「今度、あの人に何かしたら、殺すよ?」
なんて物騒なことを言って、殺気を漲らせていたあかね先生と二人きりになるのは、少し怖いなあ……と、思いながら、待ち合わせの駐車場に立っていたところに、お兄ちゃんからメールがきた。
『検査終了。問題なし』
ニコニコマークつき。その後に、ママの病室の部屋番号が書かれていた。
「良かった!」
今からそちらに車で向かうことを返信したところで、あかね先生がやってきた。血のついたシャツから着替えはしていたけれど、まだ青白い固い表情をしている。
「お待たせ。美咲さん。早く行かないと……」
「ああ、先生、先生」
先生の前でひらひらと手を振って、お兄ちゃんからのメールを見せてあげた。
「ほら、お兄ちゃんからのメール。ママ、問題ないって………、せ、先生?!」
いきなり、あかね先生が崩れ落ちるようにその場にしゃがみこんだのでビックリした。
「ど、どうしたの、先生……」
「よ……よかった………」
絞り出すような声……。先生……泣いてる……?
ちょっと、尋常じゃないよね……この心配っぷり…。
というか、こんな精神状態の人の運転する車に乗って、私大丈夫なのかな……。
心配するほどのこともなく、あかね先生は運転上手だった。
固かった表情も、さっきよりはずいぶん柔らかくなって、いつもの先生に近づいてきた感じではあるけれど……。
「先生………大丈夫?」
「何が?」
「だって……ママが怪我してから、ずっと変だよ?」
言うと、あかね先生は「そりゃあ心配だもんー」とおどけた感じに言った。なんか……
「笑って誤魔化そうとしてない?」
ツッコむと、先生ははじめはイヤイヤ、とさらに誤魔化そうとしていたけれど、しつこくジッと見上げていたら観念したようにふうっと息をついた。
「ちょっとね……色々思い出しちゃって」
「思い出す?」
「うん……」
あかね先生の目が遠くを見ている。
「私が幼稚園の時にね、父が交通事故で亡くなったの。道路の反対側にいた私と母のところに来ようとして、横断歩道じゃないところを無理に渡ってね」
「……え」
「その時も、今日みたいに、血が止まらない父を抱えたのよね……」
「…………」
その時の様子を想像してゾッとする。幼稚園児にそんな……
「あ、ごめんね。変な話……」
「ううん。大丈夫……」
「だからね、美咲さんのお母さんが無事で本当に良かったって思って……」
心の底から安堵した、というように先生が言う。
ママとお父さんの姿を重ね合わせたってことだったのか……。
まあ、それにしてもあまりにも心配しすぎな気はするし、「殺すよ」発言はそれでは説明つかないけど……。
「私ね、7歳の七五三をやってないの」
「え?」
いきなり話が飛んだ。何を言い出すんだろう?とキョトンと先生を見返す。
「七五三?」
「そう。私、背が高かったから、これ以上大きくなる前に、6歳の時にやろうって両親は言ったんだけど、私はお友達が来年やるっていうから来年がいいって言い張ってやらなかったのね」
「うん……」
「そうしたら、6歳の12月に父が亡くなって……。ああ、来年やるなんて言わないで先月七五三やっておけばよかったって子供心に思ったのよね。母にも散々愚痴られて、7歳でもやらないことになって」
「……………」
信号が赤になった。先生はサイドブレーキをギュッと引いてから、またため息をついた。
「さっき、病院で待っていた時にね……急にそんなことを思い出したの」
「……………」
「来年になったら、とか、何年後になったら、とか、そんな約束、本当に叶えられるのかな……とか、そんなこと思ったりして……」
「……………」
何年後になったら……。
先輩が話してくれたことを思い出した。
あかね先生には忘れられない恋人がいて、その人のことをずっと想い続けている。その人とは別れてから20年後に会う約束をしている。もし、その人が幸せだったら、潔く諦める。でも、もし幸せでなかったら……。
「先生、それ、20年後の約束のこと言ってるの?」
「え」
ビックリしたようにこちらをむいたあかね先生。
「なんでそれ……」
「有名な話だよ。みんな知ってるよ。昨日の夜もその話出た」
「そうなの?」
何年か前に一度話しただけなのになあ、と苦笑いした先生。信号が変わって出発する。
「約束、叶えられるよ。大丈夫だよ。ちゃんと会いに行きなよ?」
「うーん……」
なぜか歯切れの悪いあかね先生。確か、20年後は来年の春だったはず……。
「心配だったら、もう会いに行っちゃえばいいじゃん」
「え?!」
あかね先生が動揺したようにハンドルを離してから、慌てて持ち直した。
「それは……」
「んで、幸せじゃなかったら、遠慮なくゴーだね。彼だってきっとあかね先生のこと待ってるよ」
「………………」
あかね先生は、しばらく黙っていたけれど、やがてポツリといった。
「でも、それで、周りを傷つけることになったら? それでも簡単にゴーって言える?」
「言えるよ」
言いきると、あかね先生はなんだか複雑な表情をして私を見返した。
「美咲さん……」
「だって、それで彼とあかね先生が幸せになるんだったらしょうがないじゃん。どっちかが幸せになるなら、ウソが少ない方が絶対にいいもん」
「…………」
先生はふっと笑った。
「若いなあ……美咲さん」
「なにそれ。子供ってこと?」
どうせ子供ですよーだ。
先生は寂しげに目を伏せた。
「そこまで突き抜けられたらいいのにね」
「突き抜ければいいじゃん。大人ってやあね。建前とか世間の目とかそんなのに縛られてばっかりで」
「……そうね」
「みんなウソばっかり。ウソウソウソ。ウソばーっかり。……なに?」
先生がクスクス笑いだした。
「いや……私も若いころそう思ってたなって思って……」
「今も思えばいいじゃん。なに年寄りぶってんの、先生。まだ40前でしょ」
「そうね………」
また遠い目をして、優しく微笑んだあかね先生。今日の先生はやっぱりいつもの先生とは違う。
***
受付で面会表を記入してから、病室に向かった。白い廊下白いドアが並んでいてなんだか怖くなってくる。
お兄ちゃんが教えてくれた部屋番号の近くにきたところで、
「………パパ?」
パパの声が聞こえてきた。怒鳴ってる、みたいな……
あかね先生と顔を見合わせてから、そっと扉を開く。カーテンの向こうにたぶんパパとママとおばあちゃんがいるみたい。
「だからオレははじめから反対だったんだよ」
「充則、声が……」
「母さんも母さんだよ。どうして綾を好き勝手にさせたんだ」
「そんなこと……」
パパがこんな風に声を荒げるところ、はじめて聞いた。おばあちゃんがオロオロしたようにたしなめてる。
「家のことをきちんとするっていうのが結婚するときの条件だっただろう?」
「それは……」
「オレはそれができる女なら誰でもよかったんだよ。それなのに……」
「充則、やめて」
「調子に乗って外に出たりするから、こんな迷惑なことになったりするんだよ」
「………ごめんなさい」
小さく謝ったママの声……。
ちょっと……ひどくない? パパ。こんなこと……
「お前はただ家でおとなしく家事をしてればいいんだよ。それしか取り柄ないんだから」
「充則、ちょっと」
「これからは今まで通り、子供たちの学校のことは母さんがやってくれ。綾を外に出すなよ」
「そんな……」
「綾、いいな? 指導員も内職の仕事も全部やめろ」
「………はい」
小さなママの返事。ママ……いいの? あんなに楽しそうだったのに……
パパ、一方的にひどいっ。
「……先生?」
出ていこうとしたのを、腕をつかまれ引き留められた。
「ごめん。美咲さん」
「え?」
先生の瞳……何かを決意したような……強い光。
「先生?」
「私……先生やめる」
「え?」
「ウソつくのも、もうやめる」
「何を……?」
先生……?
「ごめんね。ありがとう」
ふわり、と先生は微笑んで……ザッと勢いよくカーテンを開けた。
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あまりにも長くなりそうなので、途中ですがいったん切ります。
あかねさん。ついに綾さん旦那と対決です。
なんて物騒なことを言って、殺気を漲らせていたあかね先生と二人きりになるのは、少し怖いなあ……と、思いながら、待ち合わせの駐車場に立っていたところに、お兄ちゃんからメールがきた。
『検査終了。問題なし』
ニコニコマークつき。その後に、ママの病室の部屋番号が書かれていた。
「良かった!」
今からそちらに車で向かうことを返信したところで、あかね先生がやってきた。血のついたシャツから着替えはしていたけれど、まだ青白い固い表情をしている。
「お待たせ。美咲さん。早く行かないと……」
「ああ、先生、先生」
先生の前でひらひらと手を振って、お兄ちゃんからのメールを見せてあげた。
「ほら、お兄ちゃんからのメール。ママ、問題ないって………、せ、先生?!」
いきなり、あかね先生が崩れ落ちるようにその場にしゃがみこんだのでビックリした。
「ど、どうしたの、先生……」
「よ……よかった………」
絞り出すような声……。先生……泣いてる……?
ちょっと、尋常じゃないよね……この心配っぷり…。
というか、こんな精神状態の人の運転する車に乗って、私大丈夫なのかな……。
心配するほどのこともなく、あかね先生は運転上手だった。
固かった表情も、さっきよりはずいぶん柔らかくなって、いつもの先生に近づいてきた感じではあるけれど……。
「先生………大丈夫?」
「何が?」
「だって……ママが怪我してから、ずっと変だよ?」
言うと、あかね先生は「そりゃあ心配だもんー」とおどけた感じに言った。なんか……
「笑って誤魔化そうとしてない?」
ツッコむと、先生ははじめはイヤイヤ、とさらに誤魔化そうとしていたけれど、しつこくジッと見上げていたら観念したようにふうっと息をついた。
「ちょっとね……色々思い出しちゃって」
「思い出す?」
「うん……」
あかね先生の目が遠くを見ている。
「私が幼稚園の時にね、父が交通事故で亡くなったの。道路の反対側にいた私と母のところに来ようとして、横断歩道じゃないところを無理に渡ってね」
「……え」
「その時も、今日みたいに、血が止まらない父を抱えたのよね……」
「…………」
その時の様子を想像してゾッとする。幼稚園児にそんな……
「あ、ごめんね。変な話……」
「ううん。大丈夫……」
「だからね、美咲さんのお母さんが無事で本当に良かったって思って……」
心の底から安堵した、というように先生が言う。
ママとお父さんの姿を重ね合わせたってことだったのか……。
まあ、それにしてもあまりにも心配しすぎな気はするし、「殺すよ」発言はそれでは説明つかないけど……。
「私ね、7歳の七五三をやってないの」
「え?」
いきなり話が飛んだ。何を言い出すんだろう?とキョトンと先生を見返す。
「七五三?」
「そう。私、背が高かったから、これ以上大きくなる前に、6歳の時にやろうって両親は言ったんだけど、私はお友達が来年やるっていうから来年がいいって言い張ってやらなかったのね」
「うん……」
「そうしたら、6歳の12月に父が亡くなって……。ああ、来年やるなんて言わないで先月七五三やっておけばよかったって子供心に思ったのよね。母にも散々愚痴られて、7歳でもやらないことになって」
「……………」
信号が赤になった。先生はサイドブレーキをギュッと引いてから、またため息をついた。
「さっき、病院で待っていた時にね……急にそんなことを思い出したの」
「……………」
「来年になったら、とか、何年後になったら、とか、そんな約束、本当に叶えられるのかな……とか、そんなこと思ったりして……」
「……………」
何年後になったら……。
先輩が話してくれたことを思い出した。
あかね先生には忘れられない恋人がいて、その人のことをずっと想い続けている。その人とは別れてから20年後に会う約束をしている。もし、その人が幸せだったら、潔く諦める。でも、もし幸せでなかったら……。
「先生、それ、20年後の約束のこと言ってるの?」
「え」
ビックリしたようにこちらをむいたあかね先生。
「なんでそれ……」
「有名な話だよ。みんな知ってるよ。昨日の夜もその話出た」
「そうなの?」
何年か前に一度話しただけなのになあ、と苦笑いした先生。信号が変わって出発する。
「約束、叶えられるよ。大丈夫だよ。ちゃんと会いに行きなよ?」
「うーん……」
なぜか歯切れの悪いあかね先生。確か、20年後は来年の春だったはず……。
「心配だったら、もう会いに行っちゃえばいいじゃん」
「え?!」
あかね先生が動揺したようにハンドルを離してから、慌てて持ち直した。
「それは……」
「んで、幸せじゃなかったら、遠慮なくゴーだね。彼だってきっとあかね先生のこと待ってるよ」
「………………」
あかね先生は、しばらく黙っていたけれど、やがてポツリといった。
「でも、それで、周りを傷つけることになったら? それでも簡単にゴーって言える?」
「言えるよ」
言いきると、あかね先生はなんだか複雑な表情をして私を見返した。
「美咲さん……」
「だって、それで彼とあかね先生が幸せになるんだったらしょうがないじゃん。どっちかが幸せになるなら、ウソが少ない方が絶対にいいもん」
「…………」
先生はふっと笑った。
「若いなあ……美咲さん」
「なにそれ。子供ってこと?」
どうせ子供ですよーだ。
先生は寂しげに目を伏せた。
「そこまで突き抜けられたらいいのにね」
「突き抜ければいいじゃん。大人ってやあね。建前とか世間の目とかそんなのに縛られてばっかりで」
「……そうね」
「みんなウソばっかり。ウソウソウソ。ウソばーっかり。……なに?」
先生がクスクス笑いだした。
「いや……私も若いころそう思ってたなって思って……」
「今も思えばいいじゃん。なに年寄りぶってんの、先生。まだ40前でしょ」
「そうね………」
また遠い目をして、優しく微笑んだあかね先生。今日の先生はやっぱりいつもの先生とは違う。
***
受付で面会表を記入してから、病室に向かった。白い廊下白いドアが並んでいてなんだか怖くなってくる。
お兄ちゃんが教えてくれた部屋番号の近くにきたところで、
「………パパ?」
パパの声が聞こえてきた。怒鳴ってる、みたいな……
あかね先生と顔を見合わせてから、そっと扉を開く。カーテンの向こうにたぶんパパとママとおばあちゃんがいるみたい。
「だからオレははじめから反対だったんだよ」
「充則、声が……」
「母さんも母さんだよ。どうして綾を好き勝手にさせたんだ」
「そんなこと……」
パパがこんな風に声を荒げるところ、はじめて聞いた。おばあちゃんがオロオロしたようにたしなめてる。
「家のことをきちんとするっていうのが結婚するときの条件だっただろう?」
「それは……」
「オレはそれができる女なら誰でもよかったんだよ。それなのに……」
「充則、やめて」
「調子に乗って外に出たりするから、こんな迷惑なことになったりするんだよ」
「………ごめんなさい」
小さく謝ったママの声……。
ちょっと……ひどくない? パパ。こんなこと……
「お前はただ家でおとなしく家事をしてればいいんだよ。それしか取り柄ないんだから」
「充則、ちょっと」
「これからは今まで通り、子供たちの学校のことは母さんがやってくれ。綾を外に出すなよ」
「そんな……」
「綾、いいな? 指導員も内職の仕事も全部やめろ」
「………はい」
小さなママの返事。ママ……いいの? あんなに楽しそうだったのに……
パパ、一方的にひどいっ。
「……先生?」
出ていこうとしたのを、腕をつかまれ引き留められた。
「ごめん。美咲さん」
「え?」
先生の瞳……何かを決意したような……強い光。
「先生?」
「私……先生やめる」
「え?」
「ウソつくのも、もうやめる」
「何を……?」
先生……?
「ごめんね。ありがとう」
ふわり、と先生は微笑んで……ザッと勢いよくカーテンを開けた。
------------------
あまりにも長くなりそうなので、途中ですがいったん切ります。
あかねさん。ついに綾さん旦那と対決です。