きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

所謂「手帳」の話

2018-02-28 08:34:27 | 脊髄内血管腫との邂逅
以前、知人が「手帳」を持つということはどういうことを意味するかの問いに対してこう答えた。
自分が障がい者であることを認識すること、或いは周りに示すこと。

分かりやすい。

あくまで、ではあるが。
障がいは絶対的な状態ではありながら、環境によってその状態が変化するという相対的な意味も含まれると思う。手帳の取得が障がい者であるということを絶対的な形で公認するものではないにもかかわらず、現実問題として社会復帰するにあたっては我が国の場合、身体障害者手帳(この言葉は制度的法律的な用語(?)だから「障がい者手帳」のようには記さない)の取得がスタートになる、ということを思い知らされている。
現行制度上手帳を持たないで社会参加をする人は理解啓発などの面で別の難しさが加わるのは言うまでもない。これがないと社会参加ができないかというとそうではないのだが、いろいろな物理的バリアの解消が自費でのやり繰りになるということはいえる。実際のところは、障がいに関するもろもろについては兎に角お金がかかるため、これがないとしんどいなあと思う面は多い。
難しい話より、何よりお金の話で絶句することになる。
身体障害者手帳の所有で、その金銭的な部分でメリットが得られることは幾つかある。しかし、今の制度は今の社会のシステムに合致していないなと感じることもある。例えば、航空機の割引などは割引率から考えると「特割」とかLCCの利用をした方が良くて余り恩恵はないように感じる。JRにしても半額は100キロからであり、特急料金の割引もないので、今まで使っていた「トクトク切符」みたいなのを利用する方が現実的である。まあ、飛行機もJRも、いつでもどこでも割引してもらえるという点での保証は得られているので悪くはないのだが。後、青い鳥の葉書とかも。儂に言わせるとこれをわざわざ使わなくても、ということも多いように感じる。
反面、医療費がサポートされるのは有り難い。確かに車椅子の生活になってから、体の不調は割と頻繁に起こり、服薬やら診察やらはどうしても多くなっている(儂の場合、紙オムツ代が出ないのは残念だが)。税金関係やNHKとか高速とかも幾つか減免されるものがあるが、これ自体減免する意味は実のところよく分からない。次に示すような環境整備をするにあたってはかなりお金もかかるから、トータルでトントンに近付くという感じになるんだろうか。そういう理屈は通らないのは分かっているが、ただまあ、普通にしてても社会参加のバリアはここかしこにある。それが金銭的にだけでも楽になるのは正直有り難いとは思う。

で、手帳の申請をスタート。

で、手帳を得て、市役所の方や病院のソーシャルワーカーさんに助言をいただきながら早速取りかかったのは、補装具、日常生活用具、住宅改修、自動車改造のそれぞれの申請である。これらは全部費用が出るのかというとそうではなくて、あくまで補助みたいなものだから自己負担額はそこそこ生じる。それに、これまで車は乗らなくても生活できていたが、これからはある意味車に乗らないと生活に支障が出る面もあるので、車は購入することにした。こういう費用は当然出ないから、そうした面はもろ全額負担にはなる(当然中古にするつもりだが)。
で、退院まで残り50日を切った現在(転院して2/3が終わったわけで)、リハビリと平行してその手続きを始めている。補装具では車椅子に関する試乗や調整の話が始まっている。日常生活用具と住宅改修は、先日、リハの先生とソーシャルワーカーさん、福祉関係の業者さんと自宅にていろいろと実地検証しながら、具体的な整備方法を検討。自動車改造は、まずは免許の条件変更の手続きを経てになる。
それでも儂の場合、治療期間が長かったことが幸いしたのか、この習得がリハビリ入院中にできた。よって、退院までに環境整備を整えることができそうになってきた。これは本当にラッキーだったように思う。

証明写真なんてないから、先日の帰省時に撮影したスナップで作成。
内容的にはきちんとまとめていかなければならない話だが、思いつくままに綴ったのでまとまりのない話になってしまった。
ともあれ、物理的なバリアに加えて制度的なバリアの解消のためには、充実させる必要があるものや必要でないものも出てくる筈である。手帳取得にあたって、そういうことを感じたので記してみた、ということで。

ぶっちゃけ、こうした形で聴覚障がいじゃなくて肢体不自由で手帳取得になるとは思わんかった。これが正直な気持ち。
そして、儂の難聴の場合、我が国の基準では障がいには当たらないとされている。今回、手帳が手元に届いて、今の自分のアイデンティティがはっきり示されていると感じた。そういう意味では、金銭的な面での援助とは別に、難しいこと考えずに済むから楽になったのは確かである。