この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

信じられない。

2008-09-26 23:40:49 | 日常
 自慢じゃないですけど人間不信です。
 世の中の大概の人のことが信じられないです。
 いつしか誰もが自分のことを裏切るか、見捨てるかして、自分の元を去っていくのだろう、そう思ってます。

 っていうようなことをある人に打ち明けたら、その人は「せぷって悲しい人間なんだねぇ」といって、以後相手にしてくれなくなりました。笑。
 人間不信であることを打ち明けたからといって、自分のことを見捨てるような人のことを信じられるわけがないですよねぇ。逆説的ですが。
 心情を吐露するような真似などしなければ、その人との関係は今でも続いていたのかなって思います。まぁそういったなぁなぁの関係にどれほどの意味があるのか、甚だ疑問です。

 ともかくいいたいのは、信用や信頼といったものは一朝一夕で得られるものではないっていうこと、さらに無条件で相手のことを信用するのは白痴だってことです。

 ここで勘違いして欲しくないのは、信用出来ない≠好きではない、ということです。世の中の大概の人間を信じていない自分ではありますが、その人たちをすべて嫌ってるってわけではありません。

 「Tっちゃん」というHNのネットの友人がいます。
 このTっちゃんがまた信用出来ないことこの上ないのです。
 先日のことですが、そのTっちゃんから電話がありました。
「おぅ、せぷ、元気してる?」
「いや、元気じゃないけど?どうかしたの?」(元気かと聞かれたら自分はいつも「元気じゃない」と答えるようにしています。笑。)
「特に用事ってわけじゃないけど、せぷがどうしてるか気になってさ~」(嬉しいこといってくれるじゃん!)
「あぁ、ありがと。(中略)最近自分のブログにコメントしてくれないね?寂しいなぁ」
「いやぁ、せぷのブログって映画の記事ばかりだからコメントしにくくってさ~」
 これは嘘ですよね。読んでもらえばわかりますが、自分のブログは映画の記事が多いのは確かですけど、映画の記事ばかりということはないはずです。コメントをする、しないは当人の自由で、まったくもって強制出来るものではないですが、コメントをしない理由をこちらのせいにするのはちょっと気に入りませんでした。
 まぁそれはいいんですが、話題はいつしか富士登山のことになりました。
「来年こそは富士登山をするぜ、せぷ!」
 このTっちゃんの発言にはびっくりしました。なぜなら今年の富士登山計画が流れたのはTっちゃんが登り切る自信がない、と言い出したからです。どちらかというと自分は乗り気でした。
「ちょっと待って。富士登山が流れたのはTっちゃんが自信がないって言い出したからじゃん」
「えぇ~、違うよ~、せぷが登らないって言い出したんじゃんよぉ」
 絶対絶対絶っっっ対違う。自分はそんなことを言った覚えはありません。
「もしかして、Tっちゃん、酔ってる?」
「酔ってないよ~、あはは、酒は飲んでるけどさ~」
 それを酔ってるっていうんだよ!!
 この後しばらく計画が流れたのをお互い相手のせいにするという不毛な応酬が続きました(正しいのは自分ですが)。
 それでTっちゃんときたら富士山に登ろう、富士山に登ろうってにしつこく誘うんですよね。こっちは何言ってんだ、って感じですよ。計画が流れたのは自分のせいじゃないんだから。
「悪いけどさ、Tっちゃん、誘ってくれるのは嬉しいんだけど、酔っ払いが何言っても信じられないんだよね。この話の続きはいつかまたTっちゃんが酔ってないときにしよう」
 そう言ってその日は電話を切りました。

 後日、Tっちゃんが酔っ払ってない時を見計らって、つまり仕事中に今度は自分からチャットで話し掛けました。
「たっちゃん、今大丈夫?」
「ちょっとだけなら大丈夫だよ」
「この間の電話の件だけど」
「電話?いつの?」
 ・・・・・・・・。
 Tっちゃん、見事なまでに綺麗さっぱり電話を掛けてきたことすら忘れてました。涙。
 もうねー、本当に誰も信用出来ないっすよ。特に酔っ払いは!!!まったく!!!




 でもそんなTっちゃんが嫌いではないんですけどね。笑。
コメント (10)
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