***
相澤侑奈の父親は、わりと小柄で細身、でも声が大きく元気いっぱいの男性だった。泉君に少しノリが似ている気がする。
夜も遅いので挨拶程度しかしなかったけれど、その短時間でも充分、娘への愛情を感じられる温かい人だと思えた。父親の姿を見た途端、ホッとしたような顔をした侑奈の様子からしても、普段から仲の良い親子だということがうかがえる。
この家出は父親への当てつけもあったようだけれども、おそらく、彼との喧嘩(?)も関係しているようだ。その証拠に侑奈は最後まで彼氏である高瀬君のことを見ようとはしなかった……
「センセーすごいよねー」
車に乗った途端、後部座席に乗った泉君が感心したようにいった。
泉君と高瀬君の家はここから歩いてすぐだというけれど、この時間に子供だけで帰すわけにはいかないので、車に乗せたのだ。
「何が?」
「普通、先生ってこういう場合、速攻で学年主任に報告して停学!とかにするもんじゃないの? なのにこんな対応してくれるなんて、意外というか何というかー……」
「あー……」
なんと答えたものかと思っていたら、高瀬君が「別に意外じゃないよ」とぼそっと言った。
「桜井先生、自分のペースで生きてるから、学校がどうのって関係ないんでしょ」
「あー相当天然って話な」
「そうそう」
高瀬君と泉君の会話に、助手席のライトまでもが「だよねーだよねー」と相槌を打っている。
(そんな風に思われてるんだ……)
ちょっと意外に思う。自分自身は学校の言うなりになっている感満載なので、「自分のペースで生きてる」なんて言われると……
「でもセンセー、大丈夫? これバレたらマズイでしょ?」
「マズイ? 何が?」
聞き返すと、「うわ、やっぱり天然……」と泉君と高瀬君が顔を見合わせた。意味が分からない。
「別にマズくないでしょ? 校則は保護者抜きでの22時過ぎの外出を禁止……って、あ、そうか、君たちが校則違反ってことか」
「えええええっこんな近所歩くくらいいいでしょ!」
「あの、マズイのはオレ達のことじゃなくて……」
二人が言いかけたあたりで、少し先の家の門の前に人が立っているのが見え、減速した。おそらくどちらかの親だろう……と思ったら案の定、
「うわっ母ちゃん!」
泉君がその姿を見て叫んだ。
「げーなんでいるんだよー」
「相澤のお父さんが連絡しておいてくれたんじゃないの?」
「えーいいのにー……」
泉君の母親はこちらに気が付くとペコペコと頭をさげはじめた。
(………お母さん)
その姿に自分の母親の姿が重なる。おれの母はあんな風に頭を下げる人ではなかったけれど……よくおれの帰りを、ああして門の前で立って待っていた。おれはそれを見る度に回れ右して帰りたくなり……その度に苦笑していたのだ。
(帰るって、どこに?)
あの時は、母のいる家に入って行くことしかできなかった。
でも、今なら、回れ右して母がいない空間に帰ることができる。ようやく手に入れた自分の空間。
(そこに慶がいてくれたら何もいうことないのに……)
慶が大学生の頃みたいに一緒に暮らせたらどんなにいいだろう……
「先生、すみませんーご迷惑おかけしてー」
「あ、いえ……」
車を停め、一度降りると、泉君の母親に頭を下げられた。泉君によく似た明るい雰囲気のお母さん。
「ほら、二人ともお礼言いなさいお礼!」
「あーありがとう……」
「ございます」
背の高い男子二人も背中を押され、大人しく頭を下げた。泉君はもちろん、普段大人っぽい高瀬君も子供に戻ったような表情をしていて可愛らしい。幼なじみだという二人。きっと小さな頃からお互いの親のこともよく知っているのだろう。
(……大丈夫そう、かな?)
先ほど見た、泉君の暗い瞳が気になっていたけれど……今、母親の前にいる泉君にはそんな色はカケラも感じられない。
高校生特有の不安定さ、だろうか。でも、こうして安心して帰れる場所がある限りは、きっと乗り越えていけるに違いない。
おれにとっては、家は帰れる場所ではなかったけれど、おれには慶がいてくれた。
高瀬君と顔を見合わせ笑っている泉君……
泉君には、温かい家庭も、こうして笑いあえる親友もいる。だからきっと、大丈夫……
***
泉君と高瀬君をおろした後、ライトを送っていった。
「うちのママンはまた旅行中なんでーす」
「……本当に?」
「本当だよー新しい彼氏が旅行好きらしくてさー」
「…………」
ライトのいうことはイマイチ信用できない……
でも、もう夜も遅いのでこれ以上の追及はやめて、アパートの前で降ろした。明日の文化祭にも来るというので、そこでもう少し話ができたらいいかもしれない。
相澤侑奈に関しては、恋愛関係については口出すことはできないけれど、父親とのことは一応確認を………なんて思ってから、ふと我に返る。
「……また、近すぎる?」
教師になりたての頃、生徒との距離が近くなり過ぎていることを学校側から注意されて以来、一線を引くように気を付けていたところがある。先生と生徒は友達ではない。教師の本分は生徒を正しい道に導くこと。だから、ここ数年は、分かりやすい授業、志望校に受かるための受験対策、そんなことばかり考えるようになっていた。
「『自分のペースで生きてるから、学校がどうのって関係ない』……かあ」
先ほどの高瀬君の言葉を思いだして笑ってしまう。
学校がどうのって関係あるよ。……でも、そこに折り合いをつけて……
(なりたかった自分に……なれないだろうか)
生徒に寄り添える先生に……。五年目にして今さらそんなことを思う。
「慶……」
無性に慶に会いたくなった。
おれを暗闇から連れ出してくれた眩しい光。恋人になる前から、親友としてずっとそばで支えてくれていた慶……初めてまともな学校生活を送ることができた高校二年生……
慶がいてくれたから、慶がいるから、今のおれはここにいる……
***
どうしても会いたくて、思わず来てしまった慶の勤務する病院前に車を停め……
「ストーカーだな……」
自分でもツッコミをいれてしまう。
今日は慶は当直だと言っていた。病院に泊まりこむのだ。だから電話をすることもできない。
(せめて、慶がいる建物のそばにいるだけでもいい……)
運転席に座って、ボーっと高校時代の思い出に身を沈める。
出会った時のこと、泣いているおれを抱きしめてくれたこと、一緒にいった初詣、高校二年の体育祭、そして文化祭……
思い出がありすぎて……いくら時間があっても足りない。
少しウトウトしながら、夢と現実を行ったりきたりしていたところ……
「わわっ」
突然携帯が鳴り、我に返った。慶からだ。
今、深夜一時半過ぎ。こんな時間に電話をくれるなんてすごく珍しい。慌てて取ると、
「ああ、遅くにごめんな」
慶の落ちついた声が聞こえてきた。体の中にスーッと入ってくる心地よい声。もう何年も聞いているのに聞く度に心がふわっとなる。
「……寝てたか?」
「ううん。大丈夫だよ。……何かあった?」
こんな時間の電話、何かあったのかと心配になって聞くと、慶は「いや」と少し言いにくそうに否定した。
「今日はわりと落ち着いてて、今から仮眠とるとこなんだけど……」
「うん」
「どうしても、お前の声聞きたくて」
「…………」
ぎゅっと心臓が締めつけられる。
「昼間会ったのにな」
「うん……」
慶……
「文化祭行ったからか、高校の時のこととか色々思いだしたりしてさ」
「うん。おれも思い出してた」
嬉しい。同じこと思っててくれたんだ。と、さらにキュンとなっていたのに、
「……あれ? お前もしかして自分の部屋じゃないのか?」
急に慶の声色が変わった。
「なんか声の跳ね返ってくる感じがいつもと違う」
すごい。鋭い……
「あ……うん。今、車の中……」
「こんな時間に? 誰かと一緒なのか?」
「………」
固い声。
「こんな時間に、誰……」
「誰もいないよ。一人だよ」
「ずっとか? 今まで誰かと一緒だったんじゃないか?」
「………慶」
ますます心臓がぎゅうっとなる。
慶………ヤキモチ焼いてる。おれなんかにヤキモチ焼いてる。愛されてる証拠……この優越感、たまらない。
「ヤキモチ焼いてるの?」
思わず確かめたくて言ってしまう。
「焼きもち焼いちゃうくらい、おれのこと好き?」
「なに誤魔化そうとしてんだよ」
浮かれたおれに反して、慶が鋭く低く言い放った。
「質問に答えろ。今、どこにいる?」
「………」
………本気で怒ってる声だ。
(ほら……おれは愛されてる)
慶を怒らせて安心をえようとするなんて、おれは汚い……汚い優越感……
でも、これ以上怒らせるわけにはいかないので、正直に白状する。
「……病院」
「え?!」
途端に慶の声が慌てた。
「病院って、お前どっか悪いのか?!」
「あ、違う違う。慶の病院の前」
ほら、こうして心配もしてくれる……
心が温かい……。胸のあたりを掴んで、本音を吐き出す。
「あのね、慶に会いたくて……でも会えないことは分かってるから、せめて少しでもいいから近くにいたくて……」
「…………」
慶は少しの沈黙の後、大きく大きく息を吐いた。
「ちょっと待ってろ」
「え」
「すぐ行く。いつものとこだろ?」
「……うん」
病院の脇の道路。駐車禁止区域だけれども、停車は禁止されていないため、知る人ぞ知る、病院利用者の待ち合わせ場所になっているのだ。今の時間だからさすがに停まっている車はいない。
(すぐ行くって、慶、抜け出して大丈夫なのかな……)
心配していたら、タ、タ、タ、と軽やかな足音が聞こえてきた。白いユニフォーム姿、かっこいい……
バンッと助手席側のドアが開き、乗り込んできた白い光。
「一分で戻る」
「え」
聞き返す間もなく、慶は左足をおれの足の間につき、こちらにかぶさるようにしたかと思うと、
「わわわっ」
いきなり座席の背もたれが倒れた。慶がレバーを引っ張った、のだろうけど、そんなこと確かめる間もなく、ぎゅうううううっと痛いほど強く頭をかき抱かれた。
「け、慶……」
「…………ごめん」
耳元でする慶の声。
「別にお前のこと疑ってるわけじゃなくて……」
「うん……」
「でも心配」
「心配?」
頬を手で囲まれ、コンッとオデコを合わせられる。
「あんまり会えないから……その……」
「…………慶」
慶の白い頬にそっと触れる。
こんなに完璧な人なのに、おれなんかのことを思って不安になってくれている。
夜の光の中、思わず本音がこぼれ落ちる。
「慶……おれ、慶と一緒にいたい」
「……うん」
「慶と一緒に暮らしたい」
「…………」
慶の眉が困ったように寄せられた。
「それは……」
「………無理だよね」
「……ごめん」
知ってる。慶の勤める病院は、独身者は病院から徒歩五分の独身者用の社宅に入ることになっているのだ。強制ではないけれど、特に若手は皆、入居することが暗黙の了解になっているらしい。
でも、困らせてはいけないと分かっていても、どうしても願わずにいられない。
「いつか、でいいから……」
「ああ……、あと何年かしたらな」
「…………うん」
何年って……何年? その言葉はなんとか飲みこんで、ニッコリと笑いかける。
「その時が来るの、待ってるね」
「ごめんな」
再びぎゅっと抱きしめてくれる慶……
そして軽いキスをくれてから、出て行ってしまった。
取り残された車の中は、今までにも増して静まり返っていて……
「慶……」
会いに来てくれる前よりも余計に寂しくなってしまった……
***
翌日……
学校に着くなり、異変を察した。生徒たちが何かコソコソと話している。こちらに視線がチラチラとくるあたり、おそらくおれに関係のある何か……
「桜井先生! ちょっときて!」
「……早苗先生? え」
田中早苗先生が、ものすごい勢いで走ってきて、おれを職員用玄関の中に押し込めた。そして、左右を見渡すと、コソッとポケットから紙を出して開いて……
「これ、門に張ってあった。早くに来た先生達ではがしたけど、校舎内にもあるみたい。たぶん生徒で持ってる子もいる」
「………なんだこれ」
A4サイズの紙、上半分に印刷された写真……画像は粗いけれど、誰が写っているかは分かる。
そしてその下に、赤で殴り書かれた字……
『密会スクープ! 世界史の桜井先生と2年の相沢ゆうな』
写真は昨晩の渋谷の駐車場だ。おれが助手席を開けてあげていて、侑奈が乗りこもうとしているところ……
「桜井先生、これ……」
「あ……違いますね。これ」
早苗先生に言われ、思わず指摘する。
「相澤の「さわ」の字が違います」
「…………」
「…………」
「どーでもいいわ!そんなことー!!!」
「わわわ」
早苗先生に怒鳴られ、そのまま職員室に引きずられていく……
引きずられながら、思う。
名前を間違うということは、同じクラスや部活の子の仕業ではない。侑奈のことをあまりよく知らない人間の仕業だ……。
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お読みくださりありがとうございました!
浩介の先生としての悩みはいつか書きたいと思っていたのでした。
消去法的にこの学校に就職した浩介ですが、勉強優先・受験優先の学校の方針に若干の違和感を感じています。
「嘘の嘘の、嘘」は2001年。浩介27歳になる年。仕事も恋愛も親との関係も、まだまだこれからです。
現在(2016年12月)浩介42歳、フリースクールの教師をしています。
いじめや不登校の経験のある浩介先生、そういう子をサポートする先生になりたい、という着地点にたどり着きました。
そこに行きつくまでには、まだまだ山あり谷あり……
明後日は、侑奈視点です。どうぞよろしくお願いいたします。
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!!
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