2016年5月29日(日)
『しばらく……二人きりでは会わなくてもいいですか?』
そう戸田さんに言われてから、明日で一週間になる。
この一週間、まったく連絡を取らなかった。来月に迫った須賀君達の結婚式の二次会の幹事の件も、戸田さんとオレが担当した原稿は出来上がっているので、あとは前の週の会場での直前打ち合わせを残すのみとなっている。だから、二次会幹事のライングループでのやり取りすら一切なかった。
「…………」
待ってます、とカッコつけて言ったものの……
(いつまでだろう……)
これ、そこそこの期間あけたら、オレから連絡した方がいいのかな……いや、でも、彼女の決意を揺るがせるようなことは……
(…………)
キーケースを開ける。自宅の鍵の隣に並んだ戸田さんのマンションの鍵……
(合鍵……)
合鍵をくれた。『好き』って言ってくれた……
『山崎さんのそんなところも、好きです』
……好きですって。好きです……好き……
「うわっ」
1歳8か月の甥の翼に抱きつかれ、我に返った。翼はお喋りで活発だった弟とは反対に、わりと大人しくて扱いやすく、それでいて人懐こいので、誰からも愛されるタイプの子供だ……と思うのは伯父馬鹿だろうか。
「にーちゃっ」
座っているオレの腕をグイグイ引っ張ってくる翼。昨日の夜から泊まりにきていて、これから帰るそうだ。
「車出そうか?」
翼を抱きあげて、帰る用意をしている母に声をかけると、
「ううん。散歩がてら歩いてく。それより、ねえそれ」
キーケースを指さしながら母がニヤニヤしている。
「なに?」
「いやー鍵が一つ増えてるなーと思って♪」
「…………」
「彼女のうちのでしょー?」
「…………」
妙に嬉しそうな母……
母と話しをしなくてはと思いながら、結局話せていない……
「………。オレも一緒にいくよ」
「そう?」
翼に靴を履かせながら決意する。
今日こそ話そう。近々このうちを出て、一人暮らしをしようと思っていることを……
**
弟のうちまでは、大人の足で歩いて20分ほどかかる。はじめは頑張って歩いていた翼も、案の定、すぐに「抱っこ抱っこ」で、結局抱っこするはめになった。
振動が心地よいのか、うつらうつらしはじめた翼……
「うわ、翼、寝るつもりか? 寝ると重くなるんだよなあ」
「オンブにする?」
「うん。その方が楽」
翼を背中に移す。落ちないように、母に後ろから支えてもらいながら、再び歩きはじめる。
「昔よくこうやって誠人をオンブしながら歩いてくれたわよね」
「…………そうだね」
オレは小学校高学年の時にはもう母と背の高さはたいして変わらなかったので、10歳年下の弟をよくオンブしていたのだ。
「あんたには本当に苦労させたわね」
「………別に苦労なんかしてないよ」
苦労したのは母だ。小学生のオレと生まれたばかりの弟を一人で育てなくてはならなくなった時の母の気持ちを思うと……
「今の彼女は? どんな人なの?」
「………………」
明るく聞いてくる母。大変だっただろうに、記憶の中の母も笑顔なことが多い。
「………。綺麗な人だよ」
「そう。卓也って面食いよね。前の彼女もすごい美人だったもんね? 」
「…………」
実は、10年前に付き合っていた彼女と戸田さんは、性格は全然違うけれど、容姿が少し似ている。それを知ったら、戸田さん、すごく不機嫌になりそうだ。
戸田さんが非常に嫉妬深い、ということは、この2ヶ月弱で思い知った。そんなところも、クールな容姿とのギャップで可愛いのだけど……
なんて、一週間前の頬をふくらませた戸田さんを思い出してニヤつきそうになっていたところ、
「ねえ……卓也」
母が言いにくそうに口ごもった。
「前の彼女との結婚はやっぱり私が……」
「違うよ」
母の言葉にかぶせて言い切る。
(やっぱり、そうなんだ)
母が前の彼女とオレが別れたのは自分のせいだと思っていると、弟が言っていたのは本当のようだ。ちゃんと話さなくてはと思っていたからちょうど良い機会だ。
「でも」
「ダメになったのはオレのせい」
母のことで仲違いをしたのは事実ではあるけれど、でも、それだけが原因ではない。
「オレに覚悟がなかったから」
「覚悟?」
怪訝そうに言う母に少し振り向き、こくんとうなずく。
「結婚する覚悟。様々なことを乗り越えようとする覚悟」
「…………」
「というか、単純に、乗り越えようと思えるほどには、彼女のこと好きじゃなかったんだよ、結局」
「…………」
言葉に出してしまうと、ストンと落ちてくる。そう、結局の原因はそこのような気がする。
「でも、卓也……」
「でも、今の彼女は違うから」
なおもいい募ろうとする母の言葉を再度遮る。
「今の彼女とは、どんなことでも乗り越えたいと思ってる」
先週、戸田さんの寝顔を見ていて、切ないほど、そう願ってしまった。
正直、正式に付き合う、となった後ですら、『結婚』というものに尻込みしていた。
でも、先週、『仕事と両立できる自信がつくまでは、二人きりでは会うのをやめたい』と言われ……戸田さんがオレとのことを本気で考えてくれている、とあらためて気が付いた。オレも、足踏みしている場合じゃない。
色々乗り越えなくてはならないことがあるけれど、でも、一つ一つ解決していきたい。
「好きなのね」
「…………うん」
母の言葉に素直にうなずく。
「取られたくなくて、友達のこと殴りそうになったくらいだからね」
「えええっ……あ、ごめんごめん~~」
突然の大きな声に、翼が泣きそうになったのを、母が慌てて抱き取った。急に背中が軽くなる。
母が目を丸くしたまま言う。
「卓也が殴る、なんて、想像できない……」
「うん。自分でもビックリした」
あの時、絶対に渡したくない、と思った。自分にこんな情熱があるなんて知らなかった。考え過ぎて雁字がらめになっていたことが、その情熱で全部クリアになった。
戸田さんのことが好き。一緒にいたい。
答えはそんな簡単なことだった。
「そのうち、会ってくれる?」
「…………もちろん」
振り返ると、母は泣きそうな顔で笑った。
「卓也がそんな人と出会えたなんて……嬉しい」
「………うん」
うなずいてから、「あ」と思う。
そうだ、母に話さなくてはならない。
オレも一歩進むために、結婚云々の前に、とりあえず一度、母の元を離れようと思っている。それでオレがどんな精神状態になるのか、母が無事に生活できるのか、目黒樹理亜と自分が重なり、余計に心配はつきないけれど、とにかく一歩、一歩だ……
「あの……」
「うん」
「オレ、近々……」
言いかけたその時だった。
「ぞーた!」
急に翼が叫んで、母の腕から抜け出したので、咄嗟に捕まえて抱きかかえる。
「翼?」
「ぞーたー!」
オレの腕の中でも指さし叫ぶ翼。ぞーたって何だ?
「ああ、翼、公園に行くの?」
「公園? ああ、ゾウのことか……」
翼の指さした方向の先に、ゾウの置物のある公園がある。
高校の同級生の渋谷慶の実家の近くにある公園で、以前、渋谷とその恋人の桜井浩介とバッタリ出くわしたことがある。また会ったりしたら笑えるな……。なんてことを思いながら公園に近づいていったら、
「え」
本当に、渋谷と桜井と思われる声と、若い女の子の声が聞こえてきた。
(樹理ちゃん……?)
このはしゃいだ声、目黒樹理亜じゃないか?
翼を抱っこしたまま、ゆっくりと声のするバスケットゴールの方に近づいていき………
「…………あ」
心臓が、止まるかと思った。
相変わらずのキラキライケメンの渋谷、その横に寄り添うように立っている桜井、ドリブルの練習をしているらしい樹理亜、そして………
「戸田、さん」
ポニーテール、長い丈の白いTシャツ、黒いスパッツ……いつもと全然違う。
(か、かわいい……っ)
この歳にして、鼻血が出そうなくらい鼻のまわりがカアッと熱くなったのは内緒にしておきたい。
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お読みくださりありがとうございました!
最終回前っぽく登場人物大集合的な。あと溝部とヒロ兄がいれば完璧。だけど、来ません。はい。
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!!
こんな真面目な話に……皆様お優しい……。本当に感謝感謝でございます。
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