OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

逆進化 (進化しすぎた脳(池谷 裕二))

2007-03-31 16:49:23 | 本と雑誌

Synapse  著者によると、「脳は体に規定される」そうです。
 ヒトの脳は、今以上に身体性能が向上しても、それをコントロールする潜在能力を十分に有しているとのことです。その意味では、さらなる「進化」の可能性は間違いなくあるといえます。

 しかしながら、著者は、ヒトは進化を止めたと言います。

(p313より引用) いま人間のしていることは自然淘汰の原理に反している。いわば〈逆進化〉だよ。現代の医療技術がなければ排除されてしまっていた遺伝子を人間は保存している。この意味で人間はもはや進化を止めたと言っていい。
 その代わり人類は何をやっているかというと、自分の「体」ではなくて「環境」を進化させているんだ。従来は、環境が変化したら、環境に合わせて動物自体が変わってきた。でも、いまの人間は遺伝子的な進化を止めて、逆に環境を支配して、それを自分に合わせて変えている。・・・そういうことができればもう自分の体は進化しなくてもいい。そんなことを人間はやり始めている。新しい進化の方法だ。

 このことが良いことか悪いことかはともかく、確かにそういう傾向は否定できません。
 が、なかなか刺激的な示唆だと思います。

 さて、この本は、まさに時代の最先端を走る「研究者」の著作です。

 研究者の方が書いた本で、最近よく登場することばが、「セレンディピティ」という単語です。「偶然に思いがけないものを発見する能力」のことですが、本書でもやはり触れられています。
 特に本書が、これから研究を志すであろう若者を対象としているので当然といえば当然ですね。

(p299より引用) 正しい知識をいかに持っているかどうかで、アイディアを思いつくかどうかっていうのもまた決まってくるんだよね。発見や発明はなにも神様が与えてくれるもんじゃなくて、やっぱり日頃の勉強や努力のたまものってわけ。

 もうひとつ。「相関と因果」について。
 こちらは、データに基づく「正しい情報の読み取り方」を論じる文脈でよく登場します。

(p370より引用) 相関と因果の違いは一見微妙なものだけど、これは実に深い溝だ。
 科学で証明できることは相関だけだ。研究者たる者、実験科学の本質と限界を忘れてはいけない。因果関係を証明することは基本的に不可能だ。

進化しすぎた脳 進化しすぎた脳
価格:¥ 1,050(税込)
発売日:2007-01-19

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あいまい記憶の意味 (進化しすぎた脳(池谷 裕二))

2007-03-25 13:57:19 | 本と雑誌

Nou_2  この本を読むと、「『意識』して行う」というヒトならではの行為のウェイトが予想以上に少ないことに驚かされます。
 逆にいうと、大半の行為が「無意識」のうちになされているのです。
 私たちの脳は、そういった「無意識」の行為を見事にコントロールしています。

 たとえば、(普通に)歩くとかボタンをとめるとかの行為は、こうしたら次はこうやって・・・といった段取りをいちいち意識して意図的に手足や指を動かしているわけではありません。簡単な「会話」ですら、確かに反射的にやりとりしています。

 また、脳は、「記憶」についても、意識せずして自律的に素晴らしい処理を実行しています。

(p188より引用) 記憶というのは正確じゃダメで、あいまいであることが絶対必要
 ・・・もし記憶が完璧だったら、次に僕と会ったときに、着てる服が違ったり、髪に寝癖がついていたりしたら別人になっちゃうんじゃない。
 ・・・だから脳はそういう特徴を抽出してるんだ。完全に覚えるのでもなく、また完全に忘れちゃうんでもなく、不変の共通項を記憶しているんだ。

 いわゆる「抽象化」「汎化」という処理です。

 この抽象化・汎化の程度は、絶妙です。
 確かに、寸分違わず記憶しそれが個体識別の根拠だとすると、時間や場所を隔てたものはほとんど「別物」と判断されてしまいます。同一物(同一人物)が別物(別人)と判断されない程度の適度な「汎化」という処理を「意識せずに」しているのですから驚きです。

(p192より引用) 記憶があいまいであることは応用という観点から重要なポイント。人間の脳では記憶はほかの動物に例を見ないほどあいまいでいい加減なんだけど、それこそが人間の臨機応変な適応力の源にもなっているわけだ。

 こういった「抽象化」「汎化」が、概念や行動にひろがりとゆとりを与え、その結果、「適応力」「応用力」といった「変化に対応する柔軟な力」を産み出しているのです。

進化しすぎた脳 進化しすぎた脳
価格:¥ 1,050(税込)
発売日:2007-01-19

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いいかげんな?脳 (進化しすぎた脳(池谷 裕二))

2007-03-24 15:52:12 | 本と雑誌

Nou_1  以前「だまされる脳」という本を読んで、ちょっと大脳生理学に興味を持ちました。

 本書は、著者が数人の高校生相手にフランクな講義をしている、ほぼそのままの様子を文字に起こしたものです。話のテンポもよく、受講者(読み手)の興味をかきたてつつも親切丁寧な語り口は、著者の人柄かもしれません。

 この本を読んで、事実としての新たな知識と発想としての新たな気づきがありました。

 まずは「感覚の時間差」についてです。
 たとえば、ものを見たとき、そこに含まれている種々の情報を分析・感知するプロセスは個々に独立しているそうです。

(p125より引用) 目から入った情報は視覚野で解析されるよね。その時、脳は形を分析したり、色を分析したり、動きを分析したりという処理を、独立に並行して行っている・・・。この3つの特徴、つまり形、色、動きの情報は、解析にかかる時間が異なる。・・・
 たとえば、ここにリンゴが転がっているとしようか。それを見たとき一番先に気づくのは色。色の処理は素早いので、「赤」にはすぐ気づくんだ。その次に「あっ、リンゴだ」とわかる。形だね。そして、最後にわかるのは「転がっている」という動きの情報だ。「色」に気づいてから「転がっている」と気づくまでの時間は早くても70ミリ秒ぐらいの差がある。

 また、発想として刺激を受けたのは、「光の三原色」についてです。

(p129より引用) 光というものはもともと三原色に分けられるという性質のものじゃないんだ。網膜に三色に対応する細胞がたまたまあったから、人間にとっての三原色が赤・緑・青になっただけなんだよ。もし、さらに赤外線に対応する色細胞も持っていたら、光は三原色じゃなくなるよ。・・・

 なるほどという感じですが、「『そもそも』三色に対応する細胞があった」という理由も気になります。
 このあたり、以前読んだ三谷宏治氏の「観想力」の記述を思い出します。この本のサブタイトルにある「空気はなぜ透明か」との問いに対する著者の答えは「生物の目がそのように進化したから」でした。

 ただ、「見えている」世界は、視覚細胞と脳がつくった「たまたまの」世界だというのは、面白い気づきです。

(p130より引用) ・・・実際の人間の目は、世の中に存在する電磁波の、ほんの限られた波長しか感知できない。だから、本来限られた情報だけなのに「見えている世界がすべて」だと思い込んでいる方が、むしろおかしな話でしょ。
 その意味で、世界を脳が見ているというよりは、脳が(人間に固有な)世界をつくりあげている、といった方が僕は正しいと思うわけだ。

進化しすぎた脳 進化しすぎた脳
価格:¥ 1,050(税込)
発売日:2007-01-19

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狼花 新宿鮫IX (大沢 在昌)

2007-03-21 13:08:28 | 本と雑誌

Tocyo  最近、小説はほとんど読まないのですが、この手の小説で唯一能動的に読んでいるのが大沢在昌氏のこの「新宿鮫シリーズ」です。

 「狼花」は、前作の「風化水脈」から数年ぶり、久々の新作です。

 私も、はるか昔はミーハー(今でも本質的には不変)でしたから、大薮春彦氏の「野獣死すべし」「蘇える金狼」といった当時正統派?のハードボイルドにはまっていた時期がありました。映画化されたときの松田優作さんのイメージも強烈でした。

 この新宿鮫シリーズの主人公新宿署鮫島刑事の人となりは、「主流を外れたキャリア」という何となくわざとらしい(当然作為ですが)感じがする設定ですが、それゆえに彼をとりまく登場人物との絡みにおいて多面的な魅力を感じさせます。
 「真っ当なはみ出し者」の強烈なキャラクターです。

 舞台も「新宿」という直球ど真ん中の設定ですが、その時々の世相をリアルに取り込んでストーリーに厚みを持たせています。
 今回も、最近の歌舞伎町の新たな構図をうまくモチーフに活かしています。

 小説ですから引用して内容をご紹介しても意味がないでしょう。好き嫌いもあるでしょうし・・・。
 少なくとも、次の作品(いつになることか?)も、私は手に取ると思います。

 (ただ、こういう人気シリーズものは、「最初の作品」のインパクトを越えるのはなかなか難しいようですね。それだけ読者側の期待が大きくなっているということでしょうか。)

狼花  新宿鮫IX 狼花 新宿鮫IX
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2006-09-21

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メンタルヘルス・マネジメント検定試験公式テキスト 2種 ラインケアコース (大阪商工会議所)

2007-03-18 13:59:58 | 本と雑誌

 会社で企画されたメンタルヘルス研修のテキストで配布されたので、ザッと目を通してみました。

 内容は、大阪商工会議所主催の検定試験に準拠した解説教材なので、「読み物」として面白いというものではありません。
 ただ、以下の目次のとおり、メンタルヘルスに対する職場の役割を体系的にたどることはできます。

  • 第1章 メンタルヘルスケアの意義と管理監督者の役割
  • 第2章 ストレスおよびメンタルヘルスに関する基礎知識
  • 第3章 職場環境等の評価および改善の方法
  • 第4章 個々の労働者への配慮
  • 第5章 労働者からの相談の方法(話の聴き方、情報提供および助言の方法等)
  • 第6章 社内外資源との連携と労働者のプライバシーへの配慮
  • 第7章 心の健康問題を持つ復職者への支援の方法

 私の認識不足ではありますが、この本を読んで、「メンタルヘルスの問題に対しては予想外に法的・行政的手当てがなされつつある」という印象を受けました。
 もちろん、それで十分というわけではありません。法的に定められ、行政的に指導されても、最終的な実行は本人と上司を中心とした職場の対応に拠るのです。そこが疎かになると、法も仕掛けも何の意味もありません。

 しかしながら、この本で示されている多様なケアが実際に機能し実践されれば、現在増加しつつある問題状況は必ず減少に転ずると思います。

 繰り返しになりますが、実践するのは自分たちです。
 自分たちが実践しさえすれば、好転するということです。

 ちなみに、検定試験の方はとりあえず「合格」しました。(合格率は非常に高いので)
 ただ、こういう資格が必要になる状況自体は望ましいものではありません。メンタルヘルスがこれほどまで問題にならなければ、こういう資格はそもそも必要ないのですから。

メンタルヘルス・マネジメント検定試験公式テキスト 2種 ラインケアコース
価格:¥ 2,940(税込)
発売日:2006-05

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落語「通」入門 (桂 文我)

2007-03-17 16:20:49 | 本と雑誌

Encyo  著者の桂文我氏は関西の現役の噺家で、私が好きだった桂枝雀師匠の弟子です。

 その枝雀師匠から落語の歴史もきちんと勉強するよう指導され、以来、散逸していた落語史料を丹念に集め、「噺家による落語の本」として自ら著したものとのことです。

 落語の起源から書き起こし、江戸・明治・大正・昭和の名人のエピソードやその時代風俗にも触れた肩の凝らない読み物になっています。

 その中で紹介されたいくつかの薀蓄をご紹介しましょう。

 先ずは、落語と知識人・文豪との関わりです。

 一般庶民の娯楽として大道芸的なスタイルで栄えた落語ですが、江戸時代の噺家は一般大衆のみならず知識人にも高く評価されました。
 享保年間(1700年代)に京都で人気を博した二代目米沢彦八はその代表です。

(p18より引用) また、一般大衆から知識人まで広く支持を得ていたようで、儒学者・村瀬栲亭もその技量を高く評価し、国学者・本居宣長も京都で勉学に励んだ頃の『在京日記』に「四條下ル所の川原に、米沢彦八出居侍る、いとにきわしき」と記しています。

 また、明治期の名人初代三遊亭圓遊は、当時の文豪達にも少なからぬ影響を及ぼしたようです。

(p103より引用) 明治二十二年(1889)の初め頃、学生時代の夏目漱石(夏目金之助)と正岡子規(正岡常規)は、「寄席で落語や講談を聞くのが好き」という共通の趣味で仲良くなり、連れ立って寄席に出掛けていました。・・・
『吾輩は猫である』に出てくる、
「心臓が肋骨の下でステテコを踊り出す」
という一文は、『ステテコ踊り』をそのまま使っているのです。

 三代目柳家小さんも、漱石に注目されたひとりです。

(p144より引用) 夏目漱石や志賀直哉らの支持も集め、文人の作品にも多少の影響を与えています。
 特に夏目漱石の『三四郎』では、登場人物の与次郎に、
「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。実は彼と時を同じゅうして生きている我々は大変な仕合せである。今から少し前に生れても子さんは聞けない。少し後れても同様だ」
とまで言わせています。

 漱石の作品独特のユーモアは、当時の落語の名人達からの影響によるところも少なくないそうです。

 その他興味深かったのは、大正期の「吉本」
 この時期に、今の吉本の芸人さんたちに対するマネジメントスタイルが生れました。

(p150より引用) 吉本が行った画期的な経営方針は、所属芸人に月給を支給したことで、それまではどの興行師も月給で芸人を丸抱えすることはなく、芸人も月給には慣れていませんでした。
「月給? そんな怪しいことで、最後に給金をもらえなんだら、どないするねん」
と、月給制を良しとしない芸人も多かったようですが、生活の安定には勝てず、最後には所属芸人の全てが月給制に納まったと言います。
 この経営方針で大正11年前後から上方演芸界は吉本一色になりました・・・

落語「通」入門 落語「通」入門
価格:¥ 735(税込)
発売日:2006-10

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日本の「哲学」を読み解く (田中 久文)

2007-03-11 17:03:41 | 本と雑誌

Nishida_kitaro  明治以降、輸入ものの西洋思想が主流でしたが、1930年代、日本でも初めて独自の哲学が生み出されてきたと言います。
 そういった日本哲学の概要だけでもかじれるかと思い、手にした本です。

 本書は、日本哲学を代表する西田幾多郎・和辻哲郎九鬼周造・三木清という4氏の思想を分かりやすく解説した入門書ですが、やはり、私には荷が重過ぎました。

 哲学の素養のある人から見ると、それなりにポイントをおさえた概要書と見えるのだとは思いますが、私のような素人には、その要領のよさが故に、逆に理解にまで到らなかったようです。

 たとえば、西田幾多郎氏の「絶対無」に関しての記述です。

(p62より引用) 「絶対無」とは、まずもっては「個物」も「一般者」もともに絶対的に否定する力である。しかし、同時に「絶対無」は否定を通してそれらを真に肯定し活かす力でもあるという。「個物」も「一般者」も「絶対無」に否定されることによって他と関係し、「絶対無」に肯定されることによってその独自性を発揮する。そうした「絶対無」の、同一でありながら矛盾した働きが「絶対矛盾的自己同一」の究極的な意味なのである。

 ???、正直なかなか理解できませんでした。
 哲学の単語は、辞書的意味以上の「その哲学者の思考の文脈の中で定義」されます。その思想の理解なしに単語だけ追っても全く意味がないという典型例でしょう。

 ところどころに概念を説明した略図があり、それを見ると「言わんとするのはこういうことか・・・」とちょっと掴みかけたかなと思うこともありますが、

(p146より引用) 「偶然を成立せしめる二元的相対性は到るところに間主体性を開示することによって根源的社会性を構成する。間主体的社会性に於ける汝を実存する我の具体的同一性へ同化し内面化するところに、理論に於ける判断の意味もあったように、実践に於ける行為の意味も存するのでなければならない。」

といった風な説明が続いても、情けないことに私の理解力のなさを確認するだけです。

 何度挑戦しても哲学系の本は難敵です・・・。

日本の「哲学」を読み解く―「無」の時代を生きぬくために 日本の「哲学」を読み解く―「無」の時代を生きぬくために
価格:¥ 714(税込)
発売日:2000-11

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こころのスイッチをきりかえる本―今すぐできる気分転換のコツ (斎藤 茂太)

2007-03-10 00:23:32 | 本と雑誌

 著者の斎藤茂太氏は、1916年の生まれですから90歳。精神科医であり文筆家でもあります。
 ご存知のとおり歌人斎藤茂吉氏の長男で、作家北杜夫氏の実兄です。

 今回は、メンタルヘルス関係の本のつながりでこの本に辿り着きました。斎藤氏の本は初めてです。

 とても読みやすい本で、力んだところのないさらりとした語り口です。
 こういう感じです。

(p22より引用) こころのスイッチの場所は、まず「好きなもの」にある。「好き」をいっぱいもつことをおすすめしたい。

 もちろん、本業は精神科医ですから、その方面からのアドバイスもあります。
 たとえば、落ち込んだときの対処について。

(p25より引用) 落ち込むことを恐れすぎてはいけない。落ち込むこともまた、自然なこころの動きの一つなのだ。むしろ、ちゃんと落ち込めるほうが大事だといってもよい。
 水に溺れるのは、浮き上がろうとバタバタともがくからなのだ。静かに水に身をまかせていれば、自然に浮力が働いて、あんがい、溺れない。

 ただし、ポイントはキチンと押さえます。

(p26より引用) 大事なのは、きりかえのきっかけをつかみ損なわないようにすることだ。さもないと、こころは再浮上できなくなってしまう。

 読んでいて、今までの自分がまさにやっていたこともありました。
 たとえば、この割り切りの態度です。斎藤氏は「おまじない」と言っていますが・・・

(p33より引用) 私は、マイナスのスイッチをプラスに変える「おまじない」を知っている。・・・
「まあ、いいか」。この一言である。

 また、初めて気づかされたこともたくさんありました。
 「清福」という言葉もそのひとつです。

(p206より引用) 益軒によれば、清福を身につけるには、真の教養人でなければならないという。真の教養人とは、・・・こころの中には、いつも楽しさを感じることができる素直さが自然に存在していて、感じた楽しさをいっそう大きく育てられる力のある人という意味だ。

 楽しさを感じるためには、やはりこころに余裕がなければなりません。
 余裕がないと、「気づき」は生れにくいものです。

 最近、ちょっと流行りかけの言葉に「セレンディピティ」という単語があります。「偶然から大きな発見や発明を行なう」といった文脈で登場します。
 「セレンディピティ」とは、「思わぬものを偶然に発見する力」といった意味です。

(p211より引用) 私は、セレンディピティは、日常の暮らしの中で生かされてこそ、大きな意味をもつものだと考えている。セレンディピティは、身の回りにあるちょっとしたことに幸福の芽を見つける能力だと意訳できよう。

 最後に、ポジティブな心持ちのための必須の言葉です。

(p191より引用) 「ありがとう」という言葉には、魔法のような力がある。相手に対する感謝の思いを伝えることはいうまでもないが、いっている自分のこころにも、文字通り、ありがたい思いがじんわりと染みわたっていく。

 「清福」と「感謝」、当たり前のこととして自然に身につけたいものです。

こころのスイッチをきりかえる本―今すぐできる気分転換のコツ こころのスイッチをきりかえる本―今すぐできる気分転換のコツ
価格:¥ 1,470(税込)
発売日:2006-10

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キヤノンの論理 (観想力(三谷 宏治))

2007-03-04 14:45:55 | 本と雑誌

Canon_ppc  本書は、常識的発想から脱却しブレイクスルーを果たした多くの企業の「実例」が挙げられています。

 まずは、こういう本の常連のキヤノンです。

 紹介されているのは、キヤノンがゼロックスの牙城だった普通紙コピー機(PPC)市場に参入しようと決めたときの論理です。
 ものすごく大胆な常識破壊の理屈?です。

(p91より引用) 圧倒的に強い競合がいるからこそ、他社が参入しにくい。そこにうまく入り込めれば、かなりよい市場地位を享受できる、はず。

 結果、キヤノンは大成功を収めましたが、実は、「常識破壊」のみがKSFではありませんでした。
 キヤノンは、元々の強みや新たに獲得した強みの源泉となった「総合的研究開発力」を有していたのです。そこが根本的に違います。

 そのほかにも、自転車のシマノや電子辞書のカシオ、少年ジャンプの集英社等、興味深い事例がいくつも紹介されています。

 あと、本書の中でなるほどと思った部分を2点ほど。

 1点目は、不確実性の高い「カオス的」状況における対応方法です。

 著者は、以下のような方策を薦めています。

(p41より引用)
①当たらない推測に頼らず
②実際に得られる情報のみを使って
③事後的に対応する

 何が起こるか予測ができない世界では、「常識的な発想」に基づいた行動は、無益であるばかりかマイナスでもあると言うのです。
 あらぬ方向に走り出すよりは、リアルタイムの状況把握に基づくきめ細かなアクションの方がリスクの少ない対応ができるのです。ただ、この場合は、常に変化を受信し続け、それに即応し続けなくてはなりません。
 感度と機敏さがポイントです。

 2点目は、「聞き手のキャパシティ」についてです。

(p258より引用) 相手の「一度に聞くキャパシティ」は60~90秒。それ以上になると、こちらが発する言葉を吸収しきれなくなり、集中力も一気に低下する。だから一つのことを「興味付け」「前提説明」「事象説明」「本質説明」と進めるのに、最大90秒で終わらせる。
 こういった事柄は、「コミュニケーション」の奥義であると同時に、思考自体を突き詰めるのに丁度良い。

 これは、私自身、心しなくてはなりません。
 最近、とみに話がくどくなってきたと自覚しています。自分の頭が整理されていない証拠です。

 この本からは、いくつかの気づきと刺激を得ましたが、やはり、最大の刺激は、サブタイトルにある「空気はなぜ透明か」との問いに対する著者の答えでした。

 「生物の目がそのように進化したから」

 これには参りました。
 そもそも空気が透明なのではなく、「空気が透明になるよう生物の視覚器官が変化した」というのです。

 「視点・視座の転換」と簡単に言いますが、おいそれとできるものではありません。

観想力 空気はなぜ透明か 観想力 空気はなぜ透明か
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発売日:2006-10-20

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ヒューリスティック・バイアス (観想力(三谷 宏治))

2007-03-03 15:04:50 | 本と雑誌

Mandara  以前同じ職場だった方のメールマガジンで紹介されていたので読んでみました。ちょっと前には、ふとっちょパパさんも読まれたようです。

 「観想」とは、仏教では「特定の対象に深く心を集中すること」、ギリシア哲学では「感官的知覚や行為の実践を離れて対象を直観すること」を意味するそうです。

 本書は、よくあるブレイクスルーのための発想法についての本ですが、その中では、なかなかキレのある書きぶり分かりやすい内容だと思います。

 ブレイクスルーのためには、この本に限らず多くの本で「常識に囚われない発想」を求めます。
 著者は、柔軟な発想を阻害する思考のクセとして「単純化の歪み」を挙げます。

(p71より引用) ヒトは幸運な偶然を必然と感じ、好ましい一事例を典型例と思い込み、見やすい情報と第一印象にのみ基づいて意思決定を行う。

 こういった思考の偏向「ヒューリスティック・バイアス」は、事実に基づく重要な点を見過ごすことになると指摘しています。
 拙速な単純化は、多くの場合、無批判的に常識を是とします。

(p120より引用) キーワードは「ヒューリスティック・バイアス」だ。
 ヒトは通常、見たいように見、聞きたいように聞き、考えたいように考える。自らの常識を疑い、知識ベースを拡大し、バイアスを除き、新しい発想や正しい答えを得る努力をしよう。

 事実に基づく状況認識のために有効な方法のひとつが「統計学的思考」です。

(p50より引用) 現代の人類には、まだ、統計学的直感は備わっていない。・・・
 経営の問題点や課題を明らかにしようと、様々な問題を分析する。が、統計的手法を使おうものなら、多くの経営者はそれだけで違和感や拒否反応・拒絶反応を示す。それよりも面白そうな「他社事例」を好む。たった一例の方を信じたりする。
 また、数字でなく、「大丈夫です」と言い切ったヒトを信じる。市場から見たら90%ダメでも、これまで六割方は言ったことを成功させてきたヒトの方を信じてしまう。それで良いなら経営戦略は要らない。

 ここでの著者の指摘は、確かに首肯できるものです。

 小数のサンプルにもとづく数字の上下1%で一喜一憂する愚は、確かに多くの場面で見られます。
 多くの人は、何らかのデータが統計的に有意か否かについて知っていながら、特定の結論に誘引するための根拠もどきとして大いに活用しているようです。

 そこには、結論が拠って立つ「事実」はありません。

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発売日:2006-10-20

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