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『お母さんには、卓也しかいない』
オレも小学生の時に、一度だけ言われたことがあるんです。
母は弟を出産したばかりで、気持ちも不安定だったんだと思います。父が離婚届けを置いて出て行った直後のことでした。
『卓也はずっとお母さんと一緒にいてくれるよね?』
縋られ、両腕をぎゅっと、痛いほど強く掴まれて………それで、オレも言ったんです。
『僕がお母さんのことも誠人のことも守るから』
10歳の誓いの言葉でした。
「…………」
ここまで聞き、出会った時から時折感じていた、暗い影の原因はこれだったのか……と合点がいく。
両親の離婚により植え付けられた愛情に対する不信感。母親を支えなくてはならないという重圧。
以前、山崎さんが、小中学生の時に時刻表を見ながら架空の旅に出ていた、という話をしてくれたことを思い出した。
『そうやって電車を乗り継いでいくと、いくらでも遠くに行けるんですよ』
『自分の知らない場所………知っている人のいない場所』
子供には重すぎる覚悟。あの切ない色は、やはり、呪縛、だったのだ。
「あれから30年以上経ちますが、母とこの話をしたことは一度もありません」
山崎さんは、淡々と話し続けてくれた。
でも、母はきっと、おれにそう言わせてしまったことを後悔してるんだと思います。だから、ここ数年、オレにうちを出ていくことを勧めはじめたんじゃないかな、と……。
オレには、樹理ちゃんが自分の身を削ってまで、母親の力になろうとした気持ちも、よく分かるんです。だから、樹理ちゃんが母親の願いを断ったことはとても勇気のいることだったと思うし……、それに対してものすごい罪悪感を抱いていたということも想像はできます。
今、オレはもういい大人なので、あの時そう言った母の弱さも分かるし、自分で気持ちの折り合いをつけることもできます。でも、今の樹理ちゃんの年齢のころに、母親から拒絶の言葉を言われていたらどうなっていたか……
母親には自分しかいない、ということは、ある意味自分の支えにもなっていたと思います。
でも、それなのに、母親から拒絶されたら、どんなにショックだっただろうって……
「…………」
やはり、私は主治医失格だ。樹理亜の気持ちを分かってあげているつもりで、全然分かっていなかった。なんて未熟なんだろう……
母親と引き離すことが彼女のためになると信じていた。実際、母親と離れて暮らすようになってから樹理亜はずっと落ち着いていた。でも、樹理亜の母に対する愛情……呪縛は、私が考えているよりも深かったということだ。どうしたら、彼女に教えてあげられるのだろう。あなたの人生はあなたのものなのだと。母親に左右されるものではないのだと……
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「はい、終わりました」
ドライヤーの音が止み、再び室内に静寂が訪れた。
「………」
体をソファーの上までずらし、山崎さんの足の間にトンと座る。「え」とか「わ」とかいう言葉を発した山崎さんの手を掴み、自分のお腹の前に持ってくる。後ろから抱きしめられる形。ふんわりと後ろから包み込まれて、安心する……
「すみません……オレ、さっき、色々余計なこと言いましたよね」
頭の後ろでぼそっと言われた言葉にブンブン首を振る。
「そんなこと、ないです。話してくださってありがとうございます」
「でも……」
「あの」
何か言いかけた山崎さんの手を上からキュッと握って遮る。
「少し……疲れました」
「……お休みになりますか?」
耳元で聞こえる声にコクンと肯く。
そして、再びきゅっきゅっきゅっと手を握る。安心できる大きな手。我儘を聞いてくれる手。
甘えさせてほしい。
「山崎さん……お願いがあります」
「はい。なんなりと」
優しい声。息が耳に触れる。きゅんとなる。
「あの……、眠るまでそばにいてくれませんか?」
「え……でも」
山崎さんの戸惑ったような声。
「鍵が……」
「寝室のクローゼットの右上の引き出しに、スペアキーがあります。持っていていただけますか?」
「………」
ギュッと強く抱きしめられてから、横抱きに抱えあげられた。お姫様抱っこ、だ。本当は幸せを感じる瞬間なはずなのに、嫉妬心の方が先に来てしまう。
(……やっぱり慣れてる)
前の時も思った。山崎さん、妙に慣れてる……
頬を膨らませながら、文句じみた声で言ってしまう。
「お姫様抱っこも慣れてますよね」
「え」
山崎さん、ビックリしたような顔をしてこちらを見てから「ああ」と肯いた。
「団地の上の階のおじいさんの介護のお手伝いをすることがあるんです。今は介護の現場では腰痛防止のためにお姫様抱っこは原則禁止されてるらしいんですけど、オレはそう頻繁にするわけじゃないので、つい……」
「…………」
おじいさん………だけ?
「今までの彼女にしてあげたことは……」
「ないですよ」
あっさりいって、優しくベッドに下ろしてくれた山崎さん……。
ドライヤーのことは「忘れました」だったのに、今回は「ないですよ」だ。本当にないんだ……ちょっと、いや、すごく嬉しい。
布団をかけてくれ、イイ子イイ子、と子供にするように頭を撫でてくれる。
(ああ……なんて)
なんて幸せ。この優しさにどっぷりと浸かって、そのまま出て行きたくなくなってしまう。でも………
(樹理……)
虚ろな目をしていた樹理亜……
『仕事とプライベートはキッチリ分けろ。お前にはお前の人生があるんだからな』
ヒロ兄の声が脳内に響きわたる。でも……でも。
(それでも、私は、樹理亜を助けたい)
そうでなけば、医者になった意味がない。
元々、ヒロ兄のそばにいたくて選んだ道。でも、今はもう、私の存在意義だ。
「………」
ベッドの端に座り、頭を撫で続けてくれている山崎さん……優しい、優しい山崎さん……
ここは居心地がいい。とっても居心地がいい。
だから、このままここにいてはダメだと思う。
「……山崎さん」
「はい」
彼の微笑みを見て、今さらながら確信する。
私はこの人が好きだ。この人と一緒にいたい。
だから、だから……
「我儘を言ってもいいですか?」
「はい。もちろん」
肯いてくれた山崎さんに、静かに、お願いする。
「しばらく……二人きりでは会わなくてもいいですか?」
「…………」
手を止め、目を見開いた山崎さん……
しばらくの沈黙の後、こちらを見ていた瞳が、ふっと和らいだ。
「いいですよ」
優しく優しく頭を撫でるのを再開してくれる。
「………」
何も聞かないでくれる……でも、そこまで甘えてはいけない……
「私……仕事もちゃんとしたいんです」
「…………」
「両立できる自信がつくまでは……」
「はい」
山崎さんは、にっこりとうなずいて、
「待ってます」
額にそっと口づけてくれた。
そのまま、優しい優しい手に包まれながら、私はゆっくりと眠りに落ちた。
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お読みくださりありがとうございました!
本当は昨日ここまで載せるつもりでした。
このあと、山崎も山崎で、菜美子の寝顔を見ながら、この機会にお母さんとちゃんと話さないとな……とか思っておりました。
各々、問題解決して、最終回に向かって……くれるはず!くれないと困る!
ちなみに。どうでもいいことですが、山崎君、昔の彼女にお姫様抱っこはしたことありませんが、普通の抱っことオンブはしたことあります。聞かれなくて良かったね(^_^;)
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