OMOI-KOMI - 我流の作法 -

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日本史の思い込み (日本の歴史をよみなおす(網野 善彦))

2005-11-30 23:27:10 | 本と雑誌

(p228より引用) 日本は島国で、周囲から孤立した閉鎖的な社会であり、それだけに一面では他からの影響をあまりうけることなく独特な文化を育てることができた。・・・そしてその文化を支えているのは、水田を中心とした農業であり、日本の社会は、弥生文化が日本列島に入ってからは、江戸時代まで基本的に農業社会であり、産業社会になるのは明治以後、さらに本格的には、高度成長期以後である。

 この本では、上記のような日本史の常識と考えられている姿が本当に正しいのかを真摯に問い質しています。

 日本が少なくとも江戸時代まで「農業社会」だったということは、一般的な日本史の教科書にも記述されひろく多くの人の常識となっていますが、このひとつの根拠は江戸時代の「身分別構成比」によるとのことです。
 この史料には「農民76.4%」とありこれを論拠にしているのですが、元史料では、その項目名は「百姓」となっています。ここに「百姓=農民」という「常識」が翻訳者として登場し、大きな誤解の元をつくってしまったのです。
 この本では、多くの史料から「百姓」は「農民」と同義ではなく「農業以外の正業を営む人々」を含むことを証明しています。これにより、日本の中世・近世は、単一的な農業社会ではなく、林業・漁業といった第一次産業のみならず、製造業・流通業・金融業等多様な産業が興隆した多面的な社会としてとらえられるようになるのです。

(p255より引用) これまでの歴史研究者は百姓を農民と思いこんで史料を読んでいましたので、歴史家が世の中に提供していた歴史像が、非常にゆがんだものになってしまっていたことは、疑いありません。

 また、さらには、別の「思い込み」です。

(p269より引用) 従来の見方では、(日本は)・・・海によって周囲から隔てられた島々の中で、自給自足の生活を営む孤立した社会であった、と考えられてきたと思います。しかしこの常識的な見方はじつはまったく偏っており、こうした日本列島の社会像は誤った虚像であるといわなければなりません。

 網野氏の考え方によれば、海は確かに人と人とを隔てる障壁にもなりますが、それは海の一面でしかありません。別の見方をすれば、海は逆に人と人とを結ぶ柔軟な交通路としての役割も果たしていたということになります。
 事実、日本社会は以前より四方の海を通じて周辺の地域・国々との交流はありましたし、国内においても海・川・湖沼を使った水上交通路が発達しておりかなり広範囲で経済的・文化的な交流があったことが実証されているのです。

 網野氏は、従来からの日本史の常識に対峙するにあたって、当時の実際の社会生活をリアルに思い描きながらこれらの常識の誤謬を明らかにしていったように思います。
 現存の記録が、なぜ記録として生き残ったのかという公的史料の背景にも考えを巡らし、「襖下張り文書」に代表される公式文書の影に埋もれた層の多くの史料を丹念に紡ぎ出し、生活実態としての中世・近世社会を再演させているのです。

 この本のあとがきには、こう記されています。

(p408より引用) もしもこの書を読んで、あらためて日本の社会のあり方について、「常識」に安易に従うのでなく、自分の頭で考え直してみようとする若い人が一人でもふえれば、まことに幸せである。

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自力の勧め (哲学とその方法について(ショーペンハウエル))

2005-11-27 01:04:34 | 本と雑誌

 ショーペンハウエルは一貫して自らの頭で考えることを訴え続けています。

(p29より引用) 真理の発見にもっとも大きな妨げになるものは、事物から発してきてひとを誤謬へ誘いこむいつわりの仮象ではなく、また直接には知性の弱さでもない。そうではなくて、それは先入見、偏見であり、これが一種の似而非ア・プリオーリとなって真理を妨害する。

 ここで警鐘を鳴らしている「先入見・偏見」は、他からの影響によるものもあれば、自らの思考の過程や結果から生じるものもあります。いずれにしても、これらは一度自分の頭の中に入り込んでいるものなので、峻別して影響を受けないようにすることは厄介です。
 すなわち、すでに蓄積された過去の思考の結果は、それが、良性の経験値か悪性の経験値かの区別が付けにくく、いずれの経験も、その後の自らの思考の積み重ねに知らず知らずの間に紛れ込む虞があるからです。

 「先入見・偏見」を排除することは、本当に難しいものですが、やはり、その王道は、ともかく自ら独力で考えるということに帰着します。

(p29より引用) 『ファウスト』の中のゲーテの詩句
「汝が父祖より嗣ぎ来りし宝を、
はたらき取りて、その主となれ」(『ファウスト』第一部六八二行)
を、私は自分なりに次のように註解する。
 われわれの先人思想家たちがすでに見出していたことを、彼らに依らずに、またその事情を知るよりもさきに、自分自身の力でみずから発見することには、大きな価値と効用がある。なぜなら、われわれは自分で得た思想を、他人から習得した思想よりも、遥かに深く理解するものであり、そして後になってそれをあの先人たちのもとで見出すときには、期せずしてその真理性の有力な証拠を-広く認められている他人の権威によって-得るのである。

 独力で考えた結果は、それが仮にすでに先人が拓いた道であったにしても、その確信度において格別な質的な差が生じるのです。

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花の種

2005-11-26 00:27:45 | 本と雑誌

 「花伝書」は、申楽の奥義である「花」の伝承を目的としています。

(第七 別紙口伝 p82より引用) 花と、おもしろきと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり。

 「花」とは、観る者に心からの感動を与える元であり、その主たる要素が、おもしろさでありめずらしさということのようです。(ここでの「めずらしさ」とは奇を衒ったものとは全く別物であることはいうまでもありません)

 この「花」の本質的に意味するものはもっともっと深遠なもののようなのですが、それに至る道程は王道です。

(第三 問答条々 p54より引用) この物数を究むる心、即ち花の種なるべし。されば、花を知らんと思はば、まづ種を知るべし。花は心、種はわざなるべし。(この芸の種類を学び究める心がけが、花を咲かせる種である。それゆえに、花を知ろうと思うならば、まず種を知らねばならぬ。さて、「花」は心の工夫の問題、その花を咲かせるもとの種は、芸の実力というわけである。)

 「花」のもとは「種」、「種」は、年来の稽古の積み上げによる芸そのものです。真面目にこつこつと稽古に精進した者すべてが「花」を悟り達人の域に達するものではないのでしょうが、基本の無い者が「花」を悟ることは有り得ないのです。
 なぜなら、「花伝書」には、

(第三 問答条々 p53より引用) ただわづらはしくは心得まじきなり。まづ、七歳よりこのかた、年来の稽古の条々、ものまねの品々を、よくよく心中にあてて、分ちおぼえて、能をつくし、工夫を究めて後、この花の失せぬところをば知るべし。

とあるからです。
 すなわち、花に至る道を煩わしいと思ってはならない、志したころからの地道な稽古を重ね、その中で次第に分かってくるものだと教えています。

 この「花」に至る口伝は、秘伝であると同時に血縁には縛られない道の厳しさも語られています。

(第七 別紙口伝 p97より引用) この別紙の口伝・当芸において、家の大事、一代一人の相伝なり。たとへ一子たりといふとも、不器量の者には伝ふべからず。「家家にあらず、続くをもて家とす。人人にあらず、知るをもて人とす。」といへり。これ万徳了達の妙花をきはむるところなるべし。

 たとえ、一人っ子であっても才能の無い者には伝えてはならぬ、継ぐ資格のあるものに「これを秘し伝ふ」のです。

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初心 in 花伝書

2005-11-23 14:33:27 | 本と雑誌

 「初心忘するべからず」という詞は世阿弥が編んだ「花伝書(風姿花伝)」が出典とされています。

 ことわざ辞典によると、
 「何事も、それを始めようとした時の謙虚さや真剣さを忘れてはならない、ということ。初心=ならいはじめたときの素朴な気持ち、の意。」
とかと解説されていて、「初心にかえれ」「初めて事に当たる新鮮な感動を忘れるな」といったコンテクストで登場します。

 が、「花伝書」における「初心」とはちょっとニュアンスが異なるようです。

 「花伝書」では、まず、「二十四五歳のころ」を「初心」といっています。いわゆる物事のやりはじめを意味しているのではありません。

(第一 年来稽古条々 p19より引用) このころ、一期の芸能のさだまる初めなり

(第一 年来稽古条々 p21より引用) 初心と申すは、このころのことなり。・・・わが位のほどほどよくよく心得ぬれば、そのほどの花は一期に失せず。位より上の上手と思へば、もとありつる位の花も失するなり。よくよく心得べし。 (初心と言うのはこの時期のことだ。・・・自分の芸の実力の程度を十分に承知していれば、その実力の程度の花は一生涯無くならない。自己の実力以上に上手とうぬぼれると、元来持っていた実力から生まれる花も無くなってしまう。この点にくれぐれも注意するがよい。)

とあるように、「事に慣れ,上達し始め,何か自信が出てきたときの自己満足や慢心を戒める」という意味のようです。

 世阿弥は、上手になりはじめた頃が最も危険な時期だと見ているのです。
 若盛りの一時的なよさが珍重されて、まわりから誉めそやされるままに「時分の花」を「真実の花」と見誤ること、その結果、折角、咲き誇りかけた花を枯らせてしまうことを戒めています。この時期にこそ慢心せず稽古に一層精進することにより、「誠の花」を咲かせる道に至ると説いています。
 これが、花伝書にいう「初心忘るべからず」という心です。

 あと、花伝書には、もう一箇所、ストレートに「初心忘るべからず」と記しているところがあります。

(第七 別紙口伝 p90より引用) しかれば、芸能の位上れば、過ぎし風体をしすてしすて忘るること、ひたすら、花の種を失ふなるべし。その時々にありし花のままにて、種なければ、手折る枝の花のごとし。種あらば、年々時々のころに、などか逢はざらん。ただかへすがへす、初心を忘るべからず。 (そうしてみると、芸能のくらいが上ると、過去の風体をすっかりやり捨てて忘れてしまうのは、ただもう花の種を失うことだ。その時々に咲いている花だけで、種が無いということになると、手折った花の枝のようなものだ。種があれば、年々またその時節にはかならず咲きあおう。そこでくれぐれも初心を忘れてはならぬ。)

 ここでは、「初心」のころの慢心の戒めではなく、年季を積んでの役者に対して、「年々去来の花を忘れてはならぬ」と教えています。これはまた、ひとかどのレベルに達した人に対する「慢心の戒め」です。

 観阿弥(世阿弥の父)のような達人は、初心の時からこのかたの芸能の様々を花の種として身に残しておいて、それを必要に応じて取り出して演ずることができたと言います。

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「指南書」としての花伝書

2005-11-20 15:17:47 | 本と雑誌

 以前、私はこのBlogでマキアヴェリの「君主論」を「プレゼンテーションツール」としても一流と書きました。

 この「花伝書」は、形式的に「指南書」としても極めて上質なものだと思います。

 その構成ですが、イントロダクションとしての「序」に続き、「第一 年来稽古条々」の章で、「年齢段階順」に申楽の稽古の要諦を示しています。

 次に「第二 物学条々」の章において、申楽の芸の基礎となる各種「物まね」の心得・注意点を整理しています。その示し方は、「女」「老人」等々、ひとつひとつ具体的対象を挙げて個々に詳しく勘所を解説しています。

 「第三 問答条々」は、今流にいえば「FAQ」です。「第一」「第二」の稽古が進んだ者が、より深く申楽の奥義を体得しようとする姿勢に応え、実際の舞台本番においてその力が発揮できるような活きた智恵を与えています。

 「第四 神儀に云ふ」は、申楽の歴史について述べた章です。解説によると、この章は以下のような目的で書かれたとのことです。

(p164より引用) 当時の申楽者は、平安初期に楽戸を辞退して以来、戸籍のない民であって、自ずから社会的地位・身分を卑しめる境遇に甘んじていたのである。・・・それら申楽者が、尊重すべき長い歴史を持つ芸道に身を置くものであることを自覚することによって、彼等の持つ社会観を変更させ、自己の歩む芸道に自信を持たせようと企図したのである。

 とすると、この章は、グループのリーダ(統帥)としてミッションの正統性を明らかにし、メンバのモチベーションの向上を図るための宣言とも言えます。

 「第五 奥神儀に云ふ」は、申楽の意義・価値を明らかにし、申楽を演ずる目的、そもそも芸能の本質とは何か等について述べた章です。この章をもって、申楽の道に精進するものをして、その道を究めようとの自覚を増さしめ、さらに、なお一層の研鑽に努めることに至らしめています。

 まさに、芸術・芸能の本質論から歴史、求道の目的、具体的研鑽方法・心構えの解説、意欲継続・増進に向けた訴求等、あらゆる要素を包含したフルスペックの指南書と言えます。

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カリスマ ? 中内功とダイエーの「戦後」

2005-11-19 19:25:01 | 本と雑誌

 (中内氏の「イサオ」という字は「たくみへん」に「刀」ですが、フォントがないので、人名で大変失礼ではありますが「功」の文字で代用します)

 本年9月19日、ダイエー創業者中内功氏が亡くなりました

 ダイエーは私たちの年代にとっては、大規模小売業・流通業の代名詞のような企業でした。私が子供のころ、よくダイエーに買い物に行きましたし、社会人になってから住んだ岩見沢(北海道)、横浜、熊本・・・、東京都内はもちろん、必ずといっていいほどダイエー(もしくはトポス、Dマート等の系列店)がありました。

 いつごろからでしょうか、ダイエーがちょとおかしいかなと思いはじめたのは・・・。
 当時は経済関係にはほとんど興味がなかったのですが、(私が???と感じ始めたのは)たぶんフランスの大手百貨店「オ・プランタン」との提携店である「プランタン銀座」の開店のころ(1984年(昭和59年))からだったように思います。
 本業のGMS(General Merchandising Store:総合スーパー)では、「セービング」というプライベートブランド、特にアメリカ産のPBの「セービングコーラ」を出し始めたあたりでした。

 そのころから、私の感覚は、「ダイエーにいけば欲しいものが何でも安価で買える」というよりも「ダイエーに行っても何か買いたい気にはならない」というふうに変わり始めました。

 ここ数年は、年に1・2回、自宅近くにダイエーの系列店のトポスに行くことがあるのですが、失礼な言い方ですが、店内には買い物の楽しさを沸き立たせるような活気は全く感じられず、逆に、澱んだ雰囲気にこちらまで沈み込むような心持ちになってしまうのです。

 何故こうなってしまったのか・・・?
 このダイエーの凋落の原因を中内氏ひとりに帰納するのは正しくはないと思いますが、しかしやはり中内氏の経営戦略の失敗・経営姿勢の非適応(個人的パーソナリティ?)によるところが最大の原因だったように思います。

 この本は、多くの資料と中内氏を含めた関係者のインタビューをもとに、少年時代から壮絶な戦争体験を経て、戦後流通の巨星への道を駆け上りそして破滅していった中内氏の軌跡を肉厚な筆致で著したものです。

 印象的だったのは、信じがたいような戦争体験による中内氏の「人間不信の根深さ」と、それにある意味呼応した「身内への傾倒」でした。その結果のひとつがダイエーの経営破綻であり、多くの関係者の人生を変えてしまったのです。

 現在(2005年)、ダイエーは産業再生機構のもと経営再建を目指していますがその道は極めて険しそうです。

 著者の佐野眞一氏が、中内氏の訃報に接しての記事があったのでご紹介しておきます。
 「巨星落つ~佐野眞一氏が語るダイエー創業者、中内氏」

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パパラギ (岡崎照男 訳)

2005-11-18 23:48:42 | 本と雑誌

 先に読んだ「知的複眼思考法」の巻末のリーディング・ガイドで紹介されていたので、久しぶりに読み直してみました。
 最初にこの本を読んだのは学生のときだったと思います。当時もかなり流行りました。このBlogをご覧のみなさんの中にも読まれた方はかなりいるのではないでしょうか。

 この本は、1920年、第一次世界大戦が終結して間もないドイツで初版が発行されました。副題は「はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」とあります。

 この本で対比されているパパラギ(ヨーロッパ人)の世界とパパラギの国(南太平洋・西サモア)の世界の間には、常識や価値観の違いというか、もっと根本的なところの違い、人の心の持ち様の違いがあるように感じました。

 もちろん、どちらの世界がいい・悪いというものではありません。良し悪しは、同じ土俵の中での判断軸が基準になるからです。

 「衣服」「家や都市」「お金」「物」「時間」「所有」「機械」「職業」「新聞」「思想」・・・様々な対象についてツイアビは語っています。

 この本は、読む人によって感じたり気づいたりするところがまちまちになるはずです。人の想いの根本的なところに触れる中味だからです。

 ちなみに、私が気になったフレーズは次の部分でした。

(p53より引用) 物がたくさんなければ暮らしてゆけないのは、貧しいからだ。大いなる心によって造られたものが乏しいからだ。パパラギは貧しい。だから物に憑かれている。物なしにはもう生きてゆけない。

(p86-より引用) 職業を持つとは、いつでもひとつのこと、同じことをくり返すという意味である。・・・だからこんなこともよく起こる。たいていのパパラギが、その職業ですることのほかは何もできない。

(p92より引用) すべての職業は、それだけでは不完全なものなのだ。なぜなら人間は手だけ、足だけでなく、頭だけでもない。みんなをいっしょにまとめていくのが人間なのだ。手も足も頭も、みんないっしょになりたがっている。からだの全部、心の全部がいっしょに働いて、はじめて人の心はすこやかな喜びを感じる。

(p113より引用) 同じようにして子どもたちの頭にも、詰めこんで詰めこめるだけの思想が押しこまれる。・・・たいていの子はたくさんの思想を頭の中に積みすぎてしまい、もうどこにもすき間はなく、光さえもうさしてはこない。そしてこのことを「教育する」といい、このような頭の混乱がつづく状態を「教養」と呼び、それが国じゅう行きわたっている。

 ツイアビが語っていることは、一言で言えば「のびやかな豊かな心」を持つことだと思いますし、それは、ただただ当たり前の自然な姿のような気もします。今の時代、ストレスやフリクションがあればあるほど、そういう気持ちに共感を感じる機会は多いでしょう。

 しかしながら、今の生活の中ではツイアビのように振舞うことは(少なくとも私には)できないようです。ツイアビの価値観・世界観に諸手を挙げて賛成しているわけでもありません。
 やはり自分自身、今の時代・今の世界の内側に「視座」を置いてものごとを見たり聞いたり感じたりしているという「無意識の前提」からは逃れ得ないと思います。
 せめて、時折、「意識」して今の世界の外側に「視座」をおき、そこから眺めることにも心がけましょう。

 この本は、内容の正否・当否・是非よりも、多面的な物事の見方・感じ方・考え方に導く「刺激」としての価値をもったものです。
 そういう意味では、極めて大事な本だと思います。

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ドラッカー 20世紀を生きて (P.ドラッカー)

2005-11-17 00:09:56 | 本と雑誌

 この本は、日本経済新聞に2005年2月「私の履歴書」として連載された内容に、訳者の解説等が加筆されたものです。

 ドラッカーの経営マネジメント関係の本は、以前人並み程度に何冊かは読んでいるので、ちょっと興味を感じて手にとってみました。

 年少期の世界的著名人との接触、青年時代の世界大戦期を背景といたエピソードの数々、マネジメント(経営)の権威としての地歩を築き固めた壮年期以降・・・と、氏の波乱に満ちた半生が語られています。たとえば、

(p44より引用) 政治について読んだり書いたりするのは好きでも、政治そのものをやる人間ではないと悟ったのだ。十四歳になると、ギムナジウム卒業と同時にウィーンを離れる決意を固めた。アルプスの小国の都へ成り下がり、帝政が廃止になっても「戦前」という郷愁に取りつかれた古いウィーンにはもはや興味はなかった。

 この本で印象に残ったことをふたつ三つ記します。

 まず、氏が24~25歳のころのケインズの講義を聴講した際のことです。

(p73より引用) ケインズはヨーゼフ・シュンペーターと並ぶ二十世紀最高の経済学者であり、講義では学ぶことも多かった。それでもケインジアンになろうとは思わなかった。講義を聴きながら、ケインズを筆頭に経済学者は商品の動きにばかり注目しているのに対し、私は人間や社会に関心を持っていることを知ったのである。

 おそらく、このときが彼にとって、後に人間の営みとしてのマネジメントの研究をライフワークとする岐路となったのでしょう。

 また、彼が先駆者である「経営コンサルタント」に関するくだりです。

(p147より引用) ゼネラル・エレクトリック(GE)の最高責任者(CEO)を二十年間続けたジャック・ウェルチ。最初の五年ほどは「ウェルチ革命」を指南した。関係が終わったのは、彼が「ピーター・ドラッカーはチームの一員」と公言したからだ。コンサルタントが組織の一部になったら有害でしかない。

 このドラッカー氏のことばは結構私には堪えるもので、コンサルティングファームとの付き合い方という点で大いに反省を促されます。

 最後に、これは有名な話ですが、ドラッカー氏は親日派で日本画にも極めて造詣が深いのです。自らもコレクションをしていますし、1979年以降5年間にわたりクレアモント大学の東洋美術の講師に就き日本絵画の講義を行なっています。また、これはあまり知られていないと思いますが、小説も執筆しています。

 一流の人物はマルチタレントなのです。そして、彼はまだ現役です。

 (と、この本を読んだ数日あと、ドラッカー氏がお亡くなりになったとのニュースが飛び込んできました・・・ 心からご冥福をお祈りいたします。)

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問いの分解 (知的複眼思考法(苅谷剛彦))

2005-11-13 13:57:05 | 本と雑誌

 この本は、極めて丁寧に「基本的な思考法」を解説したものです。

 以前、このBlogでもドイツの哲学者ショウペンハウエルは「自分の頭で考えること」を主張し続けているとご紹介しました。レベルや対象は異なるかもしれませんが、実践的な思考プロセスのヒントが、この本には豊富に盛り込まれています。

 その目指すところは、ものごとを多面的にとらえる思考であり、著者はそれを「知的複眼思考法」と名づけています。過去の「常識」や安易な「ステレオタイプ的発想」に引きずられず、自分で考えるための具体的な方法をいくつもの実例を挙げて説明しています。

 その方法のひとつは「問いを立てる」ということです。

(p181より引用) 最初の問いをいくつかの問いに分解したり、関連する問いを新たに探していく、問いの分解と展開によって、考えを誘発する問いを得ることができるのです。

 問いの分解の具体的方法としては、「主語の分解」を勧めています。
 たとえば、「日本企業は・・・」という命題があると、それを「日本の製造業は・・・」とか「日本の非製造業は・・・」とかに分けて考えを進めてみる、また、「日本の大企業は・・・」とか「日本の中小企業は・・・」とかに分けて検討してみるといった具合です。

 また、問いの展開の具体的方法としては、「なぜという『理由』をたずねる問い」と「どうなっているかという『実態』をたずねる問い」を組み合わせて展開していくというやり方を提示しています。
 確かに、「なぜ」「なぜ」・・・を詰めていっても行き詰ることが往々にしてあります。そういう場合は、「じゃあ、実態はどうなっているんだ」と事実を再度確認するのです。そうしていくつかの事実を確認すると、「それじゃあ、どうしてそういう実態になっているんだ」と「なぜの深堀り」の再スタートができるのです。

 この本は「How To本」とも言えますが、本質的な考える姿勢を教えてくれています。
 課題を抱えた読者を具体的に意識して、これだけ丁寧に説明してくれている本はめずらしいと思います。

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無意識の世界観 (知的複眼思考法(苅谷 剛彦))

2005-11-12 20:29:07 | 本と雑誌

(p158より引用) 立場によって拘束された見かたの限界ということを明らかにする。そして、その限界を示すことで、その前提のまちがいを論じていくのです。

 たとえば、ある人が「大学を卒業しても定職についていない若者が多い」と言ったとします。そのときこの人の頭の中には、たとえば、

  • 「大学を卒業すると働くのが当然だ」 とか
  • 「定職についていないのは悪いことだ」 とか
  • 「そういう若者が増えることは問題だ」 とか

という「考えの基本となる前提(=世界観)」が存在しています。その前提(=世界観)に則ってそういう台詞を発しているのです。

 したがって、先入観にとらわれない根本的な議論をするためには、それぞれの当事者の世界観の是非にまで遡る必要があります。
 議論の相手のそもそもの世界観を意識し、その違いを把握することがスタートラインになるのです。

 そのことは「議論」の場合だけでなく、ごくふつうのコミュニケーションの際にも大事です。
 もちろんふつうのコミュニケーションの場合は、相手の世界観を論ずる(非難したり否定したりする)必要はありません。世界観の違いの認識したうえで、それを踏まえたやりとりができれば十分だと思います。

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ワークライフバランス in 論語

2005-11-11 00:16:52 | ブログ

「子曰く、道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ。」 (述而)

(論語の読み方(渋沢栄一)p184より引用) 完全な人間になろうと思ったら、道に志すと同時に、徳と仁を踏まえなければならない。しかし、これだけでは人間が堅すぎて窮屈になってしまうから、六芸(礼・楽・射・御・書・数)で多少の余裕を身につける必要がある

 儒教はある面社会秩序を重んじる教えです。
 そのため、親子・君臣・長幼といった「自分と他者(彼我)との区別」が前提となります。そうすると、悪くすればその両者の離反(Gap)を招いてしまいます。
 この弊害を避けるために「楽」があります。「楽」は心を合わせる「和」を重んじますから、彼我の溝を埋める働きがあるのです。「礼」と「楽」とでバランスをとっているともいえます。

 ところで、最近「ワーク・ライフ・バランス」ということが多くの企業で言われ始めています。

 この背景には、

  • 度重なるリストラ等厳しい会社環境の中での社員の心理構造の変化や社内コミュニケーションの希薄化
  • 長引く不況・競争激化の中での長時間労働の恒常化
  • ITの進展によるいつでもどこでも仕事に応じなければならない状況の現出とそれに伴う仕事とプライベートの境界の曖昧化

等があり、それらを遠因・近因にするストレス疾患が急速に増えているという問題意識があるようです。

 もちろん「ワーク(と)ライフ(の)バランス」といっても、具体的にどんな状態がバランスがとれているのかは人それぞれ異なります。
 仕事と家庭・健康・趣味・自己研鑽などのバランスをどのように取るかは個人的な価値観にかかわることです。が、「100%仕事のみ」というのはありえないでしょう。
 むしろ積極的に自分の時間をつくり、それを有意義に活かすことをもっと本気で考えるべきだと思います。

 いくつもの顔を持つ人は羨ましいです。時間は戻ってこない貴重な資産ですから、無駄なく何倍にもして使いたいものです。

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平常心(びょうじょうしん)

2005-11-09 01:23:23 | 本と雑誌

(兵法家伝書(柳生 宗矩)p55より引用) 僧古徳に問ふ、如何なるか是れ道。古徳答へて曰く、平常心是れ道。・・・何もなす事なき常の心にて、よろづをする時、よろづの事、難なくするするとゆく也。・・・一筋是ぞとて胸にをかば、道にあらず。胸に何事もなき人が道者也。・・・此平常心をもつて一切の事をなす人、是を名人と云ふ也。

 こうしたい、こうなりたいと強く思う気負った心を「汚染心」というのだそうです。心が汚染されている状態ではなす事は定まりません。汚染心のない状態、常の心の状態で物事にあたるのです。

 常の心は無心とも言います。しかし、ここで誤解をしてはいけません。単に何も考えずことにあたることを是としているわけではありません。

(兵法家伝書(柳生 宗矩)p58より引用) いつとなく功つもり、稽古かさなれば、はやよくせんとおもふ事そゝとのきて、何事をなすとも、おもはずして無心無念に成りて・・・此時我もしらず、心になす事なくして身手足がする時、十度は十度ながらはずれず。

 日頃の鍛錬の積み重ねの究極に平常心があるのです。

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正解信仰 (知的複眼思考法(苅谷 剛彦))

2005-11-06 13:10:11 | 本と雑誌

(p50より引用) 議論をしていてわからないことがあると「よく勉強していないのでわかりません」と弁解する学生がいます。自分で分からないことにぶつかると、勉強不足・知識不足だと感じてしまうのです。・・・「知らないから、わからない」という勉強不足症候群の症状は、正解がどこかに書かれているのを見つければ、それでわかったことになるという正解信仰の裏返しです。

 ひとつの問題は、ここでの「勉強(不足)」の対象が何かということです。
 勉強の対象が「インスタンス」だけなのか、「プロセス」「リレーション」も含んだものなのか。

 実データだけ貯めこんだ頭からのアウトプットは「完全一致」した結果物だけです。すなわち、インプットしたAに対して「合致したA」を出力して満足してしまいます。

 「考えるプロセス」をいくつももっていれば、Aというインプットから、AはもちろんA´やa、α、あ・・・といったAの変化形はもちろん、B→C→Dといった発展系のアウトプットも得られるのです。

(p52より引用) 「知識があればわかる」とか、「調べればわかる」といった、知識の獲得によってすぐに解決できるような問題ではなく、どうすれば知識と思考とを関係づけることができるか-簡単にいうと、知っていることと考えることとを結びつけるやりかたの問題です。

 「どこかにある答を探し出す」のと、「どこにもない答を考え出す」のとは全く別物です。
 前者は、他人の足跡を辿ることですが、後者は自分で道を拓くことです。

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学は門

2005-11-05 00:12:04 | 本と雑誌

(兵法家伝書(柳生 宗矩)p27より引用) 学は道にいたる門なり。此門をとをりて道にいたる也。しかれば学は門也、家にあらず。門を見て家也とおもふ事なかれ。家は門をとをり過ぎて、おくにある物也。学は門なれば、文書をよみて是が道也とおもふ事なかれ。文書は道にいたる門也。

 書物を読み学問を成すことはあくまでも手段であり、目的は道に至ることです。書物を読むことはあくまでも「手段」に過ぎないとの教えです。

 さらに、この「習い」を積むことにより何事も意識せずして自然と理法に適合するようになると言います。

(兵法家伝書(柳生 宗矩)p30より引用) ならひ得たれば、又習はなく成る也。
 是が諸道の極意向上也。ならひをわすれ、心をすてきつて、一向に我もしらずしてかなふ所が、道の至極也。此一段は、習より入りてならひなきにいたる者也。

 流石の境地です。

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顧客目線と現場目線

2005-11-03 00:15:20 | 本と雑誌

(「価値組」未来企業へのシナリオ(監修:島田 精一)p264より引用) 変化に合わせ、顧客目線と現場目線で、限界が見えた仕組みを変えていくことが重要 (トヨタ自動車:松原彰雄氏)

 ここでもやはりトヨタさんは、ものすごく重要なことを当たり前のこととしてさらっとおっしゃいます。

 数年前に「踊る捜査線」という映画で、織田裕二扮する青島刑事が「事件は会議室で起こっているんじゃない、現場で起こっているんだ」という結構流行ったセリフがありました。

 「顧客」や「現場」は、すべての礎となる「事実の世界」です。
 したがって、まずここに軸足や視座を置かなくてはならないのはそのとおりです。

 ただ、注意しなくてはならないのは、「顧客」や「現場」が「大事」だということと、「顧客」や「現場」が「正しい」ということは別物だということです。

 「顧客ニーズ」や「現場感覚」を大事にしながら、俯瞰的・多面的に考え判断しなくてはなりません。「変える」ということは、「現状否定」すなわち、ある意味では「現場否定」なのです。

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