団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

深夜の顔面強打

2015-03-15 15:34:49 | Weblog
 真夜中に、顔を流れるものがあった。手で拭ってみた。なんだろう、と思って起きてみた。手が赤い。血だ。
「血が止まらない」と、傍らに寝ていた女房に声をかけた。女房が飛び起きた。「ど、どうしたのよ」とびっくりした声を出した。
「分からん」としか言いようがなかった。「救急車を呼ぶわ」となって、あっという間に到着。2~3件の病院の受け入れの有無を聞いて、うちから近い病院に横づけした。急患の医者がみて、脳を含めてさほどの異常がないことが分かってホッとした。ただ私は心臓病でワーファリンという溶血剤を飲んでおり、だから血が止まりづらかった。
 それが午前3時。二人で家までトボトボと帰った。なんとも締まらない話である。つまりは、泥酔して帰って来る時に、足がもつれて転倒した。転んだ場所が悪かった。
 公園の入口で、植え込みと敷地の間に、小さい岩の石垣が連なっており、表面は凸凹している。ここに顔面を強打した。
 酔っ払っているから、それも覚えておらず、寝て、顔が濡れるので目を覚ましたわけだ。泥酔すると痛みも分からないから、かくいう次第になったわけだ。
 救急車は二度目。前回は異常な頻脈だったから、まっとうな病人だったが、今回は酔った挙句の仕儀となった。顔面強打も二度目。前回は血は出なかったが、派手に目の周りが膨らんで内出血していた。
 転倒したのは、たぶん同じ場所だと思う。顔面に当たった角度と石の形状が違っていたから、怪我の程度も違った。それにしても、左目の目尻に大きなかさぶた、鼻の下にもかさぶた、鼻筋にも小さな傷、と顔はまったく見られたものではなくなった。
 3日程度外出の予定がなかったからいいようなもの、マスクと絆創膏の顔で出かけなければならない。
 問題はまったく懲りない、という自分に腹が立っている。確かに4時から飲み、調子ずいてたぶん11時頃までいたろうか。そこまで時間が経てば、もうあまり飲めなくなっているが、泥酔状態には違いない。途中から記憶もない。
 かつて同じようなことがあって、10時半には盃を置くとか、時間チェックのために腕時計を新調したとか、あれこれと無駄な努力をしてきたが、徒労に帰した。
 さてどうするのか。まずその公園に酔って帰ってくる時には、近づかないというのが解決策のひとつ。もうひとつは当たり前ながら、酔うほど飲まない、という抑制策。常に酒量をコントロールしながらちびちびとやる。あっああ、つまらん、と思うが、これもまた酒の飲み方であるだろう。周りの人が喜ぶのは、禁酒。しかし居酒屋が困るではないか、と思うが、私だけで持っているわけでもない。
 現在66歳。結局、人間というのは、いくつになっても悟れないのだろなあ、と思っている。いずれ本当に酒が飲めなくなる日が来るか、あるいは酒で命を縮めるか。あれこれ考えながら、鬱的な時間を送っている。 
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