SF映画は数多くあれど、『ガタカ』ほど評価が高く、同時に誤読されている作品を自分は寡聞にして知りません。
なぜ『ガタカ』は誤読されるのか?
理由は明白です。
それは登場するキャラクターがそれぞれ嘘をついているから、です。
ヴィンセントは自分の心臓に障害があることを自覚しつつも「自分なら立派に宇宙飛行士の職務を果たせた」と嘯き、ジェロームは二度と地球に戻ってくることはないであろうヴィンセントを「お前なら出来る」と励まし、アントンは10年ぶりに会った兄が宇宙飛行士になるという夢にあと一歩に迫っていることに感嘆しながらも「出来るわけがない」と罵倒する。
その言葉を額面通りに受け取れば、当然誤読することとなるでしょう。
どうすれば誤読せずに済むのか?
ヒントを一つ一つ丁寧に拾っていく、都合の良い解釈をしない、きちんと筋道を立てて物事を考えるといったこともありますが、まずは常識に従うことが大切です。
常識に縛られてしまっては物語を楽しむことが出来ませんが、常識を蔑ろにしてしまってはそもそも物語を追うことも叶いません。
作品によっては死者が蘇ったり、人が自由に空を飛びまわったりとその作品独自のルールがありますが、基本的に物語は常識の範囲内で進みます。
『ガタカ』の世界において心臓の障害は願えば治癒するものなのか?
答えは「NO」ですよね。
常識的に考えてあり得ません。
ヴィンセントは生まれつき心臓に重い障害があり、宇宙飛行士としての適性に欠けているのです。
それが『ガタカ』という物語の大前提であり、その前提を無視しなければ『ガタカ』という物語を大きく読み誤る恐れはないかと思われます。
『ガタカ』という物語を誤読していた方は、有り体に言えば『ガタカ』をスポコンのようなお話だと捉えていた方は、それらの前提を受け入れて、もう一度『ガタカ』を見直してください。
これまでとは違った『ガタカ』が見えてくるはずです。
なぜ『ガタカ』は誤読されるのか?
理由は明白です。
それは登場するキャラクターがそれぞれ嘘をついているから、です。
ヴィンセントは自分の心臓に障害があることを自覚しつつも「自分なら立派に宇宙飛行士の職務を果たせた」と嘯き、ジェロームは二度と地球に戻ってくることはないであろうヴィンセントを「お前なら出来る」と励まし、アントンは10年ぶりに会った兄が宇宙飛行士になるという夢にあと一歩に迫っていることに感嘆しながらも「出来るわけがない」と罵倒する。
その言葉を額面通りに受け取れば、当然誤読することとなるでしょう。
どうすれば誤読せずに済むのか?
ヒントを一つ一つ丁寧に拾っていく、都合の良い解釈をしない、きちんと筋道を立てて物事を考えるといったこともありますが、まずは常識に従うことが大切です。
常識に縛られてしまっては物語を楽しむことが出来ませんが、常識を蔑ろにしてしまってはそもそも物語を追うことも叶いません。
作品によっては死者が蘇ったり、人が自由に空を飛びまわったりとその作品独自のルールがありますが、基本的に物語は常識の範囲内で進みます。
『ガタカ』の世界において心臓の障害は願えば治癒するものなのか?
答えは「NO」ですよね。
常識的に考えてあり得ません。
ヴィンセントは生まれつき心臓に重い障害があり、宇宙飛行士としての適性に欠けているのです。
それが『ガタカ』という物語の大前提であり、その前提を無視しなければ『ガタカ』という物語を大きく読み誤る恐れはないかと思われます。
『ガタカ』という物語を誤読していた方は、有り体に言えば『ガタカ』をスポコンのようなお話だと捉えていた方は、それらの前提を受け入れて、もう一度『ガタカ』を見直してください。
これまでとは違った『ガタカ』が見えてくるはずです。
何もわかってないというのは言い過ぎだったかもしれませんが、
>現代の技術をベースに作品を語るのはナンセンスです。
と仰っているので、そもそも『ガタカ』の捉え方が根本的に違うのだなと思って、いろいろと納得するものがありました。
>ほっとしました。
>なぜ『ガタカ』の世界では自動車が電気で動くのか、そういったことについてもうちょっと考えてみては如何ですか。
申し訳ありませんが、私には難しいのでまずこの部分について解説をお願いできますか?
ぶっちゃけて言ってしまえば血液から赤血球を取り除いたものが牛乳です。
なので血液の話をしているときに牛乳のことを持ち出すのはこじつけでも何でもないのです。
成分と保存がまったく別の話だ、という論法にはびっくりしました。
保存の仕方次第では容易に血液や尿の成分は変異するものだと思っていたので。
ちなみにロングライフ牛乳は超高温で殺菌する保存法です。
その方法で保存すると血液も長持ちするかもしれませんが、血液内のDNAは間違いなく死滅するので検査には適しません。
まぁこれぐらいのことは常識だと思いますが。
>なぜヴィンセントは即座にそれを指摘しないのですか?
逆に聞きたいんですけど、長期保存出来ないことに気づいたとして、なぜそれをわざわざ指摘しなければいけないんですか?
もちろん気づかなかった可能性もありますけど。
>監督はどうして「古いサンプルは使えない」というシーンを作らなかったんですか?
血液や尿は時間が経てば変質するということを観客は知っている、と監督のアンドリュー・ニコルは思ったんじゃないですかね。
>現代の技術をベースに作品を語るのはナンセンスです。
何だ、kさんは『ガタカ』のことを本当に何もわかってなかったんですね。
ほっとしました。
なぜ『ガタカ』の世界では自動車が電気で動くのか、そういったことについてもうちょっと考えてみては如何ですか。
kさんはブログの考察記事が押しつけがましく、上から目線だ、と仰いました。
ただ自分に言わせると、kさんのコメントはこの10年間に寄せられたコメントの中でもっとも押しつけがましく、上から目線です。
とはいえ、自分は押しつけがましく、上から目線のコメントが嫌いではありません。
なぜかというと自分が正しいと信じる人のコメントは大なり小なり押しつけがましく、上から目線だからです。
そしてそれが時に奏を功することもあると思っています。
まぁでもこちらが読むことをお願いしたわけでも強制したわけでもないのに、不快だと言われてもな、とは思いました。
あなたの好きな牛乳の話で喩えるなら「牛に打った薬などの成分が牛乳に混じってしまったから不適となった」というだけの話で、それと長期保存された牛乳が不適となるかは関係のない話です。なお余談ですが、1960年代にロングライフ牛乳という賞味期限の長い牛乳が発明されており、近年では6ヶ月も常温保存できるものもあるそうです。技術の進歩はすばらしいですね。
逆にお聞きしますが、もしせぷさんの仰るとおりにサンプルが長期保存できないのなら、なぜヴィンセントは即座にそれを指摘しないのですか?
加えて言うなら、せぷさんの言うとおりに示唆したいなら、監督はどうして「古いサンプルは使えない」というシーンを作らなかったんですか?
ガタカは近未来をテーマにしたSF作品であり、現代より進んだ技術がある世界です。現代の技術をベースに作品を語るのはナンセンスです。せぷさんのやり方でいくと「尿や血液から一瞬で個人識別なんてできますか?できない、ですよね。」「生まれて数秒後に推定寿命30.2歳なんてわかると思いますか?わからない、ですよね。」という事になりますよね。
上から目線~の件はわかってもらえないと思ったのでもういいです。ただ私は「誤読と言われたのが人格攻撃をされたように」感じて反論をしているのではありません(そんな事言いましたか?)。
私も大好きな作品でありますので、こうやってお話を進めるうちに何か気付きがあれば建設的でとても素晴らしい事だとは思っております。
議論を進めていくに際して、不必要に不愉快な思いをする必要はないだろうと考えて申し上げた次第です。
土曜日に映画を観に行ったらきつくなって…。
さて、kさんに質問です。
kさんは知り合いから一年間冷蔵庫で保存していた牛乳を勧められたら、それを飲みますか?
飲まない、ですよね。
少なくとも自分は飲みません。
いくら冷蔵庫で保存していたとはいえ、一年間も経っている牛乳は腐っている、変質している、そう考えられるからです。
冒頭、ヴィンセントがジェロームに尿のストックがどこにあるか尋ねますよね?
けれど、ジェロームが示した尿のストックはアルコールがわずかに混じっていて、ほとんどが検査には不適でした。
ここから読み取れるのは尿は容易に検査に不適になる、それはおそらく血液も同じということです。
採取から一年間経過した血液や尿が検査に合格するのか?
無理でしょう、一年経った牛乳が飲めないのであれば。
このことは自分の中で確定事項です。
なので、地球に帰還するヴィンセントの為にジェロームは一生分の血液や尿を用意した、と思っている人は誤読していると自分は考えます。
そう考えること自体が「上から目線」なのですか。
それから誤読のレッテルを貼る云々って書いていますが、誤読なんてものは誰でもするものなんですよ。
誤読に限らず、聞き間違い、見間違い、勘違い、思い違い、そういったことは誰でもすることですし、それらは恥でも何でもありません。
また間違いを指摘することは親切な行いなんです。
誤読を指摘されることを人格攻撃でもされたかのように受け取るのは止めた方がよいかと思います。
少なくとも自分はあなたのコメントを不愉快だとか不利益だとか思ってはいません。
考えの異なる者同士が意見をぶつけ合う、議論をすることは基本的に素晴らしいことだと思いますけどね。
・一生分のサンプルのストック
・手紙のはずが毛髪という不自然さ
これだけのピースがあれば、これは遺髪なのだという気付きに至るのは自然のように思えます。
ショック云々は、なんだか論点が少しズレてしまっているように感じます。
せぷさんの説が「帰宅して(突然)死体があったら大きなショックを受けて、直後の生活に支障が出る」であったから、私は「予め知っていたとしたら、生活に支障が出るほどのショックじゃない」と言いたいだけです。
完全に炭化/生焼け云々は、せぷさんが「家にある焼却炉じゃそこまで焼けないでしょう」というような事を以前に仰っていたので書きました。
私は焼却炉を使った理由を「自身の痕跡を効率良く、かつ極秘裏に完全に抹消するため」と考えています。ですので、そういった理由で焼却炉を使用したのならキッチリ炭化・灰化するまで焼くだろうといった妄想です。
それに対して「それなら崖から飛び降りたりアマゾンの奥地やサハラ砂漠で死ねば良いじゃないか」、そして焼死という強烈な方法を首吊りと並べて「特別な理由を見出す必要はない」というのならば、それは映画考察として片手落ちではないかと思うのです。
もちろんここまで書いたものは私なりの解釈ですから、せぷさんに押し付けてこういう解釈をして欲しいというわけではありません。
ただ、せぷさんの記事は最新記事も含めて、上から目線で押し付けるような表現が多く、私は正直不快でした。それが他の方から否定的なコメントが来る原因の一つとなっているのだと思います。
お互いに不利益ですので、相手に誤読のレッテルを貼るような表現を控えていただけるとありがたいです。
ただ、受け取ったヴィンセントが即それを「遺髪」だと認識出来るかというとそれは難しいかと思います。
仮にヴィンセントが遺髪だと認識したとしましょう。
だからといってショックを受けないということはまったくないと思います。
事前に自殺予告メールを受け取ったからといって友人の自殺にショックを受けないとか、そういったことはないでしょう?
ジェロームは焼却炉の中で完全に炭化してしまうかもしれないし、生焼けの状態で見つかるかもしれません。
どちらかに断定することは出来ないと思いますよ。
>それでは焼死を選んだ理由はどのようなものになるのでしょうか?
ある人物が自殺して、その方法が首吊りだったとします。
kさんはその人物が首吊りを選んだ理由は何だと思いますか?
自分は特に理由はない、強いて言えばそのやり方が手っ取り早かったからだと思います。
焼死という方法はショッキングですが、だからといってそれに特別な理由を見出す必要はないのではありませんか?
私が聞きたかったのはそういう事ではなく、『ヴィンセントは手紙の中身(髪)を見たあの瞬間にジェロームの自殺を察した』と私は考えているので、せぷさんはどうなのかなと思った次第です。
なので、ヴィンセントが帰還し自宅で死体を見つけてもショックはそれほど受けないだろうと思います。
(↑更に付け加えるなら、ヴィンセントが見つける時、死体というより灰になるまで焼かれているだろうなと思います。
せぷさんは「自宅の焼却炉にそこまでの力はないだろう」「痕跡を消し去るためなら他に良い方法が沢山ある」というようなことを以前仰っておられますが、それでは焼死を選んだ理由はどのようなものになるのでしょうか?)
>一気に読んだので頭がゴチャゴチャして全部は思い出せそうにありません…。
考察は長文なので考えがまとまらなかったとしても仕方がないかもしれませんね。
>これはヴィンセントが帰宅して初めてジェロームの死を知るという事でしょうか?
まず断っておきますが、自分はヴィンセントが地球に帰還するとは考えていません。
ただ、ヴィンセントがタイタンでの任務をこなし、一年後に地球に無事帰還すると考えている人が多いので、その人たちにヴィンセントが地球に帰還した場合起こりうることの一つを可能性として示したのです。
あくまで可能性なので、絶対に起きるというわけではありませんが、逆に絶対に起きないとも言えないわけです。
質問があれば遠慮なくしてください。
いくつか気になるところがあったのですが、一気に読んだので頭がゴチャゴチャして全部は思い出せそうにありません…。
とりあえず1番気になった事を質問したいのですが、せぷさんは何度も「ヴィンセントがジェロームの死体を見つけたら大きなショックを受けてしまう→ヴィンセントが帰ってこないとジェロームは考えていた」という論を唱えておられます。これはヴィンセントが帰宅して初めてジェロームの死を知るという事でしょうか?
あなた一人ではとても読み通せるものではないでしょう。
なので1月17日から20日までのものに絞らせていただきます。
その中で間違っていると思われる考察、根拠、想像に関して遠慮なく指摘して下さい。
何しろ見ず知らずの人間に対して、
>この人ほんとに映画観たのかしら?
とまで仰るのですから、それなりの指摘はしてくださるものと今から期待しています。
はい、自分は多数派の解釈を誤読だと思っていますよ。
ただ、根拠もなくそう思っているわけではありません。
考察文の中で根拠はきちんと示しているつもりです。
その根拠に明らかな間違いがあるというのであれば、あさん、どうぞ遠慮なく指摘してもらって結構ですよ。
それが出来ればの話ですが。
多数派の解釈を誤読と決めかかって逆張りしてるだけじゃん