おもしろきこともなき世を おもしろく すみなすものは・・・

セロ弾き 呑み鉄 蕎麦打ち~趣味とともに楽しく過ごしたい今日この頃

昨日見た番組から思うこと

2011-08-02 23:47:22 | テレビ
 昨日は、9時から類氏の呑み姿を拝見した。小生も、量り売りの芋焼酎で類氏と気持ちを一つにした。

 引き続き、BS-TBSを観ると、「THEナンバー2」という番組が始まった。今回は、保科正之。秀忠の4男、会津松平家の始祖である。

 特に話題にあがったのが、明暦の大火。江戸城の天守閣再建より庶民の生活改善を掲げ、江戸の防災まちづくりに寄与した。政を行っていくときに何が必要なのか十分に理解した「政治家」だったのだろう。

 会津の師によれば、会津若松の礎を築いたのは、蒲生氏郷とのこと。師と初めて会津若松で出会ったとき、連れて行かれたのが、蒲生氏郷の墓所であった。

 まちの礎をどこでとらえるか、それは、後世の我々が歴史的な判断をしなければならないのかもしれない。

 翻って、我が磐城平はいかがなものか。関ヶ原以前は、この一体を治めていたのは岩城氏、関ヶ原に豊臣側について最終的には秋田の亀田藩(由利本荘市)。その後、入封したのが鳥居公。磐城平城と城下町を造った。そして、内藤公の入封。江筋開発や新田開墾で7万石ながら実質10万石の領地となった。また、松尾芭蕉や八橋検校を支えるなど、文化のパトロンとしても活躍した。安藤公の治世では、なにより、信正公の日米修好通商条約締結や公武合体など、日本の新しい姿を創り上げてきた。そういった意味では、磐城平は、文化や政局の重要な役割を果たしていることは間違いない。

 地方自治といわれながらも、未だに中央集権を逸脱することができない中で、地震、津波、原子力災害、そして風評被害、中央は何もやってくれないが、地方に権限もくれない。
 もはや、中央の考えを地方に押しつける施策は成り立たないのである。それを理解して、国は対応してもらいたい。

 某首相が、高杉晋作の奇兵隊にあやかっているそうだ。しかるに、高杉晋作は、従来の武士社会をもろともにせず、町民、農民まで国の礎を担う役割を任せた。果たして、今の為政者は任せることができるのだろうか。晋作の辞世の句は「おもしろき こともなき世を おもしろく」。実は、小生のスクリーンセーバーにしている。おもしろくするのが政治家の仕事でしょうね。小生も、頑張らねばならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする