(15の2週間前。14の翌々日から始まります)
2016年2月16日(火)
バレンタインデーの翌々日の火曜日。
昼休みに院長……ヒロ兄がわざわざ私の診察室にやってきた。
「おー戸田ー、イメチェンか?! いいじゃーん」
「院長、セクハラです」
冷たく答えると、近くにいた看護師の西田さんがクスクス笑い出した。
「戸田先生、大変身ですよね~? 今日は朝からこの話題で院内持ち切りです」
「…………」
広めているのは西田さん本人なのに、しゃあしゃあと言ってのける彼女には本当に誰も敵わない。
「クールビューティーって感じですよ?」
「何とでも言ってください……」
私はヒロ兄が院長をしている○○病院には火曜日と木曜日、△△メンタルクリニックには月・水・土で勤務している。昨日もクリニックで同僚や患者さんにまでも散々言われてきた。
ただ、髪を切って、いつものアイメイクを止めただけなのに、そんなに言われるほど違うんだろうか。……違うんだろうな。
「日曜は区役所君とバレンタインデートだったのか?」
西田さんが出て行ったのを見計らって、ヒロ兄は行儀悪く私のデスクに腰かけると、ニヤニヤと言ってきた。
「もしかして、土曜から泊まりか!?」
「だからセクハラだって」
一昨日のことを思い出して、一瞬心臓がぎゅっとなったけれど、何とか冷静に答える。
区役所君、こと、山崎さんとは付き合っているわけではない。付き合ってるわけではないけれど、一昨日、することはしてしまったわけで……。
でも、山崎さんはあの時、ヒロ兄の身代わりをしてくれただけなのだ。ただ、それだけだ。
『ヒロ兄……入れて?』
他の男の腕の中で、そんなことを恥ずかしげもなく言い、矯声を上げていたなんて………
(知ったら、ヒロ兄、なんて言うかな?)
そう思ったら、何かちょっと笑ってしまった。
一昨日……バレンタインの朝、山崎さんが逃げるように帰ってしまった後。
しばらくしてから、シャワーを浴びにいき、あらためて、鏡の中の自分と向き合ってみた。
『………疲れたね』
私の目元、すごく疲れてる。ヒロ兄の奥さんの敦子さんみたいになりたくて、毎日毎日、目が少しでも丸く大きく見えるように、つけ睫毛して、くっきり黒く縁どって。髪の毛も、可愛らしく見えるようにいつもフワフワにしてて。
『ヒロ兄……』
唇を指で辿る。昨晩の、優しくついばむように触れてくれた指を思いだす。大きく包みこんでくれた手のぬくもりを思いだす。……繋がった熱い滾りを思いだす。
『…………』
こんな私を受け入れてもらえた。
なんだろう……心がいつもより軽い。
疑似体験による昇華……といったところか。
だから…………
『もう……いい?』
自分自身に問いかける。
『私、でも、いいかな?』
それから、髪を15センチほど切った。緩めのウェーブをかけていた部分をバッサリと。久しぶりの、鎖骨につかないくらいまでのストレート。そんなに変ではないけど、一応、後で美容院に行ってこよう。
そして仕上げに、切り離されたその髪の毛を、ヒロ兄のために買ったチョコの箱の入っていた紙袋(山崎さんは箱は持って帰ってくれたけれど、袋には気がつかなかったようだ)に入れて、小さく折り畳んで、ガムテープでこれでもかというくらいグルグル巻きにして、
『バイバイ』
ガンッと、生ゴミ用のゴミ箱に叩き入れてやった。敦子さんの真似をしていた自分も捨てられた気がした。
もちろん、そんなことがあったなんて知らないヒロ兄。ヘラヘラと言葉を続けてくる。
「スッピンの方が可愛いとか言われたんだろ? まあ、そんなことはオレが一番よく知ってるけどな。何しろオレは兄として……」
「院、長」
強めに遮る。
「そんなこと言うためにいらしたんですか?」
「ああ違う違う。……はい」
「何?」
手を差し出され、怪訝な顔で振り仰ぐと、ヒロ兄もキョトンとした。
「え? だからチョコ。もらいにきた」
「は?」
もらいにきた?
「一昨日、デートだったからうちに来られなかったんだろ? だから今日渡すつもりなのかな、と思って」
「…………」
「もう何年目だ? 皆勤賞だもんなお前」
一番古い記憶は幼稚園の年長の時だから、それから何年?何十年? もう数えられない。
でも、今年は………
「………。土曜日に女性職員一同で渡してもらったはずですが、来てないですか?」
「それはもらったけど、いつも連名のとは別に……」
「ありません」
「なんで」
ムッとしたヒロ兄。
あなたの奥様に今年からは遠慮してほしいと文句を言われたからですけど?……って言ってやりたいけど、踏みとどまる。
「本当は、一粒千円するチョコ買ってあったけど、院長にあげるのもったいなくて、山崎さんにあげちゃいました」
「なんだとー!? くそー区役所めー!」
「…………」
それはなんの「くそー」だ。
「だって、どうせ京佳ちゃんたちからだってもらったんでしょ?」
「もらったけど、あれだよ、あれ。毎年恒例、手作り『友チョコ』のおこぼれだよ」
「おこぼれ……」
『では、有り難く、おこぼれちょうだいいたします』
真面目な顔をしてそう言った山崎さんを思い出して笑いそうになってしまった。
すると、そんな私の様子を感じとったのか、ヒロ兄がふっと目を細めた。
「お前さ………」
「なに? ……っっ」
ぽんっと頭に置かれた手。大好きな大きな手。……苦しい
「あの区役所君、お前に合ってるよ。今までお前が付き合ってきた男の中で一番いい」
「……そう?」
「敦子も、最近お前が明るくなったって言ってた。幸せな恋愛してるんだろうって」
「………………」
敦子さん……どの口が言うんだ……
ヒロ兄は、あーああ、と大袈裟にため息をつくと、
「お前がチョコくれないの、初めてだよなあ……」
「…………」
「なんか寂しいなあ。花嫁の父の心境だ」
「なにそれ……」
兄になったり、父になったり、忙しいね。
言うと、くしゃくしゃと髪を撫でられた。
「お前、幸せになれよ?」
「……………」
それは無理な相談だ。だって、私が幸せになるには……幸せになるには……
(ヒロ兄……ヒロ兄、やっぱり大好き……)
その想いをぎゅっとぎゅううっと押し込めて、首を横に振る。
「………山崎さんとは、付き合ってるわけじゃないよ」
「え、そうなのか!? 千円チョコやったのにダメだったのか!?」
「ダメっていうか……」
山崎さんは私の気持ちを知っている。そんな人と付き合えるわけがない。無言でうつむいていたら、
「菜美子」
「………っ」
いきなり両頬を包まれて上を向かされ、心臓が跳ね上がる。
「何……」
「…………」
じっと目線をそらさずこちらをみてきたヒロ兄……
また、ふっと笑うと、優しく言った。
「うん、大丈夫。お前かわいい。区役所も絶対落ちる。お前からガンガンいけ」
「………」
バカ。鈍感。無自覚。平気でかわいいとか言うな。
でも………嬉しい。かわいいなんて言ってくれたの、10年以上ぶりだ。
「うん。かわいいかわいい。オレが保障する」
「…………」
そして、ムニムニと頬をつままれた。
一昨日も暗闇の中で、今みたいに頬をつままれた。同じようで違う、器用そうな指……。そう。あの人は、ヒロ兄の身代わりをしてくれただけだ。
***
それから約2週間。
山崎さんからはまったく連絡がなかった。こちらからすればいいのかもしれないけれど、やはり、身代わりをさせただけに、気まずくてこちらからはとても……
(呆れられたかな……)
あの時のことを思いだして、ため息をつく。
(できないなら他の男呼ぶから帰れ、とか言っちゃったもんなあ……)
そう思うと、よくあんなに、あんな風に優しく抱いてくれたものだ。
(そういえば………)
お姫様抱っこも手慣れてた。前戯だってあんなに丁寧で……
(どこが女慣れしてない、だ)
無責任なことを言っていた渋谷先生と桜井氏に頭の中で八つ当たりしながら、帰り道を急ぎ、クリニックの最寄り駅についたところで。
「…………え」
山崎さんからラインが入った。
『樹理ちゃんのことで相談があります。あのストーカーとまだ繋がっているようで……』
『今から会えませんか?』
『樹理ちゃんの友人のユウキ君も一緒です』
「……樹理ちゃん」
すうっと浮かれていた気持ちが引いて、冷たいものに背中を撫でられた気がした。
二往復のやり取りで、新宿で待ち合わせることを決定して、すぐに電車に乗りこむ。
樹理亜は今週末の土曜日に診療の予約が入っている。前回会った時には、目立った異常は見られなかった。
ストーカーと繋がってるって、いったいどういうことだろう……
ストーカーのあのギョロリとした目を思いだして、震えてしまう。…………でも。
「……山崎さん」
待ち合わせの新宿駅南口。
山崎さんの姿をみて、気まずい気持ちよりも、ホッとした気持ちが上回った。
以前ストーカーに遭遇した時、樹理亜と私を迷いなく庇ってくれた、心強い背中を思い出したからかもしれない。
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なんだかダラダラした回ですみません……(え、いつもですか?!)
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