2016年4月19日(火)
「それで?」
帰りの車の中、しばらく無言でいたヒロ兄が、ふいに言った。
「ケンカの原因はなんだ?」
「…………え?」
ケンカ? なんの話?
聞くと、ヒロ兄はちょっと笑った。
「区役所君とケンカしたんだろ? それで今日、気まずくてオレのこと誘ったんだろ? バレバレだよ」
「………………」
そういう訳じゃないんだけど……
「区役所君、今日ずっとお前のこと見てたな。かわいそうに」
「………………」
気がついてたけど、普通に話せる自信がなくて無視してしまった。話したら絶対、刺々しくなってた私。
「…………関係ないし」
「関係ない?」
「山崎さんとは、別に付き合ってるわけでも何でもないよ。それなのにケンカなんかしないよ」
「……………」
再び訪れた沈黙……
しばらく走ったあと、ヒロ兄がおもむろにコンビニの駐車場に車を入れた。
「ちょっと便所行ってくる」
「………………」
さっさと降りていくヒロ兄……
女性に対して便所とか言うなバカ。
(ホント、女として見られてないんだよなあ……)
後ろ姿を見送りながらため息をつく。
(まあ、今さらか……。と)
携帯に着信を知らせるランプがついている。……ラインだ。相手は溝部さん。次回の予定の確認だった。
短く返信して、一覧に戻したところ、ふと、山崎さんからのラインの欄の未読の印が目に止まった。2週間前からずっとつきっぱなしの印。未読のまま読むことはできるので、内容は知っている……
「……………」
えいっと押すと、2週間前に送られてきていた2通のメッセージが目に入ってきた。
『今夜、二人で会えませんか?』
『すみません。今夜じゃなくても、明日でも明後日でも、ご都合よろしい時にお時間いただけませんか?』
「…………」
ご都合よろしい時なんかありません。
名前呼びつけの親しい女性がいるくせに。
そういえば、お姫様抱っこも手慣れてた。あんな純朴そうなふりして、実は結構遊んでるんじゃないの?
だいたい、2週間もよそよそしいライン送ってきたのはどこのどいつだっつの。私からの誘いには「4人で」って答えたくせにっ。
「まあ、どうでもいいけど」
だって、私が好きなのはヒロ兄だ。山崎さんなんかどうでもいい。本当に本当にどうでもいい。どうでも……
「お前、顔怖いぞ」
「…………」
戻ってきたヒロ兄……
運転席に座ってから、コンビニで買ってきたらしい缶コーヒーを取りだし渡してくれた。
「……ありがと」
きゅんとなる。やっぱりヒロ兄大好き。こういう小さい気遣いできるとこも素敵。かっこいい。
せっかくきゅんきゅんしながら、コーヒーを飲んでいるヒロ兄の横顔にうっとり見とれていたのに、
「で、区役所になんか言われたのか?」
「……………」
山崎さんのことを掘り返されてムッとなる。
「だから……」
「浮気……はないだろ? あんな真面目な奴に限って」
「そうでもないよ」
思わず言ってしまう。
「あれで結構遊んでるっぽいよ」
「まさかあ」
ははは、と笑うヒロ兄。
「どうみても、真面目が服着てるような奴じゃねえかよ」
「そんなことない」
「あるある。お前男見る目ねえなあ」
「そんなことないもん!」
我慢できなくて叫んでしまった。
「だって、職場の女の人のこと、名前呼びつけにしてた。すっごく近くで見つめ合ったりしてた!」
言うと、ヒロ兄はキョトンとした顔をした後………ぷっと吹き出した。な、なんで笑うの!?
「ヒロ兄っ」
「おま……っお前……」
ケタケタと笑いながらヒロ兄が言う。
「お前、かわいすぎっ」
「………………」
せっかくかわいいと言ってくれてるけど、全然嬉しくない。馬鹿にされてる気がする……
ムッとしている私の横で、ヒロ兄はおかしくてしょうがない、というように、ハンドルに突っ伏して笑い続け……
「お前さあ………」
ようやく顔を上げると、笑いすぎで出てきた涙をぬぐってから、言った。
「お前、ホントにあいつのこと好きなんだなあ」
***
「………………は?」
何て言った? 今………
「だから、本気なんだろ?」
「………………は?」
本気? 何が?
「お前、自分で気がついてないのか?」
「…………何を?」
何を言って……
ふっとヒロ兄の目元が和らいだ。
「お前、山崎のこと本気で好………」
「違うっ」
ゾッと体中に悪寒が走った。
何を……何を言ってる……
ヒロ兄の口からそんな言葉聞きたくない。
「違うっ。全然違うっ」
「………違くないだろ」
「違う」
ぶんぶん首を振る。振りすぎて気持ち悪くなってくる。
「菜美子?」
「違う……違うよ?」
ヒロ兄の腕を掴む。ガッチリした腕。大好きな腕……。
「ヒロ兄……だって私……私」
本当は言ってはいけない言葉。
知ってる。
言ってはいけない。ずっと、我慢してきた。
でも、でも、でも………
「ヒロ兄」
大好きなその瞳を見上げる。掴んだ手に力をこめる。
「私の好きな人はヒロ兄だよ?」
「…………」
「ずっと。18年前に気が付いたときからずっと」
「…………」
大きく瞬きをしたヒロ兄……
「18年前に告白した時、ヒロ兄は笑ったけど……でも、私は本気だったよ?」
「…………」
「ずっと、ずっとずっとずっと……ヒロ兄のことだけが好き」
「…………」
「好きなの」
腕から手を離し、そっとヒロ兄の頬に触れる。ずっと触りたかった。辿りたかった……。想像よりも吸いつくような肌。愛しい頬……
「………菜美子」
すいっとその手を握られた。ぎゅっと掴まれ下ろされる……
「オレは……」
「……………」
ヒロ兄は目をつむると、大きく息をついた。
長い、長い、長い、沈黙の後………
「…………ごめん」
開かれた瞳に写る自分の姿。寄るべない子供のよう……
何がごめん……?
「ヒロ兄……」
「菜美子」
手を離され、その手が、ポンと私の頭にのせられて、条件反射的にキュンとなる。
好き。大好き。
「オレさ……」
「…………」
優しい瞳にぐりぐりぐり頭をなでられ、泣きたくなってきたのを何とか我慢していると、
「ごめん。オレ……知ってたよな」
「え…………」
知ってた……って……
ヒロ兄はもう一度目をつむると軽く首を振った。
「オレ、知ってて知らないフリしてきた……気がする」
「……………」
ヒロ兄の手が、優しく優しく、頭を撫でてくれる……
「ごめんな」
「……………」
「ごめんな、菜美子……」
何がごめん? 何がごめんなの……?
見上げると、ヒロ兄はふっと笑った。
そして、優しい瞳で、言ってくれた。
「オレも、お前のこと好きだよ」
「…………え」
目を瞠る。
息が止まる。
でも、ヒロ兄は再び首を振った。
「でも、それは妹としてだよ」
「…………」
「それ以上でもそれ以下でもない。オレにとってお前は一生大切な妹だ」
「…………」
妹………
「菜美子」
あらたまったように名前を呼ばれる。
「でも、山崎は違うだろ」
「………え」
なんでここで山崎さんの名前を出すの?
「あいつ、今日もずっとずっと、お前のこと見てた。お前のことだけを見てた」
「…………」
「お前だって、あいつのこと好きなんだろ?」
「………やめて」
「さっきのお前の話、あれは確実に焼きもちだよ。好きでもない男に……」
「やめてよっ」
ずっと撫でてくれていた手を思いきり振り払う。
そんな話聞きたくない。
「もう、帰るっ」
衝動的にドアを開けて外にでた。夜の風が頬にあたる。
そのまま駐車場を出て、小走りに車通りの多い歩道を歩きかけたところで、
「菜美子」
「!」
後ろから手を掴まれた。
「離して……っ」
「お前どこいくつもりだ。駅、反対方向だぞ」
「………うるさいっ」
そんなのどうでもいいっ。
手を振りはらおうと力強く腕を振り下ろしたけれど、離れない。ヒロ兄の強い手がしっかりと手首を掴んでいる。
「離してよ……っ」
「離すけど………」
「…………っ」
息が止まる……っ
いきなり引っ張られ、胸に引き寄せられたのだ。
愛おしくて愛おしくて、欲しくて欲しくてたまらなかった、腕の中……
ぎゅっと腰を抱かれ、膝が砕けそうになる。
ごつごつした胸。耳元で聞こえる息遣い………
「ヒロ……っ」
「離すよ」
低い、愛おしい声……
「もう、離すから……」
「ヒロ兄……」
ゆっくり、ゆっくりと頭をなでられる……
離すって……何?
ヒロ兄は再びぎゅっと抱きしめてくれてから、そっと身を離した。
そして、その優しい瞳でこちらを見下ろし……
「だから……お前もオレを逃げ場にすんな」
「逃げ場……?」
何のこと……?
首をかしげると、またポンポンと頭を撫でられた。
「ちゃんと、自分の気持ちと向き合え」
「それは………」
「ほら、帰るぞ? 駐車は20分までって書いてあった」
「え……」
「あーでもその前になんか甘い物食いてえなあ。プリン買おうぜプリン」
「………」
コンビニに引き返すヒロ兄の後ろ姿を見ながら一人ごちる。
「離すって……?」
抱きしめられた感触を思いだす。夢にまでみたヒロ兄の腕……
「自分の気持ちと向き合う……? そんなの……」
そんなの決まってる。私が好きなのはヒロ兄で……
「……逃げ場?」
それが逃げ場だっていうの?
「菜ー美ー子ー。今すぐ来ねーと奢ってやんねーぞ」
「あ……うん」
さっき抱きしめてくれたことなんてなかったかのような、いつものヒロ兄。
私もつられて普通に返事をする。
「私、シュークリームがいい」
「おーシュークリームかーそれもいいなあ」
いつものヒロ兄……
小走りにヒロ兄の元に行き、隣に並んで歩きだす。
自分の気持ちって……そんなの……そんなの、決まってるのに。
ヒロ兄が好き。
ただそれだけだ。それだけなのに………
『あなたのことが、好きです』
ふいに脳内で再生される山崎さんの声……
『彼のことを一途に思うあなたのことを、とても愛しいと思っています』
私は………私は。
***
その週の土曜日……
山崎さんの同級生である桜井浩介氏が定期診療に訪れた。
もう半年間、発作も出ていない。そろそろ卒業してもいいかもしれない。
診療終了時間が近づいてきたところ、桜井氏がおもむろに「あのーーー」とものすごく言いにくそうに、頬をかいた。
「彼には余計なことは話すなって言われてるんですけど……」
「はい」
彼、というのは、桜井氏の長年のパートナーであり、私の同僚でもある渋谷慶医師のことだ。
なんだろう、とカルテを手に振り仰ぐと、
「あの……山崎のことなんですけど」
「…………」
その話か……。ぐっと身構え、カルテをデスクの上に置く。
桜井氏は頬をかいたまま言葉を続けた。
「今日の夜も、うちで山崎を励ます会をやることになってて……」
「励ます会?」
励ますって何のことだ?
眉を寄せたいところをなんとかポーカーフェイスで「なんの話ですか?」と聞くと、桜井氏はますます言いにくそうに、
「あのー……やっぱり、山崎が……その、慣れてないところが問題だったんでしょうか?」
「は?」
慣れてない? 何の話だ?
「あの、何の話を……」
「山崎……女性と付き合うの10年ぶりで……」
「………え」
10年……ぶり?
「あの、そういうことするのも10年ぶりで……」
「………え」
……え?
「緊張してるんだと思うんです」
「………え」
「だからなかなか先に進めないんじゃないかなって」
「…………」
何を……
「あれから結局、何もないんですよね……?」
「え……と」
「そういうとこで嫌になられちゃったのかもしれないんですけど、でもなんていうか男のデリケートな部分と言うか、その……」
「あの………」
「ちょっと、大目に見てやってくれないでしょうか? 何しろ10年ぶりなので……」
「…………」
「山崎、戸田先生のこと、本当に大切に思ってるので……」
「…………」
お願いします、と桜井氏は深々と頭を下げると、勝手に「失礼しました」と出て行ってしまった。まだ、診療終わってなかったのに……
残された私………頭の中がハテナだらけだ。
「10年ぶり……?」
ホントに? あれで……?
「ウソだあ……」
言いながらも、抱きしめることもできない、キスもできない山崎さんを思いだして、笑いがこみあげてくる。
どうりで中学生みたいだったのか……あんな女慣れしてるみたいなくせに……
「は……はは」
一回笑いが声に出てしまったら、止まらなくなってしまった。
10年ぶり……10年ぶり、かあ……
「戸田先生ー?どうしましたー?」
「ご……ごめん。なんでもない……」
看護師の柚希ちゃんが入ってきても、そのまましばらくの間、しつこく笑い続けてしまった。
***
そして、その3日後。26日火曜日。
ヒロ兄の病院での仕事が終わり、病院を出たところで……
「山崎さん……」
「…………」
道路の脇に、ポツン、と立っていた山崎さんが、私の姿に気がつき、ゆっくり、ゆっくりと頭をさげた。
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お読みくださりありがとうございました!
思いの外長くなってしまいました……でも切るに切れず。
次回は山崎視点。「山崎君を励ます会」からはじまります。
今回、ヒロ兄の「離すよ」「もう、離すから……」が書けて感無量でございます。
自分の中ではすごーく大切なシーンだったのですが……伝わってるといいなあ……。
クリックしてくださった方、見に来てくださった方、本当にありがとうございます!
こんな普通の恋愛話に、本当にありがとうございますっっ
よろしければ、また次回も宜しくお願いいたします!
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