薄く暗い病室の中……
目黒樹理亜はベッドに寝そべり、点滴をしていないほうの手で、何もない宙を掴もうとしていた。その瞳は何も写さず、ぼんやりとしている………
「樹理ちゃん……」
その手を握ったが………
まるで、私の手などないかのように、何かを掴もうとする動作をやめない樹理亜……
「戸田ちゃんでもダメかあ……」
ユウキががっかりしたように息をついた。ユウキも同じ状況らしい。
「あー、やっぱり奴か……奴じゃなきゃダメなのか………」
ユウキがブツブツ言いはじめたところで、病室のドアが軽くノックされ……
「あれ? 戸田先生?」
渋谷慶先生が入ってきた。白衣を着ているのでさらにイケメン度があがっている。
軽く会釈して、ユウキと共に病室の端に下がる。入れ代わりに渋谷先生が樹理亜の枕元に行き……
「……目黒さん? 大丈夫?」
先ほどの私と同じように、手を握った。すると、その手はピクリ、として………
「…………あ」
焦点の合っていなかった瞳に色が灯ってくる……
「慶先生……」
「………………」
わずかに笑った樹理亜………
なんでなんだろう……
(悔しい………)
私の方が、樹理亜との付き合いは長いのに……
「悔しいなあ」
「……っ」
心の中を読まれたかのような発言に振り返ると、ユウキが口を尖らせていた。
「なんで慶先生なんだろうなあ……。やっぱ手が熱いからかな」
「え?」
手が、熱い?
「慶先生って体温すごく高いんだって。手もいつも温かいって、浩介先生が言ってた」
「そう……なんだ」
「あのオーラも体から発する熱量のせいかなあ、なんて思ってるんだけど。まあ、もちろんイケメンってことが一番の理由だろうけどさ」
「…………」
そうであっても………
樹理亜の壁を壊すことのできる渋谷先生が羨ましい……
「………えーと? なんだっけ? あたし、どうしたんだっけ?」
「樹理っ」
ボソボソと言う樹理亜の声に、ユウキがすっ飛んでいく。
「樹理、大丈夫?」
「ユウキ……」
「覚えてない? 一緒に救急車乗ってきたんだよ?」
「救急車?」
樹理亜はぼんやりしたままだ。
「ユウキ君、まだ……」
無理させないで……と言いかけたところで、再びノックの音がして………
「ヒ………、院長?」
おどろいたことに、ヒロ兄が顔を出して、チョイチョイと手招きをしている。こんな時間にくるなんて珍しい……
「なんですか?」
促されるまま、人気のないエレベーターホールの前までくると、ヒロ兄が渋い顔をして、言った。
「お前、何でここにいるんだ?」
え?
質問の意図が分からず、眉を寄せると、
「西田さんが気にしてオレのとこに報告にきたぞ」
「え」
「お前、今日はこっちの勤務じゃねえだろ。契約外労働したって金払わねえぞ。さっさと帰れ」
「あ……」
そういうことか。
「いえ、目黒樹理亜さんの友人から、こちらに運ばれたって携帯に連絡があって、それで……」
「なんで、一患者が担当医の個人連絡先を知ってる?」
「…………」
グッと詰まる。ヒロ兄、院長の顔だ……
「前にも、患者に個人的に関わり過ぎるなと注意したよな? 忘れたか?」
「……………」
ずっと前に言われた……けど……
「勤務時間を過ぎたら患者のことは忘れろ。そうでないと、神経が持たないぞ」
「………………でも」
「でも?」
ピクリと頬が動いた。まずい。本気で怒る前兆だ。でも、これだけは言わせて。
「目黒さんは患者なだけでなく、個人的な友人、です。ので……」
「だったら面会時間は8時までだからな? それ以上残ることは許さない」
「…………はい」
おとなしく頭を下げる。
院長の言うことは分かる。でも、そうは言っても、どうしても踏み込まざるえない患者は出てきてしまう。目黒樹理亜はその最たる患者だ。彼女は人との繋がりを欲している…
……
「戸田先生」
あらたまったように名字を呼ばれ、ドキッとする。院長が腕組みをとき、淡々と話しはじめた。
「オレには患者を守る責任もあるが、ここで働く職員を守る責任もあるんだよ」
「…………」
「今回の件は、二十歳の女性が手首を切って救急車で運ばれてきて、外村先生が処置をし、一晩入院という判断をした。明朝、心療内科の戸田先生には予約診療のはじまる前にみてもらうようにする。ただそれだけのことだ」
「…………」
「医者が何でもできると思うな。そんなのただの驕りだぞ? 患者の人生に入り込み過ぎるな」
「…………」
でも……、でも、でも……
唇を噛んで再び下を向いていると、
「菜美子」
ヒロ兄の顔に戻ったヒロ兄に、耳元で小さく言われた。
「仕事とプライベートはキッチリ分けろ。お前にはお前の人生があるんだからな」
「…………」
「せっかく良い奴つかまえたんだから、自分の幸せ考えろよ」
「…………」
「明日、医者の顔して出直して来い」
ヒロ兄は、ぽんっと私の肩を叩き、階段を上っていってしまった。
「………でも、ヒロ兄……」
叩かれた肩をつかみ、うつむいてしまう。
樹理亜は私に連絡くれたんだよ……それなのに……それなのに……
それから、樹理亜の病室に戻り、面会時間終了まで四人でゆっくり話をした。
そこで初めて知った。
樹理亜が今一緒に暮らしている陶子さんと、その姪であるララという少女が、ララの母親を探すために、長期でうちを空けることになり、5日ほど前から樹理亜は一人で暮らしているそうなのだ。店も臨時休業しているためアルバイトもなく、誰にも会わない日々が続いていたそうだ。
「ミミも入院中だからさ……」
その上、飼い猫のミミまで具合が悪く入院しているそうで……タイミングが悪い。
昨日の夜、誰かと話したくて、渋谷先生に電話をしたけれど通じず、次に私に電話したけれどもやはり通じず……。でも、後から渋谷先生から電話があり、長電話をしたらすっきりして、もう大丈夫、と思って眠ったそうだ。
でも、明け方、怖い夢を見て飛び起きてしまい、そのままずっと不安な気持ちがおさまらなくて……
「それでママちゃんに電話したの。だって、慶先生はもうお仕事の時間だったからさ」
「………………」
そこで頼ってしまうのが、やはり母親になってしまうのか………
でも、そこで電話先の母親から発せられたのは、罵詈雑言の数々だった………
「お前なんかいらないって………」
そうしたら、いつものあの厚い壁に覆われて息ができなくなって、苦しくて苦しくて………。そこから抜け出すために手首を切ったの………
淡々と話しながらも、言葉の隅々が震えている樹理亜。渋谷先生がその手を再び包み込むと、安心したように微笑んだ。
「……………」
私には与えることのできない笑顔……
樹理亜の異変にも気がついてあげられなかった。樹理亜の壁を溶かすこともできない……
「……ショックだなあ」
8時になり、一緒に病室を出たユウキがボソッと言った。
「樹理が辛いとき、連絡したいリストにボク入ってないんだなあ……」
ユウキは今日の午後、樹理亜の携帯が通じなくなったことに不安を感じ、マンションを訪れ、血まみれで倒れている樹理亜を発見したそうだ。
「樹理さあ、うわ言みたいに、慶先生慶先生って言っててさ……」
好きだからしょうがないのかなあ……でも悔しいなあ……
ユウキはブツブツ言いながら、「じゃあね」と走って行ってしまった。もうアルバイトの時間なのだそうだ。陶子さんのお店が休みのため、別の短期バイトをしているらしい。
『うわ言みたいに、慶先生慶先生って……』
「………………」
ユウキの言葉を思いだし、ため息が出てしまう。
私は二年前に出会って以来、ずっと樹理亜に寄り添ってきたつもりだ。
でも……結局、リストカットの回数か激減したのは、渋谷先生と出会ってからだし、一年前、あの母親から樹理亜を引き離したのも、渋谷先生と桜井氏だ。おかげで樹理亜は樹理亜らしさを取り戻した。
『好きだからしょうがないのかなあ……』
そうかもしれない。そうかもしれないけれど………
(じゃあ私って何なんだろう……)
結局、樹理亜にとって私という存在はなんなのだろう……
打ちのめされた気分で病院を出たところで、
「戸田さん」
優しい、優しい声に立ち止まった。
病院の看板の下…………山崎さんが佇んでいる。
「峰先生から迎えにくるように、と連絡をいただきました」
ヒロ兄が………
「大変、でしたね」
「………………」
こらえていた涙が出そうになり、上を向く。
樹理亜の壁を溶かすのが渋谷先生であるように、私をただの一人の女の子にしてしまう特別な人は、山崎さんだ。
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昨日、『幸せな誕生日・後編』の最後に写真を加えてみました。空以外イメージ通りに撮れました。お時間ある方、よろしければご覧くださいませ(*^-^)
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おかげさまで、この『たずさえて』ももうすぐ最終回……
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