

 デカルトにとっては、旅での経験が極めて大きな意味をもっていました。
 デカルトの旅は、文字通りの「旅」もあれば、オランダでの学究生活やドイツでの従軍生活等といった「異郷での暮らし」もありました。

 そういったさまざまな経験から、デカルトは、従前から盲目的に信じられている事柄に対する「懐疑の姿勢」を体得していきました。

(p18より引用) われわれにはきわめて突飛でこっけいに見えても、それでもほかの国々のおおぜいの人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを見て、ただ前例と習慣だけで納得してきたことを、あまり堅く信じてはいけないと学んだことだ。

 そして有名なドイツ冬営地での「炉部屋の思索」に至ります。

(p23より引用) わたしは次のように確信した。・・・わたしがその時までに受け入れ信じてきた諸見解すべてにたいしては、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ、と。後になって、ほかのもっとよい見解を改めて取り入れ、前と同じものでも理性の基準に照らして正しくしてから取り入れるためである。古い基礎の上だけに建設し、若いころに信じ込まされた諸原理にだけ、それが真かどうか吟味もせずに依拠するより、このやり方によって、はるかによく自分の生を導いていくことに成功すると堅く信じた。

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叡智の先導 (方法序説(デカルト))

2006-07-12 00:12:54 | 本と雑誌

Descartes_1  「方法序説」は、デカルトが41歳のときの書です。
 その正確なタイトルは「理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法の話。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学」だそうです。

 デカルトは、この著作の目的を

(p11より引用) 自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうと努力したかを見せるだけなのである。

と述べています。

 この本は(ラテン語ではなく)フランス語で書かれていることからも、当時の学問に関心を持つ一般人を読み手として意識していたことが窺い知れます。

 そういった読者に対して、デカルトは謙虚な姿勢でこう語ります。

(p11より引用) この書は一つの話として、あるいは、一つの寓話といってもよいが、そういうものとしてだけお見せするのであり、そこには真似てよい手本とともに、従わないほうがよい例も数多くみられるだろう。そのようにお見せしてわたしが期待するのは、この書がだれにも無害で、しかも人によっては有益であり、またすべての人がわたしのこの率直さをよしとしてくれることである。

 また、デカルトは、自分の学問の探究に自信を抱いていました。しかし、それは決して独りよがりの慢心ではありませんでした。

(p83より引用) ところでわたしは、これほどに重要不可欠な学問の探究に全生涯を当てようと企て、わたしの見いだした道が、人生の短さと実験の不足とによって妨げられさえしなければ、その道をたどって間違いなくその学問が発見されるはずだと思われたので、この二つの障害に対して次のこと以上によい策はないと判断した。それは、自分の発見したことがどんなにささやかでも、すべてを忠実に公衆に伝え、すぐれた精神の持ち主がさらに先に進むように促すことだ。

 ひとりの能力を重んじ礼賛するのではなく、全ての人が、それぞれの学究の成果を提供し、協力し合い、叡智を結集して前進することを望んでいたのでした。

(p84より引用) その際、各自がその性向と能力に従い、必要な実験に協力し、知り得たすべてを公衆に伝えるのである。先の者が到達した地点から後の者が始め、こうして多くの人の生涯と業績を合わせて、われわれ全体で、各人が別々になしうるよりもはるかに遠くまで進むことができるようにするのである。

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アインシュタインの夢 (アラン・ライトマン)

2006-07-11 00:10:02 | 本と雑誌

 先に読んだ「ザ・プロフィット」という本のブックリストで紹介されていたので読んでみました。
 「ザ・プロフィット」の著者スライウォツキーは、この課題図書により、読者に対して「常識に縛られない自由な発想を促す」ことを目論んだようです。

 内容は、1905年、特殊相対性理論の完成を目前にしたアインシュタインが夜ごと悩まされた時間に関する奇妙な夢を、現役物理学者でもある著者が、「30の小編」に仕立てあげたものです。
 相対性理論における素人感覚的な柱のひとつは「時間の相対化」だと思うのですが、「絶対的な時間」という固定観念にとらわれない「多様な時間」にアインシュタイン自身が悩まされたというモチーフは秀逸です。

 時間が円環である世界、時の経過とともに秩序が増す世界、時間が静止する世界、時間の中心にいくほど時間の流れが遅い世界、時間が逆に流れる世界等々、さまざまな時間相を古都ベルリンを舞台に叙情的筆致で描き出して行きます。

 ただ、どれもやはりある意味「時間に囚われた世界」です。30の小品の中には「時間のない世界」も描かれていますが、それは数々の静止したイメージの陳列です。

 本書を味わうには、私にはまだまだ文学的感性が足りないようです。
 時間を別の視座から考えるという点では、以前紹介した「パパラギ」の方が、素直に楽しめ、またいろいろと考えさせられました。

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