2016年5月23日(月)
私は恋のはじまりにバカみたいに浮かれていて、周りが見えていなかった。
もしかしたら、そうでなくても、今回のことは防ぐことはできなかったのかもしれない。
でも、それでも、私はこんな私のことが、どうしても許せない。
前日、日曜日……
山崎さんが私の実家に挨拶にきてくれた。
まだ5月下旬なのに30度近くまであがった夏日の中、山崎さんはキッチリとしたスーツ姿……。本当に、これぞまさしく「ザ・公務員」。
娘の交際相手としてかなりの好印象だったようだったようで、母はこちらが恥ずかしくなるほどはしゃいでいた。はじめは仏頂面を作ろうとしていた父も、お土産の素敵な赤い箱に入った月餅を見た途端、笑顔になってしまった。父は甘いものが大好きなのだ。
途中から、「家でダラダラしていて暇だった」というヒロ兄も加わって、男三人はヒロ兄が持参した日本酒を飲みはじめた。父と山崎さんの2人きりでは間が持たないと判断した母が、気をきかせて呼んだようだ。
「あまり飲みすぎないでよ?」
「わーってるわーってる」
気軽に手を振るヒロ兄。……いつもだったら「うるせえなあ」とか言いながら、頭をポンポンとしてくれるのに、それはなかった。考えてみると、この一か月……山崎さんと付き合うことになったころから、ヒロ兄にスキンシップを取られることがなくなったように思う。
『もう、離すから……』
夜のコンビニの駐車場の近くで、そういって抱きしめてくれたヒロ兄……。
あれは、幼い頃からずっとそばにいてくれた兄という立場から、私を手放す、という意味だったのかな、と思う。
正直に言うと、まだまだ、まだまだまだまだ、ヒロ兄の姿をみると心が疼く。それはそうだ。18年も想い続けてきたものが、一朝一夕で無くなるわけがない。
でも、それを少しずつ上書きするように、山崎さんの存在は私の中で大きなものとなっている。
正式にお付き合いをする、となった直後に、友人と海外旅行に行ったのも良かったのかもしれない。8日間、日本を離れ、日常を離れ、今までのことにリセットボタンを押されたような感覚になり……
『国大出身の公務員? なんか堅いね~。菜美子に合ってる~』
『今度紹介してよー?』
友人達も手放しで喜んでくれた。今までヒロ兄のことを友達に話したことはなかったし、歴代の彼氏もヒロ兄に似てるという理由で付き合っていたので、後ろ暗くて自分から話すことはなかったため、恋の話を遠慮なくできるということも新鮮だった。
山崎さんは私に自信をくれる。愛情をくれる。安心をくれる。包みこむように優しく守ってくれる……
母も30過ぎた娘がようやく連れてきた彼氏が、真面目な好青年であることにホッとしているようだった。
「いい人見つけたわね、菜美子。やっぱり真面目な人が一番よ。お父さんもそうでしょ?」
そう言われて、初めて気がついた。そういえば、父と山崎さん、なんとなく似てる。顔じゃなくて真面目な雰囲気が……
「やっぱり親子だから趣味が似てるのね、私達」
母が嬉しそうに言ったのが印象的だった。
結局、山崎さんは引きとめられて、夕飯まで食べていった。父も、帰り際に山崎さんに「まだ遊びにきなさい」と何度も言っていて……相当気に入ったらしい。
「今日はありがとうございました」
帰ろうとしたのを半ば無理矢理誘って、マンションの部屋に上がってもらい、日本茶を出しながらお礼の言葉を言うと、「こちらの方こそありがとうございました」と、深々と頭を下げられた。
「素敵なご両親ですね。戸田さんが愛されて育ったっていうのがよく分かります」
「そうですか?」
そんなに甘やかされてるように見えただろうか。
「オレは父がいないので……ご両親のような仲の良い夫婦って憧れます」
「………」
山崎さんのご両親は山崎さんが小学生の時に離婚した、と聞いている……
ふっと伏せた瞳が寂しそうで……話題を逸らすことにする。
「母が、山崎さんと父が似てる、といってました」
「え……」
キョトン、とした山崎さん。
「私も言われて気が付いたんですけど、真面目なところとか……似てるかもしれません」
「そう……なんだ」
「はい」
テーブルの向かい合わせの位置から、そそそっと山崎さんの隣に移動する。途端にビクッとなる山崎さんがかわいらしくてしょうがない。
「母が、親子だから趣味が似てるって言って」
「趣味?」
「男性の趣味、です」
「え」
手にそっと触れると、山崎さんの頬がみるみる紅潮していく。ホント、かわいい。
じっと下からその瞳を見上げて、ささやく。
「親子だから好きな人も似ちゃうみたい」
「え………」
初めて、好きって言葉を言ってみた。
予想通り、目をみはった山崎さん……
「今、戸田さん……」
「はい」
「好き……って?」
「はい」
「…………」
「…………」
山崎さんが大きく瞬きをして……
遠慮がちに、繋いでいない方の手が頬に伸びてきて……
そして、見つめあい………
唇が、おりてきた。
そっと……そっと、優しく触れる唇………
(ああ………)
私は愛されてる……
触れたところから伝わって来る、溢れる想い……嘘のない愛情……
一度唇が離れ、再び見つめあう。いつもとは違う情熱的な色を纏った光……
頬を囲まれ、上を向かされ、そして………
と、思ったら。
「あ」
山崎さんが慌てたように、両手を上げ、身を引いた。
「え?」
今度はこちらがキョトンとなる番だ。
「何……」
「日本酒」
バタバタと手を振る山崎さん。
「すみません、日本酒が残ってて……」
「え」
そういえば、父とヒロ兄と3人で結構な量を飲んでたな……
「せっかくの初めてのキスが日本酒の味なんて、悔やんでも悔やみきれません」
「初めての……キス?」
人指しで山崎さんの唇に触れ、首をかしげる。
「今したのは? キスじゃないんですか?」
「あ、いや……そのっ」
先ほどよりも、もっと更に真っ赤になった山崎さんが、本当に本当にどうしようもなくかわいすぎる。
「あの、なんというか、その……」
「大人のキス?」
言うと、コクコクとうなずいた山崎さん。
「そう、です」
「じゃあ……」
つつつ……と指で唇を辿り、にっこりと言う。
「子供のキスでいいので、もう一度してください」
「え!?」
「して、ください」
目をつむって、少し上を向き、待っていると、そっと再び頬を囲まれた。そして……
(……………)
思わず、微笑んでしまう。おでこに軽いキス。そして……
「…………っ」
ぎゅうっと抱き締められ、息が止まりそうになる。なんて幸福感………
「山崎さ………」
「あまり煽らないでください」
耳元で優しい声がする。
「大切にしたいんです。勢いとか、そういうことじゃなくて……」
「………………」
一度、体を繋げたことはあるのにね。
でも、だからこそ、一番はじめから、ゆっくりと、大切に……
「……真面目だなあ」
笑いながら言うと、山崎さんも「すみません……」と言いつつ、笑いだした。耳元に響く声。温かい胸……
背中に手を回し、こちらからもぎゅうっと抱きしめる。
「でも、山崎さんのそんなところも、好きです」
「…………っ」
息を飲んだのが分かった。ホント、素直。そんなところもかわいくて好き。
「だから、煽らないでって……」
「ごめんなさい」
困ったように言う山崎さんがかわいくてかわいくて、ますます強く抱きついた。
こんな幸せな恋愛、初めてだ。
山崎さんが終電ギリギリに帰っていってから、すぐにお風呂に入った。帰宅報告の電話を取れないと嫌だからだ。
「………あれ」
上がってきてから、バッグに入れっぱなしだった携帯を取りだして、着信履歴に気が付いた。
目黒樹理亜からだ。
実家からマンションに帰ってくる間の電車の中で鳴っていたらしい。山崎さんと一緒だったので、携帯を確認するという作業を一度もしなかったため、まったく気が付かなかった。2時間半前の着信だ。
「?」
もう12時を過ぎているけれども、かけてみる。アルバイト中だろうか? かかってはいるけれども、出る気配がない……
『電話気がつかなくてごめんね。何かあった?』
ラインをしてみたけれど、なかなか既読がつかず……一時間近く経ってからようやく、
『ごめーんなんでもなーい』
という文章と『おやすみ』のウサギのスタンプがきたので、こちらも眠っているパンダのスタンプを送り返した。
(……何だったんだろう?)
気にはなったものの、その直後に山崎さんから電話がきたので、樹理亜のことは頭の隅に追いやられてしまった。
そして、月曜日……
「先生、何だかお肌ツヤツヤですねー。やっぱり良い恋してる人は違うなー」
看護師の柚希ちゃんにからかわれるくらい、私は浮かれていたらしい。仕事中は冷静でいるつもりだけれども、休み時間に少しだけ山崎さんとラインでやり取りをしたりして、顔のニヤニヤがとまらなくて……
(……幸せだな)
結婚したら、こんな日が毎日続くのかな……
そんな浮かれたことを考えながら、あっという間に一日が過ぎ……、帰宅の途についた18時過ぎのことだった。
「……樹理ちゃん?」
また、樹理亜からの着信だ。ちょうど駅に着いて電車を待っていたところだったので、今回はタイミングよく電話に出られた。
『戸田ちゃん?』
「……? ユウキ君?」
樹理亜の携帯なのに、電話の向こうは樹理亜の友人のユウキ君で……
「………」
途端に背筋にひやっと冷たいものが走る……
樹理亜に何か……
「ユウキ君、どうし……」
『戸田ちゃん、今から病院こられる? 慶先生の病院』
「……え」
血の気が引いていくのが分かった。病院……病院って……
嫌な予感の通り……ユウキがそのセリフを言った。
『樹理が、手首切った』
「………っ」
ぐっと心臓が痛くなり胸を掴む。
ああ……樹理……
リストカット常習者だった樹理亜……せっかくずっと治まっていたのに……
『命に別状はないんだけど、精神的にちょっと……悲しいけどボクは役立たずで』
「…………」
『慶先生も仕事終わり次第すぐ来てくれるみたい』
「…………」
『だから戸田ちゃんも』
ユウキの切実な声に何とか「すぐ行く」と答えて電話を切った。
樹理、ごめん。ごめんね、樹理……
どうして、昨日、気がついてあげられなかった?
どうして、今日、気にしてあげられなかった?
樹理亜は私に連絡、くれていたのに……
「主治医失格だ……」
浮かれていた自分を全力で殴りたい。
病院に移動する最中、山崎さんからラインが入った。
でも、見なかった。見れるわけがない……。
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お読みくださりありがとうございました!
恋愛に浮かれていた戸田ちゃん……
仕事と恋愛の両立っていうのも難しい問題で(>_<)
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こんな普通のお話に……本当に感謝感謝でございます。
今後ともよろしければ、どうぞよろしくお願いいたします!
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