***
文化祭の一件以来、彼は侑奈を「好き」という素振りをしなくなり、合コンや他の女子の話をするようになった。侑奈も彼に対して以前よりも更に遠慮がなくなった気がする。変わってしまった二人に少しモヤモヤする……。
彼が侑奈のことを「好き」ではない、とわかった今、オレが侑奈を抱く理由はなくなった。
「しなくていいのかー?」
彼に度々聞かれたけれど、毎回首を振っていた。侑奈もこの件については、何も言ってこなかった。家出騒ぎの時に喧嘩みたいになったことも原因の一つかもしれないし、日本語ボランティア教室の手伝いをはじめて忙しくて、それどころではない、ということもあるのかもしれない。
侑奈は教室に参加している子供達と歳も近く、英語も堪能で頭も良い。それに母親がアメリカ人のハーフなので、同じハーフの子の悩みや相談にものってあげられる。すぐに頼りにされるようになり、部活のない日は毎日呼ばれているようだった。
「すっごく楽しい」
そう嬉しそうに言う侑奈は、今までで一番輝いていると思う。
父親の再婚も、侑奈が高校を卒業してから、ということになったそうだ。だから侑奈は高校を卒業したら一人暮らしをするつもりらしい。それはオレ達「仲良し三人組」の秘密基地からの卒業も意味していて……
「あと二年弱あるよ」
彼も侑奈もそう言うけれど、一歩一歩と別離の時間が近づいているようで……辛い。そう思ってるのはオレだけなんだろうか……
***
明日から一学期の期末テストがはじまる。
いつもは侑奈の家で三人で勉強するのだけれど、侑奈がボランティア教室に行ってしまったため、彼だけがうちにくることになった。こんなことは中1の時以来だ。中1の時は我慢できなくて抱きついてしまったけれど、今回はそんなことにならないようにしなくては……
「なあ……」
「な、なに!?」
勉強なんかまったく手につかないので、英語の教科書を読んでいるふりをしていたら、彼にあらたまった様子で話しかけられ、飛び上がってしまった……。でも彼は気がついた様子もなく、小首を傾げてきいてきた。
「お前の初めての人って、川辺先輩?」
「川辺先輩………って誰だっけ?」
かわべ……聞いたことあるような……
「……お前なあ……」
彼は心底呆れたようにため息をつくと、
「中学の時の女子バスケ部の先輩。オレの知る限り、お前の彼女第一号」
「ああ………」
思い出した。なんかあれこれうるさい人だったな……
「初めてって?」
「初めては初めてだろっ童貞捨てた相手ってことだよっ」
赤くなった彼。うわ……かわいい……
「別に言いたくなかったらいいんだけど」
仏頂面を作ろうと頑張っている彼の様子が、たまらなく可愛すぎる。でもそれを指摘したら怒られそうなので質問に答えることにした。
「違うよ。その人じゃない」
「え、違うのか? じゃ、誰?」
彼は言ってから「あ、いや、言いたくなかったらいいんだけど……」と再びごにょごにょと言った。
あまり話したい話ではないけれど、この可愛すぎる彼をもっと見たいという誘惑に負けて、本当のことを言ってしまう。
「あの……中1の今ごろの時期に、2週間だけうちに来てたお手伝いさん……覚えてない?」
「あー……お前が珍しく何日か学校休んだ時の……」
あー、いたなー……いつものおばあさんじゃなくて、わりと若めのお手伝いさんだったよな……
彼はうんうん頷きながら言って………、はっとしたように口に手を当てた。
「え、あの人?」
「…………うん」
「うわ……っ、そうだったんだっ」
へーへーへー!と感心したように言う彼。なぜかちょっと嬉しそう………。
「………それがどうかした?」
「いやーそっかそっかあ……あのお手伝いさんに色々教えてもらったのかーなるほどなー」
「???」
なんだろう? 妙に上機嫌になってる……。そんな面白い話だろうか?
「なんでそんなこと……」
「いや、な」
彼は恥ずかしそうに、はにかみながら言った。
「今度ライトが紹介してくれる人、年上なんだって」
「…………っ」
ガンっと頭に殴られたような衝撃が走る。
「お前の初めてがそんな年上のお姉さんだって聞いたら、そういうのもアリだよなって思えてきた」
「……なにそれ」
「いや、初めてなんだから、ここは素直に教えてもらえばいいんだな~~って」
「…………」
なにそれ、なにそれ、なにそれ………
教えてもらう? 何を? 何をだよ……っ
「教えてもらうって、何を知りたいわけ?」
「んー……何だろう? 手順?」
「手順?」
「うん」
コクコクとうなずく彼。
「オレさー兄ちゃんのエロ本みたりAVみたりして、妄想だけは色々してきたけど、こう実際にってなると……」
「………」
オレと侑奈がしている隣室で、一人自慰行為をしていた彼の姿を思い出す。眉を辛そうによせて、天井を見上げて……
(……まずい)
ズクリと体の中心が疼くのを止められず、慌てて彼から目を逸らし、英語の教科書に視線を落とす。
(落ちつけ、落ちつけ……)
そんなオレの葛藤を知るはずもない彼が、のほほんと言葉を続けてくる。
「まー、キスまでは何とかなりそうな気はするんだけどな」
「……そう。……って、痛っ」
素っ気なく返事をしたら、彼に頭をはたかれた。
「お前、真面目に聞けよーっ」
「聞いてるよ」
「聞いてねえだろっ適当に返事しやがってっ」
「そんなことないって。わっもうっ」
頭をぐしゃぐしゃとかきまぜられ文句をいうと、あはははは、と彼が楽しそうに笑いだした。
ああ、本当に、どうしよう……。その笑顔、好きで好きでたまらない。小学生の時から変わらないキラキラした目。明るい太陽みたいな人。
ひとしきりオレの頭をぐちゃぐちゃにしたら満足したのか、彼は「でな!でな!」と話を戻してきた。
「オレが考える理想的なシチュエーションなんだけどさっ」
「うん」
彼がそそそと座ったままオレの隣に移動してきた。
「こんな感じに……」
「………」
両肩を掴まれ彼の方に向けさせられる。
「こう、見つめあって……」
「………」
正面から顔をのぞかれ、血が逆流してしまう。真剣な彼の瞳……
(うわ………)
なんとか正常心を保とうと必死なのに、彼が追い打ちをかけるように、そっとオレの頬に右手を滑らせた。温かい、手……
「目、つむって」
「!」
左手がオレの瞼を覆う。視界が暗転する。彼のぬくもりの中に……
彼の吐息が近づいてきて、そして……
「………っ」
はっとして彼の手の中の瞼を動かすと、彼がすっとその手を離した。
「……なんて、スムーズにいけばいいけどな」
苦笑したような声……
彼は下を向いたまま、元の席に戻ると、再び問題集に取り掛かりはじめた。
「…………」
オレも再び、英語の教科書に目を落とす。でも……何も頭に入ってこない。
だって……だって。
(今………)
触れた………?
(触れた……気がする)
息がかかったのを、触れた、と感じただけ?
でも………でも。
彼の気まずそうな感じ……
これは……
(…………キス、だ)
うわ………っ
(ど、どうしよう……っ)
嬉しすぎる……っ
彼にとっては事故みたいなものだろうけど、でも、キスはキスだ。無かったことにされるのが嫌で確認できないけど、絶対、そう。
オレの、ファーストキス、だ。
「………諒」
「……っ」
オレの顔、たぶん今、真っ赤だろう。でも、それについては言及せず、彼はなぜか無表情にジーッとこちらを見てくると、
「お前、今まで何人の女とキスした? って覚えてないか……」
「あ……ううん」
慌てて首をふる。そして、本当のことを言う。
「あの……オレ、キスしたこと、ない」
「はああ?!」
彼は本気でビックリしたらしく、しばらく息が止まったようになっていたけれど……
「ちょっと待て。何言ってんだ? オレ散々噂聞いてきたぞ? お前が誰誰とキスしたとかなんとか……」
「あー……、オデコとかはあるけど、唇はないよ」
「…………」
なんじゃそりゃ……と彼は呆れたように言ってから、ハッとしたように、
「え、じゃ、ユーナとも?」
「ないよ」
している最中に、うなじや首筋、耳、目、とかにキスをすることはあっても、唇にはない。
だって、唇は……
『唇へのキスは、本当に好きな人にだけしなさい』
そうユミさんに教えてもらったから……。
でもそんなこと言えずに黙っていたら、
「なんだよそれ……意味わかんねえ……」
彼はうーんうーんと頭を抱えてから、「あー勉強しよ」と、再び問題集に目を落とした。
「…………」
そんな彼を見て、心の中がぎゅううっと締め付けられうようになる。
(ユミさん……オレ、できたよ?)
本当に好きな人と、キス……。
ほんの少し触れただけなのに、愛しくて愛しくて……こんな幸せな気持ちがあるんだって感動で叫びだしたいくらいだ。
こんな事故みたいなこと、もう二度と起こらないだろうけど……でも、この思い出があれば、この先何もなくても大丈夫……
そんなことを、この時は思ったのに……強欲は人間の性だ。
***
彼とキス(……オレはキスだと思ってる)をしても……ギクシャクしたのはその日だけで、翌日からはまったく普段と変わらなかった。
「合コンの心得を教えてくれよー」
最近の「いつも」のように、そんなことを侑奈にいっている彼に、イラッとする。
(ちゃんとした「キス」を……他の女とするんだろうか)
そう思うと……嫉妬で気が狂いそうになる。
期末テストが終わってすぐに、バスケ部の試合があった。
行きは部員皆で電車に乗って移動したけれど、帰りはその場で解散。オレは当然、見に来てくれていた彼と一緒に帰ろうとしたのだけれども……
「………え」
会場の出口のところ……彼と、侑奈とライト、それに、知らない女がいる……。
小柄で、オレ達よりも少し年上な感じ。侑奈と似た感じの、キレイな女。たぶん、彼の「タイプ」の顔……。あれが例の合コン相手の年上の女だろうか……。
(……笑ってる)
彼がその女を見下ろして笑ってる……。
固まってしまい、その場に立ち尽くしていて……
「……あ」
ふいに目に入った会場のガラス戸に映る自分の姿に、今さらながら愕然とした。
(どうしてオレ……こんなになっちゃったんだろう)
どうしてこんなに背が高くなったんだ。
どうしてこんなに肩幅が広くなったんだ。
どうしてこんなに手も足も長くなったんだ……
出会った時は、オレが彼を見上げていたのに……彼もオレを見下ろして、優しく笑っていてくれたのに……
そう、今、あの女を見下ろしている彼のように……
「諒ー!」
オレに気が付いた彼が、手を振ってくれている。ニコニコと手を振ってくれている……けど。
(近くにいきたくない)
一歩、一歩、と後ずさる。
あの合コン相手の女の横に並びたくない。並んだら余計に惨めになる。
彼に頭を撫でてもらえていた小学生の時に戻りたい。彼より小さかったオレに、彼に守ってもらっていたオレに、戻りたい……
「諒ー?」
「!」
衝動的に回れ右をして走りだした。
結局、彼にとって、オレは、例えキスをしても、ただの友達でしかなくて……
彼よりもでかいオレは、抱きしめてもらえることもなくて……
「もう……ヤダ」
もう、嫌だ。こんなオレは嫌だ。
どうして女に生まれてこなかったんだろう。女に生まれていたら彼に抱きしめてもらえたかもしれないのに。
柔らかくて小さな女だったら、彼もきっとオレのことを……
そのまま前後不覚に体育館前の人混みの中を人にぶつかりながら走り続け……
人ごみを抜けて、道路にでた……のだけれども……
気が付いた時には、目の前に白い軽トラックが迫っていた。
「高瀬君!」
「え」
そして、切迫した声に腕を引っ張られて………
あとはよく、わからない。
急ブレーキの音と、ドンって何かがぶつかる音と、悲鳴と……
「諒! 諒! 大丈夫か?!」
「諒!」
耳元で聞こえる彼と侑奈の泣きそうな声と……
「浩介先生!」
ライトの叫び声と……
「救急車お願いします。交通事故です。場所は〇〇体育館前……」
早苗先生のキビキビした声と……
(ああ……温かい)
こんな時なのに、彼がオレを抱きあげてくれてるってことに、幸せを感じながら、オレは意識を失った。
----
お読みくださりありがとうございました!
この交通事故のエピは、ずっと前から設定としてあったお話でして……ようやくかけてホッとしているというかなんというか……
今から一年半前に書いた「あいじょうのかたち」6で、
慶が浩介に言う「もう絶対にやめてくれ」「誰かをかばって怪我、とかそういうの」というセリフは、この話のことなのでした。……って、自己満足~~^^;
慶は小さいことがコンプレックスですが、諒君は大きいことがコンプレックスです。
ええ、ええ。そうなんです。諒は泉に「抱かれたい」のですっっ!
あんだけ女とやりまくってたくせにね^^;
1でも言ってましたが、諒は泉が自分より大きくなってくれることを今か今かと待ち望んでいます。別に背は関係ないのにな~~(^_^;)
次回は浩介視点。どうぞよろしくお願いいたします!
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!!
よろしければ、次回もどうぞお願いいたします!
にほんブログ村
BLランキング
↑↑
ランキングに参加しています。よろしければクリックお願いいたします。
してくださった方、ありがとうございました!
「風のゆくえには」シリーズ目次 → こちら
「嘘の嘘の、嘘」目次 → こちら