ネットの友人の厚意で今年の本屋大賞を受賞した『舟を編む』を読む機会を得ました。
その人が機会を作ってくれなかったら、もしかしたら一生読むこともなかったかもしれないので、友人には感謝したいです。
とはいえ、友人への感謝の気持ちと作品への評価とは全くの別物であることは言うまでもありません。
本屋大賞受賞作に対し、いささか厳し目のレビューかもしれないので、本作を心から愛するという方はこの先を読まない方がいいかもしれません。
本作で取り上げられている辞書編纂というテーマに関しては、作者は面白いところに目を付けたなと思うし、興味深くも読める。
だが、本作を純粋に人間ドラマとして読むと、かなりご都合主義的な匂いが鼻を突く。
一軒家に年老いた大家と若い下宿人が住んでいて、一人が二階を、もう一人が一階を占有している。
普通に考えれば、大家が一階に、下宿人が二階に住むものではないだろうか。
ところが本作ではその逆で、大家であるタケおばあさんが二階に住んで、主人公の馬締が一階に住んでいるのだ。これは、自分にはすごく変に思えた。
もちろんそうでないとこの後いろいろ不都合が生じる。
タケおばあさんが二階に住んでいるからこそ、馬締とヒロインの香具矢が劇的な(というのは大袈裟かも)出会いを果たすのだし。
しかし自分には、タケおばあさんが二階に住んでいたから、主人公とヒロインが劇的な出会いをしたというより、主人公とヒロインが劇的な出会いを果たすために、タケおばあさんが無理矢理に二階に住まわされていた、そんなふうに思えてしまった。
また、主人公とヒロインの出会いそのものもかなり無理矢理なものに思えた。
ヒロインは別に突然下宿に転がり込んできたわけではないのだから、大家であるタケおばあさんは事前に下宿人である馬締に、新しい同居人が増えることを知らせるべきではないか。というか、知らせるのが普通ではないか。この日二人は夕食まで共にしているのだし。
タケおばあさんが馬締にそのことを知らせなかった理由は、馬締と香具矢の出会いを劇的なものに演出するため、としか思えなかった。
主人公とヒロインの出会いなんていうものは、出来る限り劇的であるに越したことはない。だがそれもご都合主義が鼻につかない程度、という条件が付く。
本作では馬締と香具矢の交際に、香具矢の祖母であるタケおぱあさんは何も文句を言わないのだけれど、いくらタケおばあさんが馬締のことを気に入っていたとしても、それはないだろうと思ってしまった。
本作におけるタケおばあさんの存在は、一人の人格を持ったキャラクターというよりも、単に二人を引き合わせるための舞台装置のようなものに思えた。
他にも感心しないことがあって、本作では三章と四章の間で十三年の月日が流れるのだが、その時間の流れがほとんど感じられない。
三章は現代を舞台にしているように感じられるし、四章もまた現代を舞台にしているように思える。
だから、主人公の馬締を始めとして、登場人物は皆(設定の上では)年を重ねているのだが、年を重ねたというより、メーキャップで老けさせただけ、という感じがする。
唯一、あるキャラクターが老齢で亡くなってしまうのだが、それまでそのキャラクターにほとんど触れられていなかったので、そのキャラクターの死によって感動ポイントが上がる、というわけでもなかった。
何だかいろいろケチをつけてしまったけれど、一気読み必至の面白さであることは間違いない。
ただ、これが本屋大賞受賞作だと言われると、どうしても首をひねらざるを得ない。
本屋大賞は本屋の店員が選ぶ賞だから、もしかしたら辞書編纂という出版業界の一事業をテーマとする本作を強く推したのかもしれないな、とも思う。
個人的には中田永一の『くちびるに歌を』(同賞四位)の方が面白く読めて、感動したことを付記しておく。
その人が機会を作ってくれなかったら、もしかしたら一生読むこともなかったかもしれないので、友人には感謝したいです。
とはいえ、友人への感謝の気持ちと作品への評価とは全くの別物であることは言うまでもありません。
本屋大賞受賞作に対し、いささか厳し目のレビューかもしれないので、本作を心から愛するという方はこの先を読まない方がいいかもしれません。
本作で取り上げられている辞書編纂というテーマに関しては、作者は面白いところに目を付けたなと思うし、興味深くも読める。
だが、本作を純粋に人間ドラマとして読むと、かなりご都合主義的な匂いが鼻を突く。
一軒家に年老いた大家と若い下宿人が住んでいて、一人が二階を、もう一人が一階を占有している。
普通に考えれば、大家が一階に、下宿人が二階に住むものではないだろうか。
ところが本作ではその逆で、大家であるタケおばあさんが二階に住んで、主人公の馬締が一階に住んでいるのだ。これは、自分にはすごく変に思えた。
もちろんそうでないとこの後いろいろ不都合が生じる。
タケおばあさんが二階に住んでいるからこそ、馬締とヒロインの香具矢が劇的な(というのは大袈裟かも)出会いを果たすのだし。
しかし自分には、タケおばあさんが二階に住んでいたから、主人公とヒロインが劇的な出会いをしたというより、主人公とヒロインが劇的な出会いを果たすために、タケおばあさんが無理矢理に二階に住まわされていた、そんなふうに思えてしまった。
また、主人公とヒロインの出会いそのものもかなり無理矢理なものに思えた。
ヒロインは別に突然下宿に転がり込んできたわけではないのだから、大家であるタケおばあさんは事前に下宿人である馬締に、新しい同居人が増えることを知らせるべきではないか。というか、知らせるのが普通ではないか。この日二人は夕食まで共にしているのだし。
タケおばあさんが馬締にそのことを知らせなかった理由は、馬締と香具矢の出会いを劇的なものに演出するため、としか思えなかった。
主人公とヒロインの出会いなんていうものは、出来る限り劇的であるに越したことはない。だがそれもご都合主義が鼻につかない程度、という条件が付く。
本作では馬締と香具矢の交際に、香具矢の祖母であるタケおぱあさんは何も文句を言わないのだけれど、いくらタケおばあさんが馬締のことを気に入っていたとしても、それはないだろうと思ってしまった。
本作におけるタケおばあさんの存在は、一人の人格を持ったキャラクターというよりも、単に二人を引き合わせるための舞台装置のようなものに思えた。
他にも感心しないことがあって、本作では三章と四章の間で十三年の月日が流れるのだが、その時間の流れがほとんど感じられない。
三章は現代を舞台にしているように感じられるし、四章もまた現代を舞台にしているように思える。
だから、主人公の馬締を始めとして、登場人物は皆(設定の上では)年を重ねているのだが、年を重ねたというより、メーキャップで老けさせただけ、という感じがする。
唯一、あるキャラクターが老齢で亡くなってしまうのだが、それまでそのキャラクターにほとんど触れられていなかったので、そのキャラクターの死によって感動ポイントが上がる、というわけでもなかった。
何だかいろいろケチをつけてしまったけれど、一気読み必至の面白さであることは間違いない。
ただ、これが本屋大賞受賞作だと言われると、どうしても首をひねらざるを得ない。
本屋大賞は本屋の店員が選ぶ賞だから、もしかしたら辞書編纂という出版業界の一事業をテーマとする本作を強く推したのかもしれないな、とも思う。
個人的には中田永一の『くちびるに歌を』(同賞四位)の方が面白く読めて、感動したことを付記しておく。