団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

オスプレイ問題の本質

2012-07-24 15:29:58 | Weblog
 オスプレイの問題で大騒ぎしている。安全が確認されるまで、国内では飛ばさない、といろいろと交渉しているが、安全がすでに確認されているから、海外でも飛んでいるのだろう。
 ということは、安全はどこまで行っても確認されることはなく、飛ばすな、という拒否だけが先行する話になろう。
 アメリカ側は操縦ミスが原因としている。誰だって、ちょっとしたミスで墜落してしまう飛行機などには乗りたくなく、こんな欠陥飛行機がどうして飛んいるのだろうと思う。米軍の飛行士はサボタージュはしないのだろうか。
 日本が反対する以上に、まずアメリカでそういう抗議の声が出るのが先だ。それが出ないのはどういう理由か。その辺をメディアはもっと取材する必要があろう。
 オスプレイを載せた輸送船が、岩国の港に接岸するところまでご丁寧に報道しているのだが、こんなことはいくら報道しても意味がないだろう。
 問題は、オスプレイだけの話ではなく、日米安全保障の中で米軍が訓練を含めて行動している時に、なにか事故が起こって、補償問題が起こった時に、誰が責任をとるのか、補償内容はどうなるのか、ということだ。
 事故原因は米軍まかせ、国内で裁判にすらならない。こういうところが日本が植民地化されている実態だ。大義名分は、安保で米国が日本を守っているから、というわけだ。
 それを否定するわけではないが、やはり不平等であり、不公平をいつまでもほっておくわけにはいかないだろう。
 これまでの沖縄等の事故を考えると、そうした補償がされないから安保は片務協定といわれる由縁だ。この問題をはっきりしない限り、オスプレイの問題も解決されないだろうし、普天間もいつまでたっても前に進まない。
 これを機に、安保の中身を見直し、 対ソ連ではなく、対中国・北朝鮮を想定した日本国民ための新しい日米安保条約を考えたらどうだろうか。それが、また日本の新しい憲法、新しい国家ビジョンにつながっていこう。
  
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