団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

どうするのか

2010-03-12 10:45:38 | Weblog
 これほど空港のことが話題になったのは久しぶりだ。茨城空港のこと。ハナから赤字、というのも期待されなくてさっぱりしているが、利用客が徐々に増えると思っているのだろうか。
 現在は韓国便がひとつ。ゴーストタウンのような空港になりそうだが、それよりなぜ、茨城空港から羽田や成田への便ができないのだろうか。
 茨城の人は、もし海外に行くには成田まで、電車を乗り継いでいくだろう。常磐線で南下してどここかで成田線に乗り換えるわけだが、それなら茨城空港から成田に飛べるようにすればいいではないか。羽田だって東京に来る面倒さを考えれば、羽田が使えないか。
 そういう便利さこそ、地方空港の存在意義ではないかと思うが、たぶん羽田や成田の乗り入れ代が高額で、また混み合っており滑走路は満杯、そうした飛行機の離着陸は困難、というのが理由になるのだろうか。
 地域住民にとって本当に必要な空港にするためには、そうしたハードルをクリアして、その程度のことを実現してもいいのではないか。
 それにしても、狭い日本に90以上の飛行場がある。ほとんど予測された利用客数は大幅に下回っており、甘い予測が問題になっている。
 最初に建設ありきで、ことを進めるから、マイナスになる数字は外して、楽観的な数字だけでみようとするから、大誤算になってしまった。
 これは飛行場の問題ではなく、コンクリートに絡んだ土建屋の問題である。ダムと同一のことで、大規模な土木工事が発生し道路も張り巡らされ、そこに利権屋が跳梁跋扈するわけだ。
 しかも、飛行場を造ることは、地域のため住民のため、という大義名分がある。他の県にあって、なんでおらが県にはないのか、という感情もあって、建設になんら疑問もなく造られてきたのだろう。
 民主党になって、コンクリートから人へ、がキャッチフレーズになった。結果、子ども手当、高校授業料無償化といったバラマキになっているが、コンクリートも反省しなければならないが、ただコンクリートそのものが悪いわけではない。
 ダム、飛行場、道路、ビックプロジェクトの地域開発など、必要度は精査されなければならないが、造ることが目的ではなく、造ったあとの利用こそが地域にとった重要なことだ。
 造れば無関心になってしまうのが、コンクリートの政治だった。人の政治には終りがない。だからこそ、何十年何百年という時間でものごとを考えることが政治には必要である。

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