2016年2月29日(月)
この2週間、ずっと頭から離れない。
『ヒロ兄……ヒロ兄』
彼女の声。切ない切ない声……
たまらなくなって、思いきり抱きしめたくなったけれど、耐えた。耐えきったオレ、本当に偉い。
……って、ヤッといていうのも何なんだけど……。
(おれは身代わり。『ヒロ兄』の身代わり……)
行為の最中、何度も何度も自分を戒めた。
彼女が現実に戻ってしまわないよう、細心の注意を払った。絶対に、声は出さない。抱きしめない。キスもしない。相手がオレであることを思い出させたくなかった。
(……戸田さん)
意識を失うように眠ってしまった彼女の頭を撫でながら、心の中で呼びかける。
(……かわいいな)
いつもは何かから身を守るかのようにメイクをバッチリしている戸田さん。スッピンは少し幼くて可愛らしい。
その額にキスしたい。その頬を包み込みたい。……けれども。
(我慢、我慢……)
それはダメだ、と自制する。
今日の行為は単なる身代わり。オレが彼女の特別に昇格したわけではない。勘違いしてはいけない……。
戸田さんが起きてからすぐに帰路についた。
ついたはいいけれど、思いの外、肉体的にも精神的にもボロボロで……。「なにかあったら連絡しろ」と言ってくれた、高校時代の友人・渋谷慶の言葉に甘えて、車で駅まで迎えに来てもらい、そのまま夕方まで渋谷の家でダラダラさせてもらった。
『だからどうだったんだよー?』
同じく遊びに来ていた溝部にしつこく聞かれたけれども、『ほっといてくれ』と布団をかぶって寝ていたら、
『ダメだったんだな……』
『聞かないであげようよ……』
『やっぱり10年ぶりはきつかったか……』
『溝部が10年ぶりでも自転車乗れるとか言うから』
『えーオレのせいかよ……』
溝部と、渋谷の恋人・桜井浩介のボソボソ話す声が聞こえてきた。
もう、何とでも言ってくれ……。
それから2週間……
連絡していいんだろうか? いや、でも、どの面下げて? オレのことなんか忘れたいんじゃないか? 元々オレ、もう「ごめんなさい」って言われてたし。オレも本当は忘れるべきなんだ……
そう思いながらも、
『ヒロ兄……』
あの時の戸田さんの声が、表情が、頭の中に浮かんできては胸がギュッとなる。
他の男の名前を呼ぶ女に欲情するなんて、自分でも倒錯的だと思うけれど……
一人の男性をあそこまで一途に想い続ける彼女が愛おしくてたまらない。
***
ユウキがオレの職場である○区役所を訪ねて来たのは、終業時間寸前のことだった。
「よくここが分かったね……」
どこに勤めているなんて話した覚えはないのに、と思って言うと、
「前に、樹理にあんたが責任者やったっていう、音楽祭のプログラム見せてもらったことあるから。それでどこの区か覚えてた」
「あ……なるほど」
彼(体は女性で心は男性だそうで、見た目は中学生男子だけれども、実際は大学生だそうだ)は、目黒樹理亜に片想いしている。
あの音楽祭、戸田さんに司会やってもらったんだよなあ……あの時の戸田さんは本当に……
(……いやいやいや)
頭の中が戸田さんでいっぱいになる前に引き返す。
「で、わざわざここまできたのはどうして?」
聞くと、ユウキは青ざめたまま、頭を下げてきた。
「ついてきてほしい。樹理と一緒にいる男が、例のストーカーかどうか確認してほしいんだ」
***
樹理亜のストーカーに会ったことがあるのは、オレと戸田さん、桜井と弁護士の庄司先生だけだ。桜井に話すと自動的に渋谷に知られてしまうため、オレを頼ってきたそうだ。
「最近、樹理の様子がおかしくて……」
先週、樹理亜が男と歩いているのを見かけたので声をかけたところ、分かりやすく挙動不審になり、その後もそのことを聞こうとすると、わざとらしく話をそらしてくるらしい。
「今日、誰かと約束あるっていってたから、その前に無理矢理会うことにしたんだ。だからその後、一緒に樹理を尾行してくれる?」
と、いうことで……
ユウキと樹理亜が会っている間、見つからないよう注意しながら食事を取り、その後ユウキと合流した。
(なんかこっちがストーカーになった気分だな……)
自嘲しながら、後をつけていくと、あっさりと……本当にあっさりと、樹理亜は駅前で待っていた一人の男と合流した。
(佐伯………)
あの、ストーカーだ。見間違うはずもない。でも樹理亜はニコニコと………いや、ニコニコというより、ヘラヘラとしている……。
オレがうなずくと、ユウキもうなずき、樹理亜と佐伯の方に歩きだした。が、反対側から現れた女性を見て足を止めた。
「樹理のママ………」
「え………」
反対側から現れたのは……樹理亜の母親だった。先日見たのと変わらない、毒々しいピンクまみれの女性……。
「樹理っ」
「え?」
笑顔を張り付けたまま、樹理亜がユウキの声に振り返った。途端に青ざめる。
「ユウキ……、え、山崎さん?」
「…………どうも」
驚きで目を見張った佐伯と樹理亜母娘に頭を下げてから、佐伯に淡々と問いただす。
「これはどういうことですか? 約束が違うのでは?」
「いや、その……」
「ビジネスよっ」
佐伯が何か言おうとしたのを、樹理亜の母親が叫ぶように遮った。
「佐伯さん、樹理亜のネイルサロンに融資してくださると言ってるの」
「融資……?」
「うちの店を改装して、ネイルサロンのスペースを設けようと思っていてね。あのあたりは女の子のお店も多いし、絶対に繁盛すると思うのよ」
ネイルサロン……そういえば、樹理亜は今、ネイルの学校に通っていると言っていたな……
得意げな様子の樹理亜の母親に黙ってしまうと、樹理亜が手を振ってきた。
「そういうことなのでー心配しないでー」
「樹理……っ」
そして、何か言いかけたユウキを押しのけ、母親と佐伯の腕を取り、
「まだ陶子さんとか慶先生とかには内緒にしてね? 全部決まったら自分で話すからー」
「樹理………」
「行こー? ママちゃん。佐伯さん」
振り切るように、樹理亜は言い……そして、大人二人を従えるように歩いていってしまった。
「樹理……」
「樹理ちゃん……」
その後ろ姿を見ながら、ユウキと二人で立ちすくんでしまう。
(心配しないで、って言うのなら……)
どうしてそんな、何も写っていないような目でこちらを見ていたんだ……
***
それからユウキと二人で散々頭を悩ませた。
樹理亜が受け入れているのならば、佐伯と会うことを止めることはできない。
でも、あれは本当に樹理亜の本心からの行動なのか? 母親に言われて従っているだけではないのか?
あの、いつもの天真爛漫でくるくるよく動く瞳とはまったく正反対の、空虚な瞳……
あんな瞳をしていて、本当に樹理亜は幸せなのか? でも、オレ達はその心の中をのぞくことはできない……
散々、散々、悩んだ挙句……
「樹理ちゃんの、主治医の先生に相談してみようか……?」
本当はもっと早くに出たはずの結論。長引いてしまったのは、オレが迷っていたせいだ。
そんなことを知らないユウキは目を輝かせて肯いた。
「戸田ちゃんって人? ボクも会ってみたい!」
「連絡……してみるね」
心を決めて戸田さんの携帯番号を押そう……と思ったけれども。
(いや、電話だと出てもらえないかもしれないな……)
迷った挙句、ラインにした。樹理亜のことで相談がある、今、樹理亜の友人のユウキも一緒にいる、ということを簡潔に書き、ブロックされていないか、かなり心配しながら送ってみたところ……
(あ、既読ついた)
ブロックされてなかったらしい。ホッとする。と、
『今、ちょうど駅に着いたところです。どこに行けばいいですか?』
サラリと返ってきた返事にさらにホッとした。
それから約10分後、待ち合わせた新宿駅南口。
現れた戸田さんの姿に、オレは心臓を打ち抜かれたかと思うくらいの衝撃を覚えた。
「戸田さん……」
「お待たせしました」
ライン同様、サラリと答えて微笑んでくれた戸田さん……
いつものあの、鉄壁の守り、みたいなメイクとはほど遠く……
でも、2週間前に見せてくれた、スッピンの少女のような戸田さんともちょっと違って……
(……綺麗だ)
清楚で、涼やかで、気品があって……
なんて……なんて綺麗な人なんだろう。
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お読みくださりありがとうございました!!
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戸田ちゃんイメチェンです。パンダ卒業です。でもヒロ兄を卒業したわけではないと思います。そんなに簡単に卒業できたら苦労しないわな(^_^;)
次回は戸田ちゃんがパンダをやめようと思った話にも触れられればと思っております。
よろしければ、また次回も宜しくお願いいたします!
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