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風のゆくえには~たずさえて24(菜美子視点)

2016年09月05日 07時21分00秒 | 風のゆくえには~たずさえて

2016年4月19日(火)


「それで?」

 帰りの車の中、しばらく無言でいたヒロ兄が、ふいに言った。

「ケンカの原因はなんだ?」
「…………え?」

 ケンカ? なんの話?

 聞くと、ヒロ兄はちょっと笑った。

「区役所君とケンカしたんだろ? それで今日、気まずくてオレのこと誘ったんだろ? バレバレだよ」
「………………」

 そういう訳じゃないんだけど……

「区役所君、今日ずっとお前のこと見てたな。かわいそうに」
「………………」 

 気がついてたけど、普通に話せる自信がなくて無視してしまった。話したら絶対、刺々しくなってた私。

「…………関係ないし」
「関係ない?」
「山崎さんとは、別に付き合ってるわけでも何でもないよ。それなのにケンカなんかしないよ」
「……………」

 再び訪れた沈黙……
 しばらく走ったあと、ヒロ兄がおもむろにコンビニの駐車場に車を入れた。

「ちょっと便所行ってくる」
「………………」

 さっさと降りていくヒロ兄……

 女性に対して便所とか言うなバカ。

(ホント、女として見られてないんだよなあ……)

 後ろ姿を見送りながらため息をつく。

(まあ、今さらか……。と)

 携帯に着信を知らせるランプがついている。……ラインだ。相手は溝部さん。次回の予定の確認だった。

 短く返信して、一覧に戻したところ、ふと、山崎さんからのラインの欄の未読の印が目に止まった。2週間前からずっとつきっぱなしの印。未読のまま読むことはできるので、内容は知っている……

「……………」

 えいっと押すと、2週間前に送られてきていた2通のメッセージが目に入ってきた。

『今夜、二人で会えませんか?』

『すみません。今夜じゃなくても、明日でも明後日でも、ご都合よろしい時にお時間いただけませんか?』

「…………」

 ご都合よろしい時なんかありません。
 
 名前呼びつけの親しい女性がいるくせに。
 そういえば、お姫様抱っこも手慣れてた。あんな純朴そうなふりして、実は結構遊んでるんじゃないの?
 だいたい、2週間もよそよそしいライン送ってきたのはどこのどいつだっつの。私からの誘いには「4人で」って答えたくせにっ。

「まあ、どうでもいいけど」

 だって、私が好きなのはヒロ兄だ。山崎さんなんかどうでもいい。本当に本当にどうでもいい。どうでも……

「お前、顔怖いぞ」
「…………」

 戻ってきたヒロ兄……
 運転席に座ってから、コンビニで買ってきたらしい缶コーヒーを取りだし渡してくれた。

「……ありがと」

 きゅんとなる。やっぱりヒロ兄大好き。こういう小さい気遣いできるとこも素敵。かっこいい。

 せっかくきゅんきゅんしながら、コーヒーを飲んでいるヒロ兄の横顔にうっとり見とれていたのに、

「で、区役所になんか言われたのか?」
「……………」

 山崎さんのことを掘り返されてムッとなる。

「だから……」
「浮気……はないだろ? あんな真面目な奴に限って」
「そうでもないよ」

 思わず言ってしまう。

「あれで結構遊んでるっぽいよ」
「まさかあ」

 ははは、と笑うヒロ兄。

「どうみても、真面目が服着てるような奴じゃねえかよ」
「そんなことない」
「あるある。お前男見る目ねえなあ」
「そんなことないもん!」

 我慢できなくて叫んでしまった。

「だって、職場の女の人のこと、名前呼びつけにしてた。すっごく近くで見つめ合ったりしてた!」

 言うと、ヒロ兄はキョトンとした顔をした後………ぷっと吹き出した。な、なんで笑うの!?

「ヒロ兄っ」
「おま……っお前……」

 ケタケタと笑いながらヒロ兄が言う。

「お前、かわいすぎっ」
「………………」

 せっかくかわいいと言ってくれてるけど、全然嬉しくない。馬鹿にされてる気がする……

 ムッとしている私の横で、ヒロ兄はおかしくてしょうがない、というように、ハンドルに突っ伏して笑い続け……

「お前さあ………」

 ようやく顔を上げると、笑いすぎで出てきた涙をぬぐってから、言った。

「お前、ホントにあいつのこと好きなんだなあ」



***



「………………は?」

 何て言った? 今………

「だから、本気なんだろ?」
「………………は?」

 本気? 何が?

「お前、自分で気がついてないのか?」
「…………何を?」

 何を言って……

 ふっとヒロ兄の目元が和らいだ。

「お前、山崎のこと本気で好………」
「違うっ」

 ゾッと体中に悪寒が走った。
 何を……何を言ってる……

 ヒロ兄の口からそんな言葉聞きたくない。

「違うっ。全然違うっ」
「………違くないだろ」
「違う」

 ぶんぶん首を振る。振りすぎて気持ち悪くなってくる。

「菜美子?」
「違う……違うよ?」

 ヒロ兄の腕を掴む。ガッチリした腕。大好きな腕……。

「ヒロ兄……だって私……私」

 本当は言ってはいけない言葉。

 知ってる。

 言ってはいけない。ずっと、我慢してきた。

 でも、でも、でも………

「ヒロ兄」

 大好きなその瞳を見上げる。掴んだ手に力をこめる。

「私の好きな人はヒロ兄だよ?」
「…………」

「ずっと。18年前に気が付いたときからずっと」
「…………」

 大きく瞬きをしたヒロ兄……

「18年前に告白した時、ヒロ兄は笑ったけど……でも、私は本気だったよ?」
「…………」

「ずっと、ずっとずっとずっと……ヒロ兄のことだけが好き」
「…………」

「好きなの」

 腕から手を離し、そっとヒロ兄の頬に触れる。ずっと触りたかった。辿りたかった……。想像よりも吸いつくような肌。愛しい頬……

「………菜美子」

 すいっとその手を握られた。ぎゅっと掴まれ下ろされる……

「オレは……」
「……………」

 ヒロ兄は目をつむると、大きく息をついた。

 長い、長い、長い、沈黙の後………

「…………ごめん」

 開かれた瞳に写る自分の姿。寄るべない子供のよう……

 何がごめん……?

「ヒロ兄……」
「菜美子」

 手を離され、その手が、ポンと私の頭にのせられて、条件反射的にキュンとなる。

 好き。大好き。

「オレさ……」
「…………」

 優しい瞳にぐりぐりぐり頭をなでられ、泣きたくなってきたのを何とか我慢していると、

「ごめん。オレ……知ってたよな」
「え…………」

 知ってた……って……

 ヒロ兄はもう一度目をつむると軽く首を振った。

「オレ、知ってて知らないフリしてきた……気がする」
「……………」

 ヒロ兄の手が、優しく優しく、頭を撫でてくれる……

「ごめんな」
「……………」
「ごめんな、菜美子……」

 何がごめん? 何がごめんなの……?

 見上げると、ヒロ兄はふっと笑った。
 そして、優しい瞳で、言ってくれた。

「オレも、お前のこと好きだよ」
「…………え」

 目を瞠る。
 息が止まる。

 でも、ヒロ兄は再び首を振った。

「でも、それは妹としてだよ」
「…………」
「それ以上でもそれ以下でもない。オレにとってお前は一生大切な妹だ」
「…………」

 妹………

「菜美子」

 あらたまったように名前を呼ばれる。

「でも、山崎は違うだろ」
「………え」

 なんでここで山崎さんの名前を出すの?

「あいつ、今日もずっとずっと、お前のこと見てた。お前のことだけを見てた」
「…………」

「お前だって、あいつのこと好きなんだろ?」
「………やめて」

「さっきのお前の話、あれは確実に焼きもちだよ。好きでもない男に……」
「やめてよっ」

 ずっと撫でてくれていた手を思いきり振り払う。
 そんな話聞きたくない。

「もう、帰るっ」

 衝動的にドアを開けて外にでた。夜の風が頬にあたる。
 そのまま駐車場を出て、小走りに車通りの多い歩道を歩きかけたところで、

「菜美子」
「!」

 後ろから手を掴まれた。

「離して……っ」
「お前どこいくつもりだ。駅、反対方向だぞ」
「………うるさいっ」

 そんなのどうでもいいっ。

 手を振りはらおうと力強く腕を振り下ろしたけれど、離れない。ヒロ兄の強い手がしっかりと手首を掴んでいる。

「離してよ……っ」
「離すけど………」
「…………っ」

 息が止まる……っ

 いきなり引っ張られ、胸に引き寄せられたのだ。
 愛おしくて愛おしくて、欲しくて欲しくてたまらなかった、腕の中……

 ぎゅっと腰を抱かれ、膝が砕けそうになる。
 ごつごつした胸。耳元で聞こえる息遣い………

「ヒロ……っ」
「離すよ」

 低い、愛おしい声……

「もう、離すから……」
「ヒロ兄……」

 ゆっくり、ゆっくりと頭をなでられる……

 離すって……何?

 ヒロ兄は再びぎゅっと抱きしめてくれてから、そっと身を離した。

 そして、その優しい瞳でこちらを見下ろし……

「だから……お前もオレを逃げ場にすんな」
「逃げ場……?」

 何のこと……?

 首をかしげると、またポンポンと頭を撫でられた。

「ちゃんと、自分の気持ちと向き合え」
「それは………」

「ほら、帰るぞ? 駐車は20分までって書いてあった」
「え……」
「あーでもその前になんか甘い物食いてえなあ。プリン買おうぜプリン」
「………」

 コンビニに引き返すヒロ兄の後ろ姿を見ながら一人ごちる。

「離すって……?」

 抱きしめられた感触を思いだす。夢にまでみたヒロ兄の腕……

「自分の気持ちと向き合う……? そんなの……」

 そんなの決まってる。私が好きなのはヒロ兄で……

「……逃げ場?」

 それが逃げ場だっていうの?

「菜ー美ー子ー。今すぐ来ねーと奢ってやんねーぞ」
「あ……うん」

 さっき抱きしめてくれたことなんてなかったかのような、いつものヒロ兄。
 私もつられて普通に返事をする。

「私、シュークリームがいい」
「おーシュークリームかーそれもいいなあ」

 いつものヒロ兄……

 小走りにヒロ兄の元に行き、隣に並んで歩きだす。

 自分の気持ちって……そんなの……そんなの、決まってるのに。

 ヒロ兄が好き。

 ただそれだけだ。それだけなのに………


『あなたのことが、好きです』

 ふいに脳内で再生される山崎さんの声……

『彼のことを一途に思うあなたのことを、とても愛しいと思っています』

 私は………私は。



***


 その週の土曜日……

 山崎さんの同級生である桜井浩介氏が定期診療に訪れた。
 もう半年間、発作も出ていない。そろそろ卒業してもいいかもしれない。

 診療終了時間が近づいてきたところ、桜井氏がおもむろに「あのーーー」とものすごく言いにくそうに、頬をかいた。 

「彼には余計なことは話すなって言われてるんですけど……」
「はい」

 彼、というのは、桜井氏の長年のパートナーであり、私の同僚でもある渋谷慶医師のことだ。
 なんだろう、とカルテを手に振り仰ぐと、

「あの……山崎のことなんですけど」
「…………」

 その話か……。ぐっと身構え、カルテをデスクの上に置く。
 桜井氏は頬をかいたまま言葉を続けた。

「今日の夜も、うちで山崎を励ます会をやることになってて……」
「励ます会?」

 励ますって何のことだ?

 眉を寄せたいところをなんとかポーカーフェイスで「なんの話ですか?」と聞くと、桜井氏はますます言いにくそうに、

「あのー……やっぱり、山崎が……その、慣れてないところが問題だったんでしょうか?」
「は?」

 慣れてない? 何の話だ?

「あの、何の話を……」
「山崎……女性と付き合うの10年ぶりで……」
「………え」

 10年……ぶり?

「あの、そういうことするのも10年ぶりで……」
「………え」

 ……え?

「緊張してるんだと思うんです」
「………え」
「だからなかなか先に進めないんじゃないかなって」
「…………」

 何を……

「あれから結局、何もないんですよね……?」
「え……と」

「そういうとこで嫌になられちゃったのかもしれないんですけど、でもなんていうか男のデリケートな部分と言うか、その……」
「あの………」

「ちょっと、大目に見てやってくれないでしょうか? 何しろ10年ぶりなので……」
「…………」

「山崎、戸田先生のこと、本当に大切に思ってるので……」
「…………」

 お願いします、と桜井氏は深々と頭を下げると、勝手に「失礼しました」と出て行ってしまった。まだ、診療終わってなかったのに……

 残された私………頭の中がハテナだらけだ。

「10年ぶり……?」

 ホントに? あれで……?

「ウソだあ……」

 言いながらも、抱きしめることもできない、キスもできない山崎さんを思いだして、笑いがこみあげてくる。
 どうりで中学生みたいだったのか……あんな女慣れしてるみたいなくせに……

「は……はは」

 一回笑いが声に出てしまったら、止まらなくなってしまった。
 10年ぶり……10年ぶり、かあ……
 
「戸田先生ー?どうしましたー?」
「ご……ごめん。なんでもない……」

 看護師の柚希ちゃんが入ってきても、そのまましばらくの間、しつこく笑い続けてしまった。


***


 そして、その3日後。26日火曜日。

 ヒロ兄の病院での仕事が終わり、病院を出たところで……

「山崎さん……」
「…………」

 道路の脇に、ポツン、と立っていた山崎さんが、私の姿に気がつき、ゆっくり、ゆっくりと頭をさげた。

 



----------

お読みくださりありがとうございました!
思いの外長くなってしまいました……でも切るに切れず。
次回は山崎視点。「山崎君を励ます会」からはじまります。

今回、ヒロ兄の「離すよ」「もう、離すから……」が書けて感無量でございます。
自分の中ではすごーく大切なシーンだったのですが……伝わってるといいなあ……。

クリックしてくださった方、見に来てくださった方、本当にありがとうございます!
こんな普通の恋愛話に、本当にありがとうございますっっ
よろしければ、また次回も宜しくお願いいたします!

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