この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

ダメ出しするのは褒めることの100倍難しい!『皆殺し映画通信』。

2014-04-04 23:10:21 | 読書
 以前『麦子さんと』という映画のレビューを書いたとき、次のようなコメントが寄せられ、「えっ?」と思いました。以下転載。

>お前調子のんな (あ)

>その映画を見て感動した人もいてるねん!!
>お前がそう思ったんやったらそれでええけどいちいちこんな所に書くなや!!
>お前の性格の方が腐ってるやろ!

 いやはや、えらい剣幕ですね。
 この「あ」なる人はよほど『麦子さんと』を観て、よほど感動されたのでしょう。

 自分がこのコメントを読んで「えっ?」と思ったのは、自分ではそれほど『麦子さんと』をダメ出ししたつもりはなかったからです。
 レビューを要約すると、「プロットに無理があるが、主演の堀北真希が可愛いからすべてが許せる(悪い映画ではない)」と書いたつもりでした。
 実のところを言うと最初はもっと手厳しく書くつもりだったんですよ。

 堀北真希扮する主人公の麦子は二十歳をとうに過ぎているというのに未だにアニメショップのバイトをしている。やりたいことが次から次に変わる麦子だったが、今はアニメの声優になりたいと思っている。
 麦子は兄・憲男と同居しているのだが、ある日そこに長く音信不通だった母・彩子が尋ねてきて、一緒に暮らそうと言ってくる。
 最初は冗談じゃないと突っぱねようとした麦子だったが、彩子が月々10万円(金額については正確なところは失念。15万円だったかもしれない。18万円だったかも。)をこれまで送金してくれていたことを知って、嫌々同居するようになる…。

 この時点で自分はこの映画がダメだな、と思いました。
 月々10万円ですよ、10万円。決して安い金額ではないです。
 それを毎月、麦子が物心ついたときにはいなかったのでしょうから、彩子は10年以上送金していたということでしょう。
 少なく見積もって1千万円、下手すれば二千万円以上、そんな大金を彩子はどうやって捻出したというんです?ありえないですよね。

 ありえないですよね、と言いましたが答えは決まっています。
 ある程度の美貌を有する女性が(犯罪以外で)大金を稼ごうと思ったら、答えは一つしかない。
 だからそれはいいんですが、問題はそれだけの大金を送り続けながら彩子がなぜ麦子たちに会いに行かなかったのか、ということです。
 
 映画というものは基本二時間内で収まるべき娯楽ですから、物語のすべてが映画内で語られるべきだとは思いません。
 ある程度は観客の想像に委ねる部分があってもいい。
 でも『麦子さんと』の場合、そもそも彩子がなぜ麦子たちの前から消えたのか、夫のDVなのか、それとも彩子自身の浮気なのか、その理由が説明されないので、彼女がなぜ麦子たちに会いに行かなかったのかもまったく想像出来ません。

 でもこの作品の一番の問題はそこにないんですよ。
 麦子は、母が亡くなってから、彼女の故郷に出向き、自分と母の繋がりを再発見します。
 そして家に戻り、母が自分のために少なくない額のお金を残していたことを知り、「お母さん、ありがとう」という言葉を呟き、映画は感動的なエンディングを迎えるのです。
 しかしながら自分はずいぶん薄っぺらい感動だな、と思いましたよ。
 彩子が麦子のためにいくらお金を残していたのか、それはわかりませんが、ここでは100万円としましょう。
 その100万円を麦子が受け取るとしたら、その100万円をどうやって彩子が稼いだのか、知るべきではないんですかね?
 だって、同じ100万円であっても、ギャンブルで得た100万円と命を削る思いで稼いだ100万円では価値が違うはずだから。
 そのことを知ろうともせず、ただ母親がお金を残してくれたことを感謝するだけでは、筋が通らない、と自分は思いました。
 ありがとう、と感謝する前に、音信不通だった間、母親がどんな暮らしをしていたか、麦子は知る義務があるだろう、そう思ったのです。

 しかし、、、そうは思ったのですが、同時にそこまで深読みする必要もないかなぁとも思ったんですよね。
 自分はダメだと思いましたが、『麦子さんと』が堀北真希主演作の中では出来のよい作品であることは疑いなく、また彼女はスクリーンの中で輝いてましたからね。
 その一点だけにおいても本作は評価されてもいい。
 そう思ったからこそ最初のレビューでは上述したような評価だったのです。

 今さらながらそんなことを書いているのは柳下毅一郎氏の『皆殺し映画通信』を読んだからです。
 本書では2013年に公開された邦画の中から著者が特にダメだと思った作品を徹底的に容赦なくダメ出ししています(中には褒めている作品もありますが、それはごく稀。)。
 ほとんど居酒屋で披露する与太話的なノリで語られるので、テキトーな部分もあったりしますが、自分はその根底に流れる日本映画そのものに対する、著者の深い愛が感じられて、感銘を受けました。
 実際映画愛がなければ地雷映画ばかり続けて鑑賞出来ないでしょう。

 自分も今後は著者を見習い、ダメ映画に対しては徹底的に容赦なく、時にテキトーに、そして愛を持って、ダメ出ししたいと思います。
コメント (4)
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