ボストン美術館の海外に渡った日本美術もそうですが、外国から日本を見たとき、その土地やモノがまた違う魅力を帯びてくることがあります。
一概に権威主義ともいえないと思います。
バーゲンでもオークションでも「人が殺到している」とつい手が出てしまう。
卑近過ぎる例で、ごめんなさい。
でも他人が素敵だと断言すると、「そうなの?}と見直す心理はありますよね。
他の人の目を通すことで、また違った面が見えてくる。
そんなことを思ったのは、「ジャポニズム・イン・ファッションー海を渡ったキモノ」(深井晃子著・平凡社)という本のせいです。
日本の浮世絵がゴッホなどに与えた影響はよく語れますが、当時ヨーロッパで起きたジャポニズム、日本ブームには当然ながら、キモノの魅力も大きかったわけです。
この本は、キモノがヨーロッパのファッションにいかに影響を与えたかを、17、18世紀から現代まで調べていったものです。
ルノアールの「エリオ夫人」(1882年作)。
ヨーロッパのキモノを語るとき必ず出てくる絵画です。
ガウンのように羽織っているのは、刺繍をほどこした
打掛けを模倣、あるいは作り直したものです。
その後、一般的にもガウンとして着用され、初期のシャネルなどにも影響を与えたそうです。
かつてのキモノはゆるく着ていますが、ヨーロッパの人にはそのゆるさが魅力だったようです。
今のきもののきっちりした着方より、ゆるい方が魅力だった~~。
そして現代を代表するデザイナー、三宅一生、ヨージ・ヤマモト、そしてコムデの川久保玲などほとんどは、キモノを知り尽くした上で、それを応用させて世界の舞台で喝采されています。
蝶で売った森英恵もその一人です。
左・コムデギャルソン(94年春夏)
ヨージ・ヤマモトの94~95コレクション。
「着物を新しい服に変えた」とあります。
両方ともきものの上に羽織、というイメージです。
それに一生さんの「プリーツ・プリーズ」など、布を巻いて着るというまさに着物の発想。
きものってファッションではいろんな可能性を秘めていることがわかります。
と同時に、私にとってはまさにエキゾチズム、異国趣味としての存在だなあと思ってしまいました。
異国といっても、遠い外国ではなくても、江戸だったり、明治、大正、昭和、~~、
そしてレトロ散歩で行くちょっと昔の日本。
もっといえば、幼いころに、母のきものをひっぱりだしてやったお姫様ごっこ!
若いころに一人部屋でやったファッションショー(笑)
いやいや、これも卑近な例でごめんなさい。
とにかく「今こことは別の場所」、とでもいいましょうか。
だから襦袢を身に着け、きものをまとい、帯を締めるプロセスは「遠い場所」に行くための準備。
きものは日本の伝統であると同時に、そんな「異国」への入口、あるいは魔法のじゅうたんなのではないでしょうか。
あまり急いで「よその国」行っては面白くないので、ワタクシは着付けの時間を楽しみながら、ゆっくりと参ることにいたしまします。
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