おもしろきこともなき世を おもしろく すみなすものは・・・

セロ弾き 呑み鉄 蕎麦打ち~趣味とともに楽しく過ごしたい今日この頃

水汲みの途中で

2016-07-16 20:24:56 | 日記
 今日は、祖父母の法事。寺に行って住職にお経を上げてもらい、墓で手を合わせた。

 そして、いつものように、小川町・山の神に水汲みへ。

 この付近は、「二ツ箭山」の登山ルートの一つになっているので、たまに、神社の前に車が止まっている。小生が水を汲み終わったあとで、「水戸」ナンバーの車がやってきた。

 今日は、道すがら、ヤマユリやドクダミの花。美しい。


 


 


 



 FMいわきで「あの頃青春グラフィティ 70’sコレクション」を聴きながら、帰路についた。
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増補版 時刻表昭和史(宮脇俊三著)

2016-07-15 21:47:15 | 雑感
 宮脇俊三著「増補版 時刻表昭和史」


   


 著者のあとがきによれば、この本は、もともとは、昭和8年から昭和23年まで載せる予定であったが、昭和20年8月15日という節目で、書き続けることができなくなってしまった。それから十数年、終戦後から昭和23年まで、増補版というかたちで追記されたものである。

 昭和8年、著者は小学生に成り立て、渋谷に住んでいる。時刻表に興味を持ち始めるきっかけが述べられている。渋谷というと、今の風景を連想してしまうが、記述によれば、原っぱなど、遊び場が多かったようだ。この頃に、自分で切符を買って電車に乗っている。

 昭和16年の夏、太平洋戦争勃発まであと数ヶ月、という時期。当時は、寝台券の入手は非常に困難。発売は3日前の正午からであった。著者が上野駅に行くと、「すでに行列ができていたが、さして長くはなかった。『行列』は戦時生活によって日本人が身につけた習慣で、統制物資を買うために並ぶようになったのがはじまりであるが、この頃には、駅の窓口や列車に乗るときも行列するしゅうかんができ上がっていた。以前のように窓口で押し合うことはなくなっていた。」。確かに、そのDNAは今でも受け継がれているような気がする。東日本大震災の時に、それは顕著であり、世界が注目したところである。

 昭和17年には、北海道へ。当然、寝台列車で青森まで行き、青函連絡船で函館に渡る。青森の途中、今の三沢付近で目が覚め、「右窓に小川原沼の寒々とした眺めが展開した。」。小川原湖は、内田百閒「阿房列車」でも「寥々とした」付近の様子が述べられている。

 昭和19年には、博多方面へ。関門トンネルが開通し、石炭輸送量は急増。旅客列車を削減してまで貨物列車を走らせていた時代だ。「産業戦士」用の列車は間引けない。「産業戦士」といえば、いわき市好間町の古河鉱業の敷地だと思われるが、「産業戦士の像」が立っている。これは戦前、全国に何カ所か立てられたもので、まだ残っている。当時は、古河炭鉱というのがあって、そのためと思われる。

 昭和20年3月9日深夜、東京大空襲である。東京東部に焼夷弾が落とされ、江東区を中心に大打撃を受け、多くの人の命が失われた。でも「私は驚いた。」つまり、「山手線や上野からの汽車が動いている」ことに対して。「御徒町~新橋間は(3月)11日の朝までには開通していたし・・・」。以前、原子爆弾で何もなくなった広島の街で、路面電車が走っている写真を観た記憶がある。まさに、その状況と同じ光景を、著者のみならず、当時の東京人は、目に焼き付けていたのだろう。そうそう、朝の連ドラ「あまちゃん」で、「第3セクターの意地を見せてやる」という言葉を思い出した。

 そして、昭和20年8月15日、著者は、米坂線に乗車していた。今泉駅に11:30に到着。正午に天皇陛下の玉音放送が流れ、人々は立ちすくみ、時が止まったようだ。しかし、「時は止まっていたが汽車は走っていた。」「予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである。」

 
 そして、増補版(戦後編)となる。
 
 昭和23年4月、東北本線で青森に向かう。仙台に着くと、「仙台から乗る客は多かった。そして、車内の様相が変わった。通路に新聞紙を敷いて横になる客、網棚にハンモックを吊して寝る客もいた。」そこまで、と思いつつも、先般「常磐線中心主義」で小生が大学生時代に観た上野駅10番線ホームやL特急ひたちの車内を連想させる。

 本書の解説は、宮脇の同級生・奥野健男が著している。「いったいこんな国が世界にあるであろうか。敗戦はもとより、戦いに勝っても、それが知らされた瞬間、全ての国民がアナーキーと化し、仕事などほっぽり投げ、汽車など止まってしまうのが当たり前なのに、しかし日本の鉄道は歴史の大転換の瞬間も時刻表通り運航されていた。」

 当時の鉄道事業者の使命感なのか、意地なのか。ただ、時刻表通りに動いたことにより、戦後復興も進めることができたのだと思う。
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常磐線中心主義(ジョーバンセントリズム) 五十嵐泰正・開沼博 責任編集

2016-07-10 14:59:54 | 雑感
 本屋に積んであったこの本、常磐線沿線を社会学的視点から分析している。上野東京ラインが開通する前に書かれたものだ。

  
   


 上野駅から富岡駅まで、駅とその周辺の歴史、カルチャーなどが論じられている。

 常磐線と言えば、上野東京ラインが開通するまでは、スーパーひたちは16番線、17番線から発着していた。今も、一部発着している。これも、東北・上越新幹線が東京まで開通以降の話である。新幹線開通前は、「L特急ひたち」は、10番線、すなわち、上のホームで発着していた。平発6:00の「急行ときわ」は東京着9:10、直通運転だった。上野駅の地下ホームから新幹線が陸上に再浮上し、秋葉原から東京までの狭軌の路線は排除され、新幹線のルートとなってしまった。
 上野駅10番線から「L特急ひたち」が発着していた頃、平に帰るとき、早めに来て自由席の列に並ぶのだが、あの当時は、新聞紙を敷いて地べたに座って酒を酌み交わしている面々がいた。今では考えられない光景が、あの当時は当たり前であった。そして、列車に乗り込むと、座席を回転させて4人がけのボックス状態にして、やはり、下に新聞紙を敷いて靴を脱いで、宴会が始まる。その少し前には食堂車も連結されており、上野から平までの短い時間で、ハンバーグを食するのが楽しみであったのは小学生の頃である。
 いずれにしても、ある意味、独特の雰囲気を醸し出していた常磐線。それが、東日本大震災後、本となって出版された。

 序章の中で、「この常磐線沿線の地域こそが、東京と日本の近代を支えてきたといっても過言ではないのだ。」とされ、やはり、常磐炭田の役割を重んじている。そして、広野火力、常陸那珂火力、東海、福島第一・第二と最大のエネルギー供給エリアとなり、とりわけ、原発事故後も、広野火力は「地元では使いもしない電気を首都圏に粛々と供給し続けている。」
 そして、「常磐線沿線の地域はその旺盛な供給力で東京と日本を支え続けてきた。・・・こうした事実が首都圏の住民に意識されることは極めて少ない。」として、「常磐線沿線は、『東京の下半身』である。」と結論づけている。「産業地帯としての抜きんでた優秀さと、その供給力を引き寄せる東京の圧倒的な重力の強さ、常にすぐそこにある身近さ、そして、それにもかかわらず、その意識のされなさと語られなさにおいて」。

 常磐線沿線の「それぞれの街の歴史と現在を物語るテーマや産業を切り口として」、「上野」、「柏」、「水戸」、「泉」、「内郷」、「富岡」の各駅と、その間にある5つの駅をコラムとして載せてある。

 終章では、「常磐線の物語を描いたのは、そこに今まで描かれてくることがなかった、新しい日本像が存在する可能性があるからだった。」「常磐線を通して他の路線よりも語りえることがあるのだとすれば、それは、『語られてこなかったこと』だ。・・・東京、日本全体に果たす下半身的な役割に比して、あまりに地味だった。」語り得ない理由を「未来のなさ」としている。そして、「未来を必要としなかった路線」として、未来はないが、「現在と現実」を有している。

 結びに、「ジョーバンセントリズム」について語られている。
 一つは、「常磐線中心主義」。下半身的役割を果たしてきた「常磐線」の価値を再評価し、その重要性を見直すこと。
 二つは、「常磐地方中心主義」、日本の近代化を牽引してきた「常磐地方」、その価値を掘り起こすこと。

 それぞれの駅のコラムでは、駅周辺の歴史、文化が載せられており、それぞれの個性を知ることができる。その個性が、内向きであり、自分のテリトリーを大切にしている、といったエリアなのかもしれない。重要性や価値の再発見、進めていくには様々な知恵と労力が必要かもしれない。
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博物館浴(国立新美術館)

2016-07-09 11:41:54 | 博物館・美術館
 国立新美術館では、「オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展」が開催されている。



   


   



 オルセー美術館とオランジュリー美術館で所蔵されている絵画、彫刻、パステルなどを通してルノアールの全貌に迫っている。

 初期の作品から晩年の作品まで、10のテーマで展示構成され、人物画、風景、風俗、花、子ども、裸婦といった画家が愛した主題が紹介されている。

 

 ところで、平日なので、それほど混雑していないのでは、と高をくくっていたのだが、入場すると、身動きもとれないほどの人。流石、江戸である。
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博物館浴(森アーツセンターギャラリー)

2016-07-09 11:29:44 | 博物館・美術館
 7月3日まで、森アーツセンターギャラリーでは「ポンペイの壁画展」が開催されていた。

   


 ヴェスヴィオ山の噴火により埋もれてしまったポンペイのまち。火山灰に埋もれたことにより、古代ローマ時代の暮らしをそのまま保存されている。この展覧会は、壁画に視点を当てている。建物そのものは壁画で装飾され、当時のローマ人の美意識を想像することができる。


   

 相変わらず、六本木ヒルズからの眺めは、いいもんだ。
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