きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

それでも。

2015-11-21 17:12:00 | 徒然に2014-2015
朝から庭の草引き。草刈り機を使うには、背が低く、地面に葉を開いているような雑草が多いので、手で引くことに。
完全にはやらない。やると1日仕事になる。気にならない程度に草を引き(草を抜くという地方もあるらしいが)、草を毟る(むしるって凄い漢字だわ)。草を摘む感じで済ませるところもある。
適当といえば適当。どちらかといえば、大きめの草は根から引くし、小さいのは葉を毟る感じ。いっぱい生えているところは摘む程度。
でも場所によったらその基準も曖昧で。
結局のところ相対的な基準によるのだろう。周りの状況見て、小さめでも抜くところもあれば、大きめでも葉だけ毟って根を残すところもあった。
非常にボーダレスだなと感じる。境界線がない。完全に引くというならそれはそれで分かりやすいが、草を引く作業自体は大変だから、適当さというのは必要になる。絶対的な尺度がない。
加えて、賃金がもらえる程度の作業をするとなると、その適当さがものすごく微妙になったりするなと思う。

引きながら毟りながら考える。世の中そういう適当さというのは確かに存在するなあと。そういうもんだろうなと思う。それで回っている部分というのはかなりある。
しばらくたって考える。
でも、適当にされる側になるとやはり困るんじゃないか。不平等だろうと。納得がいかないだろうと。
正常と異常の境目は案外ない。だから、そういうの抜きにしてすべてを対象にするならみんな納得がいく。適当なところで境目を作る(あるいは例外を作る)から歪みが生まれる。でも実際は境目が必要なことはいくつもある。
境界線が必要なことについては、やはり適当さというのは厳禁ではないかと思う。公正さを維持するためには「遊び」の部分があってはいけない。そのグレーゾーンに入ってしまう事柄は、どちらかに振り分けるためにみんなが納得する理由なり根拠なりが必要だろう。

黙々と3時間。やはり1時間では終わらんかったか。
草引き自体は、非生産的行為だが、考えることは結構あった。いつもは草を刈るばかりだから、今日は地面から近い目線で作業をしたからかもしれない。
にしても。
しゃがんで作業というのはきつい。
握力ないな。筋力ないな。

で。

始まったようで。負け戦覚悟の上で乗り込んだか。
完全にアウェー。でも。

がんばれみきゃん。