2016年3月1日(火)
『利用できるものは何でも利用する、したたかな女』
昔からよく言われていた。でも、私に言わせれば、利用できるものを利用しないなんて愚の骨頂だ。
と、いうことで。
今回、目黒樹理亜をおびき出すエサに、『山崎さんにバレンタインのチョコをあげたのに、2週間も音信普通にされている』という自虐ネタを使うことには何の躊躇もなかった。実際事実だし。
そして、渋谷先生の手を借りることにも、何の躊躇もなかった。利用できるものは最大限利用しなくては。
翌日、ちょうど火曜日で渋谷先生が休みだったのが幸いした。
樹理亜とユウキには、新宿の居酒屋から直接私のうちに泊まりに来てもらい、翌朝、渋谷先生の迎えの車で、渋谷先生のマンションに行ってもらった。
樹理亜の弱点は渋谷先生だ。ストーカーに関しても「慶先生にだけは言わないで」と一番はじめに言っていた。だからこそ、登場願った。何をしてもらうわけではない。ただ、一緒にいてもらったのだ。
『一緒に掃除してる。今、窓ふきしてるよ』
『一緒にお昼ご飯作ってる。炒飯だって』
『一緒に買い物に行ってくる』
『帰りにDVD借りてきた。こわい映画。夢に出そう』
逐一、ユウキが情報を流してくれる。ユウキの大学は春休み中らしいのでそれも助かった。
樹理亜には、今日一日『日常』を過ごしてもらいたい。『大好きな人』と『自分を純粋に想ってくれる人』と一緒に過ごす日常。それがどんなに幸せなことか実感してほしい。
愛していない人の愛人になって、母親のために自分の店を出す。それがどんなに非日常的なことなのか、どんなに自分の心を傷つけることなのか、想像してもらいたい。
『浩介先生帰ってきた。あいかわらず樹理と喧嘩してて面白い』
ユウキからの最新情報に吹き出してしまう。
そろそろ私も仕事が終わる。仕上げにかからなくては……
***
ピンクピンクズ。樹理亜の母親の店。
ママと女の子二人とボーイ一人しかいない小さな店だ。名前の通り、店内は真っピンクだった。頭痛がするくらい……
カウンターの向こうの樹理亜の母親は、はじめから攻撃的でとりつくしまもなかった。一緒に来てもらった山崎さんも、私の隣の席で固まっている。
「医者なこと鼻にかけちゃって、なにそのお綺麗な格好。こっちとは住んでる世界が違います、みたいにさ!」
「どうせ、金持ちのうちに生まれてチヤホヤされて育ってきたんでしょ?」
「あんた結婚は?子供は?いないの? だったら人の子育てに口出しする資格ないね!」
これでもか、という罵詈雑言。全部聞いてから、一つ指摘をする。
「子育てに口出しするつもりはありません。樹理亜さんは明るくて素直でとても良い子に育ってますから」
「あら……そう」
途端に、攻撃トーンが下がった。ここぞとばかりに追撃する。
「でも、樹理亜さんはもうハタチです。お母様の手を離れても良い年齢だと思うんです」
「それは……」
「一度、樹理亜さんときちんと話を……」
「ああ、ダメダメダメ」
あー、あぶない。危うく流されるところだったー、と樹理亜の母は大袈裟に手を振ると、
「樹理亜にはこれから恩返しをしてもらうの。今まで散々苦労して育ててきたんだから当然でしょ?」
「それはそうですが、恩返しの仕方は樹理亜さんに任せて……」
「あんたねー、女手一つで子供育てるのがどんだけ大変だか分かってんの? 本当に苦労したんだから。その上、樹理亜は不登校になったり、リストカットしたり……あ、ストーカーで警察に捕まったことだってあったしね。ほんと迷惑な子」
「…………」
それはあなたが、樹理亜が小さい頃から、家に男を連れ込んだり、男の相手をさせたり、機嫌によって溺愛したり虐待したりを繰り返したことが原因ですから!と言いたいのをぐっと押さえる。押さえるために、握った手が震えてしまう。……と、
(え?)
急に腕を軽く叩かれ、驚いて振り仰ぐ。隣で固まっていたはずの山崎さんだ。
「すみません……ちょっと、いいですか?」
山崎さんは少し困ったような顔をしてから、樹理亜の母の方に向き直った。
「あの……」
「何よ、あんた? えーと、役所勤めの何とかさんだっけ?」
「あ、はい。山崎、です」
律儀に頭を下げる山崎さんに、樹理亜の母は小馬鹿にしたように言葉を続けた。
「あんたもどうせ、良い大学出て役所勤めになったボンボンなんでしょ? あーやだやだ」
「いえ、大学は出てますが別にボンボンでは……」
「何でもいいわよ。何よ?」
「いや、その……お聞きしたいんですけど……」
山崎さん、なんだか神妙な顔をしている。何を言おうとしてるんだろう……
「何?」
若干イラついた様子の樹理亜の母に促され、山崎さんはボソボソと話し出した。
「あの……私のうちも、私が小学生の時に両親が離婚して、その後、父が失踪したので、母が私と生まれたばかりの弟のことを一人で育てたんですけど……」
「………………え」
樹理亜の母がかき混ぜていたマドラーの手を止め、マジマジと山崎さんを見て…………それからカッとなったようにわめきたてた。
「な、なによ、それなのに、自分の母親はこうして自分を大学までいれてる……って自慢したいわけ!?」
「あ、いえいえ、とんでもない」
山崎さんはブンブン首を振った。
「大学は奨学金で行きましたし」
「じゃ、なによ!?」
「恩返し」
山崎さんが軽く手をあげる。
「やはり、金銭的に恩返ししてほしい、というのが本心ですよね?」
「…………は?」
何言ってんの、この人?という顔をして、樹理亜の母に見られたが、私も同感なので何とも言えない。山崎さんが訥々と続ける。
「私の母は、よく、自分のことはいいからさっさと結婚しろとか、老後の面倒は見なくていい、とか言うんですけど……」
「なによ、やっぱり母親自慢……」
「いえ、本当にそうじゃなくて」
山崎さんはあくまで真面目に言う。
「母のその言葉は本心ではないんじゃないか……と思いまして。やっぱり苦労して育ててきたんだから、恩返しを期待するものですよね?」
「…………」
でも、と首を傾げる山崎さん。
「あの、弟は大学卒業後にすぐ家を出て、それで一昨年結婚して、わりと近所に引っ越してきまして……」
「…………」
「孫の面倒みさせることが恩返しだ、なんて調子のいいこと言って、母に子供預けて嫁さんと一緒に遊びに行ったりしてて、それを母も喜んでいる風ではありまして……」
思い浮かぶ、幸せな家族像……
山崎さんが淡々と続ける。
「だから、母は私に結婚を勧めるのかな、結婚した方が母への恩返しになるのかな、と考える時もあるんです。でも、先ほどのお話だと、やはり金銭的な恩返しは必要ということで。でも、うちの母は口では過度な金銭援助を嫌がってまして……どっちが本心……」
「ああ、もう、うるさい!」
突然、樹理亜の母が叫んだ。
「うるさいんだよ!」
「!」
そして、衝動的に持っていたマドラーを振り上げる………っ
「きゃ……っ」
私の方に飛んでくる……と思いきや、難なく山崎さんがマドラーを取り上げていた。
前も思ったけれど、山崎さんってこういう事態に妙に慣れてる。
樹理亜の母が真っ赤になってがなりたてた。
「何なのよ!やっぱり私のこと馬鹿にしてんじゃないのよ!」
「いえ、決してそんなことは……」
騒ぐ樹理亜の母に対し、山崎さんの柔らかな物腰は変わらない。
「母の本心が知りたいんです。恩返しって何なのか……結婚することが恩返しなのか、金銭的に援助することが恩返しなのか……」
「…………」
「それで、確認させていただきたいのですが」
黙ってしまった樹理亜の母を、山崎さんがスッと真正面から見返した。
「あなたの思う恩返しは、娘さんを金持ちの男の愛人にして、店の改装費を出させ、一生自分のそばで働かせるってことですよね?」
「………………っ!」
バッシャーン!と山崎さんの顔にコップのウイスキーが氷ごと勢いよくかけられた。でも、山崎さん、微動だにしない。
「違うんですか?」
「………………」
それでも冷静……
怒りも何もなく、ただ冷静に、告げているだけ………
「あなたの言うそれが恩返しだとしたら、私にはとても無理だし……」
「…………」
「樹理亜さんがあまりにも不幸だな、とも思います」
「…………」
呆気に取られたような樹理亜の母……
ガタン、と音を立てて、椅子に座った。
「………帰って」
「……………」
「……………」
山崎さんが私を振り返ったので、うなずき、立ち上がる。本当は、もう樹理亜に関わらないでほしい、と言いたいけれど、それは私の言う話ではない。樹理亜が決めることだ。
「……あのさ、山崎さん」
行きかけたところで、樹理亜の母がボソリと山崎さんを呼び止め、おしぼりを投げ渡してきた。
「一番の恩返しはさ………お金の援助してくれて、その上で、孫の顔も見せてくれることなんじゃないの?」
「なるほど……」
おしぼりで顔を拭きながら、山崎さんはやはり真面目にうなずいた。
「子育てと援助の両立は厳しいと思いますが……参考にさせていただきます。ありがとうございます」
おしぼりをカウンターの上におき、山崎さんは軽く会釈した。
樹理亜の母は苦笑いすると、「もう、二度と来ないで」と言い捨て、奥の部屋に入っていってしまった。
山崎さん………どこまでが狙ったセリフだったのだろう。全部が素のような気もする。
……本当に不思議な人だ。
二人で出口に向かったところで、
「なあ、待てよ」
出口側のソファに座っている客に呼び止められた。
「あんた、やっぱり樹理亜の客なんだろ?」
「!」
ギョロッとした目に見上げられ、ギクリとなる。あの、ストーカーだ……
「いえ、友人です」
私が震えたことに気がついたのか、さりげなく山崎さんが背にかばってくれる。
「友人?」
はは、と乾いた笑いを浮かべたストーカー。
「こんなムキになって、弁護士連れてきたり、今度は医者?連れてきたり……、ただの友人にそんなことしねえだろ」
ストーカーがまっすぐ指をさしてくる。
「あんた、樹理亜のこと狙ってんだろ?」
「違います」
山崎さんは軽く首を振り、それから、一瞬、私の方に目線を向けた。
(なに?)
聞き返す間もなく、山崎さんはストーカーに向き直ると………あっさりと、言った。
「オレの好きな人は彼女なので」
「…………」
………………え?
今、なんて…………
「樹理亜さんは彼女の大切な友人なので、オレにとっても大切な友人なんです」
「……あっそ。なるほどな。彼女への点数稼ぎってことか。納得」
ストーカーは鼻で笑うと、興味がなくなったように、グラスを傾けはじめた。
「行きましょう、戸田さん」
「え」
背を向けたまま、手を取られた。力強くぎゅっと握ってくれる、安心できる手………。その手に引かれ、ピンクまみれの店から脱出した。
***
店から出て、駅に向かう細い路地を無言でずんずん歩いていたのだけれども、
「あ!」
いきなり山崎さんが叫んだ。
「す、すみませんっっ。オレ、どさくさに紛れて、手………っ」
「あ」
離されそうになった手を思わず握り返す。
「え?」
「あの………」
キョトンとした山崎さんを真っ直ぐに見上げる。
「本当、だったり、します?」
自分でも、なんでこんなこと言ってるんだろう、と思うけれども、脳の停止をきかず口が勝手に言葉を紡ぐ。
「さっきの、『オレの好きな人は……』って……」
「…………」
長い沈黙の後、山崎さんは、大きく瞬きをして……それから、ゆっくりと「はい」とうなずいた。
「オレの好きな人は……」
繋いでいる手にぎゅっと力が込められる。
「あなたです」
「…………………」
心臓が、音が聞こえてしまうのではないか、と思うくらい波打ちはじめる。
山崎さんの真剣な瞳………
「あなたのことが、好きです」
「………………」
こんな真っ直ぐな告白…………
何を言えば……何を……
山崎さんは目をそらさず、真っ直ぐにこちらを見てくれている……
「でも」
でも、出てきたのは可愛いげのない言葉。
「私、好きな人が……」
「…………はい。知ってます」
ちょっと笑った山崎さん。
「あの、オレ、自分でもおかしいと思うんですけど……」
「…………」
「彼のことを一途に思うあなたのことを、とても愛しいと思っています」
山崎さん……
愛しいって………。でも、でも………
「でも、私、あなたにひどいこと……」
「ひどいこと?」
「ヒロ兄の身代わりをさせて……」
「ああ」
繋いでいない方の手で、頬をかく山崎さん。
「オレなんかでよければ、いくらでも身代わりを………と、言いたいところなんですけど」
すみません、と頭を下げられ、え、となる。
「すみません。さすがにちょっと心が折れまして」
心が折れる?
「傷が癒えたら、また挑戦させてください」
挑戦?
「あ、でも、他の男性に頼られてしまうと、本当に立ち直れなくなるので、そうなるくらいなら、今すぐにでも何とかします」
何とか?
「………………」
「………………」
「………………」
「…………え、と、戸田さん?」
盛大に吹き出してしまい、山崎さんが慌てたように手を離した。でも、離された手をこちらからもう一度掴み、ぎゅっと握りしめ、至近距離から顔をのぞきこむ。
「山崎さん」
「は、はい?」
真っ赤になった山崎さん。
言ってくれた言葉に嘘はないということを信じられる。信じられる人………
「もし、よければなんですけど……」
「はい」
「とりあえず、友達からはじめませんか? 私たち」
「え………」
山崎さんはパチパチと瞬きをして、
「ぜひ、よろしくお願いします」
恥ずかしそうに笑ってくれた。
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お読みくださりありがとうございました!
長文お疲れ様でございます。
この「たずさえて」最大の山場と位置付けていた、樹理母VS山崎を書き終えられてホッとしております。
それから、流される男・山崎の、雰囲気に流されて思わず告白、の回でございました。
(浩介は南ちゃんに背中押されたとはいえ、ちゃんと告白しよう!と決意して告白したもんな~。山崎、ついウッカリ告白しちゃった感満載……)
クリックしてくださった方、見に来てくださった方、本当にありがとうございます!
ものすごくものすっごく励まされております!
よろしければ、また次回も宜しくお願いいたします!
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