人の気配を感じて、ふっと目を覚まし、白いカーテンに囲まれた保健室のベッドで寝ていることに気が付いた。
(……懐かしいな)
高校生の時も保健室のベッドには何度かお世話になった。夏合宿の時も、目覚めたら慶が心配そうに覗き込んでくれていたっけ……。頭を撫でてくれた慶の温かい手を思い出して、胸のあたりがほんわりなっていたところで……
「お前もしつけーなー」
「だって……」
カーテンの向こうから聞こえてきた小さな話し声に、自分がどうしてここで寝ているのかを思い出してきた。
(そうだ……あの人、どうしただろう……)
今日は文化祭の二日目。朝っぱらから学校に現れたおれのハハオヤ。
いたずらで貼られた、おれと2年の女子生徒の『密会現場』というデタラメの貼り紙を鵜呑みにして、その女子生徒を罵倒していた母……。その光景を見たときには、怒りと絶望とで、頭の中が真っ白になってしまった。
(おれの聖域にまで土足で踏み込んで……)
なんとか母を止めようとしたが、母の興奮はさらにヒートアップし……矛先がおれにむいて……それで……それで。
おれのまわりから、空気がなくなった。
(……過換気症候群、っていうんだってな……)
耳をつんざくような母の悲鳴が頭の中に残っている。
倒れたおれを誰かがここに運んでくれたってことだけど……
「だって、合コンなんて……」
「なんだよ。お前だって散々今まで色んな女と関係もってたくせに」
「それは……」
聞こえてくるのは、あの場にもいた高瀬君と泉君の声。ということは、この二人が運んでくれたのか……
「相澤のこと好きなんじゃないの?」
「好きだよ?」
「だったら!」
高瀬君の声が大きくなったのを、泉君が「シーシー」と言って沈めている。どうやらおれが寝ているのを邪魔しないようにしてくれているらしい。盗み聞きをするようで申し訳ないけれど、今さら起きたとは言えない雰囲気……。2人のひそひそ話は続いていく。
「だったら、なんで合コンなんて」
「お前さーさっきも言ったけど……なんか勘違いしてるよな」
「え?」
キョトンと言った高瀬君。いつものクールな感じの高瀬君とは違う、少し甘えたような声……。
「勘違いって?」
「よーく思い出してみろ? おれがユーナのこと彼女にしたいとか、そういうこと、言ったことあるか?」
「……ある。小6の時言ってた」
「だからそれ、6年の一学期の話だろ。そんな大昔のこと……何年経ってると思ってんだよ」
彼らは今高校二年生だから、5年前ということだ。5年で大昔、かあ……
「でも、いつも、相澤のこと可愛いとか、男なら誰でも落ちるとか、そういうこといっぱい言ってるじゃん」
「そりゃ事実だから」
「………。でも、いつも相澤のこと大事そうに見てるし……、それに、さっき、好き? って聞いたら、好きっていったじゃん!」
「ああ、だから、好きだよ? 特別な友達だと思ってる」
「…………」
「…………」
微妙な沈黙が1分ほど過ぎたあと、高瀬君がボソッと言った。
「嘘つき」
「は?」
「嘘ついてたんだ? それとも、この話が嘘?」
「…………」
「…………」
またしばらくの沈黙……。今度は泉君がつぶやくように言った。
「嘘じゃねーよ。それに今までだって嘘ついてねえ」
「じゃあ、どうしてっ」
また大きな声を出しそうになり、息を飲みこんだ気配のあと、高瀬君が怒ったように続ける。
「どうして、今まで彼女欲しいとか言わなかったわけ?」
「それは……」
泉君は困ったように、ため息をついてから……白状するように、言った。
「それは、『仲良し三人組』が居心地良かったから」
「……………」
「三人でいられればそれで良かった」
泉君の真摯な声……
「いればいいじゃん……」
泣きそうな高瀬君の声……
「いればいいじゃん。三人でいればいいじゃん」
「……そういうわけにはいかないだろ」
「なんでっ、……痛っ」
何かされたのか、高瀬君が悲鳴をあげた。でも泉君は構わず、叫ぶように言い放った。
「そりゃ、お前はいいよ? やりまくってんもんな!?」
泉君、さっきまでの落ちついた口調から、子供っぽい拗ねた口調に変わっている。
「散々とっかえひっかえ色んな女とやりまくって、今はユーナ一筋でさ!」
「それは……」
「たまりまくってるオレにどーしろってんだよ!」
「…………」
「中学で童貞卒業したお前には、現役童貞のオレの気持ちはわかんねーよっ」
「………っ」
思わずブッと吹き出してしまった。
(あ、しまった……)
と思ったけれど、遅かった。カーテンが静かに開き……
「先生……いつから起きてた?」
ジトーッという目で泉君に見られ、非常に気まずい……
「ごめん……今さっき……」
「話聞いてた?」
「ごめん……ちょっとだけ」
「…………」
泉君と高瀬君、顔を見合わせると、仲良くベッドの脇にやってきた。
「先生、具合は大丈夫?」
「……ありがとう。もう、大丈夫……。2人が連れてきてくれたの?」
二人はコクリと肯き、言いにくそうに言葉を継いだ。
「先生のお母さんは、今、吉田先生と一緒に校内回ってます」
「はじめは保健室から出て行かないって頑張ってたんだけど、吉田先生がうまい事いって連れ出してった」
「…………」
胸が苦しい。手で押さえて大きく息を吸って整える……
「大丈夫? 保健のセンセー、すぐ戻るっていってたんだけど」
「うん……ありがとう」
生徒にこんな風に心配かけてしまうなんて、教師失格だな……
おれの落ち込んだ空気を察したのか、泉君がいきなり「ねえねえ!」と明るく言いだした。
「先生は、童貞卒業いつ?」
「え?!」
話題を変えようとしてくれたのは有り難いけれど、その方向性はどうなんだっ。
「中学? 高校?」
「いやいやいやいやいや……」
泉君の期待に満ちた目に負けて、素直に白状する。
「高校卒業してからだよ」
「18才?」
「そうだね……4月末だったから、まだ18だったなあ」
懐かしい……初めていったラブホテル……
……あれ? でもあの時、挿入はしたけど、結局中で射精はできなかったんだよな……。それってまだあの時点では童貞ってこと? いや、入れれば卒業でいいんだよな? そうしないと慶もいまだに童貞ってことになっちゃうし……
「先生……ニヤニヤしてる……」
「え?! ニヤニヤ?! してないしてないっ」
「あーいいよなー、あんな美人な彼女とそんなことしてるなんて……」
「……………」
ああ、そうか……。頭の中は当然、慶とのことでいっぱいになっていたけれど、対外的には、おれの恋人は、友人のあかねということになっているんだった。慶のたっての希望で、女よけのために職場でもあかねを彼女として紹介しているのだ。
でも、まだ就職したてのころに、うっかり「恋人は高校の同級生」と本当のことを言ってしまったため、あかねの詳しい情報を求められると、辻褄があわないことがでてくるので、なるべく話題を避けるようにしているわけで……
「あー……、えーと、ライトは? もう帰った?」
かなり不自然だけれども、話題を変えると、なぜか高瀬君がムスッとして、
「帰りました。昼からバイトがあるそうで」
「ああ……そうなんだ」
あの場にライトがいてくれて助かった。おれの母のことを知っているライトが、職員室におれを呼びに来てくれたのだ。そうでなければ、相澤さんに対する母の攻撃はまだまだ続いていただろう……
「相澤さんは……?」
「クラスの当番。ウサギの耳つけてウェイトレスしてんの。先生昨日のユーナ見た?」
泉君がニコニコと言う。
3組のウサ耳喫茶には、昨日ライトがどうしても行きたいというので、慶とあかねと四人で行ったけれど……
「行ったけど、相澤さんは見てないなあ」
「絶対見た方がいいよ! 超かわいいから! 他の女子なんか目じゃないから! ホントかわいいから!」
「へえ………」
泉君が嬉しそうに話している横で、高瀬君がますます不貞腐れた顔になっている……
「あのさ、先生……」
「うん」
泉君がふと思い出したように言った。
「先生のお母さんに言われたこと、ユーナは全然気にしてないから、先生も気にしないで大丈夫だから」
「……………でも」
「ホントに」
パタパタと手をふってくれる泉君。「でも……」と再び言いかけると、
「じゃ、これで貸し借りなしってことで」
高瀬君の淡々とした声に遮られた。
「昨日の夜、本当は相澤が家出したのを先生が連れ戻したってことは、このまま内緒でお願いします」
貸し、借り………
「ユーナ、お父さんとも仲直りできたって。先生のおかげだよ。ありがとね」
「………そっか」
ふっと息をつく。
それならばせめて良かった………
やはり、信頼関係のできている親子は、たとえ衝突したとしても、すぐに関係を改善できるのだろう。
それに比べておれは………
(……あの人、まだ校内にいるんだよな……)
動悸が激しくなってきたのを押さえるために、ぐっと胸を押す。
(慶………慶)
いつものように呪文を唱える。慶の姿を思い浮かべる。
大丈夫……大丈夫。おれには慶がいるから……一緒にいなくても、会えなくても、支えてくれる慶がいるから……
そう思って大きく大きく息を吸い込んだけれど、やっぱり空気は少しずつしか入ってきてくれなかった。
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お読みくださりありがとうございました!
えーと……挿入したら童貞卒業……でいいよね?
浩介と慶、はじめのころは、受攻両方やろう!って頑張ってたんです。
なんで、慶も挿入行為をしたことがあるのでした。射精までは至らなかったのですがね……。
でも、いいよね?卒業でいいよね?!私は卒業だと思ってるんですけど!!!
題名に「嘘の嘘の、嘘」とありますように、みんな嘘をついていたり本心を隠していたり……あ、泉が現役童貞なことはホントだけど!(笑)
そんな感じで……次回もどうぞよろしくお願いいたします!
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