団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

今夏の節電はどうなった

2012-08-05 11:51:13 | Weblog
 この夏の節電対策の話がまったく聞こえてこない。テレビを見ていても、昨年のように電力消費量のメーターがまったく映らない。
 それでも猛暑は続いているし、オリンピックをやっているから、電力は相当な消費量になっているだろう。
 じゃあ、現在の発電の状況だったら、節電は必要ないのか、ということになる。これは結局、東京電力管内では、原発は必要がない、という結果になるのではないだろうか。
 確かに昨年は大震災後に、原発も火力発電もやられ、まだ再生エネルギーによる発電などの他の方法が育つていなかったから、とにかく闇雲に節電、計画停電に走った。
 それが今年は、どう状況が変わったのだろうか。火力発電は安定的に電力を供給しているのだろうが、それがために燃料代がかさみ、値上げという事態になっているのだが、他の発電方式がどれほど伸び、節電がどれほど定着しているのか、という報道があまりなされない。
 要は燃料費が高くなり東電としても利益がなくなっても、電力を使ってくれることが最優先なんだろう。だから節電なんか必要ない、というところに落ち着く。
 大震災後、高まった世論は、省エネ社会の実現ではなかったか。それには人々の生活を一段と質素な形に変えて、多消費のエネルギー生活から脱却することではなかったのか。それが地球の温暖化対策にもなるわけだ。
 今年になって、そんな議論は聞かなくなり、大震災前の社会にまた戻りつつある。我々は結局、学習しないのか、できないか。
 ただ反原発の高まりだけが声高に聞こえてくる。経済重視派は、原発がなくなれば電力が枯渇し経済が停滞する、という論点だ。節電しなくてもやっているのだから、原発は無用ということになる。
 また原発産業重視派は、原発をやめれば最先端の原子力の技術の継続性がなくなる、というが、それは原発でなくても可能だし、どこの国にいてもできることは、テクノロジーの歴史が証明している。
 ただ関電みたいに、本当に電気がなくなる事態が想定されていれば、再稼働やむなし、ということも成立するが、これも関東で節電して関西に譲ることも方法としては可能なのだから、やっぱり本当は節電は必要だったのだ。
 結局、技術、産業、雇用を含めた経済に原発が深く関わっているからやめられないのだ。本当に原発が作る電気が必要ではないのだろう。
  
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