そもそも、
いつも利用している図書館の新着書の棚で目についた本です。
スウェーデンといえば、今回の新型コロナ感染症対応での独自のスタンスをはじめとして、福祉や教育に対する基本姿勢等も日本とは大きく異なっていて興味を惹く国ですね。
本書は、現地企業に勤務する著者によるスウェーデンの実像のレポートです。
スウェーデン人の暮らしぶり、国民性、教育・福祉・環境問題、軍事産業の実態等々の面で数々の意外な事実が紹介されていましたが、それらの中で特に印象に強く残ったのが、スウェーデンの「医療」の実態です。
スウェーデンは、まずは一般診療所(総合診察医)で診察してもらい必要に応じて専門医につなぐ「ホームドクター制度」をとっているとのことですが、その運用実態は必ずしも問題なしとは言えないようです。
(p63より引用) スウェーデンでは、紹介状を書いてもらってから専門医に会うまでに、最低でも2、3週間、ときには2、3か月も待つことがあるのです。2020年8月、スウェーデンの市町村議会(SKL)の統計によれば、30日以内に専門医に診断してもらえたのは66%のみでした。私自身も呼吸器科の専門医に紹介状を書いてもらいましたが、当初は18か月の診察待ちといわれ、実際に専門医に診察してもらえたのは4年後でした。日本では信じられないことですが、スウェーデンでは結構よくあることなのです。
医療の場合は、命に係わるものですから、やはり緊急対応を優先したいですね。
こういった問題を回避するために公的医療制度を利用せず民間の診療施設を利用することも可能なのですが、この場合はかなり高額な金銭負担を要することになります。
スウェーデンの医療実態は、若年層の医療費は無料であったり不妊治療の分野では世界最先端の技術を有したりと優れているところは確かに存在しています。とはいえ、こうやって全体像を眺めてみると、一般診療医の医療技術は概して低レベルですし、公的制度を補完するための個人保険費負担も相当額に及ぶようで、必ずしも日本と比較して圧倒的に進んでいるとは言い難いのが実態のようです。
いつも利用している図書館の新着書の棚で目についた本です。
雨宮処凛さんの著作は初めてです。
本書は、長年にわたり「貧困問題」に取り組んできた雨宮さんが、今般のコロナ禍がもたらした貧困に苦しむ人々の生活への強烈なインパクトを、時の政権の取り組みや現行の福祉制度を押さえつつ書き記したレポートです。
本書では、数々の貧困の構造と課題が示されています。その多くは、2008年のリーマンショックを端緒とし、その時の教訓が何ら活かされることなく、今般のコロナ禍で問題が一気に噴出したものでした。
たとえば、「フリーランス」の場合。
(p46より引用) リーマンショックで大量の人が派遣切りされ、寮を追い出されて住む場所も失い一気にホームレス化してしまったことについて、私たち反貧困運動をする側は、ずーっと「働く人を保護する方向での法改正」を求めてさまざまな取り組みをしてきた。しかし、あれから12年。それは遅々として進まず、非正規で働く人は08年の1737万人から19年には2165万人へと、428万人も増えた。それだけではない。「働き方改革」の名の下に、副業・兼業が推進されてきただけでなく、フリーランスで働く人も増えたし、政府もそれを推進する方向で来た。・・・
が、フリーランスが推進されてきたわりには、そのような形態で働く人たちの「保証」に関する制度はまったく作られてこなかった。それが今回のコロナ不況で、最悪の形で露呈してしまったのである。
セーフティネットとしての「公助」は機能せず、“民間ベースのボランティア(助け合い)活動”に頼りながら、厳しい状況は一向に改善されないまま迎えることになった2020年の12月。
(p202より引用) 今年、突然猛威を振るったコロナ禍は、リーマンショックの比ではない打撃をこの国にもたらした。格差と貧困がじわじわと深刻化する中、それでもギリギリ生活していた人たちにとって、文字通り「トドメの一撃」となってしまった。
ネットカフェで暮らしていた人、ダブルワークをすることでなんとかアパート生活を維持できていた人、自分は貧困とは無縁だと思っていた人、20年以上、寮付き派遣で全国各地の工場を転々としてきた人―。
そんな人たちからのSOSが、この春からひっきりなしに届き続けている。家賃を滞納してもうすぐ追い出されるというアパートの一室から、ネットカフェから、深夜のファストフードから、コンビニから、車上生活をしている車から、悲鳴のような「助けて」の声が上がっている。
彼ら彼女らと出会うたび、「よく生きててくれた」と思う。
本書で雨宮さんが目指したこと。
(p48より引用) この機会に、何がどうなっても生きていけるノウハウを、一人でも多くの人に習得してほしい。あなたが制度や支援団体に詳しくなれば、自分のみならず、周りの人を助けられる。そしてその知識を生かして、ゆくゆくはホットラインのボランティアなんかに参加してくれると、もっともっと多くの人を助けられる。
あとになって「コロナも悪いことばかりじゃなかった」と言い合えるような、そんな機会にできたらと、今、心から思っている。
とにかく、生存ノウハウを習得して、生き延びていこう。お金のことだったら、絶対になんとかなる。
もちろん、立法や制度、それらを実際に運用していく体制等々、是正・改善すべき課題はそれこそ山のように顕在化していますが、それらが政治の責任で解消されない以上、まずは、“今を何とかしのぐ”、その切羽詰まった人たちに手を差し伸べること、これが不本意ではありますが、最優先に取り組むべきアクションだということです。
そして、今2021年も年末が近づいています。本来なら一年前よりも格段に状況が改善されているべきではありますが・・・、ともかく一年前より少しでも人々の苦しみが減っていることを心から祈りたいと思います。
少し前、アガサ・クリスティーの作品(ポアロとグリーンショアの阿房宮)をこの歳になって初めて読んだというお話をしました。
そういえば私は、海外の本格ミステリー(推理小説)はコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズぐらいしか読んでいないかもしれません。
ということで、今回は「エラリー・クイーン」。
その中でも「Yの悲劇」(ハヤカワ・ミステリ文庫)を選んでみました。「Xの悲劇」からではないのは、たまたま図書館の書棚に「Xの悲劇」がなかったという単純な理由からです。
さて、当然ながら“ネタバレ”を避ける意味でコメントは少しだけにします。
読み終えての私の感想ですが、確かに期待どおりの骨太の秀作ですね。まさに「本格ミステリー」作品です。
名探偵ドルリイ・レーンの謎解きの解説はこれでもかというほど精緻な論理を辿ったもので、それだけでもとても丁寧に構成されていることが伝わってきます。二重の筋書きという見事なプロットと意外な犯人設定、確かに傑作ですね。
著者の半藤一利さんの著作は、今までも「聯合艦隊司令長官山本五十六」「昭和・戦争・失敗の本質」「ぶらり日本史散策」「幕末史」「日本史はこんなに面白い」等々を読んでみています。最近も「墨子よみがえる」を読んだのですが、今回は、より半藤さんらしい「太平洋戦争」に係る著作に立ち戻ってみました。
半藤さんの眼で選ばれた“戦時の言葉”の数々は、怒り、悲しみ、悔恨・・・、さまざまな心情を湧き上がらせます。
そのうちからいくつか書き留めておきます。あのとき、こういった言葉を発した人もいたのだという記録です。
まずは、日米開戦にあたっての“慎重派”の重鎮たちの言葉です。
連合艦隊司令長官山本五十六大将。
1941年11月13日、御前会議の決定をうけて、岩国海軍航空隊に全指揮官を集めた場での強い言葉。
(p24より引用) いまワシントンで行なわれている日米交渉が成立したならば、 十二月八日の前日の午前一時までに、出動全部隊に即時引揚げを命ずる。その命令を受領したときには、たとえば攻撃隊の発進後であってもただちに収容し、反転、帰投してもらいたい。何があっても、である」
そして、その指示に反論する機動部隊司令長官南雲忠一中将に対し、さらに厳しい口調でこう続けました。
(p26より引用) 「百年兵を養うは何のためだと思っているのか!一に国家の平和を守らんがためである。もしこの命令を受けて帰ってこられないと思う指揮官があるのなら、ただいまより出動を禁止する。即刻辞表を出せ!」
そして今ひとり、1941年11月29日、開戦の是非を議論する重臣会議、東条英機首相兼陸相の積極論に対し、首相経験者で長老格の若槻礼次郎は強くこう反駁しました。
(p52より引用) 「理論より現実に即してやることが必要でないかと思う。力がないのに、あるように錯覚してはならない。したがって日本の面目を損じても妥結せねばならないときには妥結する必要があるのではないか。たとえそれが不面目であっても、ただちに開戦などと無謀な冒険はすべきではない・・・ いや、理想のために国を滅ぼしてはならないのだ」
それでも、時の為政者は我不関焉、開戦の道を選んだのでした。
もうひとつ、戦いの趨勢も明らかな中での沖縄戦。連語艦隊参謀長草鹿龍之介中将が戦艦大和への出撃命令を伝えたときの第二連合艦隊司令長官伊藤整一中将とのやりとり。
(p123より引用) 伊藤長官はこういったといいます。
「いったいこの作戦にどういう目的があるのか。また、成功の見通しを連合艦隊はどう考えているのか。成功の算なき無謀としかいえない作戦に、それを承知で七千の部下を犬死させるわけにはいかない、それが小官の本意である」
草鹿は黙って聞いていましたが、やがてポツリといったといいます。「これは連合艦隊命令であります。要は大和に一億総特攻のさきがけとなってもらいたいのです」
伊藤はしばし草鹿を睨みつけていましたが、やがて表情をやわらげて、「それならわかった。作戦の成否はどうでもいい、死んでくれ、というのだな。もはや何をかいわんやである。了解した」
理不尽の極み。結果、何ら成すことなく大和は坊ノ岬沖に沈みます。
(p125より引用) 大和艦上の伊藤長官は、もはやこれまでと思ったとき、「駆逐艦に移乗して、沖縄へ突っ込むべきです」という参謀たちの進言をしりぞけて、まだ海上に浮いている駆逐艦長あてに命令を発しました。
「特攻作戦を中止す。内地へ帰投すべし」
これをうけた駆逐艦は四隻のみです。・・・これらは作戦中止命令をうけると同時に、空襲のやんだ合間をぬって、海上に浮いている生存者の救助にかかり、大和の生き残りも、ほかの艦の生き残りも全員を、海上から救いあげました。もし伊藤の中止命令がなければ、そのまま沖縄へ突っ込んでいき、ほんとうに全滅するところでした。
こういった本書で紹介されたエピソードの数々が半藤氏から私たちへの別れのメッセージになりました。
(p167より引用) 「墨子を読みなさい。二千五百年前の中国の思想家だけど、あの時代に戦争をしてはいけない、と言ってるんだよ。偉いだろう」
それが、戦争の恐ろしさを語り続けた彼の、最後の言葉となりました。
天災と違って、戦争は人間の叡智で防げるものです。戦争は悪であると、私は心から憎んでいます。あの恐ろしい体験をする者も、それを目撃する者も、二度と、決して生みだしてはならない。それが私たち戦争体験者の願いなのです。
本書の「あとがき」は、半藤さんと想いを同じくする奥さま末利子さんのこの言葉で締められています。
講談社のpodcastで紹介されていたので手に取ってみました。
歌人水原紫苑さんによる「百人一首入門書」です。
私も高校時代には百人一首をすべて暗記させられましたが、今、それから40年以上経ると本当に誰でも知っているような有名な数首しか憶えていません。それではいかにも情けないので、ちょっとおさらいをしてみようと手に取ってみました。
たとえば、有名な「紫式部」の歌。
(p126より引用) めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな 紫式部
作者紫式部は、 生没年未詳。中古三十六歌仙の一人で、『源氏物語』の作者として、あまりにも有名だが、源氏物語には多くの歌が入っている。それぞれの登場人物に成り代わって詠んだ歌は、場面に合わせて巧みである。
一方、百人一首に採られた歌は、紫式部自身として詠んだものだ。
面白いことに、この二通りの歌は雰囲気が全く異なるのである。源氏物語の方は、恋を中心とした歌が多い。『紫式部集』や『紫式部日記』に収められた式部自身の歌は、いかにも作家らしく内省的な境涯詠が中心で、恋の歌は夫藤原宣孝とのやりとりだけでごく少ない。むしろ同性の友の存在が目立つ。
こういった解説はなかなか面白いですね。
さて、本書を読んで印象に残った点をひとつ、「おわりに」に書かれている選者藤原定家を語ったくだりです。
(p217より引用) 芸術家というのは、常に他者への愛憎が渦巻いている厄介な存在だと思います。それを知ることも百人一首のひそかな味わいです。百人一首とは定家との対話でもあるのですね。
百人一首に選んだ歌が、その歌人の最高傑作と評されるものの場合もあれば、明らかに代表作と言い難いものの場合もあるとのこと。そのあたりに定家の微妙な心の揺れがあるのだと水原さんは考えているようです。
具体的には、誰でも知っている紀貫之の有名な歌の解説の中で触れています。
(p82より引用) 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける 紀貫之
貫之の歌は技巧的で、「余情妖艶」ではないと『近代秀歌』で定家は批判している。「余情妖艶」とは理知を超えた夢のような美意識なのだ。美は自分の領域だと、定家は思っていたのだろう。大歌人対決である。
ともあれ、「百人一首」の歌ども。藤原定家によって百人一首に採歌されたことで千年の後の世にも伝わる命を与えられたということですね。