着物着るのに理屈はいらない~~と思っていますが、
「それは違う。こちらが正しいでしょう」と
あまりいつまでも、何度も言われると、
いや、ルールなんて誰が決めたの?と
こちら側の根拠を探したくなります。
かのTKさんのように、
「正解はない」と、
私がいくら言っても
説得力はないからねえ。
根拠あってこそ、でしょう。
で、
まずは先の「長襦袢はチラ見せ下着、だと思う」に
頂いた、とても貴重なコメントです。
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亡くなった母が瀬戸内寂聴さんの小説だったかを読んでいて、
昔は女性は、ある程度の年齢になると着物でも
地味な色合いのものしか着られなかったみたいです。
(あくまで一般の女性の場合)
ある程度の年齢といっても、
40代くらいだと女盛りの年齢なわけで、
夜の生活はあるわけです。
長襦袢の華やかさはその為のものだというわけです。
チラ見せの色気よりもっと踏み込んだ長襦袢の効用ですね。
母は多分、年を取っても長襦袢が派手でも構わないことを
不思議に思っていたのだと思います。
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この小説、「妻と女の間」かと思っていましたが、
違うかもしれません。
この小説読んでいないので。
ただ、瀬戸内さんの「妻と女の間」を
市川崑監督が映画化しているのを、
たまたま契約している局で見ました。
ストーリーより着物重視、私の場合。
それも「女と着物と長襦袢」の関係が
とてもよく描かれています。
厳格キビシイ母親がなくなって形見分けの場面で、
母親が大切にしまっていた
長襦袢を見つけるんですね。
そこには~~、
春画~~。
長襦袢は奥ゆかしくも
密かな女性の願望を象徴する
存在でもあったのですね。
襦袢だけではなく、補正についても、
「芸者さんは補正はしない」と。
それにかの山口智子さんも、
「きものを脱いだ時でも美しくありたい」
だから補正はしたくない、
とおしゃっていました。
→タイトルはちと違いますが、山口さんの言葉が。
着物は重ね着といって、
表の着物と長襦袢が合わさって
はじめて美しさを表すもの。
書店で見つけたのはこんな本。
「きもの文化と日本」
着物の棚で見てはいたのですが、
着物本、活字よりやはり写真でしょうと
敬遠してた。
でも、手に取ってパラパラ見ると
まさに今のテーマが(笑)。
着物に理屈はいらないけど、
一応押さえてておくと、
いろいろ言われても、
強気でいられます(笑)。
ここには、
着物それ自体が「下着がルーツだった」とも。
で、大きな課題?
「ルール」については、
「ルールは本当に伝統なのか」との一章が。
はい、このタイトル自体、ルールではないよと、
言ってますね(笑)。
では、その根拠は~~。
長くなるので、またすぐにアップしますね。
というわけで、今回は
女ときものと長襦袢の色っぽい関係、
紫苑には無縁ながら、一応押さえておきました。
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貴重なコメントだなんて、恥ずかしいです。
調べてみたのですが、「妻と女の間」は毎日新聞に連載されていた小説でした。
家で取っていた新聞は毎日でしたから、それだったのかもしれません。
一応、新聞小説は読んでいましたし。
瀬戸内寂聴はもう一つ「まどう」という毎日新聞に連載された小説があって、それかもしれません。
「ルールは本当に伝統なのか」というテーマですが、着付けだけでなく伝統のように思われているルールはあるように思います。
若い頃、甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)という、本来は日本画家なのですが、画壇から干されて映画界で溝口健二の映画の時代考証などで活躍した人の随筆を読んだことがあります。
京都の旧家で生まれて、古い京都の風俗にも詳しい人で、そういうことを書いていました。
随分昔に読んで私の記憶も曖昧なのですが、中で私が『えっ、そうなの』と思ったことは舞妓さんの着付けについてです。
昔の舞妓さんの着付けはゆるゆるだったそうです。
それは客である金持ちの旦那衆が手を入れて、舞妓の胸を直に触りやすいようにしてあったみたいです。
今、テレビでよく舞妓の着付けのシーンが流れたりしていますが、キッチキッチに締め上げてますね。
いかにも伝統の世界って感じで放映してますが、甲斐荘の随筆を読んでいるもんですからホントかなと思うのですよ。
「長襦袢の着こなし入門」という本があります。
見かけたらパラパラ見してみてください。
若い頃は母のお下がりの緋の襦袢って着られませんでしたが
今はけっこう出番を作って着ています。
地味な大島に緋色が振りから覗くのは「うふふ」ですよね。
元気を貰える気がします。
またまた貴重な知識ありがとうございます。甲斐荘楠音氏は「ぼっていきょうてい」というホラー小説の表紙で怖い?きもの女性を描く人ですね。林真理子さんのきもの小説にも載っています。彼のエッセイ読みたいと探したことがあります。溝口監督も、きものをはじめ映像の隅々までうるさいというか凝る人ですよね。「伝統」という言葉は魔法の言葉ですね。多くの人が、その言葉に捕らわれているんですね。
そうなんです。私もあの赤、若い頃は嫌で、でも今は結構惹かれますね。自分のなかに赤が少なくなったせいかしらん(笑)。最近またこの「緋」の色って人気出ているように思います。