この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

映画『ガタカ』のラストシーンについての考察、その補足2。

2018-01-25 21:50:26 | 旧作映画
 今日も今日とて『ガタカ』についての考察です。笑。
 本当は昨日で止めとこうと思ったんですが、いい機会だから人様の書いた『ガタカ』の考察を読ませてもらったら、あらやだ、ビンセントが死んだって思っているの、(読ませてもらった限りでは)自分だけじゃん。わぎゃん。
 そっかー、みんな、ビンセントが努力(と気合)で心臓の疾患を治したって思ってるのか…。
 自分的には心臓の疾患を持つ者が努力でそれを治すのって、生まれつき片手のない者が努力したら片手が生えたっていうのと同じぐらいあり得ないと思うんだけれど。う~む。

 自分の『ガタカ』考察については自信があります。
 でもその自信も『残り全部バケーション』や『マーターズ』の時に比べたら弱い気がします。80%ぐらいかな~(弱気)。

 それでも読ませてもらった考察の中は、それは絶対にない、と思うものもありましたよ。
 例えばこんなの。

>でなければ、ビンセントが生涯、困らないようにと、大量の生体サンプルを残していく必要はありませんからね。

 yahoo知恵袋の『ガタカ』についての質問の中の、ある回答者のコメントの一文です。
 このコメントを書いた人は、ビンセントが地球に戻ったとき、「ジェローム」として生きるのに困らないようにジェロームが大量の生体サンプルを残した、と考えているようです。
 いやいやいや、それはない。
 この人は果たしてビンセントがいつぐらいに地球に戻ってくるって考えているんでしょうね(自分はそもそも生還しないと考えていますが)。
 タイタンの探査ですよ?東京出張とはワケが違います。
 劇中では具体的な期間は示されませんが、一週間やそこらってことはないでしょう。それこそ、五年、六年といった長期に渡るミッションであることは間違いないです。
 切りのいいところでミッションの期間を五年ということにしましょう。
 その五年の間、ずっと冷蔵庫の中に保管していたとしても、尿や血液といった生体サンプルは確実に劣化、変質、腐敗するでしょう。
 そんな腐った生体サンプルが検査で役に立つわけがない。
 だから、仮にジェロームが生体サンプルを冷蔵庫にしまったとしても、それはビンセントのためではなかったと考えるのが妥当というものです。

 ジェロームがビンセントのために生体サンプルを残したのだという考えは、自分的に、一年間冷蔵庫に入れっぱなしだった牛乳を飲め!と言われるのと同じぐらい受け入れがたいです。
 しかし、そう考える人は件の回答者だけではないようなんですよね、、、というかどちらかというと主流といってもいいぐらいで、、、そんなにみんな一年間冷蔵庫に入れっぱなしだった牛乳を平気で飲めるの?って言いたくなります。

 といった感じで、ある作品に対する考察が他人のそれと大きく異なるという経験は初めてではないのですが、でもまさか『ガタカ』の考察でそれがあるとは思ってもみませんでした。

 自分は『ガタカ』を非常に高く評価しています。
 しかしそれもラストシーンでビンセントが死んだという前提での評価です。
 仮にビンセントが努力によって心臓の障害を克服し、見事宇宙飛行士となって困難なミッションをやり遂げた、というご都合主義にも程があるエンディングだったら、自分の『ガタカ』に対する評価はそれこそガタカたと落ちますね、ってシャレを言っている場合か。

 まぁでも誰でも同じように考えているだろうと思っていたことが、どうもそう考えているのは自分だけだったと知ることは、多少心臓に悪くても、面白いことではありますね。
 と言ってる余裕はないので、出来れば世間一般と同じ思考回路を持ちたいです(無理)。
コメント
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