ジェームズ・キャメロン監督、サム・ワーシントン主演、『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』、12/17、イオンシネマ筑紫野にて鑑賞(ACチケットBC1、3D鑑賞料金1300円)。2022年52本目。
2009年に公開された『アバター』は革新的な映画でした。
何が革新的だったかというと何と言っても映像ですね。
主人公が翼竜に乗って空を飛ぶシーンの飛翔感は唯一無二でしたね。
ただ、純粋にSF映画として見た場合、『アバター』はそれほど出来の良い映画ではないんですよ。
主人公ジェイクは起きている間は人間として活動し、睡眠時にはアバターとして活動するという設定です。
起きている間人間として活動して、睡眠時にアバターとして活動するなら、ジェイクはいつ休息を取っているのか?って話ですよ。
無理ですよね。
栄養ドリンクのCMじゃあるまいし、休息も無しに活動し続けられるわけがない。
『アバター』は基本的な設定に無理のあるお話なのです。
他にもそれは無理があるのではないかと思う設定があって、それはナヴィの後頭部から生えている尾です。
ナヴィは尾の先端をリンクさせることでパンドラに棲む動物と意思疎通が可能になり、その動物を使役することが出来ます。
実に便利な能力ですよね。
でもなぜかナヴィ同士でリンクさせることはありません。
私たち人間は人間同士で意思伝達する際、言葉を用います。
しかし言うまでもなく言葉は不完全です。
誰だって言いたいことの半分も言えなかった、もどかしい思いをしたことがあるでしょうし、またその言葉が事実であるかどうかはわかりません。
「愛している」と言ったからといって本当に愛しているのかどうかは言葉を発した当人しかわからないことなのです。
もし直接リンクして意思疎通が可能であったなら?
言いたいことの半分も言えないというようなもどかしい思いをせずに済みます。
「愛している」という気持ちをそのまま相手に伝えることも出来るようになります。
直接リンクして意思疎通が出来るなら、それをしないという選択はないように思えます。
しかしナヴィはそれをしないんですよ。
なぜナヴィがナヴィ同士でリンクしないのか、設定上の理由はわかりません(『アバター』は劇場で二回観ましたが、重要なシーンを観落としている可能性は当然あります)。
ただ作劇上の理由はわかります。
もしナヴィ同士でリンクして意思疎通をしたら、言葉が不完全なことによって起きるドラマが起きなくなります。
相手の言葉を誤解したり、嘘に傷ついたり、噂に振り回されたりといったトラブルやアクシデントが起きず、ドラマとしてひどくつまらないものになる可能性があります。
だからナヴィは馬や翼竜とはリンクしてもナヴィ同士でリンクをしないのです。
SFは突き詰めていくとドラマとしてひどくつまらないものになります。
逆にドラマを面白いものにしようとするとSF的な設定が無意味なものになりかねません。
結局はバランスを取るしかないのですが、『アバター』はそれが上手く出来ているとは言い難いと思います。
『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』も似たような感じでしたね。
映像はとにかくすごく、一見の価値はありますが、純粋にSF映画としてはあまり高い評価は出来ません。
今回は前作で亡くなったクオリッチが部下ともどもアバターとして復活します。
なるほど、そうきたか、と思わないでもないですが、アバターの製作には高額な費用が掛かる(だから前作では亡くなった兄の代わりにジェイクが呼び出された)という設定と矛盾するような気がしないでもないです。
まぁ13年も前の作品の設定など気にしなくてもよいのかもしれませんが。
お気に入り度★★★、お薦め度★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
2009年に公開された『アバター』は革新的な映画でした。
何が革新的だったかというと何と言っても映像ですね。
主人公が翼竜に乗って空を飛ぶシーンの飛翔感は唯一無二でしたね。
ただ、純粋にSF映画として見た場合、『アバター』はそれほど出来の良い映画ではないんですよ。
主人公ジェイクは起きている間は人間として活動し、睡眠時にはアバターとして活動するという設定です。
起きている間人間として活動して、睡眠時にアバターとして活動するなら、ジェイクはいつ休息を取っているのか?って話ですよ。
無理ですよね。
栄養ドリンクのCMじゃあるまいし、休息も無しに活動し続けられるわけがない。
『アバター』は基本的な設定に無理のあるお話なのです。
他にもそれは無理があるのではないかと思う設定があって、それはナヴィの後頭部から生えている尾です。
ナヴィは尾の先端をリンクさせることでパンドラに棲む動物と意思疎通が可能になり、その動物を使役することが出来ます。
実に便利な能力ですよね。
でもなぜかナヴィ同士でリンクさせることはありません。
私たち人間は人間同士で意思伝達する際、言葉を用います。
しかし言うまでもなく言葉は不完全です。
誰だって言いたいことの半分も言えなかった、もどかしい思いをしたことがあるでしょうし、またその言葉が事実であるかどうかはわかりません。
「愛している」と言ったからといって本当に愛しているのかどうかは言葉を発した当人しかわからないことなのです。
もし直接リンクして意思疎通が可能であったなら?
言いたいことの半分も言えないというようなもどかしい思いをせずに済みます。
「愛している」という気持ちをそのまま相手に伝えることも出来るようになります。
直接リンクして意思疎通が出来るなら、それをしないという選択はないように思えます。
しかしナヴィはそれをしないんですよ。
なぜナヴィがナヴィ同士でリンクしないのか、設定上の理由はわかりません(『アバター』は劇場で二回観ましたが、重要なシーンを観落としている可能性は当然あります)。
ただ作劇上の理由はわかります。
もしナヴィ同士でリンクして意思疎通をしたら、言葉が不完全なことによって起きるドラマが起きなくなります。
相手の言葉を誤解したり、嘘に傷ついたり、噂に振り回されたりといったトラブルやアクシデントが起きず、ドラマとしてひどくつまらないものになる可能性があります。
だからナヴィは馬や翼竜とはリンクしてもナヴィ同士でリンクをしないのです。
SFは突き詰めていくとドラマとしてひどくつまらないものになります。
逆にドラマを面白いものにしようとするとSF的な設定が無意味なものになりかねません。
結局はバランスを取るしかないのですが、『アバター』はそれが上手く出来ているとは言い難いと思います。
『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』も似たような感じでしたね。
映像はとにかくすごく、一見の価値はありますが、純粋にSF映画としてはあまり高い評価は出来ません。
今回は前作で亡くなったクオリッチが部下ともどもアバターとして復活します。
なるほど、そうきたか、と思わないでもないですが、アバターの製作には高額な費用が掛かる(だから前作では亡くなった兄の代わりにジェイクが呼び出された)という設定と矛盾するような気がしないでもないです。
まぁ13年も前の作品の設定など気にしなくてもよいのかもしれませんが。
お気に入り度★★★、お薦め度★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます