OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

燃える闘魂 (稲盛 和夫)

2014-05-29 22:17:56 | 本と雑誌

Jal_logo  稲盛氏の著作は、以前「アメーバ経営」「『成功』と『失敗』の法則」を読んだことがあります。
 先の著作の「生き方」はどうもタイトルが仰々しいのでちょっと敬遠していたのですが、今回の「燃える闘魂」は逆にタイトルに惹かれました。

 本書は、まさに、稲盛氏の経営哲学を支える想いを「燃える闘魂」というフレーズに凝縮して伝えようとしたものです。

(p22より引用) 新しき計画の成就は只不屈不撓の一心にあり。さらばひたむきに、只想え、気高く強く、一筋に

 この中村天風氏の言を引いて、稲盛氏は日本航空の会長に就任した時、社員に訴えたといいます。
 現代日本の経営者には、この「不屈不撓」の思いが決定的に欠如しているというのが稲盛氏の大きな不満であり、それゆえに、「世のため、人のため」に全力を尽くすような「燃える闘魂」を奮い立たせようと、世のリーダーたちを鼓舞しているのです。

 そして、この「燃える闘魂」を望ましい方向に発揮させるよう制御するものが、「すばらしい『徳』に満ちた、やさしい思いやりの心」だというのが、稲盛氏の信念です。

 本書の最終章で稲盛氏は、この日本人の精神性を機軸に据えて「日本再生への道」を語っています。
 その具体的方策のひとつが「高付加価値素材・部品の製造」です。

(p191より引用) 日本には、緻密なものづくりに関しては、世界に誇る知の蓄積がある。典型が、素材や部品の技術力だろう。・・・他国が容易にまねできない「高い付加価値」を生み出す高度な技術は、いずれも敬虔で高い精神性に支えられている。

 ともかく、「日本人の特性である『日本人の精神性の発露』を競争力の源泉をすべきだ」というのが、稲盛氏の主張です。

(p192より引用) 「機械の泣いている声」が聞こえるほど仕事に打ち込み、「手の切れるような製品をつくる」べく、一心を傾ける姿勢・・・

 これは、自身が京セラを一流の企業に作り上げる過程で、稲盛氏が技術者に求めた厳しさを示すエピソードとして語られているフレーズですが、こういった「完璧を極めよう」とする姿勢は、ちょっとスティーブ・ジョブズを髣髴とさせるところがありますね。

 さて、本書を通読した感想ですが、正直なところ、私には少々期待外れでした。
 以前の著作である「アメーバ経営」あたりでは、稲盛氏の経営に賭ける情熱とともに、その具体的な哲学や独創的なアイデアが紹介されていました。読んでいても納得感がありましたし、「時間当たり採算の最大化」を目的とした管理会計手法のコンセプトは実際に仕事に活かしたいとも思いました。

 しかしながら、本書の場合は「燃える闘魂が足りない」「燃える闘魂を持たねばならない」との稲盛氏の強烈な信念だけが、繰り返し繰り返し訴えられているだけのような印象を受けていまいました。
 もちろん、稲盛氏の忸怩たる想いは痛いほど伝って来るのですが・・・、だから「徳」を持て、「燃える闘魂」を持て・・・、それだけではどうも・・・。

 ただ、こういった感想を抱くのは、私の方が知らず知らずのうちに唯物論的な「How To思考」に毒されているからかもしれません。その意味では、自らを省みる良い機会ではありました。
 

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白洲正子と歩く京都 (白洲 正子/牧山 桂子)

2014-05-20 21:35:35 | 本と雑誌

Jingo_ji  タイトルを見ただけで、あの白洲正子さんが紹介する京都の風景とはどんなものだろうと、とても興味がそそられますね。

 実際、本のページを繰るたびに、白州さんが愛したお寺の数々が美しい写真とともに次々と現れます。そして、そこでは、彼女の著作からのくだりを引いて、あるいはまた白洲さんを知る方々の言葉を借りて、白州さんを惹きつけたそのお寺の魅力が語られています。
 
 大覚寺、法金剛院、神護寺、高山寺、常照皇寺、月輪寺、笠置寺
・・・。白洲さんは、それぞれのお寺の風情を味わい、また所蔵の仏像にも魅せられたのでした。

(p68より引用) 仏像に関する知識などまるでないので、ぼんやり眺めているだけでしたが、やはりほんとうに美しい仏さまは、ただ美しいというだけで、自然に拝みたくなりました。これは当たり前のことでしょう。(『私の古寺巡礼』「古寺を訪ねる心-はしがきにかえて」より抜粋)

 白洲さんは、幼いころ母の常子さんと毎年京都を訪れていたそうですが、京都・奈良はいまでも修学旅行の定番です。ただ、最近はお定まりのコースを観光バスで回るのではなく、少人数のグループで、自由に計画を立てて行動するようなパターンもかなり増えてきたようですね。

 白洲さんは、以前の集団行動的お仕着せパターンには、大いに閉口していたようです。
 それに似た経験が、幼いころ母に連れられたお寺巡りでした。そのころから白州さんは、自分で興味が湧かないものには全く目もくれなかったのでしょう。

(p71より引用) 実は私も子供のころ、お寺ばかり見せられてうんざりした覚えがある。それより海や山で遊び呆けた経験の方が、ずっと身についてためになったように思われる。大人になって、龍安寺の石庭に感動したのも、そこから子供のころに聞いた潮ざいの音がひびき、汐の香が匂って来たからだ。決して、禅の書物や、美術の解説書から得た知識ではない。(「思うこと ふたたび」より抜粋)

 さて、本書ですが、京都のお寺の他にも、白洲さんが愛した宿・食・道具の数々が紹介されています。どれも、心の底で通じ合っているとてもいいお付き合いをしているなあと感じ入るものばかりです。
 娘の牧山桂子さんをはじめ所縁の方々が語る白州さんの姿は、颯爽にしてスマート、とても魅力的です。
 

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法句経 (友松 圓諦)

2014-05-10 07:58:46 | 本と雑誌

Shakyamuni_triad_horyuji  先日、岩波文庫の「ブッダのことば」を読んだのですが、恥ずかしながらほとんど理解できませんでした。
 そのリベンジの気持ちもあって手に取った本だったのですが、どうもそういう俗な動機で読むのは間違いだったようです。

 先の「ブッダのことば」は、「スッタニパータ」という原始仏典の邦訳でしたが、こちらの「法句経」は、同じく最古の仏典の部類である「ダンマパダ」の邦訳です。「ダンマパダ」とは「真理の言葉」という意味で、釈迦の語った言葉を「自由詩」的な形態で採録したものです。

(p330より引用) 誰にもわかり易くいえば、「法句経」というのは数多い仏教のお経の中の「論語」のような人生訓をまとめたものである。

 「訳文」のせいも大きいのですが、確かに説いている内容も「ブッダのことば」よりもより直裁的で指導的なものが多いように思います。また、身近なものを材料にした「喩え」も豊富です。

 たとえば、「第四品 」の章で印象に残ったことばです。

(p43より引用)
まこと いろうるわしく
あでやかに咲く花に
香なきがごとく
善く説かれたる語も
身に行わざれば
その果実なかるべし

(p45より引用)
華の香は
風にさからいては行かず
栴檀も多掲羅も
末利迦もまた然り
されど
善人の香は
風にさからいつつもゆく
善き士の徳は
すべての方に薫る

 ブッダの説法を“香”に例えての語り口は優しいですね。

 「第十二品 自己」の章では、私としてはちょっと予想外の教えも開陳されていました。

(p111より引用)
おのれこそ
おのれのよるべ
おのれを措きて
誰によるべぞ
よくととのえし
おのれにこそ
まことえがたき
よるべをぞ獲ん

 「自己」こそが「よるべ(=救護者)」であり、「自己」以外に救護者はいないというのです。仏教においては「仏」が救護者なのですが、その大前提には、まず「自己」の確立、自己責任の姿勢があることを示しています。

 そして、最後の章「第二十六品」のテーマは「婆羅門」
 ここには41とおりの婆羅門の諸相が列挙されています。それらの中で、私が、もっともシンプルで端的にその姿を明らかにしたと感じた句を記しておきます。

(p261より引用)
人の世の
縛(とらわれ)を断ち
天上の
縛を断ち
ありとある
縛より離れしもの
われかかる人を
婆羅門とよばん

 さて、本書を読んでの感想です。
 先に読んだ「ブッダのことば」と比較すると、こちらは平易な「現代語訳」が併記されていますし丁寧な「解説」も採録されているので、かなり取っ付きやすいはずなのですが、やはりダメです。私には難解でした。
 原始仏教の直線的なエネルギーはしっかり感じられました。でも、(当然ではありますが、)“仏教の教義”の入り口のドアノブにすら手を伸ばすことができなかったというのが正直なところです。

 また、何か、もっと初歩的なガイドブックを探してみましょう。ただ、こういう教えを「本」で理解しようという考え自体が大きな勘違いかもしれません・・・。
 

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ミツバチの会議 なぜ常に最良の意思決定ができるのか (トーマス・D. シーリー)

2014-05-02 21:49:58 | 本と雑誌

Honey_bee  以前、書評で採り上げられていたので興味を抱いて読んでみたものです。

 「ミツバチの会議」というタイトルは、何とも気になるいいネーミングですね。

 本書のテーマは、ミツバチが新しい巣を作る際の「集団としての意思決定プロセス」を解明することです。著者が発見したそのプロセスは、なんと「直接民主主義」ともいえるものでした。

(p89より引用) ミツバチの分蜂群は将来の住処を選ぶとき、直接民主主義の名で知られる形式の民主主義を実行する。意思決定に参加を希望する共同体の個々の成員が、代表を通してではなく直接参加するというものだ。

 主役は「探索バチ」です。ミツバチの社会の構成員のほとんどは働きバチですが、新たな巣を作らなくてはならない時期になると、その中のごく一部が探索バチとなって巣作りに適した場所探しの活動を開始します。

 探索バチは、あちらこちらを飛び回り、空洞の容積・出入り口の大きさ/向き/地上からの高さ等の基準に基づいて、いくつもの巣作り場所の候補を捜し出してきます。そして、その中から、最適の住処を絞り込んでいくのです。

(p123より引用) 分蜂群にこれほど徹底した住居選びができるのは、その民主的組織が、一緒に働く多くの個体の能力を利用して、意思決定プロセスの基礎となる二つの部分、すなわち選択肢の情報収集と、その情報を選択するための処理を、集団的に遂行するからだ。

 分蜂群が、あたかも“ひとつの意思決定体”として機能しているというのです。これは驚きですね。

 さて、この意思決定のプロセスは、探索蜂のダンスによって行われます。

(p148より引用) 探索バチのダンスは候補地の位置だけでなく、その質に関する情報も与えていることを示していた。・・・「もっとも活発なダンスは第一級の造巣場所を表わし、二級の巣は気の抜けたダンスで発表される」

 この活発なダンスの影響で、その候補地の支持者(支持バチ?)が増えてゆくというわけです。

 さて、本書では、興味深い実験により「ミツバチ分蜂群の意思決定プロセス」を解き明かしているのですが、最高に面白いのは、このミツバチ分蜂群と霊長類の脳の意思決定メカニズムとを比較して、その根本的類似点を指摘しているところです。ここでは、ミツバチは“ニューロン”に相当します。

(p239より引用) 共に認知主体として、意思決定のための情報の獲得と処理をうまくできるように、自然選択で形成されたという部分だ。さらに、いずれも民主的意思決定システムであり、大局的な知識や特別な知能を持つ中央集権的な決定者がいて、他の者たちを最善の行動に導くというのではない。むしろ、分蜂群でも脳でも、意思決定プロセスは比較的単純な情報処理単位の集まりの間に広く分散しており、単位の一つひとつは集合的判断を下すために使う情報の総体の、ごく一部しか持っていない。・・・情報に乏しく、認識力の限られた個体の集まりから第一級の意思決定集団が作られる・・・

 こういったプロセスにおいて最善の意思決定がなされるのであれば、いわゆる「リーダー」の存在意義は一般的な了解とはちょっと変わったものになります。

(p281より引用) 民主的集団のリーダーは、議論の成果ではなく、プロセスを形作る役目を主に果たすのだということを、ハチの家探しは私たちに気づかせてくれる。さらに、直面する問題と決定のために使う手順について、集団のメンバーに合意ができていれば、民主的集団はリーダーがいなくても完璧に機能できるということもミツバチは教えているのだ。

 この意思決定過程においては、集団の内外からの「圧力」が機能することはありません。主張者の主体的かつ積極的な活動と支持者の事実に依拠した冷静な判断とが、集団の意思を一つにまとめていくのです。
 自然界が魅せる見事な自律的機能の仕組みのひとつですね。
 

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価格:¥ 3,024(税込)
発売日:2013-10-14


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