ひとつひとつのステップを大事にし、その区切りを厳格に扱うことが、フィンランドの教育方針の基軸のようです。
増田氏は、それを「修得主義」と名づけています。
まずは、幼稚園から始まります。そして小中学校と一歩一歩ステップを上がっていきます。
(p220より引用) フィンランドのシステムすべてが、徹底した修得主義を貫いているということである。
思いかえせば、初めて取材でフィンランドを訪れたときに視察した幼稚園では、その子どもの成長が小学校に上がるまでの段階に至っていなければ、もう一年準備期間として過ごす『スタート教室』という場が設けられている」という話を聞いた。
また、中学卒業時(九年生)の成績が不本意だったり、自分の入りたい高校の基準にまで達していない生徒に対しては、もう一年中学で学べる「十年生」のための特別プログラムがある。
さらに、高校以上のステップは以下のような感じです。
(p221より引用) 高校入学は、九年生の成績の平均点によって決まる。・・・
・・・高校は三年ないし四年の間に単位を取得して卒業する、と時間的には比較的緩やかな流れのように見えるが、「高校卒業資格検定試験」に合格しなければ、卒業資格が得られない。
高校までの学習成果そのものが、大学への入り口になります。
「高校までの課程」をキチンと終えなくてはなりません。基本的な評価は「絶対評価」です。
日本の高校も「単位制」ですが、その運用の厳格さは全く比べ物になりません。
(p222より引用) この高校卒業資格検定試験は、同時に大学入学資格でもあるので、この卒業試験にパスしなければ大学入試には参加できない。また、資格自体は、六段階の評価のうち、最低レベルでも取得できるが、この成績が大学入試にも関係してくるので、合格科目については一度だけ再試験を受けるチャンスが与えられている。また、不合格科目については、二回まで受けなおすことができる。
フィンランドの制度の肝は、厳しいハードルだけでなくリトライできるチャンスも用意されていることです。「絶対評価」を尊重する基本姿勢は、一発勝負という偶然性に対するケアも考えています。
(p222より引用) 要するに、学んだことがきちんと修得されているかどうか節目節目で確認し、できていなければ再履修できるようなシステムが国全体としてきちんと作られているのだ。
ただ、そうはいっても全ての学生が希望通りのパスに進めるわけではありません。
日本と比較すると、ある面ではフィンランドの方がずっと厳しいといえます。確実に「修得」しなくては、絶対に次のステップには進めないのです。そういう点では、むしろフィンランドの教育制度はドライなのかもしれません。
(p109より引用) 北欧に代表されるような福祉社会では、負荷が社会全体のいろいろなところに分散している。それは所得分配の問題もそうだし、職業訓練の問題もそうだし、そういうところで社会がうまく回るような仕組みができ上がっていれば、学校が負わなきゃならない役割というのは比較的小さくて済みますよね。
フィンランドに比較すると、日本は、学校が負っているものが大きいといえます。
日本の学校は、狭義の教育に止まらず、広く子どもをとりまく問題解決の場として学校が機能してきました。(それは、望む望まないにかかわらずですが・・・)
「そういう学校の幅広の役割に依存することで、日本は、日本流の緩やかな社会を作り上げてきたのではないか」と増田氏は考えています。
他方、北欧流の福祉社会は、厳しい修得主義のセーフティネットという役割を担っていると言えるのかもしれません。
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