「フランス人は10着しか服を持たない」とか
「服を買うなら捨てなさい」(宝島社)といった
ファッション系「捨て本」が人気です。
現在「捨てる!」が課題の紫苑としては、
やはり気になる。
「買ったら、捨てる」とは
「捨て」の王道なので、いまだ未読なのですが、
キモノを整理しつつ、思うのは
「捨てるなら、憶えなさい」
というのは、
「捨てる技術!」の「聖域を作らない」という項目、
→たとえば思い出のモノなどを捨てられない、
そんなときには、「こう考えよう」とあって、
「あなたが死ねばみんなゴミ」と、ばっさり。
うーん、それでも「子どもが小さいときに自分で作った子どものロンパース」とか、
実物は捨てたけど、写真はなかなか捨てられない!
いあ、もうこのロンパ自分で作ったのよ。
「恩着せがましく」子どもに見せたい。
それが捨てられない理由~~??
そんなとき、私が考えた「こう考えよう」が、
「捨てるなら、憶えておこう」
きものや洋服、モノを整理するに当たり、
着ていないもの、使っていないモノは、簡単に処分できるのです。
それは思い入れがないから。
一方、思い出のあるものは、なかなか処分できません。
娘のショーに着ていったきものとか、きもの友達と遊んだときのきものとか。
母の買ったくれた貴重な一枚とか。
こういう着物たちは、たとえ、災害に遭って失ったとしても、
絶対に忘れない~~。
「捨てる」ときには、「見ないでどんどん捨てる」と、
たいていの本には書いてあります。
ロンパースばかり作ってた?
でも、捨て作業、そんなに急いでどこに行く?
少なくとも、自分にとっての「聖域」に関しては、
ゆっくり、思い出に浸りながらやってもいいのではないの?
途中に気になる本ならつい読んでしまう、
アルバムなら見入ってしまう。
少し期間かけて、モノの想い出を呼び起こしながら、捨てる!
人って、記憶からできているんですよね。
何を覚えているかが、その人がその人たる所以。
自分を作ってくれたのモノたち。
だから、捨てる前にしっかり頭に刻みつける。
それなら、モノたちも安心して往生できるかも。
人だって同じでしょ。
周りの人、いなくなってもちゃんと覚えていれば、その人は
近くにいるのと同じなんだよね。
死んだら、みなゴミ、だからこそ、今、しっかり覚えておく。
それを再確認しながら、「自分の生活」を振り返る、
それもまたいいのではないの?
どんなに気に入っていても、いずれ手放す日が来る。
それでもしっかり憶えておけば、自分の手を離れても
それらは生きているんだと、思う。
うーん、ワタシにとって「捨て作業」って
センチメンタルジャーニー、ノスタルジー、
(汚?)部屋の片隅からの小さなタイムトリップ。
年齢のせい?
応気が向いたら
援ポチ嬉しいです。