この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

ミュンヘン。

2006-03-05 23:54:31 | 新作映画
スティーブン・スピルバーグ監督、『ミュンヘン』、Tジョイ久留米にて鑑賞。

おそらく、一映画ファンとして自分はもっともスピルバーグを低く評価している一人です。
例えば『プライベート・ライアン』は、トム・ハンクス扮するミラー大尉の回想で映画が始まるのに、ミラー大尉本人は物語の途中で死んでしまう。
つまり、物語自体が成立していない。
どれほど映像が素晴らしいものであっても物語が成立していない映画を高く評価することは出来ません。
また物語が成立していないといえば『ターミナル』も同様です。
結局最後までなぜ主人公のビクターが空港にとどまることに拘るのか、その必然性が理解できませんでした。(これは自分の理解力不足もありますが。)
今後『ターミナル』が語られるとすれば、それは全編セットで撮影されたという点においてのみで、感動ドラマとしての出来ははっきりいってイマイチだと思います。
その他『マイノリティ・リポート』は印象に残っているシーンは目玉がころころと転がっていくところだけだし、『宇宙戦争』も映像は凄まじいものの、物語としてはどうにも中途半端な感が否めないし、『A.I』にいたっては何がいいたいのかすらさっぱりわかりません。
もういいだろう、と思っています。
エンターティメント作家としてのスピルバーグに付き合うのも、期待するのも。

ではこれほどまでにスピルバーグに対して辛口の評価を与える自分が、なぜ『ミュンヘン』は観に行かなければいけないと思ったのか。
それは『ミュンヘン』が、一人の人間としてのスピルバーグの遺言だと自分は受け取ったからです。
遺言という言い方に語弊があるなら命を賭したメッセージと言い換えてもいい。
大袈裟でも何でもなく、ユダヤ人であるスピルバーグは『ミュンヘン』を製作したことによってパレスチナ側ではなくむしろ同胞であるユダヤ人から「裏切り者!」と糾弾されています。
そのことが事前に察知できないスピルバーグではないと思う。
だからこそ『ミュンヘン』は秘密裡に撮影が行われたのだから。

マイケル・ムーアというジャーナリストがいます。
日本では単なる突撃レポーターとしてしか捉えられていない感があるが、自分は個人的にすごいヤツだと思ってます。
何しろ噛み付く相手がただの芸能人や有名人じゃない、相手は仮にもホワイトハウスの間借り人、世界一の権力者なのだから。
並みの人間ではとてもそんな勇気は持てないでしょう。
時の権力者に歯向かえば、いつ殺されたって不思議じゃない。もちろん常識や理屈で考えれば権力者に歯向かったからといって即、殺されるわけではないはずだけれど、今の時代、物事は常識や理屈では割り切れない。
そのムーアが監督した『華氏911』ですが日本では殊の外評判が悪い。なぜか?ドキュメンタリーとして内容が偏っているから、という話も聞くけれど、これは的外れな評価です。
なぜならドキュメンタリーとはそもそも内容が偏っているものだから。
例えば大自然の素晴らしさを謳う内容であれば、同時に物質文明の利便さが語られることはない。
優れたドキュメンタリーは偏った内容とともにどこまでもクールな視点が必要です。
例えばアザラシの赤ちゃんが白熊に襲われたからといって、カメラマンはいちいちアザラシを助けにいってはいけない。
ただひたすらアザラシが白熊に食い殺されるのをカメラに収めなければいけない。
優れたドキュメンタリー作家はそのメッセージを伝えるためにあえて非情に徹しなければならない場合もある。
その点、ムーアは非情に徹し切れなかった。『華氏911』では戦争に行った息子のことを想い泣き崩れる母親に、ムーアが思わず駆け寄るシーンがある。
だがこれは、一流のドキュメンタリー作家ならばやってはいけないことだった。
観ているこちらが白けてしまう。
そのシーンだけでなく、『華氏911』では随所でムーアの感情の高ぶりが感じられる。
だから『華氏911』はドキュメンタリー映画としてはどこまでもいっても二級品でしかない。

一方『ミュンヘン』ですが、こちらは三時間にも及ぶ長尺の作品であるにも関わらず、スピルバーグが込めたメッセージは甚くシンプルです。
報復の連鎖は空しい、ただそれだけ。
当たり前のことでしかないはずですが、今の世の中、当たり前のことを主張するのはひどく難しい。
声高に当たり前のことを主張されても受け手が「ふ~ん、それで?」と交わされてしまう可能性があるからです。
だからこそシンプルな言葉に説得力を持たせるためにスピルバーグは三時間もの長さを必要とした。
そしてさらに自らの言葉にリアリティを持たせるためにスピルバーグが用意したものに自分は驚かずにはいられませんでした。
同胞であるユダヤ人たちからの危険を感じ取った主人公のアブナーは、イスラエル大使館に乗り込むとモサドのメンバーに向かってこう叫ぶ。
「私の家族に手を出したらお前の子供を殺すぞ!!」
吃驚しました。
何しろ、報復の連鎖の空しさを説く作品であったはずなのに、主人公自らやったらやり返すぞ、といってるのだから。
スピルバーグは凡百な映画監督ではありえないな、と思った。
主人公にあえて作品に込めたメッセージを否定するような台詞を口にさせることによって、逆に観客が二重三重にメッセージを考えずにはいられないように仕向けるとは!
すごい。
これは、限りなくドライな、ムーアと対極を為す演出だといえるでしょう。

残念ながら『ミュンヘン』の日本での興行成績は奮わないようです。
有名どころの俳優が一切出ていない、上映時間が長すぎる、演出が残虐すぎる、メッセージはシンプルでありながらわかりづらい、時代背景に馴染みがない、そして何より内容が暗い、と幾つも奮わなかった理由を挙げることが出来ますが、それでもなお、今のような混沌とした時代を生きる我々は、『ミュンヘン』という映画を観に行くべきだと思います。
エンターティメント作家としてのスピルバーグにはこれ以上付き合う気にはなれない、といいましたが、『ミュンヘン』のようなテーマ性の深い作品であればまた次も観に行かないわけにはいかないな、そう思いました。
コメント (5)
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