この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

ブラインドネス。

2008-11-22 23:49:18 | 新作映画
 フェルナンド・メイレレス監督、『ブラインドネス』、Tジョイ久留米にて鑑賞。2008年52本目。

 フェルナンド・メイレレスの長編劇場デビュー作『シティ・オブ・ゴッド』は衝撃だった。残念ながらDVDでの鑑賞だったのだけれど、ブラジル版『仁義なき戦い』にはスゲーもん見たな、っていう気にさせられた。
 続く第二作『ナイロビの蜂』も、突然妻を亡くした男が彼女の足跡をたどるというストーリーそのものは好みではなかったけれど、作品的には決して悪くなかった。
 そして第三作がこの『ブラインドネス』である。
 期待するなといっても無理な話だと思う。

 世界が突然それまで存在していなかった不条理な脅威に襲われ、崩壊するというプロットだけでいえば、同様の作品はごまんと存在する。
 近作でいえば『ミスト』や『ハプニング』、『アイ・アム・レジェンド』、『28週後・・・』などそれに当たる。
 つまり、世界が崩壊するというプロット自体はありきたりであり、脅威の種類そのものが違ったとしても、それは作品の出来そのものとはさほど関係がない。
 作品の真価が問われるとすれば脅威に襲われた人々の姿がリアルに描けているかどうか、ではないだろうか。
 フランク・ダラボンの手による『ミスト』が真に恐ろしかったのは、異次元から現われた不気味な生物よりもむしろ狂信者のババァの存在によるところが大きい。あんなババァが実権を握るような世界にはいたくないなと『ミスト』を観たものならば誰しも思うに違いない。

 さて、『ブラインドネス』である。
《今回は強烈なネタバレあり!!》
 白い闇に覆われるという原因不明の伝染病に感染した患者達はかつて精神病院だった収容所に隔離される。日を追うごとに患者達は人間性を失っていき、やがて少ない配給食糧を巡って争いを始めてしまう・・・。
 重箱の隅を突付くようであるが、隔離されるにいたる過程と収監後の収容所での生活ぶりの描写がいい加減である。言い換えればリアリティがない。
 収監される際、患者達からは携帯電話が没収される。が、それよりも大きいラジオを収容所に持ち込むものもいる。厳重な持ち物検査がされた様子はないのだし、ラジオを持ち込めるなら携帯電話を持ち込む者だって一人ぐらいはいるだろう。誰も彼もが皆素直に指示に従ったというのは如何にも不自然である。
 第三病棟の男が王を名乗り、暴君と化すのだが、彼の要求が笑止である。食料を分けて欲しければ金目の物を持ってこいと他病棟の患者達に要求するのだ。
 だが、だいたいブランド物の高級時計を、それが本物かどうか、どうやって見極めるというのだろう?目が見えていたとしても目利きは非常に困難だというのに。
 作中では暴君の右腕の男が元々盲目の目利き(!)だったというふうにして、観客を納得させようとしているのだが、それは些か無理というものだろう。
 暴君は次に女を要求するのだが、これもやはり不自然に思えてしまう。そもそも病棟の振り分けは収監順のはずなのに、なぜ第三病棟に荒くれ者ばかりで、女性はいないのか?女性たちは暴君に怖れを為して他病棟に逃れたのか?携帯電話は取り上げられるのになぜ拳銃は取り上げられないのか?
 それらの疑問に対する説明がないので、収容所内の暴挙、そして惨劇にもリアリティが感じられず、結果恐怖を覚えることもない。
 映画には時間的な制約があるので、自然と説明が省かれるところもあって当然ではあるが、だが、その人間がそこに存在するというリアリティ、それは細かい描写の積み重ねによってのみ為されるものであるのであり、その演出が不自然だったり、もしくは何らかの省略をしたりするのは駄目だろうと思う。

 もう一つ駄目だな、と思ったのは、あまりに安直な、それゆえほとんど予想不可能といっていいハッピーエンドだった。
 自分はバッドエンドが嫌いだ。だから、どれほど作品としての完成度が高かろうと『ミスト』は嫌いである。
 だが、同様にあまりに安直なハッピーエンドというのも好きじゃない。それって何なの?今までのお話は何だったの?と思ってしまう。
 本作のような唐突なハッピーエンドは、ほとんど作り手の、上手いオチを思いつきませんでした、ゴメンなさい、という謝罪にも思える。そのオチは本当に最初から考えていたオチなの?もしくは、必死に考えて考えて、そして考えてひねり出したオチなの?と問いたくなる。
 まだしも絶望した主人公が自らの目を突いて終わる、というような終わり方の方が物語的には締まる、と思う。
 そして次のシーンで主人公たちが盲目になりながらも、一つの村を形成し、作物を育て、力強く生きていく、というような光景が見られたら、視覚は人間の五感の中で重要な感覚ではあるけれど、それがすべてではない、人間はどれほど過酷な環境であっても生きていけるのだ、というメッセージになるだろう。
 正直、本作のような終わり方では、この作品で作り手が何を伝えたかったか、何を訴えたかったかが、さっぱりわからない。

 後一つ文句をつけたいことがあってそれは何かというと木村佳乃の脱ぎっぷりの悪さ。
 女性たち三人が雨に打たれ、生きていることを実感するというシーンがある。それなりに重要なシーン(のような気がするの)だけれど、他の二人は惜しげもなく裸身をさらしているというのに木村佳乃、一人だけ脱がない脱がない。
 おかげでアングルもどこか不自然なものになってしまった。
 女優として決して脱がないことをポリシーにするのもいいだろう。だが、それならばヌードが重要な意味を持つ作品には出演するなといいたい。また作り手もここで脱がないような女優を起用するんじゃない。 
 もちろん映画『バベル』の菊地凛子のようにとりあえずスッポンポンになればオッケーってものでもない。

 お気に入り度は★★、お薦め度は★★(★は五つで満点、☆は★の半分)といったところです。

 次回鑑賞は『SAW5』(11/28公開)の予定です。
コメント (9)
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