団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

逮捕でもう犯人扱いでいいのか

2009-06-22 11:14:07 | Weblog
 米原市で女性が殺され、その上司が捕まった。不倫の果ての殺人劇だったらしいが、犯人はまだ否認している。
 否認しているが、警察は逮捕に踏み切った。はっきりした物的証拠があるのだろうが、状況証拠だけでひっくくり、自白を強要するのではないだろうか、と危惧も抱く。
 最近起こった足利事件があるからだ。その事件でも、被疑者は自白している。やってもいない犯罪を自白をさせることで、警察は逮捕を正当化するわけだ。
 犯行を否認していても、逮捕されればマスコミのメディアに、被疑者の名前が載る。また、いろいろと周辺の人のコメントを聞いて書き立てる。
 お決まりの情景ではあるが、もし犯人でなかったら、どうするのだ。それで真犯人が捕まれば、その被疑者の汚名も晴れるが、もし犯人が捕まらなかったら、どうする。
 ずっとその人は、疑われたままで生きていかなければならない。証拠はないが、きっとやっている、とか、絶対あいつだ、と一生ささやかれ続けるのだ。
 その補償は警察でなんとかできるのか、といえば、そうした風評被害については関知しないだろう。やりっぱなし、というわけだ。
 そういう心配があるのだから、逮捕の段階では、被疑者の名前を公表するのは止めたらどうか。マスコミもいわゆる匿名報道に徹することではないか。物的証拠、自白という明々白々の証拠が揃って、はじめて公表できる制度を作ったらどうか。
 いうまでもなく真に有罪が決定するのは、裁判の場である。それ以前から犯人扱いし、警察もマスコミも被疑者をおもちゃにしてしまう。被疑者の人権なんかどっかにすっ飛んでしまう。
 被害者の家族の悲しみも分かるが、本当は無実だったら、どうするのか、ということを考えると、鳥肌が立つ思いだ。
 北欧では、犯罪者については匿名報道をしているという。日本でも、その提唱者は多いが、なかなか進まない。せめて公判で有罪が決定するまでは、匿名報道であってもいいではないか。その間、ずっと拘留され続けているのだから再犯の心配はない。逆に性犯罪者で刑務所を出てからの監視活動の方がよっぽど大切だが、こんどは人権の名のもとに匿名の中に消えてしまう。
 大いなる矛盾だが、なにより冤罪こそ、もっとも社会が恐れる事態なのではないかと思う。

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