この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

映画『ガタカ』のラストシーンについての考察。

2018-01-23 21:31:25 | 旧作映画
 ネットの友人が『ガタカ』を見たというのでその感想を聞きました。
 感想は割愛しますが、友人は『ガタカ』を見てとても感動したそうです。
 ただ、ラストシーンで主人公の友人であるジェロームがなぜ自ら命を絶ったのか、それが最初よくわからなかったとのこと。

 『ガタカ』は遺伝子の優劣がすべてを決める近未来で、劣性遺伝子を持つ主人公ビンセントが宇宙飛行士を目指すお話です。
 ジェロームは事故によって下半身不随となった優性遺伝子の持ち主ですが、ビンセントが宇宙飛行士になるためにあらゆるサポートをします。

 『ガタカ』はネットでも非常に評価の高い作品ですが、友人同様、なぜジェロームが命を絶ったのか、理由がわからないという人が多くいるようです。
 
 自分はといえば、なぜジェロームが命を絶ったのか、疑問に思ったことは一度もありません。
 今日はそのことについて自分なりの考えを述べたいと思います。

 ただ、一つだけ先に断わっておきたいことがあります。
 自分は『ガタカ』は大好きな作品で、繰り返し見てはいますが、最後に見たのはずいぶんと前のことで、さらに事情があって今手元に『ガタカ』のDVDがないのですべては記憶を頼りに書くことになります。
 なので、記憶違いや思い違いもあるかもしれません。
 もしそういったものがある場合はやさ~しく間違いを指摘してください。
 よろしくお願いします。

 先に結論を書いておくと、ジェロームが命を絶った理由、それはビンセントが死ぬからです。
 「え?」と思われる方もいるかもしれません。ビンセントが死ぬシーンは作中ないですらね。
 しかし根拠もなくそう言っているわけではありません。

 まず、ビンセントが見事任務を全うし、地球に無事帰還したとしましょう。
 彼はそこで自分が宇宙飛行士としては不適であるから、今後は清掃員として生きていく、などと打ち明けるでしょうか?
 するわけがないですよね。
 『ガタカ』の世界においてDNAの詐称は重罪ですから、ビンセントはこの先も宇宙飛行士として生きていくしかないわけです。
 ビンセントが宇宙飛行士として生きていくにはジェロームの協力は不可欠で、ジェロームは協力を惜しまないでしょう。
 ビンセントが宇宙飛行士になるまで協力したのに、宇宙飛行士になったら協力しない、というのは理屈に合わないです。
 逆に言えば、ビンセントが宇宙飛行士であり続ける限り、ジェロームは必ず彼に協力するだろう、そう言ってよいと思います。

 しかし実際にはジェロームはビンセントが宇宙に旅立って間もなく、焼身自殺をして命を絶ちます。
 おかしいですよね?
 ジェロームが死んだら、ビンセントが地球に帰還した時、適性者のふりをすることが出来ないですから。
 にもかかわらずなぜジェロームは命を絶ったのか?
 答えは一つしかないと思います。
 ジェロームはビンセントが生きて地球に帰ることはないと知っていた、だから命を絶ったのです。

 多くの人が忘れているかもしれませんが、ビンセントは心臓に障害を持つ一級の障害者です。
 タイタンの探査という過酷なミッションをクリアできる身体ではなかったのです。

 ちょっと待て、ビンセントは努力によって病気に打ち勝ったのだ、弟のアントンとの遠泳勝負に勝ったではないか、あのシーンを忘れたのか、そういう人もいるかもしれません。
 もちろん覚えていますよ。作中屈指の名シーンですよね。
 ただ、忘れてならないのは、アントンは決して体力の限界がきたから泳ぐのを止めたのではない、ということです。アントンは自分の意思で泳ぐのを止めました。
 ですから、あのシーンをもって、ビンセントが障害を克服したのだ、常人以上の体力を手にしたのだ、というふうには判断出来ないのです。

 言うまでもなく、『ガタカ』はSF映画です。
 何かしら外科的な手術を受けたわけでもなく、ただ単に努力をしたというだけで心臓の障害を克服したとすれば、それはもうSFではなく、ファンタジーの範疇です。
 繰り返しますが、『ガタカ』はSF映画です。
 ですからビンセントは障害を克服出来なかった、そう考えるべきです。
 彼は30歳で死ぬ運命だったのです。

 今回、ネットの『ガタカ』の考察をいくつか拝読させてもらいました。
 こう言っては失礼かもしれませんが『ガタカ』という作品の本質を捉え損ねているのではないかと思う人を多く見受けられました。
 その人たちは『ガタカ』という作品を、翼を持たぬ者が努力することによって翼を得て、大空を飛び回れるようになった、そんなふうに受け止めているように思えました。
 自分の見方は違います。
 『ガタカ』は、翼を持たぬ者が、翼を持つ者しか立つことが許されぬ高みから翼を持たぬまま飛び降りる、そんな映画だと自分は思うのです。

 翼を持たぬまま高みから飛び降りれば、待ち受けるのは「死」です。
 しかし死ぬ前に高みから見た眺めはどれだけ素晴らしかったでしょう。
 翼を持たぬ者が足掻いて、足掻いて、なおも足掻いて、「死」が待ち受ける高みに立つのです。
 その恐怖たるや想像することも出来ません。

 その生き方を愚かだ、という人もいるでしょう。
 30年と寿命が決まっているのであれば、1日でも命を長らえるように生きるべきだ、という考えを否定しません。
 しかし自分は限られた時間の中で、一つの目標に向かって足掻いて生きる、その生き方が命を粗末にするものだとは考えません。
 人の命の価値は、ただ単に長さによって決まるのではなく、どれほど必死になって生きたかによって決まると自分は思うのです。

 『ガタカ』は優れたSF映画であると同時に人間賛歌だと自分は思います。


*映画『ガタカ』の考察はあらためてまとめ直しました。こちらをご覧ください。

*長い考察文なんて読む気がしないという方はこちらをお読みください。
コメント (38)
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