浩介さんと一緒に公園に行っていたはずの西子が、慌てた様子で家にもどってきた。
「慶兄は?」
「自分の部屋……」
言い終わる前に、ダッと階段を駆け上っていく西子。なんなんだろう……
と思ったのも束の間、今度はお兄ちゃんがものすごい勢いで降りてきて、そのまま玄関を飛び出していった。
「どうしたの?」
「ちょっと……大変」
母には聞かれたくない様子で、西子がコソコソっと言った。
「浩兄のお母さんって人が来て、なんか話してるうちに浩兄、吐いちゃって……」
「え」
「ちょっと普通じゃない感じで怖かったから、慶兄呼んでくるっていって帰ってきたのさ」
「そ、それは……」
修羅場だ。
お母さんの異常なまでの束縛に浩介さんはずっと苦しめられていた。逃れるために長い間外国暮らしをしていて、今回帰国したこともご両親には話していないと言っていた。
でも、何かしらでバレてしまったということか。もしくは偶然、浩介さんのお母さんがうちのあたりに来たところ会ってしまったということなのか……。
今日は3月15日。ホワイトデー翌日。
お兄ちゃんと浩介さんが実家にバレンタインのお返しを持ってくるというので、私と西子も遊びにきていた。
4月から中学3年になる西子は、私の遺伝子をガッツリ引き継いでオタク道を突き進んでいて、運動も大嫌いだ。でも、明日クラス対抗のバスケットボールの試合があるというので、浩介さんに練習をつけてもらいに、家の向かいの公園に行っていた。お兄ちゃんは仕事が忙しくて寝不足だとかで部屋で寝ていたのだけれど……。
「ちょっと様子見てくる」
西子に言うと、私も急いで公園に向かった。
私に何ができるわけではないけれど、第三者がいた方がみんな冷静になれるんじゃないかと思って……
なんて、軽く考えていたのが間違いだった。
もう日が落ちて、薄暗くなった人気のない公園。目に飛び込んできたのは……
ベンチに座って、苦しそうに胸をおさえている浩介さんと、浩介さんを守るかのように肩を抱き寄せているお兄ちゃん。その前に立ち、震えながら二人を見ている浩介さんのお母さんの姿だった。
とても声なんかかけられない雰囲気………。
「浩介………」
「…………っ」
おばさんの声に激しく首を振る浩介さん。
お兄ちゃんがその耳元に何かささやいている。たぶん、落ちつけ、とか、大丈夫、とかそんな感じの言葉。
お兄ちゃんがスッと顔をあげた。強い色の瞳……。
「すみません、お引き取り願えますか」
「あなたにそんな……っ」
「南」
「えっ」
おばさんが何か言いかけるのを遮って、お兄ちゃんが私の方に顔を向けた。
私が来たこと気がついてたんだ?!
「送ってさしあげて」
「え、あ、う、うん」
こ、この状態で、そんなこと言われてもーーー!と言いたいところだけど、さすがに言えない。
「あの、お宅まで車でお送りしますよ?」
恐る恐るおばさんに声をかけると、おばさんがキッと私をにらみつけた。
「そんなことしてもらう筋合いないわ。だいたい……」
「………帰れ」
「!」
殺気のこもった声にぎょっとして、私もおばさんも振り返った。声の主は……浩介さんだ。
「帰れよ……っ」
浩介さんは絞り出すように言うと、自分の膝に顔を埋めた。心配げに浩介さんの背中をさするお兄ちゃん。
「こう……っ」
「いやいやいや、ちょっと待ってください」
浩介さんに触れようとしたおばさんの腕をとっさに掴む。
「何を……」
「どう考えても、この状況でこれ以上話したりするのは無理ですよね? 息子さん、死んじゃいますよ?」
「…………」
バッと手を振りほどかれ、再び睨まれた。
「私は母親よ? どうして自分の息子と話すことを………」
「だから……」
「とにかく今日はお帰りください。後日あらためて連絡しますので」
お兄ちゃんがピシャリと言う。
私もベンチの二人とおばさんの間に入り込み、軽くその腕を押し出した。
「はい。行きましょう、行きましょう。お送りしますよ?」
「………結構よ」
おばさんはものすごい目でこちらをにらみつけ、カツカツとヒールの音をさせながら公園から出ていった。
こわーーーーーっ。帰ってくれて助かった……。
その姿が見えなくなったところで、
「南」
お兄ちゃんが、片手で「ごめん」のポーズをした。
「ありがとな」
「んにゃ、ぜんぜん」
ひらひらと手を振ると、お兄ちゃんは淡々と、
「おれ達、このまま帰るよ。悪いんだけど、荷物……」
「ダメだよ……」
浩介さんのひっそりとした声。さっきの殺気のこもった声と同一人物とはとても思えない。
「お母さんが……今日の晩御飯、手巻き寿司にするって……お刺身たくさん買ってあったし、海苔ももう切ってあったし、それにお吸い物、おれが作るって約束してる……」
「浩介……」
「おれ、こんなことで幸せな時間奪われるなんて耐えられない……」
胸をおさえたままうつむいている浩介さん。どんな表情をしているのかは見えない。
「わかった。わかったから……」
お兄ちゃんが、浩介さんの髪をくしゃくしゃとなでて、頭を引き寄せ、コツンと自分の頭に合わせた。
(……うわ~~~……)
な、なんなんでしょうか。これは。
もしかしておばさんを追い返すのに活躍した私へのご褒美ショットでしょうか?
なんて絵になる2人……。薄暗いこともあって、アラも目立たないから余計に綺麗。
写真撮りたい写真。マジで写真撮りたい。
撮っていいかな。いいよね? ご褒美だよね?
「…………何やってんのお前?」
「え」
携帯を二人に向けたところで、お兄ちゃんにツッコまれた。
「いや………あまりにも絵になるので、写真を、と思いまして……」
「…………………」
冷たーい目でこちらを見かえしているお兄ちゃん……。美形って真顔になると怖いんだよね……。
「え、ダメ?」
「ダメに決まってんだろっ」
「いいじゃん。減るもんじゃなしに」
「お前、そうやって高校の時、おれ達の写真で小遣い稼ぎしてただろっ。増えてんじゃねえかよっ」
「これは売らないからーさっきのもう一回やってよー」
「やるかっ」
「けちー」
「誰が………浩介?」
浩介さんの肩が揺れている。……笑ってる?
顔をあげた浩介さんは、少し顔色が悪い気はするものの、もういつもの浩介さんに戻っていた。
「南ちゃん……ありがとね」
「いえいえ」
再びひらひらと手をふると、
「だからお礼はサービスショットでお願いします。はい。さっきのもう一回やって!」
「誰がやるかっ」
ぷんぷんしているお兄ちゃんの横で、浩介さんはきょとんと、
「え、いいよ。やるやる。おれがこうやって下向いてて……」
「そうそう。それでね、お兄ちゃんが、コツンって」
「だからやんねーよ!」
せっかく浩介さんは乗り気だったのに、お兄ちゃんに断固拒否され結局撮れなかった。ケチくさい兄だ。
今度は隠し撮りにしよう。隠し撮りに。
------------
長くなったので分けることにしました。
この「あいじょうのかたち」は、一人1話でいくぞー!おー!って思って、
多少長くなっても我慢してたんだけど、さすがに今回は無理だった…。
次回も南ちゃん視点で。
南ちゃん、娘も中学生になりすっかりお母さんです。
けど、中身は変わりません。あいかわらず腐ってます。
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「浩介先生……」
職員室のドアがソロッと開いて、ピンクの頭が覗きこんできた。ここの学校を昨年卒業したという目黒樹理亜だ。いつも圭子先生を訪ねてきている。
「あ、ごめん。圭子先生、研修会に行ってて今日は戻ってこないんだけど」
「ううん違うのー。今日は浩介先生に会いにきたのー。今、大丈夫ー?」
ほとんどの教室の授業が終わっているため、今もおれの他に5人の先生がデスクで仕事をしている。あまり他の先生には話を聞かれたくない。
「外で話そうか」
樹理亜を促し、廊下の隅の自動販売機横のベンチに腰かけさせる。職員室に近いせいか、いつもここは人がいない穴場だ。
「ジュース? コーヒー? 何がいい?」
「………ココアー」
下を向いたままの樹理亜にココアを渡し、自分はコーヒーを選ぶ。ザーッと勢いよくカップにコーヒーが注がれていく。
「で、どうしたの?」
「浩介先生、手は大丈夫ー?」
でっかい絆創膏みたいなものを貼っているおれの手を見て樹理亜が言う。
先日、樹理亜が自分の手首を切ろうとしたのをかばって、7針縫う怪我をしたのだ。
「大丈夫だよ。週明けに抜糸するらしい」
「そー……」
樹理亜はココアであたたまりたいように、ココア入りのカップを抱えこんだ。
「渋谷先生と浩介先生がお友達だったなんてビックリしたよー」
「あー……うん」
戸田先生と樹理亜には「高校時代の同級生」と説明してある。
樹理亜は大きくため息をついた。
「渋谷先生、ものすっごく怒ってたよねー……」
「あー……そうだね……」
慶の怒りは凄まじく……実はいまだに怒っている。
慶はおれのことになると、自分のこと以上にものすごくムキになる。
そういえば高校時代、おれがバスケ部の仲間に理不尽なことを言われたときも、あの小さい体(というと怒られるけど)で、相手の奴に掴みかかってくれたりしたなあ……なんてことを懐かしく思いだしたりした。
今回の事件後は、不自然なまでに樹理亜を避けて、怒りを直接ぶつけないよう気をつけていた感じだった。おそらく単純におれに怪我させた樹理亜に対して怒っているだけではなく、止めることができなかった自分への怒りもあるのだろう。
まあ、それだけおれが愛されているということだ。……なんて、不謹慎ながら嬉しくてたまらない。
実は今現在、怪我をしているおかげで、いまだかつてなく甘やかされている。
ご飯も食べにくいものは食べさせてくれて、髪も体も洗ってくれて、着替えさせてくれて、爪も切ってくれて……。こんな甘々な生活を送れるなら、何針でも縫っていい。
……とも思うけれど、でも家事の負担が慶にかかりすぎているので、やっぱり早く治したい。
それになにより、傷にひびくから、という意味の分からない理由でちゃんとやらせてくれないし。……いや、それはそれでイイ思いさせてもらったりもしてて、それはいいんだけど、ものすごくいいんだけど、でも色々……ああいうこともこういうこともできないのはやっぱり……。ああ、早く治さないと。
なんてとても口にはできない妄想を奥の方にしまい込んだところで、樹理亜がムッと頬を膨らませた。
「でも、あたし謝らないからねー? だって勝手に手をだしてきたの浩介先生なんだからねー?」
「そうだね。でもね」
すとんと隣に腰かけると、ビクッと樹理亜が震えた。謝らない、といいつつも、怪我をさせたことに対して申し訳ないと思っていることが伝わってくる。悪い子ではないのだ。
「おれが怪我してなかったとしたって、渋谷先生は怒ってたと思うけど?」
まあ、怒りの内容は違くなるけどね、という言葉は飲み込む。
「どうしてー?」
「渋谷先生には、助けたくても助けられなかった人がいっぱいいるし、生きたいけど生きられない人も今までいっぱい見てきたからね」
「…………」
「自分自身を傷つける目黒さんにも、目黒さんを止められなかった自分に対しても、ものすごく怒ると思う」
「でもさー……」
樹理亜が首をかしげてこちらをみた。
「あたしが傷ついても、関係なくない? あたしが痛いだけじゃん?」
「関係なくないよ。やだよ?」
「へ?」
きょとん、とする樹理亜。
「なんで?」
「なんでって、嫌に決まってるよ。だからおれだって思わず手出しちゃったんだよ? 君が傷つくのはおれも嫌だし、渋谷先生だって嫌だよ」
「…………意味わかんない」
意味わかんない。意味わかんない。樹理亜がブツブツブツブツ言い続けている。
落ちつくまでコーヒーを飲んで待ってみる。
この子は……何から逃げようとしているのだろう。どうしてリストカットを続けるのだろう。
リストカットをする理由にはいくつか種類がある。かつての教え子の中にリストカットをしてしまった子は2人いる。一人は、いじめを苦に。一人は、愛してほしい、という気持ちから。でも、樹理亜はそのどちらにも当てはまらない感じがする。
しばらくの沈黙の後、樹理亜がようやくポツリと言った。
「いつもはね……こう……まわりが映画館のスクリーンみたいになってるのが変な感じで……」
「…………っ」
離人症……。
はっとした。昔のおれと同じだ……。
「なんていうか……生きてんだか死んでんだか分かんないから、それ確かめるために切ってたっていうか……」
「…………」
おれにも覚えのある感情……。
樹理亜は、うーん、と天井を見上げながら言葉を継いだ。
「でもこないだ切っちゃったのは……あんまり覚えてないんだけど……。じぼーじき?」
「自暴自棄?」
「ママちゃんが、黒ママちゃんになって、お前なんか死んじゃえって言ったから」
「ママちゃん?」
誰? と聞くと、樹理亜は初めてココアに口をつけた。
「あたしのママ。白ママちゃんの時と黒ママちゃんの時があるの。黒ママちゃんは超コワイの」
「…………」
「でも、白ママちゃんはすっごく優しくって大大大好き。まわりがスクリーンみたいになっても、ママちゃんがぎゅーってしてくれたら直るの」
「…………」
「でね、渋谷先生は、ママちゃん以外で初めてスクリーンから出てきてくれた人なの」
「え」
驚いた。素の声が出てしまった。
「渋谷先生がね、こう、手をつかんでくれたとき……スクリーンから手が出てきたっていうのかな……」
「ああ……そうなんだ」
慶……。なんだろう。慶にはそういう力があるんだろうか。
「あ、変なこと言ってるこの子って思ってるでしょー?」
「いや、分かるよ」
樹理亜の言葉に本心から肯くと、樹理亜が鼻にシワをよせた。
「分かるよ、だってー。そういうこと言う大人って信用できなーい。ウソついてこっちの……」
「いや、本当に」
思わずふっと笑うと、樹理亜がどういうこと?と首をかしげた。
「おれも、中学くらいから目黒さんがいってたみたいになることよくあったんだよ」
「? スクリーンのこと?」
「おれの場合は、ブラウン管……って分かる? 今の子ってもしかして知らない? 昔は今みたいに液晶テレビじゃなくて、ブラウン管っていうのだったんだけど」
「分かる分かる。うちの前のテレビそうだった」
樹理亜が言うのに、肯きかえす。
「そう。おれはブラウン管の中って感じだったんだよ」
「それ……治ったの?」
「そうだね……ちょっとずつならなくなっていって、最後になったのは15年以上前かも」
実家を出て就職してしばらくしてからはならなくなった。考えるまでもなく、原因は実家にあったということだ。
「中学の時は本当にひどくて、四六時中ブラウン管の中だったし、色彩もよくわからなくて……白黒ともちょっと違うんだよね。全体的に褪せてるっていうのかな」
「ああ、うん。分かる」
こっくりと樹理亜が肯いた。ああ、この子、本当におれと一緒なんだな……。
「ねえ、それ、どうやって治したの?」
「それは……」
言っていいものかと躊躇したけれど、ここで話さないのもウソっぽくなるので心を決めて言葉を継いだ。
「渋谷先生のおかげだよ」
「え」
「中学の時に、偶然、渋谷先生がバスケットしてるところを見かけてね」
いまだに思い出すと胸が詰まるような感覚になる。あの時の慶。色褪せた世界の中で、唯一光り輝いていた。
「渋谷先生だけ鮮明な色がついてて……すごく綺麗で」
「えー素敵」
樹理亜が目をキラキラさせた。
「それでそれで?」
「偶然同じ高校に入学して、友達になったんだけど……渋谷先生と一緒にいるときは不思議とブラウン管にならなくてね……」
「へー。天使に癒される感じ?」
「いや……」
癒されるっていうのは違う気がする。いやもちろん癒されないことはないんだけど、それはまた別の話で……。
「強い力でぐいぐい引っ張られる感じかな。あの人、見た目はあんなだけど、中身は男らしいし、口悪いし、手も足もすぐ出るし」
「えー」
うそーと樹理亜が叫んだ。
「あんなに天使みたいなのにー?」
「だよね」
思わず笑ってしまう。
「おれなんかしょっちゅう蹴られてるよ」
「うそー」
あはは、と樹理亜も笑った。
「仲良いんだねー」
「そうだね……」
あまり余計なことは言わないように気をつける。
「でもさあ、そんなに仲良かったら、渋谷先生結婚したとき寂しくなかったー?」
「え……」
思わず黙ってしまう。なんと答えれば……
「あ、でも浩介先生も結婚してるのかー」
「え」
樹理亜がすっとおれの左手を取り、そして、指輪を見て「あれ?」と首をかしげた。
「この指輪……渋谷先生のと似てるねー」
「え」
「普通の輪っかじゃなくて、メビウスの輪みたいになってて……」
「あー……」
「似てるっていうか……同じ……?」
「え」
まずい。まずいまずいまずい。
あ、いや、動揺するな。普通に否定すればいいんだ。
「そう? 似て……」
「樹理亜ーーーー!!!」
もごもごとおれが言いかけた言葉に、女性の甲高い声が重なった。助かった!
ビックリしたように、樹理亜が立ち上がる。
「ママちゃん!」
「樹理亜!」
ケバケバシイ、という言葉がぴったりの女性が樹理亜をガシッとハグした。樹理亜と同じピンクの頭。折れそうなくらい痩せている。
「もーなんで勝手に行っちゃうの!」
「えー勝手じゃないよー。ちゃんと冷蔵庫のとこ書き置きしたよー」
「それが勝手だっていうの! ママも一緒に行くって言ったでしょ!」
「あ、そっか。ごめんごめん。浩介先生!」
樹理亜がハグから抜け出し、おれに向き直った。
「あたしのママー。美人ちゃんでしょ~。歳は先生たちの一コ下だよー」
「こら。樹理亜、歳を言わない!」
コツンと樹理亜を小突いた樹理亜ママ。一つ下?見えない……。5、6歳は上に見える……。
「浩介先生、この度は樹理亜がご迷惑をおかけしまして……」
「違うもん。先生が勝手に手だしたんだもん」
「樹理亜」
めっと樹理亜を再び小突くと、こちらに深々と頭をさげてくる。
「かばってくださったそうでありがとうございました」
「あ……いえ、どうも……」
何と言ったものか戸惑ってしまう。
樹理亜ママはこちらににじり寄り、媚びを売るような笑みを浮かべた。
「お怪我の具合はいかがですか?」
「あ、いえ、大丈夫です……」
「この子、昔から突飛でもないことする子で……ごめんなさいねえ」
樹理亜ママがいうそばから、樹理亜がふてくされたように母親の裾を掴んで引っ張った。
「ママちゃん、もういいよー。浩介先生は勝手に……」
「樹理亜」
ピシャリ、と強い口調。樹理亜がビクッとする。
「ママは樹理亜のために謝ってるのよ? それを何? さっきから……」
「ご、ごめんなさい」
途端に樹理亜が小さくなる。
(…………樹理亜のために謝ってる、か)
大きくため息をつきたくなるのを何とかこらえる。
「それで、先生? 治療費なんですけどね、うちとしてはわざとやったわけではないし、その……」
「ああ、結構です。いりません。単なる事故ですので」
「そうですか?」
ホッとしたような樹理亜の母親。
カバンからごそごそと名刺を出してきた。
「先生、私のお店。是非いらしてくださいね。サービスしますので」
「…………」
母親同様、ケバケバシイ名刺。店の名前………『ピンクピンクズ』
「私のラッキーカラーがピンクなので、持ちものは全部ピンクにしてるんですよ~」
「そう!だからあたしも小さい頃からピンクの髪の毛なんだよー!」
「ねー」
微笑み合う母と子。
小さい頃からピンクの髪? 「持ち物」は全部ピンクって……子供は持ち物なのか?
「じゃ、先生。お待ちしてますから」
「じゃーねー先生ー」
色々な思いが渦巻いて返事もろくにできないおれを置いて、目黒母娘ははしゃぎながら帰って行った。
「…………子供は親の所有物じゃない」
薄暗い廊下の隅で一人ごちる。自動販売機の機械音が響いている。
脳裏に、もう何年も会っていない自分の母親の面影がよみがってくる。
「子供は親の持ち物じゃない」
再度つぶやいたとき、すっと手足が冷たくなったことに気がついた。
(……まずい)
息が……苦しくなってきた。このままだと過呼吸の発作が起こる。
まずい。このままではまずい……。
「……慶」
そっとその名を呼ぶ。慶、慶、慶……と呪文のように唱える。
あなたの声が聞きたい。触れたい。その柔らかい髪に顔を埋めたい。
(………苦しい)
日本に帰ってきてから約2ケ月。今までに3度、発作を起こしている。日本を離れていた間は一年に一度程度しかなかったのに……。
慶には心配かけたくなくて、発作が起こったことは話していない。これからも慶の目の前で起こらない限りは話すつもりはない。知ったらきっと、慶は自分のせいで日本に帰ってきたからだ、と自分を責めてしまうだろう。
(………慶)
震える手で、携帯を取り出し、写真のデータを呼び出す。
慶の寝顔……胸があたかかくなってくる。
(大丈夫、大丈夫……)
慶の写真を見ながら、ゆっくり、ゆっくり息を整える……。
(慶……慶。大好きな慶……)
空気が入ってくる。大丈夫。大丈夫……。
よかった。本格的に苦しくなる前に引きかえせた……。
と、そこへ。突然、携帯が震えだした。ディスプレイに着信の表示が。
「!」
慶からの電話。反射的に通話ボタンを押す。
「慶!?」
「………早っ」
ビックリしたような、あきれたような声。聞きたかった大好きな声。
「何? 今、携帯使ってたのか?」
「あ、うん。今、ちょうど、慶の写真見てニヤニヤしてたとこ」
「…………。ばかだろ、お前」
あ、「あほ」じゃなくて「ばか」だって。相当呆れてるし照れてるな。慶。
「で、どうしたの?」
「あー、お前、まだ仕事?」
「んー……」
終わろうと思えば終わるし、終わらないと言えば終わらないという感じ……。
「おれ、もう上がれるんだよ。せっかく早いから飯、外でと思ったんだけど……」
「行く!」
やった! 早く会える!!
「おれも速攻で上がる!」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃなくても大丈夫! 今すぐ会いたかったからすっごく嬉しい!」
「…………」
何かツッコまれるかと思いきや、
「浩介」
真面目な声。
「お前、何かあったのか?」
「……どうして?」
出来るかぎりの普通の口調で言うと、
「なんか……泣いたあとみたいな声してる」
「……………」
ぐっとつまる。バレるわけにはいかない。明るい声で言い返す。
「あ、うん。泣いてた。慶に会いたくて」
「……………」
慶はあきれたようなため息をつくと、「まあいいや」とつぶやいた。
「じゃあ、終わったら連絡くれ」
「わかったーあとでねー」
幸せな余韻に浸りながら電話を抱きしめる。
ああ、早く会いたい。早く会いたい。
「………あ」
立ち上がり、椅子の上に放置されていた名刺に気がついた。
毒々しいピンクの名刺……。
このまま放置していきたいところだけれど、校内にキャバクラの名刺を置いておくわけにはいかない。
しょうがなく、拾ってポケットに入れる。その場所だけズッシリ重くなった気分だ。
樹理亜のリストカットはおそらくまだ続くだろう。
なんとかしてやりたい、という気持ちと、教え子でもなんでもないもうじき成人する女の子にあまり関わるのもまずいだろう、という気持ち。それに……自分のトラウマに抵触することが怖い、という気持ちが複雑に入り混じっている。
「…………大丈夫、大丈夫」
もう一度、静かに息を吸い込む。左手の薬指の指輪をぎゅっと握る。
おれには慶がいるから大丈夫。
--------------------------
はあ。書いてるこっちまで苦しくなってきた。
「いまだかつてなく甘やかされている」浩介の話を書きたくなってきた。
もちろんR18話なわけですが……そのうち書こーっと。
通常、この2人、浩介がまめまめしく慶の世話をしたがる感じなので、
浩介がされるっていうのは新鮮でいいですな。怪我した甲斐がありましたな。
でもきっと、慶は体洗ったりしてくれるのも、淡々と事務的にやりそう……。
次は、慶の妹、南ちゃん視点、いっときますかね~。
南ちゃん、母になってもあいかわらずの腐女子です。
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目黒樹理亜の母親が弁護士をつれて病院に押しかけてきたのは、バレンタインの翌々日のことだった、らしい。
らしい、というのは、おれは診療中でその場に呼ばれなかったため見ていないからだ。
その場に呼ばれた看護師の西田さんによると、「院長、かっこよかったですよ~!」とのことだ。
樹理亜の母は、娘に精神的苦痛を与えたことによる慰謝料の請求、をしてきたらしい。
おれが彼女をこっぴどく振ったことになっていて、「未成年の娘に対して医師がそのような態度をとるのはいかがなものか。娘はあれ以来食事も喉を通らない」と、たいそうご立腹だったそうで……。
黙って聞いていた院長は、おもむろにノートパソコンの画面を弁護士に向け、
「樹理亜さんのこの行動は脅迫罪に当たるのではと思うのですが、先生はどう思われますか?」
と、防犯カメラの映像に西田さんが録音していてくれた音源を合わせたものを見せたそうだ。
弁護士は「聞いていた話とずいぶん違う」と飽きれたように言い、ぐずる母親を無理に立たせてすぐに退散してくれたらしい。
「ご迷惑をおかけして………」
院長室に呼び出されたので、てっきりその件かと思って即座に頭を下げると、院長である峰先生は肩をすくめて、
「目黒樹理亜の件か? 別にそんなのは迷惑のうちに入らねえよ。気にするな」
と、言ってくれ、「そんなことより」と口調を変えた。
「今度の日曜日、午前だけって言ったけど、午後も出られるか?」
「? はい。大丈夫ですけど……」
今度の日曜日、この地域で『福祉祭り』というイベントが行われるらしい。会場は地元小学校の校庭と体育館だ。毎年、この病院では『健康チェックブース』というのを出店しているそうで、その手伝いをするように前々から言われていたのだ。
「イケメン渋谷先生は何時にいるのかって、問い合わせが何件もきてる。午前だけだって答えても、自分は午後からしかいけないから何とかしろって無茶苦茶言う奴までいてなー。めんどくせーから、午後もいてくれや」
「………はい」
「片付けには参加しなくていいからよ。3時までな」
「わかりました」
こっくり肯くと、峰先生はヒヒヒと笑っておれの肩をたたいた。
「お前も大変だなー。でもこっちはおかげで患者数右肩上がりで助かってるけどなー」
「………………」
「ホント、口コミってすげえよな。ママ友ネットワーク恐るべしだよ」
「あの……そのことなんですけど……」
この機会なので、ずっと不安に思っていたことを口にする。
「おれがゲイだってこと知られたら、それこそ口コミであっという間に広がって、大打撃うけることになりませんか?」
「んあ?」
峰先生がコーヒーを飲みながら、首をかしげる。
「まー…大丈夫じゃね?」
「そんな軽く……」
「ほら今、おねえとか流行ってるし」
「………おねえではないんですけど」
なんか混同されてるけど、おれは単なるゲイであって、女装癖もない。性同一性障害でもない。
………なんてことは面倒くさいので言わない。
峰先生は、まあまあ、と再びおれの肩をたたくと、
「お前ホント真面目だよなー。なるようになるからいいんだよ。そんなことイチイチ悩んでたら禿げるぞ?」
「……………」
「とりあえず、福祉祭りの件よろしくな。これが集客アップにもつながるんだからな? あと健康診断の宣伝もな」
「………はい」
峰先生はすっかり経営者の顔をしている。でもこれほど理解のある雇い主はそうそういない。
***
福祉祭り当日。
朝まで降っていた雨も何とか上がり、客足も上々。病院のブースは大繁盛となった。
おれも朝から何人分の血圧を測ったのか、数え切れない……。
さすがに作り笑顔に限界がきた、もうすぐ終了、という時間に……
「お願いします」
「!!!」
聞き覚えのありすぎる声にぎょっとして顔をあげた。
「こ………っ」
叫びそうになり、慌てて言葉を飲み込む。
変装のつもりなのか、眼鏡をかけている浩介……。
来るなって言ったのにっ。
「………左腕出してください」
「はい」
しれっと左腕を出してくる様子に、既視感をおぼえた。
(ああ……昔バイトしてたときもこんな感じだったな)
大学時代、おれがバイトしている喫茶店に、浩介は他人のフリをしてしょっちゅう来ていたのだ。その時もこんな風に素知らぬ顔をしていた。
「はい……ああ、いいですね。正常値も正常値。正常値のど真ん中です」
「………血圧まで平均値か」
苦笑した浩介に、思わず笑ってしまう。
浩介は友人のあかねさんに『平均値男』と揶揄されているのだ。おれに言わせれば、浩介は30~40代男性の平均身長より5cmも高いし、国内トップクラスの大学に現役合格してきちんと4年で卒業しているし、平均より上なことが多いと思うんだけど……。
しかも、血圧は……
「いや、『平均値』じゃなくて『正常値』だから」
「ああ、そっか」
顔を見合わせ吹き出してしまう。……いかんいかん。
「じゃ、次は肺活量の計測へどうぞ」
「はい。ありがとうございました」
来たとき同様、しれっとその場を去る浩介。
(………おれも単純だよなあ)
このほんのわずかな時間で、少し元気が復活した。終了時間まであと数分。何とか頑張れそうだ。
「渋谷先生、あと5名です」
「はい。ありがとうございます」
受付を担当している看護師の谷口さんが報告に来てくれた。彼女は働き始めてまだ2年目らしいけれど、気が利くし、落ちついているので頼りにしている。
そろそろ祭りの終了時間だ。見渡すと、片付けをはじめているブースもある。
ああ、あそこのクッキーおいしそうだったのに買えなかったなあ……浩介買ったかな……。
そんなことを頭の隅で思いながら、4名終わり、最後の一人。
「………あれ?」
すとん、とテーブルを挟んだ目の前に座ったのは、丸い黒縁眼鏡にニット帽をかぶった小柄な女の子。
見たことある……と思った瞬間、頭の中で一致した。
「……目黒さん?」
「……はい」
目黒樹理亜はぎこちなく肯くと、左腕を差し出した。手首にいくつも傷がある。
視線が定まっていない。嫌な予感がする……。
けれども、今は何ともしようがない。
「……血圧、測るね?」
普通を装い、血圧計を手にした、その時だった。
「……目黒さん?!」
樹理亜がおもむろに右手を振り上げた。その手には……カッター?!
「ちょ……っ」
血圧計を持っていたせいで反応が遅れた。
樹理亜のカッターが、彼女自身の左手に振り下ろされる……!
「目黒さ……っ」
「!!」
ザッと切りつけられ、血が……
「………………?!」
切りつけられた先にあった手は、樹理亜のものではなく……
「………いってえ」
「浩介?!」
ざっくりと、浩介の大きな手の甲に真一文字の赤い線が……。
浩介の右手が樹理亜の左手をかばったのだ。
「な……っ」
樹理亜が蒼白になって持っていたカッターを地面に落とした。
浩介の手から、ポタポタと血が流れおちる。
「浩介……っ」
とっさに手を心臓より高い位置にあげさせる。
「樹理ちゃん?!」
隣で肺活量計測を担当していた心療内科医の戸田先生が異変に気が付いて悲鳴まがいの声をあげた。その横にちょうど看護師の谷口さんがいる。
「谷口さん、救急セット!」
「はい!」
機敏に動く谷口さんを横目に、浩介をテントの内側に引っ張り込み、椅子に座らせる。
「ちょっと我慢しろ?」
ハンカチを傷口に当てて止血を試みるが、あっという間に血で染まる。止まらない……。
「な、なんで……なんで」
口に手を当て、震えている樹理亜の姿にイラッとする。
お前のせいで……お前のせいでっ。
「戸田先生! 目黒さん、どっかに連れていってください!」
「は、はい」
戸田先生がそこらへんのものを落としながら樹理亜に近づき、腕をとった。樹理亜のことは視界に入れたくない。
「浩介………」
止血しているハンカチからも血が滴り落ちている……。
「目黒さん、大丈夫かなあ」
「この馬鹿っ」
呑気なことを言ってる浩介を怒鳴りつける。
「自分の心配しろっ。無茶しやがって」
「いやあ、とっさに手が出ちゃって」
「出ちゃって、じゃねーよっ」
「渋谷先生!」
谷口さんが救急セットを持ってきてくれた。助かった。
「ガーゼください」
いったんハンカチを外す。ぶわっと血があふれだす。
……深い。縫合が必要なレベルだ。
「浩介……」
血が地面に流れ落ちる。浩介の血が、流れ落ちていく。
だめだ。冷静でいられない。
止血……止血をしなくては……
「ガーゼです。……先生?」
谷口さんが渡してくれたガーゼを取り落してしまった。
手が震えて……
「……くそっ」
手が震えて、うまく動かない。
浩介の血……浩介が………浩介が……浩介が……っ。
「慶?!」
ぎょっとしたように浩介が叫んだ。
おれが自分の手首を思いきり噛んだからだ。震えが……止まった。
「すみません、ガーゼください」
「は、はい」
ガーゼで上から強く抑える。
止まれ止まれ止まれ止まれ……っ。
ものすごく長い時間が過ぎたように感じたけれど、実際は数分といったところだろう。
染み出てくる血の量が減って、一息ついていたところ、
「え、渋谷先生、怪我人? 大丈夫?」
今日一緒に参加していた内科の荒木先生と清水先生が気がついて声をかけてきた。
「ええ、ちょっと……」
「すみません。僕が不注意で怪我をしてしまって」
浩介がニッコリという。
少しも痛くないような顔をしているので、先生方もたいした怪我ではないと思ったようだ。
「片付けはじめちゃっていい?」
「あ、はい。お願いします」
お祭り自体終わりの時間なのだ。どこもみんな片付け始めている。
浩介を促し、近くの植え込みの縁に移動し、引き続き止血をする。
「慶、片付け行かなくていいの?」
「おれは朝から出てるから片付け免除って言われてんの。余計な心配すんな。……あ。谷口さんありがとう」
谷口さんが様子を見ながら、ガーゼの替えを渡してくれる。本当に気が利く子だ。
「渋谷先生」
ふいに、後ろから声をかけられた。戸田先生の声。
「病院に戻りますか? 車出しますよ」
「あ、はい。お願……」
振り返り言葉を止めた。ニット帽が目に入ったのだ。戸田先生に肩を抱かれた目黒樹理亜……。下を向いていて表情は見えない。
(………このっ)
腸が煮えくり返る、とはこのことだ。
故意でないにせよ、浩介にこんな………っ
「あ、目黒さん。怪我はない?」
「!」
飄々と言う浩介。まったく、こいつときたら……っ。
腹立だしいままに、止血の手に力が入る。視界に樹理亜を入れないようにして戸田先生に言う。
「車、お願いします」
「はい。正門の前まで持ってきますので」
戸田先生に抱えられるようにして樹理亜も歩いていく。
ガーゼを取り様子をみてみる。なんとか血は止まりつつあるようだ。
「ああ、良かった」
谷口さんがホッとしたように息をついた。ここにいたのが彼女で本当によかった。他の看護師……西田さんあたりだったら、大騒ぎされていたところだ。
「谷口さん、病院に連絡して縫合の準備を……」
「え、縫合って縫うってこと?」
浩介が驚いたように叫んだ。
「うそっ。そんな大袈裟な……」
「うるせえ黙れ」
座っている浩介の足を軽く蹴ると、再び谷口さんに向き直る。
「で、病院に……」
「は、はい。しておきます!」
谷口さんがコクコクうなずき、心配げにおれを見返した。
「あの……大丈夫ですか?」
「ああ、ほとんど止まって……」
「そのことじゃなくて」
谷口さんがすっとおれの右手首を指した。
「歯型……ついてます」
「あ………」
まずい。変なとこ見られたな……。
「あ、いや大丈夫。ありがとう」
「そうですか……」
「じゃ、悪いんだけど、後のことお願いします」
色々つっこまれる前に退散しよう。
さっと包帯でまくと、浩介を促し、正門に向かう。
「左手で押さえて、心臓より高い位置にしとけ」
「はーい」
浩介、妙に機嫌が良い……。痛くないのか? それはそれで問題だ。
「お前、まさか痛くねえのか?」
「痛いよ~すっごく痛い」
でもニコニコしてる……。
「じゃ、なんでそんな嬉しそうなんだよ?」
「だってさ~」
へへへへへ……と笑う浩介。
「おれ、愛されてるなあ~~と思って」
「は?」
意味分かんねえ。
「何をどうしたらそういう結論になるんだよ?」
「だってさー、慶ってお医者さんモードだといつもすごい冷静じゃん? 前に目の前で交通事故があったときだって、テキパキ対応してて、めちゃめちゃかっこよかったし、あっちにいたとき、血まみれの子供が運びこまれたときも冷たいくらい冷静だったし」
「……そんなことあったな」
「だからさ」
浩介が立ち止まり、こちらを見おろした。
「さっきみたいに動揺した慶、初めてみた」
「…………」
「不謹慎なんだけどね、すっごく嬉しくなっちゃって」
にっこりとする浩介。
「愛のしるしだな~と思ったりして。その歯型」
「!」
とっさに右手首を隠す。
いや、自分でも驚くほど動揺して……。くっそー。
「あほかっ」
「痛ってーーーーっ」
後ろ太腿に蹴りをいれると、浩介が大げさに悲鳴をあげた。
「先生、おれ、怪我人。もっと大事に扱ってくださいっ」
「うるせえ。もーお前、麻酔なしで縫合な。ちょっとはそのお花畑な頭がすっきりするだろ」
「お花畑って」
「花畑だよ。ホントによ……」
促して再び歩きはじめる。
「もう絶対にやめてくれよ?」
「? なにが?」
「何が、じゃねえだろ」
蹴るか殴るか頭突きするか抱きしめるかキスするか、いずれかしたいところを全部ぐっと我慢する。
「誰かをかばって怪我、とかそういうの」
「………ごめん」
はっとしたように謝った浩介の背中に、そっと手を添える。
「おれ、お前に何かあったら……」
「慶………」
あらためて思う。何よりも浩介が大切だ。傷つけたくない。守りたい。その気持ちは高校時代からずっと変わらない。きっと何年何十年たっても変わらない。
正門の前についた。まだ車はきていない。
帰るお客さんや、荷物を運ぶ関係者がおれ達の目の前を通り過ぎていく。
「……慶」
ぽつん、と浩介がつぶやいた。
「ん?」
「今、抱きしめたら怒る?」
「…………殴る」
「じゃ」
手を伸ばしてくる浩介。おいおい。
「だから殴るって言ってんだろっ」
「いいよ」
「いいよじゃねーっていうか、それ以前にお前、手! あげとけっ」
「えー」
浩介はムッとしたまま、右手をブラブラと上にあげたが、
「あ、いいこと考えた。慶、そこの花壇の縁の上に立ってよ」
「なんだと!」
浩介が指さしたのは高さ20cmくらいの煉瓦の縁。
浩介とおれの身長差は13cm……。くそーっ。
「ちょっと背が高いからってばかにしやがって!」
「わわわっそんなつもりじゃっ」
ぐりぐりと脇腹に拳をねじ込んでやると、浩介がケタケタ笑いだした。おれもつられて笑ってしまう。
浩介といると笑ってばかりだ。
「あ、あの車。あれじゃない?」
「そうだな……」
向こうからやってくる白いワゴン車……。助手席に目黒樹理亜の姿がある。
目を尖らせたおれに気がついて、浩介が顔をのぞきこんできた。
「慶、目黒さんのこと怒らないでよ?」
「…………」
「慶?」
「……分かってるよ」
頭をぽんぽんとされ、嫌々うなずく。
この世で一番大切なものを傷つけられて平気な顔をしていられるほど、おれは人間ができていない。
目黒樹理亜とは今後一切関わりを持たない、と強く心に誓った。
--------------------
長くなっちゃった。
今回書きたかったシーンは<震えを止めるため自分の手を噛む慶>でした。
慶さん、わりと冷静だし、直接的な言葉(好きとかそういうの)言わない人なんですが、
こういう行動の端々に、浩介のことがすっごく好きってことが出てしまうわけです。はい。
次は浩介視点。
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若さは最強。
ママちゃんも、杉さんも、吉田さんも、お店のお客さんみんな言ってる。
だから今、この若さを武器にしないでどうするの、ってみんな言ってる。
「樹理ちゃん、ホントすべすべだね~お水弾くね~」
「だって若いもーん」
いつものように杉さんが私の手をなでなでしてくる。
嫌だったら断りなさい、なんておかしなことを言ってくる人もいるけど、意味が分からない。
全然嫌じゃない。なでなでされたら気持ちいい。
もうおじいちゃんな杉さんの手はごつごつしてて水分がない。ベタベタしてないからいい。
「ねえねえ、やっぱり若い方がいいよねー?」
「そりゃそうだよ~」
吉田さんがお酒を作りながらうなずいた。本当はあたしがやらなくちゃいけないらしいけど、吉田さんはいっつも自分でしてくれて、一緒にきてる杉さんの分も作ってくれる。とってもいい人。
「じゃあさあー……女優さんみたいに綺麗な30過ぎの人と、あたしだったらどっちがいいー?」
「それはー……」
二人、顔を見合わせた。
「………もちろん樹理ちゃんだよ」
「今の間、なに?!」
即答しなかった!
「ひどい! ひどいひどいひどいーーー!」
「樹理ちゃん、落ちついて」
「樹理……」
「樹ー理ー亜!」
その場にあったコップを投げようと振り上げたところで、いきなり後ろから抱きつかれた。大好きな柔らかい感触。途端に心が落ちつく。
「ママちゃんっ」
振り返ると、大好きなママちゃんがいた。
ママちゃんは、あたしの本当のママで、このお店のママでもある。
「杉さんも吉田さんもひどいんだよー」
「うんうん。聞いてた聞いてた。ひどいね~」
ママちゃんがイイコイイコしてくれる。
「ママ。助かったー。また樹理ちゃんが暴れるかと思ったよ」
「二人が怒らせるようなことするからでしょー?」
ママちゃんがストンとあたしと吉田さんの間に座った。
「で、樹理亜? 30過ぎの女優みたいな人って、誰なの?」
「先生の奥さんー。すごい美人だったのー。あたしやっぱり負けちゃうかなー」
「そんなことないよ!」
杉さんが再び手をすりすりしてくる。
「この水水しさには叶わないよ」
「そうだね。やっぱり若さアピールの色仕掛けが有効だね」
「そうだよねー! あたし頑張るー!」
ガッツポーズを作ってみせると、杉さんと吉田さんが「よっ樹理ちゃん!」「頑張れっ」と掛け声をかけてくれて、ママちゃんはニコニコしてくれた。近くの席のお客さんも「何か分からないけど頑張れー」って拍手してくれた。このお店に来る人はみんな温かい。
**
「不倫なんて、何もいいことないわよ?」
と、戸田ちゃんが真面目な顔をしていった。
戸田ちゃんは心療内科の先生で、歳は30代前半、らしい。すごい厚化粧でパンダみたいな目をしてる。
心療内科には不安な気持ちを落ち着かせるお薬をもらうために、時々通うようにしてる。
「えーどうしてー?」
「お医者さんとしてじゃなくて、人生の先輩として言うけどね?」
戸田ちゃん、器用にくるくるペンを回してる。
「まず、渋谷先生は真面目そうだから、浮気するとは思えないけど……、まあ、例えば、ここで、樹理ちゃんが渋谷先生を略奪したとしましょう」
「うんうん。略奪愛ってやつね!」
略奪愛……素敵な響き。
「そうしたら、きっと、樹理ちゃんは一生、不安なままよ?」
「………不安?」
「第二の自分がいつ現れるかって、ずっと不安なまま過ごすことになる」
「第二の……自分?」
なんだそれ?
「自分も略奪できたってことは、今度は自分がされる番になるってことでしょ」
「それは……」
「樹理ちゃん、若さを武器にしたいみたいだけど、10年たったらアラサーだからね? 10年後、自分みたいな10代の女の子が現れて……」
「あーーーもーーーーいいよっ」
耳をふさぐ。
「そんな先のこと考えたくないっ」
「……それに何よりね」
戸田ちゃんのペンがぴたりと止まった。
「人を不幸にして手に入れる幸せなんて、続かないわよ?」
「……………。それは、戸田ちゃんの経験談?」
戸田ちゃんは、三秒ほど黙ってから、「さあね」と言って、パソコンに向かってパチパチ打ち始めた。
「いつものお薬出しておくから、また来週来てね?」
「……先生のこと、あきらめたほうがいいと思うー?」
言うと、戸田ちゃんは大きくうなずいた。
「おすすめできないわ。樹理ちゃんにはもっとふさわしい相手がいると思う」
「…………ふーん」
でも、そんなことはあたしが決めることだ。
今週末の土曜日はバレンタイン。勝負の日だ。
***
土曜日の小児科の診察は、午前中だけ。12時までになっている。
でもあいかわらずの大盛況で、全員終わったのは、2時近くだった。
そして終わったはずなのに、小児科の待合室には10組くらい親子がいる……どういうこと?
「あのー…今日は午後も小児科あるんですか?」
感じのよさそうな親子連れの母親に聞いてみると、まわりのママ達もドッと笑った。
「いえいえ、違うのよ~。この子たち、渋谷先生のファンでね~。みんなバレンタインのチョコ渡したいって言って……」
「ねー?」
あ、ホントだ。上の子は全員女の子だ。幼稚園くらいかな……。
でも「この子たち」がファンだという割りには、ママ達も化粧に気合い入ってる気が……。
「あ! 渋谷先生だ!」
「せんせーい!」
わっと子供たちが一斉に、処置室の出口から出てきた渋谷先生を取り囲んだ。
渋谷先生はみんなが待っていることは聞いていたようで、驚いた様子もなく、待合室の端のベンチにみんなを誘導すると、座って一人一人と話しはじめた。
(………天使だ)
本当に天使だ、と思う。優しい微笑みを浮かべて子供に囲まれている天使。お昼ご飯もまだだろうに、嫌な顔一つしてない……。
わあわあきゃあきゃあと写真撮影までして、10組の親子連れは帰っていった。
「あのっ渋谷先生………っ」
親子連れがいなくなったタイミングを見計らって、先生に声をかける。
「あの……っこれっ」
えいっとチョコを差しだす。ママちゃんおすすめのめっちゃ高いチョコレート屋のチョコ。
「これは……?」
「バレンタインのチョコレートです! 受け取ってください!」
「…………」
渋谷先生は、「うーん……」と言いながら頬をポリポリとかくと、
「ごめんね。受け取れない」
「え! どうして?!」
さっき、あの子たちからのチョコはもらってたのに!
「あの子たちは、全員患者さんだからね。お返しも経費で落ちるんだよ」
「け……」
けいひ? 意味が分からない。
渋谷先生は淡々と続ける。
「目黒さんはおれとは何も関係ないから、もらうことはできないよ」
「関係ないって……っ」
ひ、ひどい……。
「じゃあ、これから関係もってください! あたしと付き合ってください!」
「ごめん。無理」
バ、バッサリ……。
渋谷先生の顔から笑顔が消えてる。ちょっと……怖い。
でも頑張って食い下がる。
「そ、それは……奥さんがいるからですか?」
「…………」
「奥さんのどこが好きなんですか? 美人だからですか? 背が高いからですか?」
「…………」
渋谷先生は、大きく大きくため息をついた。
「顔とか背の高さとか、そんな外側のことはどうでもいいよ」
「じゃあ、どうして……」
「ずっと一緒にいたいと思う大切な人だからだよ。だから悲しませるようなことは絶対にしない」
「…………」
「ここのお店、すごく高いよね? せっかく買ってくれたのにごめんね」
「…………」
なんだそれ。なんだよそれ……。
「奥さん、いくつ?」
「え?」
「もう30越してるよね? ほら、見て。あたしの足」
しゅっとスカートをたくし上げる。
「きれいでしょ? 水水しいでしょ? はりもあるでしょ? いいなって思わない? 試してみたいって思わない?」
「………目黒さん」
渋谷先生、また大きく大きくため息をついた。
「あのね、本当に愛している相手だと、その人の張りのなくなった肌であろうと、白髪であろうと、全部が全部愛おしいって思えるものなんだよ?」
「……………」
そのセリフ……先週聞いた……。
「それ、ドラマとか映画とかのセリフ?」
「? どうして?」
「こないだ同じこと言ってた男の人がいるの。前通ってた学校の先生なんだけど」
「…………」
「渋谷先生よりちょっと年上くらいかなー。フツーのオジサンだったけど」
「…………」
渋谷先生はなぜか結婚指輪をぎゅっと握ってから、顔をあげた。
「目黒さん、おれのこといくつだと思ってる?」
「え? さんじゅう……に? さん?」
「40だよ」
「え?!」
40?!
「もうすぐ41」
「うそっ」
ママちゃんより年上?!
「もしかして、目黒さんのご両親より年上なんじゃない?」
「う………うん」
「目黒さんにはおれなんかじゃなくて、もっとお似合いの相手がいると思うけど?」
「そんな……っ」
あたしは子供すぎて相手にならないってこと?!
「あたし、もっと年上の人とだって付き合ったことあるよ! 年上全然オッケーだよ!」
「目黒さんがよくても、おれがよくないから」
ぴっと手で制された。結婚指輪が光ってる左手……。
「じゃあ…」
「先生、待って」
行きかけた先生を呼び止めて、思いっきり自分のブラウスを引きちぎる。
「この状態で、あたしがここで悲鳴をあげたら、どうなると……」
「残念だけど」
「!」
すっと無表情に見返された。ドキッとするほど冷たい目……。
「そこの防犯カメラに全部写ってるから。それに……」
「………目黒さん」
柱の陰から看護師が出てきた。よりによってあのガサツな西田サンだ。
「全部聞いてたよ?」
「……………っ」
「ボタン、取れちゃったやつ、付け直してあげる」
西田サンと入れ替わりに、渋谷先生が行ってしまった。振り返りもしない。
冷たい……冷たい人だったんだ……。
裏切られた。天使なんて大嘘だ。悪魔みたいに怖い人だ。
------------------------------------------------
モテる人って大変だよねー。って話でした。
慶さん、心の中で「めんどくせーなー」って思いながら帰っていったね……。
次回はそんな慶さん視点のお話。
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「それがねー…天使、結婚してたのー……」
しょぼんとした声。ピンクの頭の目黒樹理亜が、職員室の応接コーナーで圭子先生とお菓子を食べながらしゃべっている。
偶然、慶の診察を受けたという樹理亜。天使みたいなお医者様に運命感じた、と前にきたときは話していたが……。
「結婚って、聞いてみたの?」
「ううん……指輪しててー……」
よしよし。指輪効果出てるな。先日、おれとお揃いの指輪を作ったのだ。女よけに最適だ。
内心ほくそえみながら、自分のデスクでテストの丸付けに精を出していた、が、
「それでねー見ちゃったのー。奥さん、すっごい美人だったのー」
「え……っ、ゴホッゴホッ」
思わず、え、と言ってしまって、慌てて咳をして誤魔化す。樹理亜と圭子先生は一瞬こちらに目をやったが特に気にした様子もなく再び会話に戻っている。
奥さん、すっごい美人……って?
「美人って……会ったの?」
「ううん。あのねーこないだ後つけてみたのねー」
「樹理ちゃん、またそんな……」
「バレてないから大丈夫だよー」
「そういう問題じゃないでしょ」
圭子先生が、珍しく真剣な声で咎めている。後をつけたって……それに「また」って……。
「でねでねー駅についたらねー女の人が『けいくーん』とか言って走ってきてねー」
「………それで?」
「その人が、すっごい美人だったのー。天使よりちょっと背高くて、スラっとしてて……」
「…………」
「で、天使が、その人の持ってた買い物袋をさっと持ってあげてさー。中身、牛乳だよ牛乳。なんか生活感あふれてるっていうかさー」
(………あかねだな)
ホッと胸をなでおろす。話を総合するに、その美人はあかねで間違いない。
あかねというのは、おれの友達で、今住んでいるマンションを貸してくれている。
つい先日、うちに遊びに来るあかねに牛乳を買ってくるよう頼んだことがあった。その時、偶然慶に会ったとかで、一緒に帰ってきたんだった……。
「じゃあ、もう、その天使先生はあきらめないとね?」
「えー? あきらめないよー?」
圭子先生の言葉に、きょとんと樹理亜が言う。
「だって、そんなの奪っちゃえばいいだけじゃーん」
「奪うって、樹理ちゃん……」
奪う? 何言ってんだ? この子。
「確かに奥さんすごい美人だったけど、歳だもーん。おばさんだもーん。30過ぎてたもーん」
「……………」
あかねさん、言われてますよ……。
「その点、私はまだ19歳! 若い方がいいに決まってるでしょー?」
「樹理ちゃん」
60歳近い圭子先生があきれたように、
「そういう問題じゃなくて、結婚してる人に……」
「ねー! そこの先生!」
圭子先生の言葉を遮って、樹理亜が叫んだ。
そこの先生………。おれか。
「ねえねえ、先生?」
「え? おれ? 何?」
丸付けに夢中で、君たちの話なんて全然聞いてませんでした風を装って返事をする。
「先生もやっぱり若い子のほうがいいでしょー? 奥さん若くならないかなーって思ってるでしょー?」
「……………」
おれも指輪をしているので、妻帯者だと思ったらしい。
答えていいもんかな? と思って圭子先生を見ると、圭子先生が肩をすくめて「どうぞ」という仕草をしたので、軽くうなずく。
「いや……そんなことないよ」
樹理亜を正面から見返す。ピンクの頭が揺れている。
「本当に愛してる相手なら、シワも白髪も愛おしいと思えるもんだよ?」
「……………なにそれ」
ムッとした樹理亜。若い。確かに若い、と感じる。でも若けりゃいいってもんじゃない。本当に。
樹理亜が納得いかない、というように叫んだ。
「若い方がいいに決まってるじゃん!」
「樹理ちゃん」
圭子先生が樹理亜の腕に触れると、樹理亜は勢いよくそれを振り払り、わめき散らした。
「ばかじゃないの?ばかじゃないの?ばかじゃないの?」
「樹理………」
「バーカ! シネ!」
樹理亜はひどい顔をして叫ぶと、あちこち蹴りながら職員室から出ていってしまった。
おれの対応がまずかったのか……。
「すみません……僕が……」
「ああ、いいのいいの。あの子いつもああなのよ」
「でも……」
「最善の答えだったわよ? そう思ってもらえる奥様は幸せね」
「…………」
圭子先生がカップの片付けをしながら、独り言のように言葉を継いだ。
「これで天使先生をあきらめてくれるといいんだけど。前みたいにストーカーで逮捕されたりしたら大変だわ」
「逮捕?」
あんな小動物みたいな子が逮捕されるなんて、想像がつかない。
「あの子ね、前も担当の美容師さんをしつこく追い回してね……。まあ、ちょっと不安定な子なのよ。今も心療内科に通っていて……」
「心療内科?」
「そう。リスカ癖……癖っていうのも変だけど、まあ癖……よね」
「リスカ……」
リストカット。自傷行為……。
「こないだも、病院で手首を切ったらしくて……それを治療してくれたのが天使先生なんですって。天使先生がすごくいい事言ってくれて、初めて、もうリスカなんてしないって思えたって言ってたわ」
「……………」
慶、そんなこと一言も言ってなかったな……。
まあ、当然か。医師には守秘義務がある。
「やっぱり病院側に連絡しておこうかしらね。浩介先生、連絡先調べてくれる?」
「え、あ、はい」
「病院名はねえ……樹理ちゃんの家の近くなのよね……ちょっと待ってね。今名簿探すから」
「…………はい」
知ってます、とも言えず、圭子先生が探してくれるのをひたすら待つ。
「あったあった。この住所の近くの病院のはずなの」
「はい……」
当然、慶の勤めている病院のことだ。
わりと大きな病院だ。一般内科・呼吸器内科・循環器内科・消化器内科・心療内科・小児科・外科・脳神経外科・形成外科・整形外科……
「心療内科は火曜と木曜だけです。先生の名前は……戸田菜美子先生。女性ですね」
「そう……。天使先生の名前も分かってたほうがいいわよね。なんていうのかしら……こないだ樹理ちゃん面白いこといってたのよね。名字が駅名で、自分と2駅しか離れてないって」
はい。そうです。渋谷、です。
と言いたいところだけど、我慢我慢……。
「目黒の次の次……、大崎かしら? 目黒、五反田、大崎」
「…………」
圭子先生、内回り行っちゃった……。
「大崎という方はいらっしゃいませんね……。渋谷、じゃないでしょうか? 渋谷先生ならいらっしゃいます」
「ああ、外回り。目黒、恵比寿、渋谷ってことね」
知っているくせに知らないフリをするのはなかなか難しい。
「どんな方なのかしら。写真とかある?」
「ああ、どうでしょう……、………!!!」
思わず、うわっ!と言ってしまいそうになり、思いきり息を吸い込んで誤魔化した。
先生一覧の名前をクリックしたら、一人一人の紹介の画面に飛んだのだけれど……
「あら~~本当にすっごいイケメンなのね。芸能人みたい」
「……………」
こ、これは……。
プロにでも撮ってもらったのだろうか? 普通のスナップ写真ではない。
カメラ目線ではなく、診察している最中という雰囲気の写真。
白衣に聴診器。真剣な眼差し……。か、かっこよすぎる……。
この写真、ほしい……。
「確かに樹理ちゃんが入れ込むのも分かるわね……」
「そうですね……」
すごい……すごいな。こんな人がおれのものなんて。
顔がにやけてしまうのを必死に抑える。
「今日、木曜日よね。ちょうどいいわ。電話してみるわね」
「はい。電話番号は………」
圭子先生が電話しているのを聞きながら、慶の写真を眺める。左手の薬指の指輪をなでてみる。胸が温かくなってくる。
(ホントにこの写真ほしいんだけど……)
慶、データ持ってないかな? 今日帰ったら聞いてみよう。
***
「持ってねーよ」
渋谷先生、バッサリです……。
「えー!!ほしいのに!」
「何に使うんだよ?」
「それは………とても言えません」
「あほかっ」
げしっと蹴られた。写真と顔は同じなのに、同一人物とは思えない。まあ、こっちが本来の慶であって、写真が作りものなんだけど。
「目黒樹理亜さんの話……聞いた?」
「ああ……まあ……」
今日はカレー。慶が丁寧に灰汁をとっている横で、おれはサラダ作りをしている。
「気をつけてね?」
「そう言われてもなあ………」
うーん、とうなりながら、カレーのルーを投入する慶。
「おれ、別に関わりないのになあ……」
「…………慶」
本当にこの人、無自覚すぎる。
「慶、ちょっとは自覚したほうがいいよ? 慶ってすっごくすっごくかっこいいんだよ?」
「………別にかっこよかねえよ。チビだし」
出た。小さいコンプレックス。小さいっていったって、164cmあるんだから、女性の平均身長よりは大きい。
「慶はスタイルいいから小さく見えないよ?」
「でも実際小さいからな」
慶はムッとした顔をしたまま、ルーをとかし終わり、再び火をつけた。
「ま、誰にどう思われようと、関係ねえからいいんだけどな」
「関係ないって……」
「関係ねえよ」
慶がカレーをぐるぐるかきまぜながら言う。
「おれにはお前がいるからな。他の奴なんか関係ねえだろ」
「!」
うわ……
「慶………」
なんかものすごい言葉をさらっと……。
こらえきれず、後ろから抱きしめる。柔らかい髪。優しいぬくもり。
「あぶねーぞ?」
「火、とめる。今から40分ほどお時間ください」
「40分って……妙に具体的だな」
「少ない?」
「…………。食べてからに……」
「無理」
手を伸ばして火を止める。
「今。今すぐ」
「……………」
振り返った慶の唇にそっと重ねる。慶の左手の薬指を握りしめる。
「おれのもの。おれのもの……」
「……何言ってんだ?」
「慶はおれのもの。おれは慶のもの」
「……変な奴」
笑った慶を抱きしめる。
慶はおれのもの。おれは慶のもの。
ずっとずっと変わらない。
-------------------------------------
R-18じゃないので自粛。
40分じゃたりなくて、ご飯食べるのは一時間以上後になると思われます。
覚書
1/15(木):樹理亜病院でのリスカ
1/16(金):樹理亜退院、浩介の学校へ・指輪の話
1/17(土):指輪を作りに
1/23(金):樹理亜抜糸
2/2(月):樹理亜、慶の後をつける
2/5(木):上記話
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