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世界が変わる現代物理学 (竹内 薫)

2007-04-30 14:01:12 | 本と雑誌

Newton_1  竹内薫氏の本は、チョッと前に流行った「99.9%は仮説」がはじめてでしたが、本書はそれより前の著作です。

 相対性理論と量子力学の発見を端緒とする現代物理学の展開が、世界像を大きく変えたということなのですが、そもそもの従来の物理学で理解されていた世界像をイメージできない私にとっては少々消化不良でした。

 著者によると、従来は「モノ的世界観」であり、これはイコール「実在論」、その代表的な人物は、プラトンやアインシュタイン・・・。そして現在は「コト的世界観」で、イコール「実証論」、同じく代表的人物は、ボーア・ホーキング・・・ということのようです。

 ここで「実在論」や「実証論」が登場しますが、本書は、かなりの部分が科学哲学的な観点からの解説です。
 量子論における「経路」の概念を例にして、「実在論」と「実証論」とを説明しているくだりもそうです。

 まずは、「実在論」です。

(p85より引用) 実在論の立場からすれば、量子の途中経路は、存在すべきなのであり、もしも経路が決まらないのであれば、それは量子論に何かが足りないからなのであり、その意味で量子論は「不完全」とみなされます。
 実在論は、
「自然の奥深くの隠された実在に迫る」
という哲学をもっています。

 他方、「実証論」はこうです。

(p86より引用) それに対して、実証論の立場では、量子の最初と最後の場所さえわかれば、それが量子論という理論の予測と合っているかぎり、途中の経路の実在は問いません。経路が存在しないというのは、特定の決まった経路があることを測定によって明らかにできない、という意味で、実証不可能なことがらだからです。
 その名のとおり、実証論は、
「実証できることだけを問題にする」
立場なのです。

 このあたりの記述は、科学史や科学哲学の知識がないとなかなか腹に落ちません。

 ニュートンの天才性を説明した以下のような内容であれば、私でも素直になるほどと思えるのですが・・・

(p25より引用) よく林檎の実が落ちるのを見て、ニュートンは万有引力を発見した、と説明されますが、その天才性は、
「林檎が落ちるという特殊事情を宇宙全体にまで一般化した」
という思想の飛翔
にあるのです。

 やはり、この手の本をキチンと理解するには、物理学の基礎の基礎から勉強しなくてはダメです。

世界が変わる現代物理学 世界が変わる現代物理学
価格:¥ 756(税込)
発売日:2004-09-07

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レバレッジ・リーディング (本田 直之)

2007-04-29 13:15:20 | 本と雑誌

 ビジネスに活かす「投資」としての「読書」の薦めです。
 そのための「多読」のノウハウを開陳した本です。

 私の読書の動機とは全く異なるので、私自身は、この本で示されている「多読法」を実際やってみようとは思いませんが、読書の目的が著者と一致するのであれば、十分参考になる内容でしょう。

 まずは、著者の薦める「多読の意義」についてです。

(p47より引用) 意識して自分に新しい刺激を与え続けないと、自分のやり方に固執したり、視野が狭くなったりしてしまいます。特に年齢を重ね、ある程度成功体験を積むと、ますます自分のやり方にしがみつき、新しいものを受け入れない傾向が強くなるようです。人間はその時点で成長が止まってしまいます。柔軟な精神を維持し、新しい知識や考え方を吸収し続けるためにも、多読を習慣にすべきだと思います。

 このあたりは至極真っ当な考え方です。
 さらに、著者はこう続けます。

(p48より引用) 多読には、考えの偏りを防ぐ効果もあります。・・・一冊のみを読んで、この著者の意見がすべてだと思い込んでしまう危険を避けるために、多読をするのです。

 著者は、ビジネス関連書を読むことは、ビジネスで成功するための「投資」だと割り切っています。
 投資ですから失敗は可能な限り避けなくてはなりません。多くの本を読むことは、いろいろな考えに触れることですから、それだけリスクの極小化や分散につながります。

 また、当然、投資効率も高めなくてはなりません。そのためには、「合目的的」で「無駄を省いた」読み方が求められます。

(p48より引用) 多読はふつうの読み方と違い、すべてを読まず、必要なところ、自分にとって役に立つところだけを選び取る読み方です。つまり、非常に読み手の主体性を重んじる読み方です。常に目的意識を持って、「この本から何を吸収したいのか」を意識し続けます。ときには著者の考え方に疑いを持つこともあります。

 このあたりの考え方は、著者の読書の目的に照らしてみると首肯できる指摘です。

(p48より引用) 大量の情報を取り入れつつ、主体的に取捨選択するということは、それだけ判断能力が養われることでもあります。多読術を続けるうちに、主体的な思考力がつくことは間違いありません。

 繰り返しになりますが、本書は「投資」としての「読書術」を紹介したものです。
 世の中に溢れんばかりのビジネス関連書から、成功に導くエッセンスのみを効率的に抽出する方法を具体的に示しています。
 読み終えてみると、本書で薦める読書術は、今の時代のビジネス関連書の「実態」に結構フィットしているような気もしてきました。

 ただ、この本、特に前半部分はかなり冗長です。著者の薦める80対20の法則に従って読み飛ばせばいい部分がかなりあります。

 本書自体が、著者が説く「『多読』のための読書術」を実践する好材料を提供しているようです。

レバレッジ・リーディング レバレッジ・リーディング
価格:¥ 1,523(税込)
発売日:2006-12-01

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読む力・聴く力 (河合 隼雄・谷川 俊太郎・立花 隆)

2007-04-28 16:44:55 | 本と雑誌

 臨床心理学者の河合隼雄氏、詩人の谷川俊太郎氏、ノンフィクション作家の立花隆氏、それぞれ異なる分野で活動している3氏が、読むこと、聴くことについて語ります。

 河合氏の語る「カウンセリングでの聴き方」は、想像と異なり興味深いものでした。

(p22より引用) どんなふうに聴いているかというと、言われていることを必死になって聴いて、それについて必死になって考えてということはしません。・・・何でも「はー」と言って、ものすごくぼんやり聴いています。それはなぜかというと、そこに注目すると、それだけになってしまうのです。ところが私たちは、来た人の考えていること、来た人が感じていることよりもっと大事にしているのは何かといったら、来た人の可能性の方に注目している。・・・
 ぼーっと聴いているということは、その人の今考えておられることのもっと違うほうに注目しようということになるわけです。

 この感覚とちょっと似ているのが、立花氏の話す「大量の情報からひとつの洞察に至るプロセス」です。対象に神経を集中して対するというより、自然な脳の働きに任せるといったやり方です。

(p147より引用) そのときどきで、どんどん垂れ流しをさせる、その大部分が流れ去り、残ったものの中からさらにいいものが残る。・・・大部分がどんどん消えて、最後に残ったものがこのわれわれの世界みたいな、そういう価値あるものの成立史というものもあるわけです。

 こういった方法が成り立つもの、自分の中に自然な形で働くフィルターがすでにあることが前提になります。
 フィルターの自律機能は、それまでの知的活動の蓄積度合いに左右されます。

 知的活動のひとつは言うまでもなく「読書」です。立花氏は「読書」の広がりについて以下のように話しています。

(p154より引用) 結局、読書というのはある関心を持ったときに、その方向で先人がどういうことを考えていたかを考えて掘っていくみたいな世界だと思いますね。

 最後に、大量の情報に溢れているインターネットの世界に相対するための谷川氏の指摘をご紹介します。
 谷川氏は、「大量の情報にアクセスしたとき人間個人の脳では扱いきれないのではと不安になる、そういったとき『アナログ的にひとつのイメージとして俯瞰して把握する』といった対し方が必要になる」と語ります。

(p168より引用) そのときに俯瞰できる能力は何によるかというと、それは一種の実際に生きてきた、一人ひとりの人間の経験による知恵みたいなものではないかと思います。その知恵的なものを信頼していないと、知識的なものをコントロールできないと言えばいいのか、そんな感じがします。

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発売日:2006-11

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世界でもっとも美しい10の科学実験 (ロバート・P・クリース)

2007-04-23 22:39:56 | 本と雑誌

Rutherford  本書は、物理学誌の読者投票で選び出された科学史に残る著名な10の実験を紹介したものです。

 著者は、科学実験における美の要素として、「深いこと(基本的であること)」「効率的であること」「決定的であること」の3つを挙げています。
 その基準に照らして選ばれたのが、以下の10の実験です。

  1. 世界を測る―エラトステネスによる地球の外周の長さの測定
  2. 球を落とす―斜塔の伝説
  3. アルファ実験―ガリレオと斜面
  4. 決定実験―ニュートンによるプリズムを使った太陽光の分解
  5. 地球の重さを量る―キャヴェンディッシュの切り詰めた実験
  6. 光という波―ヤングの明快なアナロジー
  7. 地球の自転を見る―フーコーの崇高な振り子
  8. 電子を見る―ミリカンの油滴実験
  9. わかりはじめることの美しさ―ラザフォードによる原子核の発見
  10. 唯一の謎―一個の電子の量子干渉

 紹介されている実験の中には、世界史や理科の教科書でお馴染みのものもあります。

 たとえば、ガリレオの斜面を使った加速度に関する実験がそうです。

(p79より引用) ガリレオもアリストテレスと同じく、落下する物体の運動そのものを測定するのが難しいことは認めていた。なぜなら、人間の目ではそれほど速い運動は追えないし、当時の計時装置では、短い時間間隔を高い精度で測定することは不可能だったからだ。しかしガリレオは、・・・斜面に玉を転がすことで重力の影響を弱めるという方法を試してみることにした。・・・斜面を転がる物体の速度を測定し、傾きを変えたときに速度がどう変化するかを調べれば、物体の自由落下という問題を解決できるのではないか、とガリレオは考えたのである。

 この実験は、現代では、高速で点滅するストロボ撮影によって視覚的に検証できます。

 ところで、この本で取り上げている「美しい実験」というテーマですが、著者は、このテーマに自ら「二つの疑問」を投げかけています。

 その第一は、「もし実験が美しいと言えるなら、それは実験にとって何を意味するのだろうか?」という問いです。

これに対しての答えです。

(p301より引用) 実験の美しさとは何であるかが理解できれば、実験には人の心を揺さぶる力があることがわかるだろう。

 そして第二は、「もしも実験に美があるなら、それは美にとって何を意味するのだろうか?」という問いです。

 こちらの答えは哲学的です。

(p303より引用) 科学実験の美しさに気づけば、より古い伝統をもつ美の意味を蘇らせるのに役立つと。・・・古代ギリシャの人々は、・・・美しいものとは、何であれ価値のあるもの、見るに値するもの、それ自体として存在する意味のあるもののことだった。

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発売日:2006-09-14

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体験した知性 (ニッポン・サバイバル(姜 尚中))

2007-04-22 12:02:25 | 本と雑誌

 第六章「どうしたら『知性』を磨けますか?」の章での姜尚中氏の指摘です。

(p126より引用) “勉強する”ということは“考える”ことですから、非常に抽象的な作業です。ところが、この抽象性を伴う作業は、切実でリアルな体験に裏付けされていないと、とてももろいものになってしまうのです。・・・世の中には、生きているものが死んだり、また自分が生きるために、生き物を殺したり・・・ということがいっぱい起きているわけですが、そういう自然の摂理を学ぶには、実物教育しかないのではないかと思うのです。

 「勉強」の動機付けすなわち「知りたい」と思う衝動は、実物と接触したリアルな刺激が一番です。
 「どうして?」と不思議に思う気持ちは、バーチャルな世界からは生れません。バーチャルな世界はそもそも何が起こってもおかしくない非現実的な対象だからです。

 この章でのもう一つの指摘は、「知性の本質」についてです。

 姜氏は「パブリックな価値について目利きする能力や感受性」が本当の知性だといいます

(p136より引用) 人間が生きていく中で、共に価値を見出そうとするもの-いわゆる“公”とか“パブリック”といわれる事柄について、何が大切なのか、ということなのです。そしてそれを目利きして判断をする能力こそが、知性なのだと思うようになりました。

 そういう感性を育てる方法のひとつとして、姜氏は「古典を読む」ことを薦めています。
 古典には時代を経て磨かれた先人の知恵が凝縮されています。

 しかし、そのまま受け売りするのでは価値は半減です。自分なりの考えを築くための「貴重なヒント」として活かさなくてはなりません。
 何事も「鵜呑み」にする姿勢は、「知性」とは相反するものです。

ニッポン・サバイバル―不確かな時代を生き抜く10のヒント ニッポン・サバイバル―不確かな時代を生き抜く10のヒント
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発売日:2007-02

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日常性の再生産 (ニッポン・サバイバル(姜 尚中))

2007-04-21 13:13:18 | 本と雑誌

 第五章「激変する『メディア』にどう対処したらいい?」の章で、姜尚中氏は以下のようなアドバイスを贈っています。

(p110-111より引用) 昨日と同じように今日があるし、今日と同じように明日が続くだろうと信じられているわけです。これをテレビで確認するということです。つまりテレビというメディアは“日常性を再生産するボックス”なのです。
 しかしテレビが本質的にそういう保守的なメディアであるとするならば、テレビを見て日常性の構造を疑ってみる、という発想はなかなか生れてこないだろうし、またテレビによって、現状を変えていこうというインセンティブ(やる気や誘因)を作り出せるかというと、それも難しいと思います。
 だからこそ、やっぱり違う媒体、たとえば活字メディアのようなものが必要になってくるのだと思います。・・・複数のメディアとアクセスできる状況を自分自身で作っておくこと。それが今、メディアの受け手には必要とされているのではないでしょうか。

 メディアとしての「テレビ」の問題は、昨今話題になっている情報番組の「捏造」に象徴的に表れています。今回のケースは、番組提供者と受動的視聴者双方の無思慮・無分別な姿勢の合作です。

 他方、テレビ等のオールドメディアに代わり急激に人々のあいだに浸透しているのが「インターネット」です。
 インターネット上で新聞やテレビ等と同等の情報を入手することが可能になりつつあります。さらに、パーソナライズされたポータルやRSSの利用により、自分の興味・関心に応じた情報の選別・取得も容易になってきました。

 こういう状況についても、姜氏は課題を提起しています。

(p115より引用) インターネットは密閉化されたメディアですし、携帯電話などのように、これほど個別化されたツールもない。自分の興味のあるニュースだけを各々が見ているうちに、ほかの人との共通の認識や問題意識がなくなってくるという危険性が高いと思います。

 逆説的ではありますが、自分の関心にかかわらずいろいろな情報が提供されるという意味で、テレビや新聞の存在価値が見直されるかもしれません。

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閉ざされた自由 (ニッポン・サバイバル(姜 尚中))

2007-04-18 23:43:55 | 本と雑誌

 姜尚中氏の本は初めてです。

 本書は、集英社女性誌ポータルサイト(s-woman.net)に掲載した連載記事をもとに加筆修正したものとのことです。記述は平易で非常に読みやすく、著者の考えがストレートに記されています。

 内容は、

  1. 『お金』を持っている人が勝ちですか?
  2. 『自由』なのに息苦しいのはなぜですか?
  3. 『仕事』は私たちを幸せにしてくれますか?
  4. どうしたらいい『友人関係』を作れますか?
  5. 激変する『メディア』にどう対処したらいい?
  6. どうしたら『知性』を磨けますか?
  7. なぜ今『反日』感情が高まっているの?
  8. 今なぜ世界中で『紛争』が起こっているのか?
  9. どうしたら『平和』を守れますか?
  10. どうしたら『幸せ』になれますか?

の10章で構成されていて、たとえば、第二章「『自由』なのに息苦しいのはなぜですか?」では、以下のような記述があります。

(p41より引用)  ある学者によると、自由というのは、今そこにあるものだけでなくて、潜在能力(ケーパビリティ)がある社会こそが、真の意味での自由な社会だということです。
 どういうことかというと、今、自由はその選択はしていないけれど、将来の潜在的な可能性として、いくつかの選択肢を自由にチョイスできると、多くの人々が確信を持てる社会ということです。つまり選択の複線化が可能である社会ならば、それは潜在能力のある社会ということになります。
 ところが、そのケーパビリティが断たれている社会というのは、一見、自由のようであっても非常に息苦しい。なぜなら敗者復活戦が難しいから。

 現代社会全般に通じる指摘ですし、特に企業に当てはめると「メンタルヘルスの問題」につながるものです

 「自由な選択」のよさを活かすためには、社会の中に、チャレンジにつきものの「失敗」を許容する度量がなくてはなりません。

 「自由」を享受するチャンスがありながら、他方、「自由であるがゆえの」圧迫感や閉塞感を感じてしまうのは不幸です。

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数に強くなる (畑村 洋太郎)

2007-04-15 14:17:37 | 本と雑誌

Suuji  著者の畑村氏の本は、今までも何冊か読んでいます。

 この本では、数の感覚を磨くための身近な方法を、分かりやすい文章で紹介しています。

 数に強くなるためには、(至極当然ですが、)先ずは、すべてのものを「数」で表すということが基本になります。しかし、すべてのものが予め数量化されているわけではありません。

 この点に関して、日本化薬の社長を長く務めた原安三郎さんから教えられたこととして紹介されているのが、以下のような姿勢です。

(p69-70より引用) 原さんと会って知ったのは、物事の先頭に立って動いている人は、「その場で作る」という動作をしているということである。本を読んで知ったり、人に聞いて覚えたりするのでなく、必要なことは何でも、自分が動いてその場で作る。そして判断するのである。・・・
 「たとえ知らなくても、作る努力をしなくてはいけない。必要な数は、見たその場で作れなくてはいけない。

 さて、その場で数字を作る方法として、著者は3つの切り口を提示しています。

 1番目は、「ザックリ」。ケタの大きさを意識し、桁違いでなければよしとする考えです。
 2番目は、「ドンブリ」。その場で作った数字と実物との差が、倍・半分の間に入っていたらよしとする考えです。
 最後、3番目は、「ドンガラ」。イメージしたかたまりの「中身のつまり具合」、つまり比重とか密度の要素を加えるという考えです。

 また、「数を立体で表す」のも数(量)を具体的にイメージするいい方法だと言います。

(p105より引用) 100万という数字も、「たて100×よこ100×高さ100」の立方体をイメージすると扱えそうな気がしてくる。

 さらに、「数を一層身近に感じる」ための具体的表現のヒントとして「1人当たりで表す」ことを薦めています。

(p121より引用) 数を「1人当たり」に加工するのは、その生活実感に訴えるためである。実感と合えば納得ができるし、実感と合わなければ疑問が生まれ、考えるようになる。・・・なんでも「1人当たり」にして、生活実感に訴える数を作るのがまず最初なのである。

 確かに「総額」で話をしていると実感がわきません。
 実感がわかないとアクションにもつながりません。1人当たりとか、1日当たりとかで表してはじめて目標化できマネジメントで使える数字になるのです。

 マネジメントと言えば、ちょっと数学をかじった感じがするこんなフレーズがありました。

(p134より引用) まったく新しいものを作り出して、広げていくときには、どうやって積分を増やすかよりも、どうやって微分を大きくするかと考える方が大事である。

 最後にこの本について一言。

 「岩波新書」にしては異常なほどやさしく読みやすく書かれているのですが、正直なところ、説明の濃さという点では少々物足りなさが残ります。
 同じ著者の他の著作も併せて読むとより分かりやすいと思います。

数に強くなる 数に強くなる
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発売日:2007-02

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詭弁の王道 (論より詭弁(香西 秀信))

2007-04-14 19:02:18 | 本と雑誌

 ある主張が詭弁かどうかを問題にする前に、すでにその主張で用いられる物事の「名づけ」において、議論の前哨戦が始まっています。

 たとえば、テロリストが人質をとって法外な対応を要求している場合。主張の仕方、問いの立て方によって、yes/noや答え易さ/答え難さは大きく変動します。

(p60より引用) 国家の面子を守ることと、国民の生命を守ることの、どちらが大切なのか?・・・
 テロリストの卑劣な要求に屈しないことと、屈することの、どちらが正しいのか?

 これらの例は、問い自体、すでに相手方に都合のいい形に仕組まれているのです。

 また、議論の最中、「そういうお前だって同じことをやっているじゃないか」といって反論したくなることがあります。

 しかしながら、論理的思考では、「相手もやっている」からといって、それ自体で、自己の主張の「是」の根拠にはならないと言われます。
 この点について、著者は、この「お前も同じ」という反論に対し積極的な意味を認めています。

(p133より引用) 伝統的な論理学では、「お前も同じ」型の議論は、「論点のすり替え」という詭弁(虚偽)に分類されていた。・・・
「お前も同じ」型の議論は、このように、立証責任を本来負うべき側に与えるという機能がある。

 確かに、「論点のすり替え」は論点の変更ではありますが、それは、詭弁でも何でもなく、そもそも「正しい議論の順序に復することになる」という主張です。
 相手方も同じことをしているにもかかわらず、そのことを棚に上げて、こちらを非難するという首尾一貫していない態度を、まず正すわけです。

 最後に、なるほどと思った著者の指摘です。

(p23-24より引用) 町を行く人は、一見正しそうな考えをそのまま正しいと判断する。が、思想家は、一見正しそうな考えを疑い、それを試みに否定してみることで、その正しさを検証しようとする。・・・が、これはある意味で、論理的思考の欠点でもある。それは、一見正しいことを疑うことを教えるが、一見誤りであることにはそれ以上こだわらず、そのまま誤りにしてしまう。・・・一見誤りであること、誤っているように見えること、間違っていそうなこと、そこに正しいものを見出せることもまた真の思想家の条件の一つである。

 「マイナスの評価」と「プラスの評価」は、どちらも「評価」という点では「等価」です。
 しかしながら、現実の直感的な納得性では、往々にして「マイナス評価」の方が上になりがちだとの論です。

 心しなくてはなりません。

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事実は「詭弁」 (論より詭弁(香西 秀信))

2007-04-13 23:18:52 | 本と雑誌

著者の香西氏の専攻は「修辞学」です。

 著者は、論理的思考を「実際の議論」の中におき、その不適合性を次々と指摘して行きます。
 「論理的思考」では「事実」に基づき立論します。が、著者によると、「事実」を表現するのもそんなに簡単ではないということになります。

 たとえば、「事実」を表明する場合の「順序」です。
 複数の事実を言葉にする際には、完全に「並列(同時)」に表すことはできません。必ず表現する事実に「順序」がついてしまいます。
 ここにおいて、不可避的に単なる「事実」の表出を越えた「印象」や「評価」といった何らかの「効果」が表れてしまうのです。

(p29より引用) 本当の問題は、言葉による表現が、・・・それによって、本来の「事実」とは何の関係もない、ある効果が生じてしまうことである。・・・
a B君の論文は、独創的だが、論証に難点がある。
b B君の論文は、論証に難点があるが、独創的だ。
 どちらの評価も、「事実」の伝達としては、与えている情報はまったく同じである。しかし、聞き手に与える印象はまるで異なる。

 また、「論理的思考」では、「事実」と「意見」を明確に区分して立論します。
 しかし、著者によると、これもことは単純ではないのです。

(p52-53より引用) 事実と意見を区別することは、実はそれほど簡単なことではない。・・・
a Kは大学教授だ。
b Kは優秀な大学教授だ。
 事実と意見を区別せよと主張する人は、おそらくaが事実で、bが意見だと言うのだろう。・・・が、ここで疑問なのは、「Kは大学教授だ」が事実であるとしても、それを発言する人は、なぜそんなことをわざわざ言おうとしたのかということだ。

 実際の会話のシチュエーションによっては「単なる事実」と思えるような内容であっても、そこに語り手の意図が含まれる余地が少なからずあるのです。

 さらに、(いろいろな場でよく見られる事象ですが、)「同じこと」を言っても、それを「誰が言ったか」によって全く別様の効果が表れることがあります。
 これは、「同じこと」を言っても「評価」が異なるのですから一見非論理的に思われますが、著者によるとむしろ当然のこととなります。

(p146より引用) 語り手は、語られた内容の一部である。私が思いつきで口にした意見と一字一字違わぬものがウィットゲンシュタインの遺稿から発見されたとしても、それらは同じ意見ではない。後者の場合、ウィットゲンシュタインの知られている全仕事が、その新しく発見された言葉の価値を保証しているからである。・・・
 だから、人を以ってその論を評価することは、必ずしも誤りとは言えない。ある言葉の意味や価値は、それが誰に語られたかによって変貌するのである。

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古事記 (梅原 猛)

2007-04-12 00:27:38 | 本と雑誌

Ama_no_iwato  だいぶ以前になりますが、ふとっちょパパさんが、阿刀田高氏の「楽しい古事記」という本を紹介されていました。

 古事記は、幼い頃、「やまたのおろち」「因幡の白兎」「海彦・山彦」といった断片的な昔話としては読んだことがあるのですが、「古事記」として「通し」で読んだことはありませんでした。

 今回、読んでみたのは梅原猛氏の訳による「古事記」です。

 内容は、梅原氏の訳文のスタイルにもよるのでしょう、想像していたものにくらべてかなり淡白な印象をもちました。
 多くの神々が登場しますが、それほど人物?描写が細かいわけでもなく、善悪もはっきりしています。後半部分になると「古歌」のやりとりが増えて叙情的色合いを帯びた記述になりますが、前半は「歌」による描写も直截的に感じます。

 よく言われることですが、古事記には他の国々の神話・伝説との類似点があります。
 読んでみて誰でも気づくのが、伊耶那岐命が黄泉の国へ伊耶那美命を訪ねるくだりでしょう。この部分はギリシャ神話のオルフェウスとエウリディケの話に設定が似ています。
 古事記に描かれたそのほかの神々のエピソードも、インド・ヨーロッパ語系の神話やアジア・太平洋諸国の神話に多くの類型が見られるそうです。

 訳者の梅原氏によると、古事記の解釈には大きく2つの暗黙の前提があると言います。

 ひとつが「本居宣長」の「古事記伝」に示された注釈であり、もうひとつが「津田左右吉」の実証的立場からの記紀批判です。

 梅原氏は、本居宣長の解釈を尊重しつつも、その未解決の部分を、金田一京助氏が日本語との関係性を否定した「アイヌ語」を武器に再解釈したのでした。

 また、津田左右吉が架空であると否定した仲哀天皇以前の記述についても、歴史研究の素材としての意味を有しうるものだと主張しています。

 さらに梅原氏は、本書の解説「古事記に学ぶ」で大胆な仮説を開陳しています。
 「古事記」の撰者とされている「稗田阿礼」という人物は、「藤原不比等」以外に考えられないとの説です。さらに、氏の大胆な発想は、その撰のもとになった「原古事記」の作者の一人は「柿本人麿」であったという仮説に至ります。

 もちろん、本書では、梅原説の当否について詳細に立論されていません。
 が、「古事記」には、そういう破天荒な発想を(梅原氏としては十分な根拠のあるものでしょうが、)かきたてるようなおおらかな刺激が感じられます。

古事記 古事記
価格:¥ 546(税込)
発売日:2001-01

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昂然として天地古今を一視すべし (吉田松陰一日一言(川口 雅昭))

2007-04-08 11:02:33 | 本と雑誌

Shokasonjyuku_1  松陰語録の続きです。

 本書は、松陰の「語録」ではありますが、松陰自身が編んだものではありません。
 編者が松陰の著作や書簡から選出したものを並べたものです。そこには、「編者の価値観(選定基準)」というフィルターがかかっています。(もちろん、このBlog自体、それからの更なる引用ですから、もっとバイアスがかかっているわけです)

 本書で紹介されている松陰のことばは、批判的・扇動的なものばかりではありません。

 たとえば「時間の大事さ」について。

(p41より引用) 得難くして失い易き者は時なり。

 また、

(p167より引用)古より議論は易くして事業は難し。

(p248より引用) 士は過なきを貴しとせず、過を改むるを貴しと為す。

 といった普通によくありがちな諺チックなフレーズも収録されています。

 さらには、「守成」の難しさを語る(ラディカルなイメージのある)松陰らしからぬ言葉も見られます。

(p137より引用) 創業は難きに似て易く、守成は易きに似て難し。

 そうはいっても、やはり松陰に期待するのは、より攻撃的で刺激的な言葉でしょう。

 幕末、諸外国からの開国圧力が高まる中、松陰は行動を起こします。しかしながら、松陰の信念の行動をもってしても、彼の目に時代錯誤とも映る旧態依然とした体制を揺るがすには到りませんでした。
 体制の変革は、彼の弟子たちの手に委ねられました。

 そういった松陰の「時勢への不満」の言葉です。

 まずは、大局を見ず瑣事にこだわる幕府や大学者たちに対して。

(p54より引用) 永久の良図を捨てて目前の近效に従ふ、其の害言ふに堪ふべからず。

(p127より引用) 今人大眼目なし、好んで瑣事末節を論ず。此の弊読書人尤も甚し。

 そして、自ら動こうとしない世情に対して。

(p60より引用) 吾れ盛強を勉めずして人の衰弱を願ふ。是れ今人の見なり。悲しいかな、悲しいかな。

 松陰は忸怩たる想いを抱きつつ、自らをそして弟子たちを鼓舞し続けます。

 最後に、私が「いかにも松蔭」と感じたフレーズをいくつかご紹介します。

(p55より引用) 余寧ろ人を信ずるに失するとも、誓つて人を疑ふに失することなからんことを欲す。

(p73より引用) 汝は汝たり、我れは我れたり。人こそ如何とも謂へ。

(p168より引用) 人生倏忽、夢の如く幻の如し、毀誉も一瞬、栄枯も半餉、唯だ其の中に就き、一箇不朽なるものを成就せば足る。

(p173より引用) 人は唯だ真なれ。真、愛すべく敬すべし。

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価格:¥ 1,200(税込)
発売日:2006-12

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松陰の言葉 (吉田松陰一日一言(川口 雅昭))

2007-04-07 20:55:14 | 本と雑誌

Yoshida_shoin_2  吉田松陰関係の本は、このBlogでも何冊かご紹介していますが、今回は、ストレートに「松陰語録」です。
 松陰の著作や書簡等から、編者が日々366の「ことば」を選び並べたものです。
 詳細な解説はなく現代語訳も直訳調ですが、それがためにかえってダイレクトに松陰の言葉が伝わってきます。

 その中からいくつかご紹介します。

 まずは、物事に対する姿勢について。
 松陰は、「思想家」です。加えて、自ら信ずる思想の具現化を目指す「実行の人」でもありました。

(p21より引用) 能はざるに非ざるなり、為さざるなり。

(p160より引用) 士に貴ぶ所は徳なり、才に非ず。行なり学に非ず。

(p215より引用) 何事もならぬといふはなきものをならぬといふはなさぬなりけり

 「実行」にあたっては、眼前の困難に屈することなくその完遂を目指しました。

(p45より引用) 黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず。

(p165より引用) 断じて之れを行へば、鬼神も之れを避く。大事を断ぜんと欲せば、先づ成敗を忘れよ。

 行動を起こすには「時宜」に適うことが肝要です。志を達するためには、機を失せず動かなくてはなりません。

(p177より引用) 一朝の苦を顧うて、遂に千載の図を空しうするなかれ。

(p192より引用) 時に及んでまさに努力すべし、青年の志を空しうするなかれ。

 そして、当然、その実行に伴う「自らの責任」も自覚していました。

(p45より引用) 憂楽の変は己に在りて、物に在らんや。

 松陰のもう一つの顔は「教育者」としての顔でした。

 松陰は、完全無欠・全知全能の人材を求めたのではありません。また、そういう人物を育てようとしたのでもありません。

(p24より引用) 小過を以て人を棄てては、大才は決して得べからず。

 松陰は、ひとりひとりの個性・才能を重視しました。それは、ひとりひとりを「個人」として認めることでした。そして様々な個性を結集した総合力に大きな期待を抱いていました。

(p44より引用) 人賢愚ありと雖も、各々一二の才能なきはなし、湊合して大成する時は必ず全備する所あらん。・・・人物を棄遺せざるの要術、是れより外復たあることなし。

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渋沢栄一を歩く (田澤 拓也)

2007-04-05 00:19:39 | 本と雑誌

Shibusawa_eiichi  渋沢栄一氏(1840~1931)は、明治・大正期の指導的実業家として有名です。
 しかし、実業にたずさわるまでの生涯は、幕末の動乱の只中、波乱万丈だったようです。

 武蔵国榛沢郡血洗島(埼玉県深谷市)の富裕な農家に生まれた渋沢氏は、若きころ、江戸で尊王攘夷運動に参加しました。その後、一橋家用人の推挙で1864年(元治元)一橋家に仕えましたが、当主の一橋(徳川)慶喜の将軍就任とともに図らずも幕臣となりました。幕末の京都で新撰組の近藤勇・土方歳三とも面識があったと言います。

 1867年(慶応3)、渋沢氏は、慶喜の弟の昭武にしたがってヨーロッパ諸国を歴訪したのですが、このときの経験が後に財務・財政の巨人となる礎となりました。

 渋沢氏が大蔵省幹部の大蔵大丞となったのは31歳の時。その2年後、1873年(明治6)に、渋沢氏は大蔵大輔井上馨と同時に大蔵省を辞し、実業界に転身しました。そして、今のみずほ銀行の前身である第一国立銀行の創始者として総監役に就いたのです。
 実業界の巨人の第一歩です。
 その後、渋沢氏は多くの事業に関わることになります。

(p128より引用) どんな仕事を始めるときにも、栄一は、まず有為な人材を集めようとする。栄一には「事業は人なり」という信念があった。そして、人材を探して、適材適所に活躍の場を提供していくことに心をくだいた。
 そうでなければ生涯で五〇〇社ともいわれる企業の設立にかかわることなどなしえるはずがない。

 渋沢氏は、終生「論語」を事業哲学の指針とし続けました。
 自ら「論語講義」「論語と算盤」等の書物も著しています。

(p183より引用) 「論語の千言万語も、つまる所は忠恕の二字の外に出でぬ」と栄一は力説している。

 忠恕はすなわち「真心と思いやり」という意味です。
 渋沢氏が最も重きをおいたといわれる姿勢です。

 本書は、渋沢氏所縁の場所を辿った軽めの評伝です。

 渋沢氏は、第一国立銀行(現みずほ銀行)をはじめとし、秩父セメント(現太平洋セメント)・王子製紙・清水建設など今につながる基幹産業の創設に関わりました。氏の活躍のフィールドは、実業界のみならず広く教育・医療等社会公益事業に及びます。東京女学館・日本女子大・日本赤十字社・東京都老人医療センタ・・・。

 渋沢氏は、「財」を活かす方法を知っていました。また、渋沢栄一という「人」を活かす方法も知っていました。そして、それを生涯かけて実践し通した稀有な人物でした。

 現在、唯一「渋沢」の名を冠している会社は「澁澤倉庫」です。私が20数年前、社会人になって2年目、システム営業のOJTで訪問した最初の会社でした。

公益を実践した実業界の巨人 渋沢栄一を歩く 公益を実践した実業界の巨人 渋沢栄一を歩く
価格:¥ 1,995(税込)
発売日:2006-08-25

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続 駅名で読む江戸・東京 (大石 学)

2007-04-01 22:16:29 | 本と雑誌

Edo  たまたま図書館で目に入ったので借りてみました。
 以前読んだ「アースダイバー」「地図から消えた東京遺産」といった本と関心の根は同じです。

 このところ、営みとしての必然性の薄い市町村合併等による「名前の喪失」が著しく、さらに、代わりに登場した新たな名前はといえば、根無し草のような味気のないものになっています。
 そういう中で、身近な土地の由来や今に至る変遷、過去と現在の対比・変貌には、時折思い出したように興味を感じます。

 本書は、東京都内のJR・私鉄・地下鉄などの駅を中心に、その地名の由来やその地域にまつわる歴史的トピックスを集め紹介したものです。

 読んでみて、改めて感じたところがいくつかありました。

 有名なところでは、江戸期の大藩の藩邸のその後です。

 薩摩藩島津家の下屋敷跡が新高輪プリンスホテルに、紀伊藩の屋敷跡が赤坂プリンスホテルに、井伊家の屋敷跡がホテルニューオータニに、また、尾張藩の屋敷跡が上智大学に、仙台藩伊達家の下屋敷跡が清泉女子大に・・・その他、それなりの広さの敷地を要する施設は、大藩の武家屋敷跡に建てられたようです。

 また、今の東京の街並み形成に大きな影響を与えたのは、江戸の華といわれた「大火」だったということ。

(p133より引用) 明暦三年(一六五七)正月の明暦大火により、江戸市中が焼け、幕府は早急な市街地の復興と再編を迫られることとなった。まず、幕府は、江戸城への類焼を防ぐため御三家や諸大名の屋敷を郊外へ移転させた。また、・・・多くの寺社、門前町を江戸市外へ転出させたりした。これら一連の政策は江戸近郊農村の市街地化を促し、江戸の範囲は大幅に拡大することになった。

  明暦の大火(1657年)は、外堀以内のほぼ全域、天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼き尽くしました。
 その後の江戸再興策により、延焼を防ぐ対策として町の各所に火除地や広小路が設けられました。そして、そのいくつかは上野広小路に代表されるような地名で、今に残っています。

続 駅名で読む江戸・東京 続 駅名で読む江戸・東京
価格:¥ 924(税込)
発売日:2004-02

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