いつも利用している図書館の新着本リストで目についたので手に取ってみました。
ちょっと変わったテーマを追った “トラベル・エッセイ” ですね。
「ナマハゲ」以外には聞いたことのない祭ばかりでしたが、その背景やしきたりはその地の人々の生活に根付いたものであり、どれもとても興味を惹きました。
ただ、それぞれの祭に関する記述については、実際に “祭” の現地に足を運び、自分自身の感性で “祭” が発するスピリットを体感してのものとはいえ、著者の大石始さんの体験の覚えが中心。“祭” の由来等にも少しは触れてはいますが、郷土史の引用程度のちょっと物足りない内容でした。
そういった中でも、日本各地を巡って “祭” を取材し続けている大石さんならではの気づきは大いに首肯できるものでした。
「佐八のかんこ踊り(三重県伊勢市)」の紹介に併せて、改めて “祭の多様性” を語っているくだりです。
(p164より引用) 写真に写る異形の踊り手たちを見ていたら「日本らしさ」とはいったい何なのか、よくわからなくなってきてしまった。
日本には多種多様な祭りや踊りが継承されている。そのヴァリエーションはあまりにも豊富で、日本人である僕からしても「日本らしさ」という言葉の意味するものがわからなくなることがある。つまり、この列島ではひとつの強固な「日本らしさ」が存在するのではなく、その土地ごとに異なる「らしさ」が積み重なることで曖昧な「日本」がぼんやりと形成されているのだ。それが日本という列島のおもしろさであるとも思う。
確かに「佐八のかんこ踊り」の被りもの(シャグマ)をみると、その異形に誰もが目を見張るでしょう。
異形という点では、北の加勢鳥(山形県上山市)から南のヨッカブイ(鹿児島県南さつま市)、ケベス祭(大分県国東市)、パーントゥ(沖縄県宮古島市)も同様のインパクトですね。
こういった独自性の強い “祭” が、かなり狭い地域において長い期間脈々と伝えられているのは驚きですし、とても貴重な “習俗の記憶” だと思います。
かなり以前に読んでいた内田康夫さんの “浅見光彦シリーズ” ですが、このところ、私の出張先が舞台となった作品を、あるものは初めて、あるものは再度読んでみています。
ただ、私の出張先も以前勤務していた会社のころを含めるとそこそこの都道府県にわたるので、どうせなら “シリーズ全作品制覇” にトライしてみようと思い始ました。
この作品は「第25作目」です。今回の舞台は “志摩半島(三重県)”。
三重県は、唯一私が足を踏み入れたことがない都道府県です。せめていつか伊勢神宮は訪れたいと思っているのですが・・・。
ミステリー小説ですからネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、このところのシリーズの中ではよく出来た方の作品だと思います。
ここまで偶然が重なるかという点については、エンターテインメント作品の場合、ある程度やむを得ないでしょう。犯行の動機はありきたりではありましたが、その偶然の設定を思う存分活用した伏線の配置とラストのサプライズは見事でしたね。
さて、取り掛かってみている “浅見光彦シリーズ制覇チャレンジ”、それほど強い意志をもって完遂しようとも思っていませんので、まあ、“どこまで続くことやら” です。
次は、「津軽殺人事件」ですね。
2002年に公開されたアメリカ・イギリス合作映画です。
「ハリー・ポッターと賢者の石」に続く“ハリー・ポッター”シリーズの第2作目、前作の完全な続編になります。
若年層を主なターゲットにしたファンタジー作品にしては、上映時間もかなり長時間に及びますが、物語の舞台がしっかりした時代観の中で設定されていて、モチーフも明確、さらには映像も綺麗ですから安定した品質で楽しむことができますね。
とはいえ、連続して観るにはかなりのエネルギーが必要なので、ちょっと間をおいて第3作にもトライすることにしましょう。
いつも利用している図書館の新着本リストで目についたので手に取ってみました。
岡本太郎さんの著作ということで、迷いなく手を伸ばしました。
内容は、岡本太郎記念館館長でもある平野暁臣さんがプロデュースし “岡本太郎さんの言葉” を集めたものです。
改めて岡本さんの “強い言葉” には大いに興味を惹かれ、また刺激をうけました。
それらの中からいくつか覚えとして書き留めておきます。
まずは、「きみは自分自身と闘え。」とタイトルされた小文から、いかにも岡本さんらしいメッセージが語られているくだり。
(p24より引用) 人はなんのために生まれてくるのか?
闘うためだ。
・・・
ほんとうの闘い、無目的的な闘いのことだ。
闘うなかでいちばんの強敵――
それは自分自身だ。
・・・
意味なく卑しく憤ってみたり、卑しく甘えてみたり、卑しく妥協したり。
そんな自分と闘わなきゃダメだ。 ほんとうの敵は自分自身なんだよ。
そして、こちらも “The TARO” というべきセリフです。
(p33より引用) 自分を信じるなんて、ないね。
逆に、自分だから叩きつぶしている。
そこから出てきたものだけが答えだからね。
「自分を信じる」なんていやらしいことはないよ。
最後の1行は痺れますね。
さらに続いて、「意味なんかあるものか。」との章。
(p134より引用) 意味なんかあるものか。
わからんところがいいんだ。
わかってしまっては頭になにも残らない。
芸術ってのは判断を超えて、
「なんだ、これは!」というものだけが本物なんだ。
「ああ、いいですね」なんてのは
「どうでもいいですね」ってことだよ。
この切れ味も見事です。
ともかく、岡本さんが発する言葉は、まさに“言霊”。眼を射る作品と同じく、そのインパクトは異次元ですね。